この読解が、大問題となっている。ってほどでもないかな。
yasuoka (21275)氏によってなされた、最初に示された解釈の方向付け。
その方向性が、その後の議論の進展の経路を、解釈の例示の初期設定モーメンタムが、その後の議論進展をある程度方向付けた。
yasuoka (21275)氏は、白石明彦氏の原文をサーベイできる状況にあった。原文にある、白石明彦によって提示された“障害者自身による声”
を読後、傍らに置きつつ書いていたはずである。
yasuoka (21275)氏は、原文のウェブ公開版へのリンクは、執筆時点では、知らなかったのであろうか。
naruse (12596)氏は、原文にはアクセスできていなかったであろう。
naruse (12596)氏は、yasuoka (21275)氏の書き記したジャーナルを元に、推論・思索を進めざるを得ない。yasuoka (21275)氏の疑問形な、文の提示に対し、補足追加情報を求めて、探索行動に入った。
そして、「訴える人」の候補に遭遇、仮に特定して、その論を進めた。
この進展経路は、なんのせいなのか。読解力の問題なのか。議論のとばくち、最初に、論点提示者が切り出し、「害」とかぎかっこ付けして演出した、視点誘導的加筆脚色が、その後の議論進展の経路を生む素地をつくったとはいえまいか。
決して、常用漢字表の問題ではないような気がする。
まったく同感。
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最終更新:2010年04月16日 13:50