1870年4月
1872年7月
Sholesによるキー配列の変更
では、QWERTY配列のIとEは、なぜ遠くに配置されているのでしょう。もう少し歴史学的に書くなら、C.Latham Sholesが開発したタイプライターにおけるIのキーは、1870年時点ではEの近くに配置されていたのに、なぜ、1872年のキー配列ではEから遠く離れてしまったのでしょう。
この、
1870年4月
しかもこの「1870年4月のキー配列」ってのは、「これは私(安岡孝一氏。引用者注)の個人的な意見になりますが、・・・」の前にある。これでは、読者はどう受け取るであろうか。
これは私(安岡孝一氏。引用者注)の個人的な意見になりますが、・・・
につづく記述だが、少なくとも、Gekkao氏のページ 推理:なぜQWERTY配列なのだろうか: には
あと、あれ?キーボードの4段化の時期は、Current1949ではどうだったっけかな。1871年春ごろまでにって事だったはずだが、、
もし、カレント(1949)説にある「四段化作業は1870年からシワールバッハが請負って個人的に進め、1871年春頃ショールズらの眼前に披露された」というのが正しいとすれば、安岡孝一氏は、四段化の成されていない時点での配列を既定配列として論じていることになる、、
ここでも、カレント説への挑戦があるのは明瞭である、。
あるいは何か別の条件があるかも知れず、1つの理由だけで全部説明がつく、なんてことは絶対ありえません。
ノーマンにも、
とある。
With the older manual typewriters each keystroke caused a metal bar to swing down or forward to hit the paper. If the typist worked too quickly, the metal typebars would collide and jam the mechanism. The design solution was to relocate the keys so that letters often typed immediately after one another, such as "i" and "e", would be placed on opposite sides of the machine.
OCN|翻訳サービス:
http://www.ocn.ne.jp/translation/
より古いマニュアルのタイプライタで、個々のキーストロークは、金属バーを、紙に当たるために、下または前に揺れさせました。 もしタイピストが非常に迅速に働くならば、金属タイプバーは相反し、メカニズムを塞ぎます。 お互いに、「i」や「e」などマシンの逆の側に置かれたすぐ後に、デザイン解決は、しばしば手紙がタイプするようにキーを再配置することでした。
のどこかを取り上げたのが、
また、"swing up"機構においては、活字棒が絡んだりすることは、まずありえません。
しかし、Sholesのタイプライターのように、活字棒が"swing up"する機構では、そのようなことは起こらないのです。したがって「活字棒が絡まないように、連続する頻度の高い2字が離れて配置され、その結果QWERTY配列となった」
の「」のなかは、どこに書いてあるのかな。どこから持ってきたのかな。
絡むとは、どの部分か。
原文には、「メカをジャムする」とあるようだが。
もっとも、原文を追っていくと、原文は文法的には、なんかすっきりしないような気がする。
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最終更新:2009年10月01日 16:09