金の花-1



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一、
 焼け付くような太陽が沈み、静かに虫の鳴く夜道。そこを散歩するかのように歩く二人組があった。
 一人は白髪の老人。名を師諷という。齢は六十を目前としながらも体躯に衰えは見られず、理性を感じさせるその深い目と合わさって、常人には感じられない威風をたたえている。
 隣を歩く男は師栄といい、師諷の長男である。長剣を杖のようにして歩くこの男は、極度の近視である。間近のものすらほとんど見えないが、障害物を少しの隙もなく避け、夕食にと野生の兎など捕らえてくる。まだ三十にもならぬ若さでありながら、武を極めたというのもうなずける話である。
 どちらも只者でないことは容易に知れるが、二人はそれを気にする様子も無い。慌てるよりも、平常心で事を運ぶ方が安全であると知っているからだ。
「魏を出しておいたのは正解だったのう」
 師諷が口を開いた。
 魏というのは、次男の師魏のことである。丁度一年前、隣国の嬰へと留学させたのだった。
 当時で言えば、敵国以外の国と人を行き来させるのはごく普通のことである。それによって他国の内情を知ることも、違った文化から学ぶことも出来る。それ故にどこの国も頻繁に人をやり、若干眉をしかめつつも受け入れる。
 その時流に乗ったといえば乗ったのだが、師魏の留学には少し入り組んだ事情があった。
「士では大騒ぎでしょう。卿(大臣)が突如失踪したのですから」
「命あってこそじゃ。魏は親のわしが見ても苛立たしくなるほど、真っ直ぐな男じゃからな。あやつがおれば此度の出奔には猛反対したじゃろう。命は主たる士公に委ねるべし、とな」
「まあ、師家が士の名家となっている以上、大恩を受けているのはその通りですが」
「先代のご恩に報いれぬのは心苦しい。じゃが、今の士公は楊賜の言いなりよ」
 士とは、二人の出身の国である。
 師諷は先代士公の頃より士に仕え、様々な武勲を挙げてきた。その功績もあって卿、つまりは大臣の位についていたのである。
 士には、士の五卿といって内政、外交、軍事、公室をそれぞれ担当する卿と、それを統括する上卿の五つが伝統的に設けられている。話に出てきた楊賜は上卿であり、師諷にとっては上司に当たる。
「あれで、楊賜も昔はいい男であった。先君が身罷られてから人が変わってしまったがの。士の五卿で放逐されたものが一人、殺されたものが一人。わしもこうして出奔せざるを得なくなった。何をするつもりなのやら…」
 嘆くように語る師諷の目は、日ごろの溢れるような精気が感じられない。そこにあるのは、過去を懐かしむ老人の目であった。
 師栄は答えない。彼は老父の生きた、良き時代の士を知らない。答えようも無かった。
 互いに異なった虚しさを抱え、歩き続ける彼らの目指す土地は、師魏もいる嬰の地である。言わば亡命だが、嬰も後継者問題のこじれから、内乱に向かいつつあるという。
 師魏も含めたこの親子には、血にまみれた道しか残されていなかった。

 そこからさかのぼること半年、師魏は山中にあった。
思えば、嬰に留学してからというものすべてが新鮮だった。祖国を出、見知らぬ土地に来た師魏は、学べることを逃すまいと貪欲に歩き回った。
 伯父である黄鮑の紹介で、嬰ではかなりの地位にある人物とも面会できたし、街の酒場に入れば様々な人間から話を聞くことが出来た。
 李雲という、異民族の青年と会うことが出来たのもそのおかげである。
 李雲とは最初から気が合った。何度か馴染みの酒場で話すうち、自分が嬰と士の国境にある、五両山の出身であることを教えられた。そこには甥蛮という少数の異民族がおり、李雲もその一人なのだという。
 師魏は興味を持った。自分の知らぬ土地の文化や人のなんと面白いことか。新しい物を見るたびに、新しい出会いがあるたびに成長できる気がしている。一度来てみないかと誘われるや、二つ返事で承諾した。
 師魏の甥蛮に旅したいという申し出に黄鮑は眉をしかめた。
「お前の兄は眼を患い、師諷殿の跡を継ぐことは出来ぬ。となれば次の師家の当主は師魏、お前しかおらぬ。預かった私の責任もあるのだ、頼むから危ないことはしてくれるな」
 責任を引き合いに出して渋ったが、この伯父が本当に自分の身を案じてくれているのだということぐらい、師魏にはわかる。だが、どうしても行きたかった。一月もの間必死で頼み込み、なんとか根負けさせる形で承諾させた。
 李雲が甥蛮の者しか知らない道を教えてくれたため、集落へたどり着くのは難しくなく、五両山の風景を楽しむ余裕すらあった。
 丸一日かけて集落にたどり着くと、李雲の紹介もあってか暖かく迎えられた。ささやかながら歓迎の宴も催され、師魏は楽しい一日を過ごした。
 その晩。
「李雲、甥蛮というのはいったいなんなんだ?」
 師魏は李雲と二人だけになると、おもむろに言った。
「なんだ、とは何だ。随分な言い草じゃないか」
「皆、訛りがばらばらだ。服装もあちこちの国のものが見られるし、何よりも教養のある人が多い。とても蛮族という呼び名には似つかわしくない」
「ほう。たった一日でそれだけ見たのか」
「思えば、君も不思議と教養があった。そもそも士にいた頃から甥蛮という蛮族の話は聞いたことがない」
「つつましく暮らしてるだけさ」
李雲はとぼけた。
師魏としてはそこに納得がいかない。成り立ちを隠すという事は、後ろ暗い過去があるという事である。だが、そうだとすれば自分がここへ連れられてきたことに得心がいかない。
「李雲、頼むから教えてくれないか。興味があるんだ」
「なに、しばらく滞在するんだろう。そのうち話すさ」
 師魏はため息で答えた。













こっそり書き直し


最終更新:2009年09月02日 00:17