「カラス」、「加湿器」、「ラベンダー」③
391 名前:おかしな話 1/5 ◆phHQ0dmfn2 [sage] 投稿日:2008/11/24(月) 19:23:29 ID:zrR6IL1R
目の前には一面のラベンダー畑が広がっている。高原の澄んだ風が、その香りを俺の元
に運んでくれる。
しばし堪能してから、俺は宿泊場所であるペンションへと足を進めた。さあ、今回はど
んな事件が起こるのやら。
ログハウス風の宿に着くと、いかにも人の良さそうな老夫婦が俺を迎えてくれた。だが
油断してはならない、人は見かけによらぬもの。彼らの一挙一動まで、きちんと目を配ら
ねば。
挨拶と宿泊カードの記載を済ませ、部屋に案内してもらう。
こじんまりとした客室は、簡素だが落ち着いた雰囲気を醸し出している。エアコンと加
湿器で室内は快適な温度湿度に保たれ、ラベンダーのアロマキャンドルの香りがこれまた
心地よい。老夫婦の気配りと人柄が感じられる。
俺はベッドに寝ころんだ。少しの間、目を閉じリラックスする。いつもは、自慢の灰色
の脳細胞をフル回転させてばかりなのだから、たまにはこんな風に頭を休めるのも悪くな
い。まあ、だがこんなに穏やかな時間は、そう長くは続かないだろう。
に運んでくれる。
しばし堪能してから、俺は宿泊場所であるペンションへと足を進めた。さあ、今回はど
んな事件が起こるのやら。
ログハウス風の宿に着くと、いかにも人の良さそうな老夫婦が俺を迎えてくれた。だが
油断してはならない、人は見かけによらぬもの。彼らの一挙一動まで、きちんと目を配ら
ねば。
挨拶と宿泊カードの記載を済ませ、部屋に案内してもらう。
こじんまりとした客室は、簡素だが落ち着いた雰囲気を醸し出している。エアコンと加
湿器で室内は快適な温度湿度に保たれ、ラベンダーのアロマキャンドルの香りがこれまた
心地よい。老夫婦の気配りと人柄が感じられる。
俺はベッドに寝ころんだ。少しの間、目を閉じリラックスする。いつもは、自慢の灰色
の脳細胞をフル回転させてばかりなのだから、たまにはこんな風に頭を休めるのも悪くな
い。まあ、だがこんなに穏やかな時間は、そう長くは続かないだろう。
少し早いが、夕食前に風呂を頂くことにした。ゆっくりできるうちにしておかなければ
な。もっとも、風呂場で事件に出くわすなんてこともよくあるから、油断はできないのだ
が。
な。もっとも、風呂場で事件に出くわすなんてこともよくあるから、油断はできないのだ
が。
392 名前:おかしな話 2/5 ◆phHQ0dmfn2 [sage] 投稿日:2008/11/24(月) 19:25:24 ID:zrR6IL1R
浴室は、やや大きめのバスルームといった具合だ。客室と同じく隅々まで手入れが行き
届いている。浴槽にはラベンダーの花びらが浮かび、湯気と香りが充満している。
ふむ……今回はラベンダー尽くしだな。おそらく事件と何らかの関係があるのだろう。
花言葉は『あなたを待っています』だったか、意味深だな。犯人の動機に関係したモチー
フかもしれない。
……いかんいかん。リラックスしようと思ってはいるのだが、どうしてもこんなことを
考えてしまう。職業病だな、これは。
仕事柄、こういったペンションや温泉宿に泊まる機会は多いのだが、事件のせいであま
りゆっくりできないことが多い。楽しみの入浴も、カラスの行水になってしまうことがほ
とんどだ。こんな風に長風呂をしたのは、いつ以来だろうか。
届いている。浴槽にはラベンダーの花びらが浮かび、湯気と香りが充満している。
ふむ……今回はラベンダー尽くしだな。おそらく事件と何らかの関係があるのだろう。
花言葉は『あなたを待っています』だったか、意味深だな。犯人の動機に関係したモチー
フかもしれない。
……いかんいかん。リラックスしようと思ってはいるのだが、どうしてもこんなことを
