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*G.O.D ~目覚めよと呼ぶ声が聴こえ~ 【じーおーでぃー めざめよとよぶこえがきこえ】 |ジャンル|RPG|&image(http://ecx.images-amazon.com/images/I/614S4MrpsDL._SL500_AA300_.jpg,width=160,http://ecx.images-amazon.com/images/I/614S4MrpsDL._SL500_AA300_.jpg)| |対応機種|スーパーファミコン|~| |メディア|24MbitROMカートリッジ|~| |発売元|イマジニア|~| |開発元|インフィニティー&br()ダイス|~| |発売日|1996年12月20日|~| |定価|7,980円(税別)|~| |判定|なし|~| ---- #contents(fromhere) ---- **概要 劇団「第三舞台」主宰の鴻上尚史氏が製作総指揮・演出・脚本を担当したRPG。 キャラクターデザインに江川達也氏、音楽総監修に[[デーモン小暮閣下>聖飢魔II 悪魔の逆襲!]]を迎え、各媒体で大々的に宣伝された。~ しかし発売延期を繰り返した結果、そのリリースはPSへのハード移行期まで遅れ、売上は芳しくなかった。 タイトルの『G.O.D』は「''G''rowth ''O''r ''D''evolution(進化か、退化か)」の略。~ なおサブタイトルの「目覚めよと呼ぶ声が聴こえ」はJ.S.バッハのカンタータに同名の曲があるが、本作の内容にはまったく関係しない。 ---- **ストーリー 主人公は8才となった夏休み、北海道に住むおばあちゃんの元へ自転車での一人旅を決行する。~ 旅の途中で立ち寄った「ツクバネ村」にてケンカとなったガキ大将から「村の裏にあるツクバネ山に出るお化けを退治してくれ」と依頼された主人公は、見事山頂の洞窟に潜むお化けを退治した。~ しかし洞窟の外に出た主人公は、そこで驚くべき光景を目撃する。 ''一九九九の年の七の月、空から恐怖の大王が降りた'' 主人公が10年間の記憶の空白から目覚めた時、そこは自身の知る地球ではなくなっていた。 ---- **システム・特徴 ''シナリオ概要'' -はじまりこそ上記の通り、20世紀末を舞台にした「少年のひと夏の冒険」だが、プロローグを終えた以降はエイリアンの襲来によって壊滅寸前の世界を舞台に本編が展開する。 -主人公は地球人の自衛組織「ブレス」の構成員となっており、子供時代に見た恐怖の大王=UFOの襲来の記憶を呼び起こすところから本編は始まる。 --基本は新しい街に行く→エイリアンの基地に入るには○○が必要→○○を手に入れて基地を叩くの繰り返しでお使い色が強いが、ストーリーの骨子はブレず、また、世界各地を探検することになるためロケーションに新鮮さがありダレにくい。 --殆どの国の政治機構は崩壊しており件の「ブレス」が統治を行なっている。各地方必ず長官と博士がおり、往年のSFらしさを模したものとなっている。 -現実の地域・国家をモデルとした街が多い。後述するような捻りのきいたカリカチュアライズ(戯画的表現)も一種特徴ではある。 //以降にあった文章は評価点に移しました 22.6.18 ''バトルシステム'' -戦闘はオーソドックスなコマンド選択式で、画面上部に敵、その下に敵と向かい合う自パーティの背中側が描画されたビハインドビュー構成。 --通常攻撃・アイテム・防御の他、サイコ・とくぎ・チャクラといった行動をとることができる。 -''サイコ'':よくあるRPGの魔法に相当する。レベルアップで新しいサイコを覚え、MPを消費して発動する。 --回復サイコが回復サイコがパーティの主な回復手段となり、移動中は最大HPに対しての割合で、戦闘時は更に精神で補強される。 --攻撃サイコは属性付きの攻撃を行う主だった手段であり、全体攻撃が行えるものもある。 //--回復サイコがパーティの主な回復手段となるが、中盤でパーティのHPが2000以上に達するにも拘らず、回復力は300程度までしかない。 //--ボスの火力もそれに合わせるように低くなっているため、ゲームバランスが崩壊しているわけではない。 //---一応パラメータの「精神」値に応じて回復量は増加するが、微々たるものである。 //事実と異なる(あるいは誤認している)のでCO -''とくぎ'':道中イベントで習得する各キャラクター固有の技。 -''チャクラ'':本作の目玉システム。 --「気」「知」「癒」「霊」「陽」「楽」「力」の7種からなる、特殊効果を持つ能力群。 --メニューで育成チャクラを選択することで戦闘時に「コスモストーン」と呼ばれるいわゆる熟練度が蓄積されていき、一定値に達するとそのカテゴリに応じた技やバフを習得する。 ---例えば「力」なら攻撃系の技を中心に覚え、「癒」なら回復系の技を中心に覚える。そのため各キャラごとに役割を分けつつ、ある程度の自由度を以て育成することができる。 ---イメージとしては『[[ファイナルファンタジーV]]』におけるジョブシステムとABPの関係に近い。 --ストーリー終盤では2つのチャクラ種を掛けあわせた「複合チャクラ」が使えるようになる。 ---これは高レベルのチャクラ種2点を習得している際に、それぞれの能力とは別に新たに特殊効果を付与するもので、例えば「知」×「力」でレベルアップ時のパラメータ上昇にボーナスが付いたり、「癒」×「力」で守備力を上げつつ他者へのダメージを身代わりする技を使えるようになったりする。 ''「まんじゅう」システム'' -本作に登場する地域では、日本国内外に関わらずほぼ必ず「まんじゅう」が土産物として販売されている。 --これを集める(食べていく)と貴重なアイテムが貰えるというものであり、ドラクエシリーズでいうところの「小さなメダル」、または単純にスタンプラリーとしての収集要素となっている。 --基本的に土産物店で購入するかサブイベントで手に入るが、極一部、落ちているものを拾得したり、敵から手に入れるケースもある。 //「ギャグ・パロディー要素」は評価点に移しました ---- **評価点 -江川達也氏のキャラクターデザイン --キャラクターデザイン、およびパッケージ絵は当時『GOLDEN BOY』『東京大学物語』連載中の人気漫画家であった氏が担当しており、特に女性キャラの官能的な雰囲気が魅力となっている。 //個性的なデザイン揃いでゲーム中のグラフィックにも特徴が表れている。 //↑特に原画の再現といった風味は見られないためCO -センスの光る台詞回し --さすが劇作家の手がけた作品ということもあり、凝った言い回しが随所に現れる。 --特にイベントをこなす度に内容が拡充される「日記」(主人公が書いているという設定の、ゲーム中で参照できるあらすじのようなもの)では、「ボクは10年間もボクじゃないままでいた」や「電車の音が落ち着くのは心臓の音に似ているから」と言った旨の詩的な表現が見られる。 --また、宗教で人民を支配していた敵に対して「宗教は自分で信じる分には問題は無いが、迷惑をかけてはいけない」といった、発売当時は誰もが持ち得ていたわけではなかった思想が書かれているなど、時代特有の味わいが感じられる((発売前年に日本現代史に残るテロ事件「地下鉄サリン事件」が発生しており、日本国内の新興宗教への見方を一変させた背景がある。))。 -シリアス一辺倒で終わらせないギャグ要素 --地球がエイリアンに襲来されるオープニングからほぼ徹頭徹尾シリアスなムードで物語が展開されるが、その端々で多量のギャグ、およびパロディが出現する。 --例えば前述の日記においては、初めての仲間キャラが加入した際「ボクらと同じ様な志を持つ人間が何人いるんだろう。あの[[有名なRPGの6>ファイナルファンタジーVI]]みたいに10人もいたらどうしよう」などと書かれるし、神戸の住人は「[[ポートピアで殺人事件があった>ポートピア連続殺人事件]]んだってねー」などと噂話をしている。 #region(その他のパロディ) --何度も立ちはだかるネタ的ボス「バットくん」のバトルBGMは往年のヒット曲『スモーク・オン・ザ・ウォーター』のリフのほぼ丸パクリとなっている。 --主人公の覚えるとくぎが「クロスカウンター斬り」「両手ぶらり斬り」「真白な灰斬り」など、どこかで聞いたものばかりとなっている。 ---これらの技は「ダン・キチ」という禿頭のジムトレーナーからの手紙を読むことで覚える。 --神戸の住人はその後北海道エリアを指して「昔[[オホーツクで殺人事件が>北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ]]あったそうじゃ」とも言う。 --エイリアンが支配していた宗教を壊滅させた後、教会に行くと再び明かりが点っており「カステラ一番~♪電話が二番~♪」と歌い続ける「カステラ教」なる教団に乗っ取られている。 --動物園に調べることの可能な看板があり、「ライオン/好きなもの:サイコロ・恋バナ」「トラ/好きなもの:放浪の旅/特技:失恋」などと書いてある。 ---最早賞味期限切れのパロディだが、前者はライオン株式会社がスポンサーをしていたお昼のトーク番組「ごきげんよう」、後者は『男はつらいよ』シリーズの車寅次郎を指している。 --加藤茶を模したハゲオヤジも随所に登場。脈絡のない出現で笑わせにかかってくる。 --[[モアイ像型の敵がイオンリングで攻撃してくる>グラディウス]]というものも。 #endregion --勿論これらが面白いのかはプレイヤーの感性によるところだが、合間合間に叩きこまれるギャグは地球滅亡を前に重たくなりがちなシナリオにメリハリをつけていると言える。 -チャクラが7種である理由づけ --これも時代がかっているが、かつて脳科学分野において「人間の脳は30%しか使われていない(よって人類には未知の潜在能力がある)」とする俗説が実しやかに語られたことがある((「10%しか」説もあり、そちらの方が有名。)) --その俗説を拡大解釈し、「残る70%」を7種のチャクラにあてはめたというのが本作の設定となっている。 ---主人公たちは世界各地に7つある「神の石」に触れることでそのチャクラに1つずつ開眼していき、能力強化をできるようになる……という筋書きであり、現在では似非科学もいいところであるが、発売当時の世紀末的ムード、特にオカルトブームにマッチするものであった。 ---ちなみにそれ以外の30%で発揮できる能力が前述のサイコということになっている。 --このロマン溢れるトンデモ学説に、RPG的なシステムで味付けをしたゲームは本作くらいであろう。 -戦闘で使用するチャクラと、コスモストーンを溜めるチャクラとを別に設定できる --このシステムのため、「新しいチャクラを育てるために一旦戦闘で弱体化する」ということが起こらない。 -SFC末期のゲームとしてグラフィックの出来は良い --マップグラフィックは各地域の特色が出ており、戦闘背景・敵グラフィックの描き込みも及第点。 --特に戦闘では技によって発生した地割れや焼け跡が描画されたまま残るようになっており、臨場感を持たせる演出となっている。 -やや珍しいタイプの隠しボス --本作はラスボスである「神」を撃破して一旦はエンディングを迎える。 ---その際、祝福ムードに湧く主人公一行に、モブの子供が恐怖を示すというイベントがある。 ---そしてスタッフロールが流れた後、操作をせずに放置していると、真っ暗で無音の画面に「つづけますか?」という選択肢がフェイドインしてくる。 --ここで「はい」を選ぶのがトゥルーエンドへの手順となっており、その後一行は「怒り」「悲しみ」「不安」という観念的なボスと連戦することになる。 --要は、最強の存在として全ての敵を撃破した主人公たちが、最後に自分の心に向き合うという展開になっており、少々の説教臭さはさておき、「一風変わった展開」という評価はできる。 //BGMのクオリティも良好。現実をベースにした世界中が舞台なので国際色豊かなBGMが揃っている。 //「バットくん」のテーマ曲など、パロディが多いゲームなだけあって元ネタが露骨なものがあるのはご愛敬。 //↑音楽の評判は悪い面もあるので賛否両論に移します 22.6.18 //-母親探しの冒険が感動的 //--主人公がエイリアン襲撃で行方不明になった母親を捜す旅に出る冒険が感動する。 //↑ストーリー的に特色はあるが、母親を探すことがそれほど前面に出てはおらず、感動を呼ぶタイプのものではないと思われるのでCO ---- **賛否両論点 -イベントが重すぎる --幾ら壊滅寸前の地球とはいえ、いわゆる「鬱展開」が多い。 #region(鬱展開について(ネタバレ)) --仲間の1人であるアイについて、同じく仲間であるヒースとの子供を妊娠しパーティーを離脱するイベントがあるのだが…… ---後に彼女に会いに訪れるとエイリアンの襲撃によって小屋は壊滅、アイはお腹の子供と共に死んでしまうという衝撃的な結末を迎える。ヒースは単身行動を取り、次に合流するのはかなり後になる。 //--「ホンマカタウン」では富のためにエイリアンと取引したシュウ大人が街を支配している。彼を追い詰めた時に見逃すかどうかを選択できるが、見逃してしまうとホンマカタウンから人がいなくなり、シュウ大人を後で倒しても街は元に戻らない。 --「ルナシティー」はエイリアンたちの街であり、今まで各所で倒してきたボスの母親エイリアンたち、つまり主人公にとって敵かつ「家族を失った遺族」が登場する。ボスを倒した際にはシステムを暴走させるか放置するか選択できるが、いずれにしても街の運命は暗い。 //--主人公は1999年に生き別れた母親を探すという目的があるが、その母親は早期にエイリアンにさらわれており、苗床となって新たなエイリアンを生ませるための道具となった姿で再会することになる。 #endregion //シュウ大人のイベントはpureのみ、母親は余談の「俺の屍を越えてゆけ」の記述よりCOすべきと判断 --世界観には非常に合っており、好みに合えば絶望感がたまらなくもあるのだが。 -音楽のクオリティが微妙 --冒頭の通り音楽にデーモン小暮閣下を起用しているのだが、良曲と言えるような楽曲は少ない。 ---寧ろサンプリング音源の質の低さもあり、本当に閣下の手によるものか疑わしいものとなっている。((実際のところ閣下は「監修」に留まっており、実際にほとんどの作曲を手掛けたのは別のスタッフである可能性が高い。それにしたって音楽監修として具体的にどう携わったのかは謎である。)) //---特に何百回と聞くことになるバトル曲は音数も少なく、ある種バラエティのコントBGMのような軽薄な曲調であり盛り上がりに欠ける。 ---また使いどころの良くない場面もあり、先述のような畳みかける鬱展開の中で楽曲も非常に重く悲哀のこもったものが流れるため、悲劇的なシーンも一周回ってギャグのように感じられる恐れがある。 --しかし勢いの良さと悲壮感を併せ持つエイリアン戦や、クワイア(コーラス)二部のかけあいで構成された「神の石」関連のジングルなど、一部光るBGMはある。 --また、世界各地の街や施設がダンジョンの元ネタとなっていることから民族音楽をベースにした曲もあり、ゲームBGMでは珍しいガムラン調である「アンコールワット」、琉球音階とストリングスのロングトーンを合わせて不穏な雰囲気を持たせた「リュウキュウ」などは一聴の価値がある。 //戦闘曲はpureでは書いてある通りだが、本作はちゃんとしている -多くの地域のキャラ付けが極端 --冒頭の通り、現実の地域をもとに舞台が構築されているものの、そのカリカチュアライズは極端なものとなっている。以下に一例を示す。 --エイリアンに地上の都市を壊滅させられ、ユーロトンネル(英仏海峡トンネル)内でお互いを「田舎もの」「気取ってやがる」と嫌悪しながら隣同士で居を構えるフランスとイギリス。 --武器防具屋の前に「品切れに注意。物々交換お断り」と張り紙があるモスクワ(ロシア)。市長にあうためには秘書にお金を、さらに市長の話をきくためには市長にお金を、それぞれ払わなくてはならない。 --名古屋を元にした「ミャアタウン」では、住民が語尾に「ミャア」を付けている。 --しかしこれが、特に低年齢層ユーザーには地理の理解に役立ったりする。 ---- **問題点 -全体的にテンポが悪い --&bold(){キーレスポンスがなぜかやたらに遅い}。 ---移動にしろ誰かに話しかけるにしろ、ボタンを押してからワンテンポ遅れて実行されるためプレイヤーの苛立ちを誘う。メニュー画面などもあまりレスポンスがよくないため、「感覚的に何度も十字ボタンを押してしまう→目的とは別の対象へカーソルが移動する」という現象もおきやすい。 --戦闘においてもエンカウントから実際にバトル画面へ移行する間が長い上、各キャラの行動決定の間にいちいちウィンドウ内のエフェクトが入り間が空く。 ---行動決定後、各行動間も妙なマージンタイムがあり、さらに戦闘終了後移動画面に戻るまでも長い。ひとつひとつは致命的でないにしても、総体としてかなり「もっさり」とした印象を与えてしまう。 ---またエンカウント率も高めなため、こういった戦闘を何度もこなさねばならない。 -終盤は有用な複合チャクラを前提にバランス調整がなされている節があり、独特なシステムの有用性に気づけるかどうかで体感的な難易度が変わってくる。 --とはいえ特にレベル上げに対する制限はないので、気づけなくても古典的な手法であるところの「レベルを上げてパワープレイに恃む」という戦法自体での突破は時間はかかるものの可能。 //-上記のパロディ項目にも通じるが、全体的に街の人間の台詞はかなりギャグめいており、「人類滅亡の危機」と言うシリアスな雰囲気にそぐわないと感じてしまう可能性はある。 //可能性の話なのでCO ---- **総評 基本はオーソドックスなRPGであり、RPGとして長所もあるが隙も多い。~ 鬱展開は人を選ぶし、評価点に記したパロディの多さも人によっては好みに合わない可能性はある。ただし多くの人はパンチの効いた終盤の展開を楽しめるだろう。 ただそれを差し引いてもなによりゲームテンポの悪さが痛い。街で人と話すにも、バトルでコマンドを選ぶにもボタンを押してすぐのレスポンスがなく、スピード感に欠ける。~ このあたりのストレスがゲームプレイを通して積み重なり、光るところはあるが手触りが悪すぎるせいでせいぜい凡作と言わざるを得ない印象を与えがちである。 ---- **余談 //-最終盤明らかになる「ある真相」が[[某世代交代RPG>俺の屍を越えてゆけ]]の真相とほぼ同じである。 //他ゲームのネタバレを匂わせる記述は望ましくないと判断しCO。 //総評から移行。 -著名人が製作に参加・現代が舞台・鬱/バカゲー要素など『[[イデアの日]]』と共通点が多いが、『イデアの日』がシナリオの骨子以外で徹底的にバカゲー/実験的要素を詰め込んでいるのに対し、こちらはシナリオ・システムを手堅くした上にギャグ/パロディーを散りばめている。 -コミカライズ版が存在し、角川書店よりコミックス(全一巻)も発売されている。 --ただしギャグテイストが強めであり、「魔心滅炎」等の漢字表記のオリジナル技が飛び交うなど、原作の雰囲気との乖離が激しい。 --ライバル(?)的存在のバットくんも当然登場するが、序盤でアッサリと退場する。 --しかも中途半端な所で終了。尤も当初から短期連載の予定ではあったらしい。 -発売が1996年12月とスーパーファミコン末期のため、本数が少なく、プレミアが付きやすい。 //--さらに、プロジェクトEGGでの配信も困難になっている。 //配信が困難な理由が不明なのでCO。 //総評から移行。 --今からプレイするならゲームテンポの兼ね合いから後述のPS版が無難か。 ---ただしストーリー進行がかなり変わっている場面もある為、プレイ環境(と忍耐)が許すならSFC版もプレイし、違いを比べるのもまた一興。 ---- **その後の展開 -1996年12月にプレイステーションにて『G.O.D pure』が発売。 --シナリオの筋自体は同じだが、ムービーやイベント、セリフなどが追加されたほか、一部イベントの時期や場所が変更された。 --とくぎの増加、チャクラの各属性の役割が明確になったことによる有用な技の増加など、スピードやバランス面での改善も図られている。
