江口寿史背景批判問題への見解まとめ
2011/12/05
参考
Togetter「江口寿史が「花沢健吾」「浅野いにお」の背景を批判」
Togetter「江口寿史の背景批判 その後まとめ」
アルファルファモザイク「トレス背景批判の江口寿史先生が謝罪?
参考
Togetter「江口寿史が「花沢健吾」「浅野いにお」の背景を批判」
Togetter「江口寿史の背景批判 その後まとめ」
アルファルファモザイク「トレス背景批判の江口寿史先生が謝罪?
最初、江口発言を
- PCやマンガ制作ソフトウェアなどの新技術を利用すると、作家性が表現できない
と言う意図で捉えていたが、その後、関連スレの発言や丫戊个堂やよしなになからの指摘などにより、むしろ江口個人の「マンガ・絵・作家性」などへの見解や好悪を述べたものであると捉えなおした。
その後の発言や丫戊个堂・よしなからの指摘をふまえた新解釈↓
■「江口寿史の主張ってこんなことだったんじゃないの?」
- 写真そのもののような作家性の感じられない背景のマンガがある
- おやすみブンブン
- アイアムアヒーロー
- 写真トレスやPC加工といった技術自体が問題なのではない。あくまで作家性の有無が問題
- 写真トレスやPCを利用した上で作家性が感じられるマンガもある
- 大友克洋
- 上條敦士
- 松本大洋
- このような「手抜き」ができる技術はもっと使われるだろう
- そうすると、マンガの絵に作家性が盛り込まれない作品も増えるのではないか
- このまま、作家性が盛り込まれない作品が認められていくとマンガの魅力はなくなっていくだろう
- そのようなスパイラルになるとマンガという表現自体もすたれていくのではないか
そのような流れに疑問を呈し、作家性への回帰を提言したい
※技術や手法の否定ではない
※技術や手法の否定ではない
(
江口発言は「作家性の回帰」だけを言いたいのであり、絵の問題を語ったのではない
という捉え方もできる?)
■俺が思ってること
- 技術の進歩ってのは避けられないし、便利なツールを使う人はいるだろう
- マンガは他の世界に比べ、機械による技術革新が入らなかったが、PCにより一気にその波が来た。
- だから突然変革が訪れたように見えるが、他の職人的世界ではすでに通った流れの踏襲であり、提言をしても流れは止まらないのではないか
- また、技術革新を経ても絵や背景に作家性をもとめ、そこにこだわる作家はこれからも一定量存在し続けるのではないか
- 全体としては技術が進むにつれ、絵に込められる作家性の幅は減り、作家は作家性を他の部分に込める方向に進化していくのではないか
- どこに作家性を込めたものが面白いかは市場が判断すればよい
- 浅野いにおや花沢健吾は作家性を絵以外の部分に(多く)込めるタイプの作家の走りではないか
- あるいは江口が違和感を感じたものが、浅野や花沢の作家性そのものではないか
※ゆうきまさみは彼らの手法は作家性ではないかという発言をしている↓
僕はその「息が詰まる」感じにこそ、浅野さんや花澤さんがあの手法を採用した意図を感じるんですよね(^^;)
僕はその「息が詰まる」感じにこそ、浅野さんや花澤さんがあの手法を採用した意図を感じるんですよね(^^;)
- マンガの絵から作家性が失われるとマンガが衰退するというのは違うのではないか
- マンガは人気産業であり、今までも大衆に迎合する方向に進化してきた
- 技術の進歩により表現方法はより多彩になる。選択肢が減るわけではない
- 花沢・浅野のような描き方は以前はしたくてもできなかった
- 一方江口のような描き方は今後もできる
- 手法が増えただけであり、作家の選択次第
- 技術が進めばPCを利用した加工の表現も多彩になる
- テレビのコンテンツは近年多様性が失われつつあるが
- テレビの多様性が失われたのは、視聴者層が変わったからであり、大衆化が原因ではないのではないか
- テレビの大衆への迎合・ポピュりは近年はじまったことではなく、以前からずっとそうである(視聴率至上主義)
- テレビ→ネットという流れの中で、視聴者の中心年代があがり、かつライト層が中心になっている
- そこにあわせたコンテンツ作りにより、多様性が失われた
- 視聴者の多様性が失われた→コンテンツの多様性が失われたという構図であり、大衆化のせいではない
- マンガの読者の多様性は今後も保たれるのではないか
- 読者の多様性がある=多様なマンガにニーズがある
- よってマンガの多様性は大衆化により失われないのではないか
- 技術発展によってマンガ表現はどのように変わってきているか
- 絵に作家性を求めない層は、以前から一定量存在する
- マンガで重要なのは絵ではなくストーリーや構成であるという人達
- 実際にPC・ソフトウェアの技術革新とWEBの発展によりプロ以外が作品を発表する機会は増えた
- 同人においてデジタルを利用した作品作りは加速度的に進んでいる
- 同人において作家・作品の多様性はむしろ増えている
- 全てのマンガの絵から作家性が失われる方向にはすすんでいない
- 絵に作家性を求めない層は、以前から一定量存在する
- 全体として「絵に作家性を込める作家」が今後減ったとしても、マンガは衰退しないし、作家性は別の部分に込められるように進化すると考える
- 江口の提言は全体の流れを止められず、無駄だと思う
- 「絵に作家性を込めることはマンガ家にとって重要である。」というメッセージを発信すること自体はドンドンすればいいと思う
※無駄であると考えることと、提言の発信を勧めることは矛盾しない
- 絵に作家性を含むマンガを支える読者はいつまでもいると思う
- だが、今と比べれば減るし、主流ではなくなるかもしれない
- 小説においてラノベが全盛で純文学が流行らないように、大衆に支持されるものは変わるかもしれないが、それは受け手側の選択であり許容するしかない
そんな感じです。