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心は他人かもしれない

体は自然、臨床は対話 【2】臨床は対話 
(10) 心は他人かもしれない

1.はじめに

 さて、皆さんは、心と体、どちらが自分だと思っていますか?

 「我思う故に我なり」と言われるように、心が自分だと思っ
ている人が多いのではないでしょうか?

 今回の話の中心は、「心は他人かもしれない」ということで
す。

2.心に思い浮かべることの多くは、他人の言葉に由来する

 「えー、そんなバカな」という感じを持つ人の方が多いと思
います。

 でも、ふだん心で思っていることの中で、自分が実際に体験
したことや、自分がその体験を整理して考えたりしたことから、
心に思い浮かべているものの割合は少ない人が多いのではない
でしょうか?

 私自身、自分で振り返ってみて、多くて1/3位かなと思い
ます。残りは他人の言葉や思いに由来するようです。

 心に何か一つのイメージが浮かんだときに、そのイメージか
ら別のことを連想していくことで、心は思うという行為を続け
ていきますが、その連想のパターンも、自分の実際の体験を中
心に作られている人は少ないのではないでしょうか?

 言われたこと、読んだことなど、他の人の言葉や思いに基づ
いて、連想を続けているように思います。

 特に日本では、国語教育で作者の心情を読みとりなさいとい
う設問を、沢山、解答させられます。

 そして、世間の空気を読んで、それを心に思い浮かべ、それ
に従って行動するよう躾(しつけ)られます。

 この場合に、明確に言葉で指示されないことの方が多いです
が、世間の空気とは、言ってしまえば、その世間を牛耳ってい
る親分達がどう思っているかではないでしょうか?

 しかも、余り表(おもて)に出ない影の親分達が。

3.体の感じることを心で思えないと、歪みが溜まりやすい

 そういう日本に特に目立つことなのかもしれませんが、体が
感じていることよりも、世間の空気の方を優先して、心に思い
浮かべている人を、沢山、見かけます。

 そういう風に、世間の空気を読んで動いた方がラクかもしれ
ませんし、世間体も良いのかも知れません。

 しかし、それが体の感じていることと離れすぎていると、体
の不調を感じにくくなるので、体に歪みが溜まりやすくなりま
す。

 そういう事情があるせいか、体が感じていることを心で思え
ない人、つまり、「心が自分で、体は道具」のような感じで生
きている人ほど、病が重くなる傾向にあるように思います。

 「心が自分で、体は道具」のような感じで生きていれば、体
の感じる不調や歪みを心に思い浮かべることができないので、
体の調子の悪さや歪みがどんどん蓄積されていくことになりま
す。

 まぁ、病気が重くならないと自覚できない、大きな症状が出
て初めて変だなと感じる、つまり、体の中の器官が破壊されて
初めて体の不調に気付くということにも成りかねないわけです。

 逆に、体で感じていること、心で思っていること、頭で考え
ていること、口で言っていること、体で動いていることが一致
している人は、大きな病気には成りにくいようです。

 病気に成っても、一晩寝れば治ってしまう、宵越しのカゼは
引かないタイプが多いように思います。

 これは、ヒトの体は、ホモ・サピエンスになってからは、殆
ど進化していない野生動物に近いままだからだと思います。

 野菜や家畜のように品種改良されているわけではありません
し。

 そういう体を持つ人間が、その体が感じていることとは違う
ことを心に思い浮かべて行動していれば、体に歪みが蓄積され
てしまうのも当たり前かなと思います。

4.体が感じる気持よさで判断する

 「体が自分で、心は他人、少なくとも心の2/3は他人かも
しれない」と思っていた方が健康には良さそうです。

 鍼灸操体などの練習で、体の内側に起こっていることを口に
出して言う習慣を付けるのは、上達が早くなるだけではなく、
とても良い養生法になるのも、そういうことからも来ているよ
うです。

 普段の暮らしの中で何か迷ったときにも、体が気持ち良いと
感じるかどうかを判断基準にした方が、健康には良さそうです。

 そして、その判断で回り道することになっても、賽の河原の
石積みのような繰り返しをするような結果になることは少ない
ようです。

 逆に言えば、体が気持ち悪いと感じていることを選択すると、
その時はラクに過ごせても、賽の河原の石積みのような繰り返
しをする羽目に陥(おちい)る可能性が高いということです。

 皆さん、思い当たる節はありませんか?

