Re:デザイン学者の書くQWERTY配列

下書き
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/402300
デザイン学者の書くQWERTY配列
yasuoka (21275) 2007 年 05 月 06 日PM 04:50

in the 1870s

yasuoka氏が引用した訳書 下線部ママ
現在標準となっているキーボードはチャールズ・レイサム・ショールズ(Charles Latham Sholes)によって一八七〇年にデザインされたものである。
の原文は 下線部ママ
The current standard keyboard was designed by Charles Latham Sholes in the 1870s amazon調べ
ではないかと思われる。下線部は、yasuoka氏ご指摘にあるように、正しくはChristopherクリストファーだと思われる。
「the 1870s」と、原文には「the…s」がついているようだ。ならば、1870年代。訳本の脱字(あるいは誤訳)ということになろう。

「この話しはもっともらしいけれども、キーの配置がこの話しと完全に合っているわけではない。」(ノーマン)

本書の
本文中には、巷間もっともらしいとされる説が掲げられた部分があり、原著者がすべて完全に得心して書いてあるものではない。
そのことは、注をみればわかる。
原著者は、日本語版注4(→237)(P.378-379) http://raycy.seesaa.net/article/91106449.html で、仮説「頻出連続出現文字列の対抗配置的なキー配置操作が、QWERTY配置に至らしめた説」に、若干の疑問をはさんでいる。
「この話しはもっともらしいけれども、キーの配置がこの話しと完全に合っているわけではない。」
とし、そして、他の頻出文字ペアではどうだろうか、
「しかし、同じようによく使われるペアについてはどうだろう。たとえば、eとr、あるいは、iとnとg、」
と、著者ノーマン自らツッコミをいれている。

それなのに、この原著者のツッコミに関しては、yasuoka氏ジャーナル http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/402300 では、一切触れられていない。そして、
eとrはどうなんだ、
第2位の「er」+「re」や、
と、原著者の思慮の足りなさとしてあげつらっているようにみえる。

yasuoka氏記述中の用語「隣接」:間にひとつ挟まっていて、ひとつ間をおいてても、隣接

yasuoka氏記述中で
タイプバスケット内で隣接して配置されている
とされている 「OとU」「EとR」は、実際には、数字のタイプバーが間に入っており、辞書どおりの意味での「隣接」ではない。図を確認せずに、yasuoka氏記述だけみた人のなかには、辞書どおりの隣接と受け取ったかたも、いたかもしれない。
#ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。


解明したいのは、ショールズらの1873年春プロトタイプ機までのキー・タイプバー配置決定評価関数

ところで、
第27位の「ou」+「uo」がタイプバスケット内で隣接して配置されているのに、 http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/402300
とあるが、まず、現行のQWERTY配列での並びではOとUは隣接していない。yasuoka氏が想定したのはショールズらのプロトタイプ機1872年8 月10 日付Scientific American 誌 http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/cfc65daa9e270c4929a44f1aadb73fbd あるいは、
デンスモアらが1873年春、レミントンに持ち込んだとされるプロトタイプ機
 
 のキー配列「IUO」であろう。そして、それから推定されるタイプバスケット上のタイプバー配置のことを論じたいのであろう。つまりプロトタイプ機でのタイプバーの配置関係が、評価・論点であるとの認識にたってのことであろう。
#ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。
http://www26.atwiki.jp/raycy/pages/145.html
そう、着目すべきは、プロトタイプ機までのキーおよびタイプバー配置の意思決定経緯であろう。この点、同意する。http://www26.atwiki.jp/raycy/pages/35.html
ショールズらの1873年春プロトタイプ機までのキー・タイプバー配置決定評価関数
その後は、レミントン側が開発を主導していくこととなり、評価関数が混濁して、ショールズらのものとはいささか異なっていっているかもしれない。
そして残ったのが、QWERTYの初期開発痕、http://www26.atwiki.jp/raycy/pages/77.html 盲点でもあるかもしれない。QWE。http://www26.atwiki.jp/raycy/pages/94.html

前項での安岡叙述への解釈が正しければ、安岡氏は、プロトタイプ機でのキー配置「UO」とタイプバスケット上での配置に関連があるとして推論を進めていることになる、、

前項
解明したいのは、、http://www26.atwiki.jp/raycy/pages/113.html#id_3799f676
ところで、
第27位の「ou」+「uo」がタイプバスケット内で隣接して配置されているのに、 http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/402300
とあるが、まず、現行のQWERTY配列での並びではOとUは隣接していない。yasuoka氏が想定したのはショールズらのプロトタイプ機1872年8 月10 日付Scientific American 誌 http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/cfc65daa9e270c4929a44f1aadb73fbd あるいは、デンスモアらが1873年春、レミントンに持ち込んだとされるプロトタイプ機のキー配列「IUO」であろう。そして、それから推定されるタイプバスケット上のタイプバー配置のことを論じたいのであろう。
これはキー配列とタイプバー配置に関係性が確立されていたとする立場(あるいはCurrent1949などの定説的な立場)ならば当然の推論だろう。
だが、安岡孝一氏のとる立場”プロトタイプ機時代には、キー配列とタイプバー配置間に自由度がある”発言からは、、おかしいなあ。


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最終更新:2009年08月30日 04:00
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