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1985年8月12日、群馬県の地方紙・北関東新聞社の遊軍記者で、社内の登山サークル「登ろう会」メンバーの悠木和雅は、販売部の安西耿一郎とともに、県内最大の難関である谷川岳衝立岩登攀へ向かう予定だった。帰宅の準備をしているとき、社会部記者の佐山から「ジャンボが消えた」との連絡が入る。悠木は粕谷編集局長から事故関連の紙面編集を担う日航全権デスクを命ぜられる。同新聞社にとって、「大久保・連赤」以来となる大事件を抱えた悠木は、次々と重大かつ繊細な決断を迫られる。
最終更新:2021年05月31日 22:16