回顧録 ワールドサッカー2010


2010年 ワールドサッカーの開催前にこんな記事を書いていた。(元ネタは某有名スポーツ雑誌なんですけど。。。)

改めてピックアップした国々を見つめてみようと思う。

2010年サッカーW杯南アフリカ大会(2010 World Cup)予選の最初の試合が行われてから2年以上の月日がたって迎える12月4日、出場32チームが組み合わせ抽選に臨み、本大会へ向けたカウントダウンが本格的に始まる。

 抽選会では32チームが各組4チーム8グループに振り分けられるが、欧州勢は同じグループに2か国までしか入れない。手順は翌週にまとまるが、06サッカーW杯時の方式がそのまま採用されるとみられ、過去3年間の世界ランクと過去2大会の成績が考慮される。これにより、ブラジルがトップシードとなり、ドイツ、スペイン、イタリア、イングランドが入るとみられる。

 抽選結果が一度決まれば、焦点は2010年に移る。開幕戦は6月11日、グループAのチーム1とチーム2によってヨハネスブルグ(Johannesburg)のサッカー・シティ・スタジアム(Soccer City Stadium)で行われる。そのほかの63試合は、南アフリカ北東のポロクワネ(Polokwane)から南西のケープタウン(Cape Town)までの10スタジアムで開催され、決勝は7月11日にサッカー・シティで行われる。

 ここまでの旅路は劇的だった。予選は2007年8月25日、たった60人の観客の中で行われたオセアニア予選、バヌアツ対サモアの試合から始まった。それからウルグアイが最後に本大会出場を勝ち取るまで、延べ2000万人のファンがスタジアムに集い、参加204か国が32か国に絞られるのを目撃した。

 初出場のスロバキアを除く31チームには、W杯出場経験がある。ニュージーランドは2回目の出場で、同じく2度目の出場を決めた北朝鮮は、イングランドが地元で優勝を飾った1966年大会以来11大会ぶりの本大会となる。

 そのイングランドは、ファビオ・カペッロ(Fabio Capello)監督の下、ウェイン・ルーニー(Wayne Rooney)やスティーブン・ジェラード(Steven Gerrard)、フランク・ランパード(Frank Lampard)、ジョン・テリー(John Terry)を中心に士気が高く、規律を重視したチームで優勝候補に挙がっている。カペッロ監督はブラジルを倒すべきチームと見なしているが、ブラジルのドゥンガ(Dunga)監督は優勝候補という予想に気乗りはしていない。

 フランスは、欧州予選のプレーオフ第2戦で論議を呼んだティエリ・アンリ(Thierry Henry)のハンドで抽選会まで残り、辛うじて南アフリカへの切符を手にした。

 ビセンテ・デル・ボスケ(Vicente del Bosque)監督率いる欧州王者スペインは、予選で10戦10勝と連勝を重ね、現在世界ランク1位に立っている(2009年11月20日現在)。デル・ボスケ監督は「同じような大志を抱くであろうブラジル、ドイツ、イタリアといった強豪国がいるのだから、夢の中ではなく、ピッチ上で証明しなくてはならない」と語っている。

  • イタリアは悲劇でしたね。ブラジルは”気乗りしない”が見事に的中。フランスは「ハンド」がそのまま引きずりましたね。スペインは悲願の優勝。おめでとうございます。

 アフリカ勢とアジア勢は、W杯でトロフィーを掲げたことは一度もないが、2010年もその姿を見ることはなさそうだ。一方南米勢はブラジルを筆頭に若手主体のチリも台頭しており、優勝の期待が大きい。

  • チリはいいチームでした。南米勢は中堅チームがサプライズです。

 アルゼンチンは、答えよりも多く疑問を引き起こしたディエゴ・マラドーナ(Diego Maradona)監督とともにシーソーに乗るような状態に耐え抜き、ぎりぎりの状態で予選を突破しており、予測のつかないチームとなっているが、国民のアイドルは今後も戦い続けることになる。

  • アルゼンチンは期待通りの活躍でしたねw

今回は予選大会で行われたさまざまなサプライズを挙げていくことにする。

北朝鮮

キム・ジョフン監督率いる"強盛大国"北朝鮮は5-4-1と言う超守備的サッカーを展開しサウジアラビアを下してアジア予選を制した。96年から00年までの"苦難の行軍"の中残り少ない資金をユース年代の強化に努め、川崎でも活躍中のMFチョン・ホセ、セルビアのFKベジャニアに移籍後ロシアのFCロストフに所属しているしたFWホン・ヨンジョなどユースで活躍した選手を海外に送り出し北朝鮮の黄金世代を作り出した。北朝鮮の名が海外で活躍するシーンを見たことがないが「軍人ワールドカップ」という軍人を持たない日本にはほとんど報道されないワールドカップでは常に上位をキープしていると言う。彼らの目標はロングパス主流のサッカーの中、小柄な体格を生かしたショートパス・ミドルパスを繰り広げ強国イタリアからアジア初勝利・発予選突破を勝ち取りミドルスブラの観客を沸かせた、66年イングランドワールドでの快挙以来のベスト8進出。平壌のビールは麦だけでは出来ないのか米混じりのビール(大同江ビール)が人気という。結構美味しいらしい。

