歴史学における言説の取り扱いはどうなっている?考察対象:白須裕之、浪川健治、安岡孝一。

 歴史学が扱うもの、それは所蔵された古文書、続々と発掘される遺物や遺跡だけではありません。絵画や文学、口承、土地景観などのあらゆる「時」を刻んだ記録や記憶に及びます。ただし、これらをたんなる知識として身につけることをめざすものではないのです。また、そこから読み出すものは、ifの世界でも、「現在」の肯定でもありません。
 歴史学がめざすのは「昔の人のみた世界とはどのようなものだったのだろうか」「人間はどうしてこのような社会をつくり上げてきたのか」という人間の可能性を探り出すことなのです。しかし、人間が主観としてもった空間と時間に対する認識は、客観的に存在した空間や流れる時間という実体とは異なっています。私たちは、歴史学を通じて事実と真実の「あいだ」(それは真実か)だけでなく、事実と「認識」(それはどのように捉えられていたのか)の、そして「認識」と「記憶」(それはどのように伝えられたか)の「あいだ」にも踏み込むことによって、はじめて人間の可能性と「現在」とを「時」のなかに捉えることができるのです。
「歴史学者としての姿勢を、私たちなりに徹底したつもりだ。」 http://b.hatena.ne.jp/raycy/20090826#bookmark-15553705
  • 白須裕之(東京大学 大学院人文社会系研究科 次世代人文学開発センター)
    • 「歴史記述に対する概念分析の試み」情報処理学会研究報告. 人文科学とコンピュータ研究会報告 2007(49), 1-8 ,20070525 http://ci.nii.ac.jp/naid/110006291448
      • [8]富山太佳夫:フィクション抜きの史実は存在するか,森明子編著『歴史叙述の現在』人文書院所収,129-144,2002
    • 言語テクストのデジタルアーカイブズについて http://b.hatena.ne.jp/raycy/20090826#bookmark-15554204




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最終更新:2009年09月05日 22:05
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