考えてしまう。職業病だな、これは。
仕事柄、こういったペンションや温泉宿に泊まる機会は多いのだが、事件のせいであま
りゆっくりできないことが多い。楽しみの入浴も、カラスの行水になってしまうことがほ
とんどだ。こんな風に長風呂をしたのは、いつ以来だろうか。
風呂から上がると食事の用意ができていた。部屋に持ってきてもらってもよかったが、
せっかくなので食堂で老夫婦とご一緒することにした。
「大したおもてなしは出来ないのですが……」
そう言って郷土料理をテーブルに並べる。
せっかくなので食堂で老夫婦とご一緒することにした。
「大したおもてなしは出来ないのですが……」
そう言って郷土料理をテーブルに並べる。
393 名前:おかしな話 3/5 ◆phHQ0dmfn2 [sage] 投稿日:2008/11/24(月) 19:28:08 ID:zrR6IL1R
この料理に、もしかすると毒が盛られているのかもしれない。まあ、俺は絶対に死ぬこ
とはないのだから、あまり気にすることもない、遠慮なく頂く。うむ、これは美味い。
「よかったらハーブティーでも」
食後に、老婦人がお茶をごちそうしてくれた。温かい液体が腹におさまると、ささくれ
立った神経も休まり……
とはないのだから、あまり気にすることもない、遠慮なく頂く。うむ、これは美味い。
「よかったらハーブティーでも」
食後に、老婦人がお茶をごちそうしてくれた。温かい液体が腹におさまると、ささくれ
立った神経も休まり……
ん?
いくら何でもおかしいぞ。なぜ何も起こらない?
いつもなら、この辺りで死体の一つや二つ、出てきてもおかしくないのだ。しかし今回
はどうも勝手が違う。考えてみると、登場人物といえば、俺と老夫婦の三人だけ。これで
は謎の深めようがないではないか。老夫婦のどちらかが殺されたとしても、犯人がすぐに
特定できてしまう。これでは推理モノなど成り立たない。一体、どうなっているのだ?
いくら何でもおかしいぞ。なぜ何も起こらない?
いつもなら、この辺りで死体の一つや二つ、出てきてもおかしくないのだ。しかし今回
はどうも勝手が違う。考えてみると、登場人物といえば、俺と老夫婦の三人だけ。これで
は謎の深めようがないではないか。老夫婦のどちらかが殺されたとしても、犯人がすぐに
特定できてしまう。これでは推理モノなど成り立たない。一体、どうなっているのだ?
それでも俺は待った。あせるな、今に事件が起こるはずだ。外から悲鳴が聞こえるはず
だ。謎に満ちた突然の訪問客が現れるはずだ。
しかし、いくら待てどもそんな気配は微塵もない。老夫婦とたわいもない会話をしなが
ら、ただ時間が流れてゆく。
作者め、一体何を考えているんだ? 推理小説の読者が求めているものは『非日常』だ
ろう。こんな何の変哲もない日常を淡々と描いた作品など、だれが読みたがるものか。
凄惨な密室殺人が起こり、探偵である俺は巧妙なトリックを見破る。そして、犯人が涙
ながらに衝撃の過去と犯行動機を自白する……それこそが醍醐味ではないか。
だ。謎に満ちた突然の訪問客が現れるはずだ。
しかし、いくら待てどもそんな気配は微塵もない。老夫婦とたわいもない会話をしなが
ら、ただ時間が流れてゆく。
作者め、一体何を考えているんだ? 推理小説の読者が求めているものは『非日常』だ
ろう。こんな何の変哲もない日常を淡々と描いた作品など、だれが読みたがるものか。
凄惨な密室殺人が起こり、探偵である俺は巧妙なトリックを見破る。そして、犯人が涙
ながらに衝撃の過去と犯行動機を自白する……それこそが醍醐味ではないか。
394 名前:おかしな話 4/5 ◆phHQ0dmfn2 [sage] 投稿日:2008/11/24(月) 19:30:38 ID:zrR6IL1R
客室に戻り、ベッドに横たわる。しかし眠れるはずなどない。
おかしい、おかしい……なぜ何も起こらない?
