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「Re:心理学者の考えるQWERTY配列の歴史 - yasuokaの日記」
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安岡孝一氏が「売り込みの様子を読めばわかるとおり」として示した自記事が引用しているJames Densmore: "Typewriting and Telegraphy", The Phonographic World, Vol.2, No.1 (September 1886), pp.6-7 をみれば、そこから読み取れることは、タイプライターでの聞き取り打鍵速度が十分すぎるくらいに速くて、実モールス送信速度ではポーターにとっては遅すぎslowにみえる打鍵速度で足りていたってことだ。枕が欲しいよお。
キーボードの歴史にも書いたとおり、1872年時点では、キー配列はまだQWERTYになっていない。
グリフィスは、1872年の配列を、ハイフンとアンダースコアについては、安岡孝一氏記述とはテレコと認識していたようである。
山田尚勇は、1873年のプロトタイプで、ほぼQWERTY、少しの例外を除いて、と、表現してあった。
ともかく、すでにQWERTYのわだちへと踏み入っていたといえるのではないか。ひとつの最善・折り合い・ほどよいバランス・妥協の形へと結実する経路へと。
『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版, 2008年3月)にも書いたが、1872年時点でのSholesの顧客は、George HarringtonやAnson Stagerなどが率いる電信会社だった。
売り込み先ってのはどうなのかな、。少なくとも、単なるセールスマンってわけではないような感じの場面が、ステイガーむけにはあったな。タイプライター製造ならびに電信受電システムに採用となるかならぬかまでを含めた話。包括的な。特許権使用許諾、製造許諾、あるいは特許権譲渡、とか。
製品としてのタイプライターの、ふつうにいうセールスマンってのとは、ちょっとちがうかなあ。
1868年には、自動電信送信入力端末シミュレーターとしてか、清書機としてか、音声聞き取り書き取りタイプ機としてか。ポーターはいったん採用するも、実用にはいたらず。
1870年 ハリントン。1971年エジソン。いまでいうGE系かな、ちがうかな。電信中継機開発してた?アラインメントがだめだって。
1872年 アラインメント、合格? インタラプション、減った?
この間に、何か、かわったことはあっただろうか。改善点はあっただろうか。
打つべきスピードは、タイピストによって決定されるのではなく、モールス電信の受信スピードで決まっているからだ。
「タイピストの打つ速さを遅くするように」
slow the typist down
ってのは、 「の打つ速さ」ってのは、そう補わないといけないのかな。
なんて、どう考えてもヘンだと思わなかったのだろうか?
時代の要求水準というか、バランス最善点が移動した、というか、、
突発的な、あるいは、事故的な不用意操作
要求水準があがってったってのもあろう、
わざと、たとえ絡んだとしても、タイプバーへのダメージは避けたいってな設計、運営方針になったってのもあるかな。で、しなってかわす、ガッチンコを避ける、。
タイプバー駆動の慣性モーメント・イナーシャを小さくするために、タイプヘッド以外をなるたけかるくしたいのと印字時の剛性は確保したいってんで、アームは軽くそして薄くなっていったのだろう。そして、以前に増して、しなるようにもなっていった。
William Hofferの原文、
は、こう補って読めば、どうだろうか。
現代のタッチ「タイピングつ速さを遅くするように」
なぜなら、タッチタイピングでの運指に沿って、話をてんかいしているから。タッチタイピストの立場から見てってな評価になっちゃってるから。
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最終更新:1970年01月01日 09:00