ロックシンガー 川村カオリの闘い 乳がんと闘ってそして残したもの

2009年7月28日、38歳という若さで天国へと旅立った川村カオリさん。
ロックシンガー、モデル、ファッションブランドのプロデューサー、そしてシングルマザーとさまざまな顔を持ち、そのすべてのフィールドを全力で駆け抜けた川村さん。その命を奪ったのは、かねてから患ってきた乳がんでした。


2004年、33歳のときに、何げなく触った左胸にしこりを見つけ病院を受診、初期の乳がんと診断されたのです。医師から病名を告げられたとき、川村さんは最愛の母を乳がんで亡くしているにもかかわらず、「早期だし、医学も進歩してるだろうし、どうにかなるでしょと思っていた」(著書『Helter Skelter』より)といいます。

すぐに摘出手術を行いました。しかし、その後検査を繰り返すうち、がんが左胸いっぱいに広がっていることが判明、左胸を全摘出することに。女性が胸を切除しなければならないという、その喪失感の大きさは想像に難くありません。が、川村さんは「生きることが最優先」だと考え決断。胸を全摘出したことで、ひとまず「がんの転移」という不安要素を取り除き、医師の勧めにより抗がん剤治療を敢行することも決めます。

しかし、手術後も続く検査の負担、再発や転移の不安など、一度発症してしまうと長く付き合っていかなければならないのが、がんなのです。

2008年10月1日、公式ブログにて衝撃の告白がなされます。「私、川村カオリは現在乳がんの再発と闘っています。リンパ節、骨、肺の3ヶ所への転移です」というものでした。

「再発という単語を耳にした時 納得がいかなくて 受け入れる事が出来なくて 言葉に出来るようになるのに時間を必要としました。(中略)それでも私の生き方は変わりません。『前進あるのみ』 あるがままに・・・なるようにしかならないさ・・・後ろは振り向かない・・・」

恐れていたことが起こってしまった、その事実に戸惑いながらも、同時に前向きに生きることを宣言。そして、同じ日に都内で行われた乳がん検診啓発運動「ピンクリボン」のイベントに参加、自ら再発を公表したのです。この衝撃的な告白は、すぐに大きく報道されました。

なかなか前向きという言葉は出ないですけどね。本当

その後、抗がん剤治療による体調不良をおして、川村さんは各地で行われた「ピンクリボン」のイベントに参加し、早期発見のため検診の大切さをアピール。ブログでも「自分の体は自分で守るしかないのです。やりたい事もなりたい自分も健康であってこそ・・・。今となっては本当にそう思います。(中略)一人でも多くの人が検診による健康維持が出来ることを願います」(2008年10月20日付)と綴るように、繰り返し検診の大切さを訴えていきます。アーティストである自分が発信することで、誰かの命を救えるかもしれない・・・使命感ともいえる思いから、メディアのインタビュー取材やテレビの密着取材などの仕事も受けるようになりました。

そんなときの川村さんは、朗らかな笑顔で、ときにジョークを飛ばす余裕さえ見せていました。自分は絶対に病気に負けない。それに、自分がメソメソしていては、病気に苦しむ人たちを勇気づけることはできない、そんな気持ちで、自らを鼓舞させていたのでしょう。実際、彼女の周辺にいた友人やスタッフは、川村さんが発する圧倒的なバイタリティに驚かされることが多かったといいます。

常人なら打ちのめされるほどの試練に立ち向かうように、川村さんは生きたのです。自分のため、みんなのため、そして、何より愛する娘のために。

川村さんの、最も大きな生きる原動力となっていたのが、2001年に授かった最愛の一人娘・るちあちゃんでした。もともと妊娠する可能性が極めて低いといわれていた川村さんが、二度の流産という悲しみを経て授かった大切な命。自分よりも大事だと断言するほど、深く大きな愛情を捧げた存在です。

ママのいっぱいの愛を注がれたるちあちゃんは、子どもでありながら、どこかしっかり者の友人のように成長していきました。川村さんの乳がんの再発と転移がわかったのは、2007年に夫と離婚した後、そんな母娘の結びつきがさらに強まっていた頃でした。川村さんは、自身が母親との悲しい別れを経験していることもあり、幼い娘を残していくことはできない、と強く思い、1日でも長く生きることを心に誓ったのです。

乳がんについての知識を得た川村さんは、「(乳がんが) 増えているとは聞いていましたが、まさか年齢関係無くここまで多くの女性がいるとは正直思っていなかったです」と、公式ブログ(2008年4月24日付)に書いています。
実際、日本では年間約4万人の女性がかかり、亡くなる方も1万1000人に上るといいます。早期発見と適切な治療を行いさえすれば、もはや死病ではないにもかかわらず、なぜ、多くの命が失われるのか。そこに、乳がん検診率20%前後という欧米諸国に比べても圧倒的に低い現実を知った川村さんは、自身も検診に行っていなかったことから「自分を悪いお手本」としてメディアに登場。リアリティに満ちた言葉で「後悔」や「反省」を口にすることで、女性たちに検診に足を運んでもらおうとしたのです。抗がん剤の副作用で立っているのもままならないような状態になってもなお、メディアの取材を受け、「ピンクリボン」のイベントに参加し、検診の重要性を訴え続けた川村さん。

まさに命を懸けたアクションに多くの女性たちが共感。彼女の公式ブログや特集を組んだ番組には、すぐさま何千通というメッセージや応援コメントが寄せられました。もちろんそのなかには、「検診の大切さを知りました」というものや「検診に行ってきました」という多数のメッセージも。ちなみに、現在でも川村さんのブログには、そんな報告が途切れることなく寄せられています。

世知辛い世の中なのでこういう発言ができる人は少ないですよね。

アーティストとしては、デビューから20周年となり、実に12年ぶりとなるソロ活動を再開。2009年3月にシングル「バタフライ~あの晴れた空の向こうへ~」、同年5月にはソロ名義では13年ぶりとなるアルバム『K』をリリース、そして5月5日には、かつてバースデーライブを行っていた渋谷公会堂(現在の渋谷C.C.Lemonホール)でのライブも敢行しました。

念願だった舞台に上がった川村さんでしたが、体調悪化のため立って歌うことはできず、歌い出しても声が途切れてしまうこともありました。しかし、それでも気力を振り絞り、3時間にわたり全13曲を熱唱。全身全霊で歌うその姿は神々しくさえ見えたそうです。そんな彼女のあふれるほどの思いを感じ取った満席の観客からは熱い拍手と歓声が送られ、それは鳴りやむことがありませんでした。

人生のどんな場面においても、常に全力で真っすぐに生きてきた川村カオリさん。音楽で、言葉で、生き様で、彼女が命を燃やして伝えようとしたメッセージが、これからも多くの人の心に届くことを祈ります。

HN
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最終更新:2010年09月30日 09:06