 世間の空気を読んで行動することを要求され、建前と本音が
違い、アカウンタビリティ(合点して納得してもらえるような
説明をする責任)の無い日本では、社会的に不利になることも
あるので、時や場合、相手を選び、言い方にも工夫する必要が
あるでしょう。

 ただ、地球全体が単一市場化していく21世紀に、文化が異な
る国際間の仕事で通用するのは、何でも口に出して、きちんと
説明できる人だと思います。

 国際社会では、心情を読むことよりも、事実に基づいて相手
が納得できるように心情を説明することを要求されます。

5.世間に余裕が無くなってしまった

 日本の中でも、一生同じ世間で暮らしていける人は、どんど
ん少なくなっていくし、世間と世間の垣根も低くなり、違う世
間の人達と仕事や暮らしの場で交流する機会も増えていきます。

 日本では、世間が違えば、その空気は全くと言って良いほど
違うことが多いので、互いの空気を読み合うだけでなく、相手
に伝わらなかった空気を説明し合うことが必要な時が増えて来
ているように思います。

 また、今の日本は、世界の他の国々、特に、他の先進諸国と
比べても、社会の成熟度が進んでしまって、世間の空気を読ん
で、それに従って生きていても、いざというときに世間が守っ
てくれるとは限らない世の中になっているように思います。

 2003,4年頃続いた「世間の空気を読まないとバッシングさ
れる」という風潮も、そういう時代だから逆に強調されたこと
のように思います。

 世間の崩壊が始まった日本で、今まで世間に縋(すが)って
生きてきた人々が起こした最後の足掻きのように思えます。

 また、今まで互いに狭い世間の中だけで通用していた空気が、
狭い世間を越えて打(ぶ)つかり合いは始めたことで、目立つ
ようになった現象でもあると思います。

 そこには、「渡る世間に鬼は無し」と言われた時代の世間に
見られた温かさや余裕は感じられません。

 そういう温かみや余裕の無くなってしまった、恐い鬼ばかり
の世間から、沢山の人達、特に若い人達や子供達が逃げ出そう
としているのが、今の日本の現状ではないでしょうか?

 そうして、世間の崩壊はどんどん進んでいっているように思
います。

 それに、そういう鬼ばかりの世間の空気を読むことにだけ心
を向けていて、体の感じることを心に思い浮かべられない状態
が続けば、病気に成りやすいのも当たり前かなと思います。

6.コンピュータやロボットに置き換えられないために

 そういう現象の背景の一つはコンピュータ化だと思います。

 コンピュータネットワークの発展で、普通の会社で昔ホワイ
トカラーがしていた日常の仕事(ルーティンワーク)はコンピュー
タが実行するようになりました。

 つまり、ホワイトカラーの頭の中に有った、書類の作成や操
作を始めとする仕事の仕方のコツは、全てコンピュータの中に
入ってしまいました。

 工場生産や商品流通の世界でも、コンピュータ化ロボット化
が進んでいます。

 コンピュータやコンピュータが頭脳のロボットは、空気は読
めませんから、仕事の仕組みを一つ一つコンピュータに伝わる
ように作っていくしかありません。

 逆に言えば、そうして作られた仕組みなら、空気の読めない、
違う世間の人でもある程度は使いこなせます。

 今の所、コンピュータやロボットに置き換えられない仕事は、
新商品開発や対面接客営業などですが、どんどん少なくなって
います。

 これから、今までコンピュータ化が進んでいなかった所、役
所、学校、病院などでも、コンピュータやロボットにできる仕
事は、それらに任せるようになっていくでしょう。

 こういうことを今までに人類は体験していないのでモデルは
ありません。大変かも知れないけれど、面白い時代だなと思い
ます。

 それに、学校の国語教育などで、世間の空気を読んで、それ
に従って生きていくように躾(しつけ)られ、みんな同じよう
な、何処にでもいる日本人に育てられてしまったというのは、
極論すれば、空気読みロボットとして育てられてしまったとい
うことだと思います。