疑問は焦りに、そして次第に苛立ちへと変ってゆく。いても立ってもいられず、何度も
寝返りを打つ。気が狂いそうだ、こんなことは前代未聞ではないか。
俺は探偵小説の主人公なのだぞ。『何も起こらない』のでは、立場がない。それどころ
か、俺の存在意義そのものがなくなってしまう。
ふざけるな、いやだ、我慢ならん……何とかしてこの状況を変えねば……
おかしい、おかしい……なぜ何も起こらない?
疑問は焦りに、そして次第に苛立ちへと変ってゆく。いても立ってもいられず、何度も
寝返りを打つ。気が狂いそうだ、こんなことは前代未聞ではないか。
俺は探偵小説の主人公なのだぞ。『何も起こらない』のでは、立場がない。それどころ
か、俺の存在意義そのものがなくなってしまう。
ふざけるな、いやだ、我慢ならん……何とかしてこの状況を変えねば……
……何だ、悩むことなんてないじゃないか、『事件がないなら起こせばいい』のだ。俺
としたことが、なぜこんな簡単なことに気付かなかったんだ。
俺は今までありとあらゆる犯罪、特に殺人事件に関わってきた。俺の中には、そんじょ
そこらの犯罪者なんかとは比べものにならないくらいの、膨大な量のノウハウがある。い
わば殺しのスペシャリストだ。
としたことが、なぜこんな簡単なことに気付かなかったんだ。
俺は今までありとあらゆる犯罪、特に殺人事件に関わってきた。俺の中には、そんじょ
そこらの犯罪者なんかとは比べものにならないくらいの、膨大な量のノウハウがある。い
わば殺しのスペシャリストだ。
395 名前:おかしな話 5/5 ◆phHQ0dmfn2 [] 投稿日:2008/11/24(月) 19:32:45 ID:zrR6IL1R
作者が殺さないなら、俺が殺せばいいのさ。足がつかないように死体を作り上げるなん
て、俺にとっては造作もないこと。事件をねつ造し、架空の犯人を仕立て上げ、何食わぬ
顔で推理を披露してやればいいんじゃないか。
さて、思い立ったら行動あるのみ。では早速、あの老夫婦を……
て、俺にとっては造作もないこと。事件をねつ造し、架空の犯人を仕立て上げ、何食わぬ
顔で推理を披露してやればいいんじゃないか。
さて、思い立ったら行動あるのみ。では早速、あの老夫婦を……
「院長、今日は新しい患者が来るそうですね」
「ああ、殺人の罪で捕まった男だ。とんでもなく巧妙な密室トリックを使ってね」
「ああ、テレビでもやってましたね。あわや完全犯罪というところで、たまたまやってき
た名探偵に見破られ、御用となったとか。しかし、何でまたウチの施設に?」
「うむ、鑑定の結果、そいつの精神に異常が見つかったそうだ。だから刑務所ではなく、
ウチの精神病棟へと送られるのだよ」
「へえ、どんな症状なんですか?」
「そいつが言うには、この世界は一つの物語で、自分はその主人公なんだと。他の人物は
脇役で、君も私も、作中の登場人物でしかないそうだ」
「馬鹿馬鹿しい、おかしな話ですね」
「ああ、おかしな話だ。そんなこと、ある訳ないのに」
「ああ、殺人の罪で捕まった男だ。とんでもなく巧妙な密室トリックを使ってね」
「ああ、テレビでもやってましたね。あわや完全犯罪というところで、たまたまやってき
た名探偵に見破られ、御用となったとか。しかし、何でまたウチの施設に?」
「うむ、鑑定の結果、そいつの精神に異常が見つかったそうだ。だから刑務所ではなく、
ウチの精神病棟へと送られるのだよ」
「へえ、どんな症状なんですか?」
「そいつが言うには、この世界は一つの物語で、自分はその主人公なんだと。他の人物は
脇役で、君も私も、作中の登場人物でしかないそうだ」
「馬鹿馬鹿しい、おかしな話ですね」
「ああ、おかしな話だ。そんなこと、ある訳ないのに」