10年前の北京旅行記


北京オリンピック開催前に投稿しようとしたのだけどいろいろあってのびのびになってしまった、北京旅行記。
10年前はこんな感じだったんだと思ってくれれば幸いです。

-中国旅行記-

場所:中国(北京)
日時:98/10/30(土)~11/03(文化の日)
メンバー(仮名):関本、新井、矢野、今岡、金本、藤本
行程:10/30(土) 成田→北京
(天橋賓館に宿泊)

   :11/01(日) 市内観光(徒歩、地下鉄)
(天安門広場、故宮、景山公園→西単購物中心→全聚徳(北京ダック)→ハードロックカフェ)

   :11/02(月) 万里の長城(タクシー)
(明朝十三陵、神道→司馬台長城)

   :11/03(火) 帰国

 旅券の手配担当:関本 企画担当:新井
  写真(左から) 
  矢野、藤本、新井、金本、関本 
(必ず誰かがカメラを持つので6人全員が写っている写真がなかった)

天橋賓館(宿泊先)にて

「北京に寒波が来る」という情報を聞き、みんなが暖かくなる方法を考察した。北国の暮らしから「うどん」を連想し、カップ麺を持参した。なかでも「冬だけ一平ちゃん」はおいしいと評判だった。
空港で換金したところ1元=約20円(17円ぐらいだったか?)だった。余計な金を持たないないように財布を分けるのは面倒である(おいおい)。
「うどんパーティー」を開く中国旅行団。
中国紙幣を抱え大富豪気分を味わう藤本。

故宮にて

北京と言えば故宮。故宮と言えば「ラストエンペラー」・・・ということで、映画「ラストエンペラー」の舞台となった故宮で、中国旅行団を代表して金本氏が溥儀にひざまずくエキストラに挑戦した。
太和殿(中国最大の木造建築物)
訓練に励む衛兵(人民兵だろうか?)
太和殿の前でひざまづく金本氏

景山公園

故宮の北、23万㎡余りの公園。公園内にある景山(高さ43m)の頂にある万春亭からは故宮や周辺の風景を一望できる。当日は故宮全体に霧がかかったようになっていて、いい景色だった。なお景山は柴禁城の外堀を掘るときに出た土砂を積み上げてできた山である。
ところで、世界のアイスクリームを食べ歩いていると豪語している(?)アイスクリーム大好きの矢野氏が景山公園で「ごまアイス」を購入した。味の方がいまいちで、一口食べて残りを全部私がもらってしまった。なお中国の屋台やコンビニで売っていた食べもの中で、一番おいしかったのは焼き芋だった。私は食べていないのだが、カップ焼きそばの「UFO」が一番まずかったそうである。
景山をのぼる坂道。かなりの急勾配である。
景山から見た故宮。

全聚徳(北京ダック)

「中国に着いたら北京ダックを食え。」のならいに従い中国旅行団は北京ダックのお店全聚徳に向かった。全聚徳は中国で最も有名な北京ダックのお店で、ロシアのエリツィン、日本の海部首相なども訪れている。その北京ダックに一番感激していたのは藤本氏で、至福の時間と言わんばかりの満面の笑みを浮かべていた。一方、ここでさそりのからあげ料理が出たために新井氏は「絶対食べられない」と涙顔になってしまった。
北京ダックの包丁さばきを披露する料理人。

明朝十三陵

三日目は万里の長城へ向かった。万里の長城までは2台タクシーを貸し切り3人づつ乗った。我々が乗ったタクシーの運転手は非常に気さくな人で、道中、日本語で歌う中国歌手のカセットテープを聴かせてくれた。タクシーの運転手の話では、その歌手がタクシーを貸し切ったことがあるらしく、カセットテープはその時もらったものである。
まずは明朝十三陵に案内された。明朝十三陵とは明朝の第3代皇帝、永楽帝から明朝最後の皇帝の13人の皇帝とその皇后の陵墓群で、総面積は40k㎡である。十三陵までは、神道という800mにわたる参道があるが、西洋風のしゃれた参道で、象などの石像が並んでいた。
明朝十三陵を見物した後、昼食をとるため、タクシーに一軒の料理店へ案内された。そのお店は地方の豪族の家のようで、家の作りは立派で中庭もなかなかだった。しかし、そこのお店は単品料理という物がないらしく、ラーメンと餃子を頼む我々を理解してくれなかった。言葉が通じないために周りを従業員に取り囲まれたり、喰いきれないほどの郷土料理が出されたりと大変な思いをした。
しかしさらに大変だったのは「遅刻だ」ともう一台のタクシーの運転手が怒りだしたことである。「次の仕事に差し支えるから神道は1時間で通過してくれ」と言って、神道の前にほり出してしまったので、我々は仕方なく30分で神道を通過することにした。
タクシーの運転手に案内された料理店の庭
神道(周囲は柳?)
神道の石像(またがっているが今思うとやり過ぎだったのでは…)

万里の長城(司馬台長城)

万里の長城は紀元前221年、中国を統一した秦の始皇帝が北方遊牧民族の侵攻を防ぐため春秋戦国時代の国境線の城壁をつないだのはじめで、それ以来各王朝が長城の建築を続けた。現存するのは明朝時代のものがほとんどで、それまで土壁であった長城を巨大な煉瓦と石材を使って修復し頑丈なものにしている。万里の長城はさすがに圧巻である。
ところでTシャツを1枚千円で売ろうとした地元のみやげ屋があった。日本じゃないんだからと相手にしていなかったのだが、3枚千円になり、最後は10枚千円になってしまった。帽子10個千円という土産屋もあった。中国の土産は毛沢東の肖像がついているライターが定番のようだ。ライターをつけるとやかましい音楽がなる。はじめは面白がって6人中4人が買ったのだが、どの土産屋の前へ行ってもそのライターの音を聞かされるので、最後はイヤになってしまった。
最後を締めくくったのは帰りのタクシーだった。中国のタクシーはみんなそうなのかのかもしれないが、次々と追い越しをかけていく。特に神道で怒りだしたタクシーの運転手のドライブはあらく、対向車線、崖をものともせず大型トラックを追い越してしまった。(なお、その時は機嫌の方は治っていたはずである)
これで中国旅行は終わりだが、余談が1つ。それは中国に進出してきているケンタッキーとマクドナルドである。ケンタッキーのカーネルサンダーは写真のような顔をしていて、日本のカーネルサンダーとはえらく違っている。マクドナルドは中国では「麦当労」とかく。mのマークの下に「麦当労」と書いてあるのは不気味だが人気はかなりのもので、混んでいるために店の中に入るのをあきらめてしまった。
司馬台長城
ケンタッキーのカーネルサンダー
マクドナルドの看板

と言うことでこれが10年前の北京である。今思うと観光名所は歴史的建造物ばかりで鳥の巣のような近代的建造物が建っているとは想像だにしなかった。北京でオリンピックが開かれると当時知っていたのか…
経済発展は始まっていたかな。天安門を通るときは多少ビビリながら通っていたような気がする

文章は10年前インターネットに公表したときの原文をほとんどそのまま転載した。名前は実名だったので仮名に変更した。実名でOKだったんだなあとか感慨深い。

HN
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最終更新:2010年10月02日 13:13