 また、学校で習う筆記試験で測れる程度の記憶力や推論能力
は、コンピュータやネットワークの方が、人間よりも高い時代
になってしまいました。

 自分の専門ならともかく、それ以外の知識の量と新しさでイ
ンターネットに勝てる人はいないと思います。

 推論能力の面でも、今世紀にはいる直前に、コンピュータの
チェス・プログラムが人間のチェスの世界チャンピオンに勝ち
ました。

 筆記試験で良い成績が取れる空気読みロボットとして学校で
評価されても、実社会に出たら、実際の仕事の現場では、ルー
ティンワークはパソコンネットワークやロボットがしているの
で、そういう人は、今までより重用されなくなってきています。

 正社員になったり重用されるのは、独創性が有って新しいサー
ビスや技術、道具を開発できる人です。

 例えば、サービスなら、目の前のお客様一人一人に喜んでも
らえる接客が、その場で生み出せる人です。

 どこにでもいる空気読みロボットみたいな人は、パートや派
遣社員にしか雇われないという悲劇というか喜劇というか、そ
んな事態が現在の日本では進んでいるように思います。

 空気読みロボットみたいな人は、たとえ正社員や管理職に成
れたとしても、いわゆる「なんちゃって正社員」や「名ばかり
管理職」として使い捨てにされやすいという事態になっている
ように思います。

 つまり、「この仕事は、あの人でなくちゃ」という指名を受
けられる位なら、どこにでもいる空気読みロボットみたいな人
と交替させられる可能性は少ないし、パソコンやロボットに置
き換えられることも少ないということです。

 そういう点からも、これから日本の社会は大きく変わって行
かざるを得ないのではないかなと思います。

 そういう時代だから、余計に、鍼灸操体などを通して、体の
感じていることを心に思い浮かべられるように練習していくこ
とは、健康という面を離れても大切なことのように感じていま
す。

 また、鍼灸操体のようなことは、症状や検査結果から病名を
決め薬を処方するよりも、コンピュータやロボットには難しい
ことです。

 それで、それらの機械に任せるようになるには長い時間が必
要ですから、人と人が工夫して伝え合う時代が、しばらく続き
ます。

7.一生工夫を続けられることを仕事にしよう

 それに、仕事の多くがパソコンネットワークとロボットに置
き換えられていく時代では、人間のすることは、新しい仕事を
開発すること以外では、まだロボットには任せきれない対面接
客などです。

 いずれにしろ、良い学校を出たから、良い会社に入ったから、
良い職業に付いたから終わりではなく、仕事の面では一生工夫
を続ける必要のある時代だと思います。

 そして、仕事というのは、本来、自分ができること、得意な
ことを他の人の分まで代わりにやらせてもらい、その代わりに
代金をいただくということです。

 何だったら他の人の分までやりたいことか、一生工夫を続け
られることかよく考えないと、一生の仕事には成り得ないでしょ
う。

 そういう意味でも、前回書いた、自分流初代を目指すことは
大切かなと思います。

 そうです、自分流初代になれるぐらい夢中になれることでな
いと、今の時代には、一生の仕事にはなりにくいと思います。

 そして、それくらい夢中になれ、興味が持てれば、鍼灸や操
体は、鍼灸も達人だった操体の橋本敬三先生が言われるように
「一生飽きない」でできるほど面白い仕事だと思います。

8.おわりに

 さて、次からは、そういう鍼灸や操体について、今までに私
がまとめることができた原則を書いていきたいと思います。

 「体は自然」や「臨床は対話」では、必ずしも鍼灸や操体と
言う治療法にこだわらない、体や伝え合いの自然則を書きまし
たが、今度は、鍼灸や操体という方法に焦点を当てて、その自
然則を書き出していきたいと思っています。

 鍼灸や操体を通して人と触れ合い伝え合える人が沢山いると
良いなと思いますし、人と人が触れ合い伝え合う時間や機会を
増やすには、鍼灸や操体はとても良い手段だと思いますので。



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最終更新:2016年11月22日 11:15