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「ひぐらし」、「硯」、「泡立て器」

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shoyu

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244 名前:ひぐらし・硯・泡立て器 1/5[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 23:23:11 ID:JTeMyJQF

「失礼します」
 ノックをし室内に入ると、数人の男たちに迎えられた。
 首相、財務相、経産相をはじめ、この国の政界財界の中枢を担うお歴々が顔を連ねてい
る。
「やあ博士、お待ちしておりました」と首相。
 促され、私と助手はソファに腰を下ろす。挨拶もそこそこに、大臣の一人が本題を切り
出した。
「知っての通り我が国の経済は、現在、危機的な状況にあります。現状を打破するべく、
高名な博士のお知恵を拝借しようと、こうしてお呼び立てした次第です」
 私はうなずく。所得の減少、物価の上昇、過去最低を記録した株価に、過去最高の失業
率……不況を超え恐慌と呼ぶにふさわしい状況だ。
 若者は職に就けず嘆き、老人は破綻寸前の社会保障制度に絶望する。まさに、国全体が
『その日暮らし』をしているかのような不安定な状態。
 もはや、政治家だけの力ではどうすることも出来ない。そのため、各分野の権威が集め
られ、問題への対策を考えることとなった。私もその中の一人というわけだ。

245 名前:ひぐらし・硯・泡立て器 2/5[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 23:26:07 ID:JTeMyJQF

「さて、私の専門は人間の行動心理についてです。思いますに、こたびのような不況の一
番の原因は、消費の低迷です。人々は先行きに不安を覚え、金を使わなくなる。すると金
の流れは停滞し、経済は悪化するばかりです」
 私が説明すると、大臣の一人が苛立った様子で声を上げる。
「そんなことは中学生でも知っている。時間はあまり無いのだ、前置きはいいから結論を
手短に話したまえ」
 まったく、物事には順序というものがあるのに。これだからお偉方は……
「まあ、そうあせらずに。おい君、あれを」
「はい、博士」
 隣にいる助手に促し、彼の持つアタッシェケースを机の上に置かせる。私は蓋を開け、
中から取りだしたものをみなに見せた。
「それは……何ですかな? 金の延べ棒のように見えますが」と大臣。
 私が手にしているのは、長さ十センチ程度で黄金色に輝く物質。しかし、これは金では
ない。
「これは、ある種の植物の持つ成分を抽出し、精製して固めたものです」
「で、それが何だと言うのだね?」
「この成分を人間が摂取すると、物欲が増大します。購買欲に取り憑かれ、消費行動に走
るようになるのです」
 私は続ける。
「つまりですな、この薬を食べ物や飲料水に混ぜ国民に採らせれば、消費を促し景気回復
の一助とすることが出来るのです」

246 名前:ひぐらし・硯・泡立て器 3/5[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 23:30:39 ID:JTeMyJQF

 話を聞いていた面々は、驚いたように顔を見合わせる。
「そんなことが本当に可能なのかね?」
「はい、臨床データは十分に取ってあります。また、人体への毒性もまったくありません」
 みな感嘆する。しかし、疑問を口にする者もいた。
「だがなあ、そんなものは一時しのぎにすぎないのではないかね? 無理矢理に需要だけ
を増やしても、それは実体の無いバブル経済と同じだろう」
 私はそれに答える。
「たしかにその通りです。この薬は、バブルを生み出す『景気の泡立て器』といったとこ
ろでしょうか。しかし、新たな経済の流れを生み出すきっかけにはなります。まあ、その
後は皆様の政治・経営手腕次第ですな」
 彼らは悩んでいるようだったが、それまで黙っていた首相が口を開いた。

「よし、覚悟を決めよう。このまま手を打たずにいれば、この国は確実に崩壊してしまう
だろう。巧遅は拙速に及ばずだ、早急な決断をせねばならん」
 その言葉に、一同は納得したようにうなずく。首相は続ける。

247 名前:ひぐらし・硯・泡立て器 4/5[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 23:33:34 ID:JTeMyJQF

「では、まずは我々が飲んでみようではないか。自分たちで試してもいないものを、国民
に押し付けるわけにはいかんだろ」
 この男、メディアからは無能無能と叩かれているが、存外、骨のある男なのかもしれな
い。
「感服しました。では、さっそく用意するので少々お待ち下さい」

私はアタッシェケースからシャーレを取り出し、手元のコップの水を注いだ。そこに先ほ
どの『延べ棒』を浸し、底に擦りつけ溶かしてゆく。硯を使い、習字の墨を仕上げるとき
の要領だ。
 ほどなくして、シャーレ内の水は金色に染まる。スポイトでそれを吸い上げ、一同のコ
ップの水に数滴ずつ垂らして回った。
「これで出来上がりです、どうぞお飲み下さい」
 そう促すと、彼らはおそるおそる飲み干した。



 数週間後、私はいつものように研究に没頭していた。すると、助手が血相を変えて飛び
込んできた。手には今日の新聞を持っている。
「大変です、博士!」
「どうしたんだね、そんなに慌てて」
「我が国が……A国との開戦に踏み切りました!」
 差し出された紙面を見て、私は絶句した。近隣国であるA国とは、これまでも様々な問題で揉めていた。しかし、いくら何でも戦争とは……

248 名前:ひぐらし・硯・泡立て器 5/5[] 投稿日:2008/10/26(日) 23:35:55 ID:JTeMyJQF

「一体なぜこんなことに?」
「それが……どうやらあの薬のせいみたいなんです」
 その言葉で理解した。豊富な資源に恵まれたA国は、首相たちから見れば喉から手が出
るほどほしい存在だ。
 それにA国は、我が国に対して度重なる威嚇行動を繰り返し、挑発を続けていた。
「買うは買うでも、売られた喧嘩を買ってしまったというわけか。たしかに、戦争は究極
の消費行動とも言えるが、何と愚かな……」
 もちろん、薬の開発者である私にも責任はある。目の前が真っ暗になった。
「博士、この先どうなるのでしょう?」
「世論が反戦に動くことは期待できんな。あの薬は、すでに水道水に混ぜられ、多くの国
民が口にしている。今や誰も、この戦争を止めようという気にはならないだろう。何とい
うことだ……」
 結果がどうなるのかは分からない。ただ一つ確実なのは、勝っても負けても泥沼で、得
るものなど何一つない、ということだろう。
「この国もおしまいだ。何もかも水の泡だよ……」

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