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サンフランシスコ

いや違う!!おれは何か大きな偉大なる者(something great)を見つけたいだけなんだ...

ネクロフォビア「HEY YOU こっち来いよ~」
ファリス「え~ どうしよっかなぁ」

歴史上、一体どれほどの民族が絶えてしまったか。
もう自分が生きているのは奇跡のような事だと思って間違いない。
そして、自分と自分の両親、そのまた両親の為に命を投げ出してくれた人がいる。
この日本も、自分の存在も、そうした先人と先祖の尊い犠牲の上にある。
この感覚は理屈では教えられないような気がする。
日々、生かされし我が命に心より感謝し、使命と責任を持って、
子孫の未来を考えて、生きようではないか。
日本男児よ。。。なにが変わってしまったんだ,,,

HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!

ネクロフォビア「誰だ!!」

ギルガメッシュイソーノ「間に合った! このまま帰ったんじゃ
かっこわるいまま歴史に残っちまうからな!」
ネクロフォビア「なんだてめえ、まだ着いてくるのか」

サムライとは・・愛する者や、国の平和を守るために命をかける。
いつでも、その覚悟ができていた。
日々、厳しい武道修行に打ち込むことで、心の中の邪気を払い、
大いなるものに敬意と尊敬をもち、真剣に誠意をもって覚悟を定めていたんだ。
目先の物事だけにとらわれず、物事を大局的にとらえ、万民の幸せを願い行動し、決断した。
そんなサムライの生き様が、今の俺に求められているのだ。

ギルガメッシュイソーノ「上等だぜ! このギルガメッシュイソーノ様が…倒せるかな?!」
ネクロフォビア「興味ないね」

世界中を旅する中で、数えきれないほどの感動を頂いてきた。
自然がおりなす神秘的な美しさ、全てが飲み込まれてしまう程の
自然のパワー、驚異、癒し、様々な表情の自然と出会ってきた。
私が、見てきたそんな風景を、感動をお話ししていきたいと思う。
砂漠の太陽。
私は太陽が好きだ。
生命の限界点と思える程の過酷な砂漠を旅した時、日本の太陽とは全く違った顔を見せる太陽と出会った。
昼は灼熱の太陽として、すべてを焼き尽くすかの様な強烈パワーで刺激を与えてくれる。
車のボンネットの上で、卵焼きができるくらいに。
日中の太陽の下では、とても活動できない。油断すると日焼けを通り越して、火傷になってしまう程である。
そんな刺激的な太陽が、豹変する瞬間がある。
一日の終わりを告げる夕暮れ。
地平線に、漂うかのように妖艶に揺れながら、ゆっくりと身を沈めていく太陽。
そして、なんとも言えないほど素晴らしい色に変わっていくのである。
この世の風景とは思えないほどの。
時がゆっくりと流れ、心が感動に包まれとても心地よいのである。
自然に触れると、心が豊かになり、優しくなれる。

ギルガメッシュイソーノ「クルル! お前のおじいちゃん…強かったぜ!」
クルル「それよりあんた裏ドームで落ちてるはずだけど会社にはなんて言ってここまで来てるのさ」

若者達よ。君達は夢を持っているか?
あぁ、会社を興したい、出世をしたい。
なるほど、大いに結構。
しかし、ちょっと考えてみてくれ。
大切なのは、動機と目的なんだ。

ギルガメッシュイソーノ「ファリス! 恋でもして ちったあ 女らしくなりな」
ファリス「いい加減にしてよ」

愛とは。
恋愛の愛か?違う。それだけじゃない。
家族愛、夫婦愛、隣人愛、師弟愛、祖国愛、郷土愛。
万物全てに渡っての「愛」が存在する。
愛が全てを決定し、愛なくして未来はない。
人は愛によって命を捧げる事もできる。
私は、様々な戦場で、そういう人々に実際に出会ってきた。

ギルガメッシュイソーノ「レナ! いつまでも 動物をいたわる優しさを忘れるな」
レナ「ええええーーと、何々、ゴールデンゲートブリッジを渡る際には○○○に注意してください」