  • 北朝鮮はチームとしては良かったのでは無いでしょうか。守備をすることをやめポルトガルに体当たりした肝っ玉は素晴かったです。チョン・ホセの男泣きは感動しました。

アルジェリア

アズーリが4度目のワールドカップを優勝にもたらしたとき、イタリア人に負けないくらい喜んだ人たちがいるという。「ジダンはやはりアルジェリアの男だった」アルジェリア移民の二世であることを隠しスペイン人と結婚、子供にもイスラム風の名前を使わなかったジダンはマテラッツィに頭突きを食らわし、キャリアの最後を飾る一戦でその名を汚した。アルジェリア国民は言う「あれは母を侮辱されたんです。母の名を傷つけられたなら全てを投げ打ってでも報復する。それがムスリムであり、アルジェリア人なのです。」アルジェリアでは頭突きは当たり前、老若男女が雄牛のように頭を付き合わせるという。
アルジェリアとエジプトの決戦は予選では決着がつかず中立国スーダンでアルジェリアがエジプトを下した。アフリカ大会では6度の優勝経験を持つエジプトはワールドカップ予選では分が悪く今回進出すれば24年ぶりの快挙、同じく20年ぶりの快挙を目指す両国とでは同じムスリムながら相容れない激戦を繰り広げる。70年大会でアルジェリアで行われたリビアvsエジプト戦でリビアを応援したアルジェリア国民にサダト、エジプト大統領が機嫌を悪くしチームを引き上げ、今回の対戦もカイロでアルジェリアチームのバスにエジプト人が石を投げつけ両国の関係が悪化。そんな緊迫したムードの中中立国スーダンで(スーダンも国内情勢はそんなに良くないと思うのだが)1-0でアルジェリアがワールドカップのチケットをゲット。日本人には分からないアフリカの国内情勢を耳にすることになった。

  • アルジェリアはあんまり覚えてないです。すみません。

バルカン半島の新たな鼓動~セルビア・ボスニア・クロアチア~

第一次大戦後の1918年に誕生した「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」を母体とする旧ユーゴスラビアはセルビア、コソボ、マケドニア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニアの7カ国に分裂した。その内コソボを除く6カ国がエントリー。セルビアは7勝1分2敗の申し分ない成績で予選突破、かつてフランス大会で初出場ながら3位となって世界中を驚かせたクロアチアはウクライナとのデッドヒートに破れ初のW杯敗退となった。プレーオフに進出したのはスロベニアとボスニア・ヘルツェゴビナいずれもタフな予選を乗り切って2位を獲得しそれぞれロシア・ポルトガルと対戦した。スロベニアはロシアに奇跡的な逆転劇を収め2大会ぶり2回目の本大会出場を決めたがボスニアはポルトガルの2発に沈んだ。
ボスニアの監督を務めたのは"チーロ"ことかつてクロアチアをW杯3位に導いたブラジェビッチ監督。W杯の栄光の後次のW杯予選での不振の後、イラン代表監督を経てクロアチアに戻るがゴシップ記事によりフロントと衝突、ボスニアに拾われることになった。
{ボスニア・ヘルツェゴビナはムスリム・セルビア・クロアチアの3民族が融合する多民族国家。非ムスリムの監督(クロアチア人は基本的にカトリック教徒)の起用はボスニア国内のクロアチア人やセルビア人の結束を促すことになり多民族国家ボスニアは始めて挙国一致で代表チームにエールを贈ることになる。予選ではスペイン・トルコ・ベルギーが同居するグループで6勝1分3敗の戦績を残し見事2位を確保プレーオフの相手はあのポルトガルに決まった。
一方フランスW杯を含め輝かしい戦績を収めたクロアチアは主力選手の負傷これまで主将として長年チームを牽引してきたニコ・コバチの代表引退、また絶対落とせないウクライナ戦でアウェー・ホームともに内容的には勝りながらドローに抑えられたことでウクライナにプレーオフの出場権を明け渡すことになるが、W杯への夢を絶たれた後ももっとも熱い視線を送ったのが隣国ボスニア・ヘルツェゴビナだった。自分たちを世界3位へ導いた主導者がボスニア代表をW杯へ出場させるべくポルトガルと対戦、応援しないわけには行かない。}
気がつけば今予選はボスニア国民のみならず隣国をも巻き込んだ一体感を醸成されることとなった。連邦が崩壊して以来かくもバルカンの人々が一体感を見せたのはおそらく初めてのことだろう。

行け、ボスニア、ボスニア、ボスニア!
行け、ヘルツェゴビナ!
決して君は一人じゃない
いつも君とともに僕たちがいる

これは代表戦で流れるボスニアのエールである。まさに彼らは「ひとりではない」のだ

結局ボスニアはポルトガルに負けはしたが一度はばらばらになった民族を一つにしてしまう「フットボール」の魅力を垣間見たと思う。

  • スロベニアは惜しかったですね。日本の快進撃の前に記憶が薄れがちでしたが、アメリカとのデッドヒートは巣晴らし方とお思います。

出場国32カ国


  • デンマーク
  • スイス
  • スロバキア
  • ドイツ
  • スペイン
  • イングランド
  • セルビア
  • イタリア
  • オランダ
  • スロベニア
  • ポルトガル
  • ギリシャ
  • フランス
  • ブラジル
  • チリ
  • パラグアイ
  • アルゼンチン
  • ウルグアイ
  • アメリカ
  • メキシコ
  • ホンジュラス
  • 南アフリカ
  • カメルーン
  • ナイジェリア
  • アルジェリア
  • ガーナ
  • コートジボワール
  • オーストラリア
  • 韓国
  • 北朝鮮
  • ニュージーランド
  • 日本
最終更新:2011年05月02日 15:15