かわいい子には、旅をさせよ。
団塊の世代の人たちよ、
シニア世代の人たちよ、
思い出してほしい、傷だらけになっても笑いながら挑戦し続けた、
ワンパク小僧時代を!
少しでも大人になりたくて、“儀式”にチャレンジした少年時代を!
若い子たちには、馴染みがないだろうが、
我々が子供の頃には、一人前の“男児”と認めてもらう為の様々な“儀式”があった。
10mの崖の上から川に飛び込む儀式や、暗くなってから
山のお寺まで独りでいってお札を持ち帰る儀式、海の向こうの島まで遠泳する儀式、
などなど地方独特の肝試しが存在した。
友人の中には、肥溜めジャンプをしたという強者もいた。
昔は人の糞尿を肥料にしていたので、畑の側に広くて深い穴を掘って糞尿を溜めていたんだ。
コレを「肥溜め」という。
この肥溜めを、飛び越えないと仲間として認めてもらえなかったらしい。
ちびっ子たちは何度、肥溜めに落ちても、一人前に成りたくて挑戦し続けた。
根性である。

ギルガメッシュイソーノ「バッツ! お前とは一度…1対1で勝負したかったぜ! いい友だちをもったな」
バッツ「ああ、もう、うぜえ、ゴールデンブリッジにいる辻きりとはこいつのことか!!」
ネクロフォビア「市ね!!」

ギルガメッシュイソーノ「それは! こっちのセリフだぜ!!」
ネクロフォビア「なんだとう」



『じばく』




日々感じていることだが、日本の伝統文化には隠された財産が多く眠っている。
しかし、戦後における教育の現場では、残念ながらこれを教えていないのではないか。
日本には雅(みやび)という他国にはない感性があって、
俳句や短歌でその情緒がたくさん残されている。
例えば、本居宣長の歌でこういうのがあるよね。
敷島の やまと心を 人とはば 朝日ににほふ 山ざくら花
※通釈:日本人が持つ心とはどのようなものか?と誰かに問われたとしたら、
私はこう答えるだろう。「朝日に照らされた山桜の如く美しいものである」と。
桜は、太陽ではなく私達に向って咲いている花だ。
しかも、一番美しい時に全部が散って行く。そしてその散りゆく姿でさえも楽しませてくれる。
他の為に生きる花、自己を犠牲にしながら人々を癒し感動させ、楽しませ、
勇気を与え散っていく、無償の奉仕、無償の愛、まさに武士道精神・日本の心である。
他の為に潔く散り行く姿に武士道・侍魂を見る。
花一つに対しても心を込めて詠うという感性、情緒の世界、豊かな心。
ひとひらの散っていく花に対しても心と胸を痛める。
こういう感性を日本人は磨いてきた。
ただ「綺麗だ」「美しい」と捉える感性と違って、
散りゆく花が安らぎと感動を与えてくれたという感謝の気持ちを、先人達は持っていたんだ。
この、相手を思いやる豊かな心に先人達は感動し、その散りいく儚さに涙し、慟哭した。
その感性こそ人間の尊い崇高なる精神である。
そして、その花を創ってくれたのは大いなる見えない力、Something Greatなんだよ。
つまり、桜は自身のために咲いているんじゃない。
全て我々に見える様に咲いている。 下に向ってね。
我々に愛を与えて、争いのない幸せな世界をSomething Greatは見たいんだよ。
我々を感動させるために与えてくれた愛。桜は自ら散ってまでも私達に安らぎや感動を与えてくれる。
これをこよなく愛する日本人は、慈しみの精神がある。慈愛ということだね。つまり許しの愛。
だから昔の侍は闘って勝った後も、斬って倒した相手に敬意を表し、自分の羽織を被せ念仏を唱え、弔った。
これが日本人であり、桜は愛する者や国を想う、世界を想う自己犠牲の精神、
まさしく武士道精神を象徴しているんだ。
私達は素晴らしい伝統と歴史と財産を持った国に生を受けた。
ここに感謝なくして何があるのか。だから、これを誇りに思っていい。
若者よ誇りをもって、生きようではないか。
愛と尊敬と感謝を持って、雄雄しく、堂々と生きようではないか。


ギルガメッシュイソーノ「HAHAHAHAHA!!ゴールデンゲートブリッジを渡る際には”ロマンス”に注意してくださいが正解じゃ!!
パイオツカイデーのチャンネェばっかり追いかけてんじゃねえぞ!!」

5名「うっざーーーーー!!」「超うぜぇ」「ばかじゃないの」












『MPが足らない』(じばく失敗)orz






ギルガメッシュイソーノ「あれ?最強の剣じゃないの?」

HN
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