*G.O.D ~目覚めよと呼ぶ声が聴こえ~ 【じーおーでぃー めざめよとよぶこえがきこえ】 |ジャンル|RPG|&image(http://ecx.images-amazon.com/images/I/614S4MrpsDL._SL500_AA300_.jpg,width=160,http://ecx.images-amazon.com/images/I/614S4MrpsDL._SL500_AA300_.jpg)| |対応機種|スーパーファミコン|~| |メディア|24MbitROMカートリッジ|~| |発売元|イマジニア|~| |開発元|インフィニティー&br()ダイス|~| |発売日|1996年12月20日|~| |定価|7,980円(税別)|~| |判定|なし|~| ---- #contents(fromhere) ---- **概要 劇団「第三舞台」主宰の鴻上尚史氏が製作総指揮・演出・脚本を担当したRPG。 キャラクターデザインに江川達也氏、音楽総監修に[[デーモン小暮閣下>聖飢魔II 悪魔の逆襲!]]を迎え、各媒体で大々的に宣伝された。~ しかし発売延期を繰り返した結果、そのリリースはPSへのハード移行期まで遅れ、売上は芳しくなかった。 タイトルの『G.O.D』は「''G''rowth ''O''r ''D''evolution(進化か、退化か)」の略。~ なおサブタイトルの「目覚めよと呼ぶ声が聴こえ」はJ.S.バッハのカンタータに同名の曲があるが、本作の内容にはまったく関係しない。 ---- **ストーリー 主人公は8才となった夏休み、北海道に住むおばあちゃんの元へ自転車での一人旅を決行する。~ 旅の途中で立ち寄った「ツクバネ村」にてケンカとなったガキ大将から「村の裏にあるツクバネ山に出るお化けを退治してくれ」と依頼された主人公は、見事山頂の洞窟に潜むお化けを退治した。~ しかし洞窟の外に出た主人公は、そこで驚くべき光景を目撃する。 ''一九九九の年の七の月、空から恐怖の大王が降りた'' 主人公が10年間の記憶の空白から目覚めた時、そこは自身の知る地球ではなくなっていた。 ---- **システム・特徴 ''シナリオ概要'' -はじまりこそ上記の通り、20世紀末を舞台にした「少年のひと夏の冒険」だが、プロローグを終えた以降はエイリアンの襲来によって壊滅寸前の世界を舞台に本編が展開する。 -主人公は地球人の自衛組織「ブレス」の構成員となっており、子供時代に見た恐怖の大王=UFOの襲来の記憶を呼び起こすところから本編は始まる。 --基本は新しい街に行く→エイリアンの基地に入るには○○が必要→○○を手に入れて基地を叩くの繰り返しでお使い色が強いが、ストーリーの骨子はブレず、また、世界各地を探検することになるためロケーションに新鮮さがありダレにくい。 --殆どの国の政治機構は崩壊しており件の「ブレス」が統治を行なっている。各地方必ず長官と博士がおり、往年のSFらしさを模したものとなっている。 -現実の地域・国家をモデルとした街が多い。後述するような捻りのきいたカリカチュアライズ(戯画的表現)も一種特徴ではある。 //以降にあった文章は評価点に移しました 22.6.18 ''バトルシステム'' -戦闘はオーソドックスなコマンド選択式で、画面上部に敵、その下に敵と向かい合う自パーティの背中側が描画されたビハインドビュー構成。 --通常攻撃・アイテム・防御の他、サイコ・とくぎ・チャクラといった行動をとることができる。 -''サイコ'':よくあるRPGの魔法に相当する。レベルアップで新しいサイコを覚え、MPを消費して発動する。 --回復サイコが回復サイコがパーティの主な回復手段となり、移動中は最大HPに対しての割合で、戦闘時は精神に比例して増加する。 --攻撃サイコは属性付きの攻撃を行う主だった手段であり、全体攻撃が行えるものもある。 //--回復サイコがパーティの主な回復手段となるが、中盤でパーティのHPが2000以上に達するにも拘らず、回復力は300程度までしかない。 //--ボスの火力もそれに合わせるように低くなっているため、ゲームバランスが崩壊しているわけではない。 //---一応パラメータの「精神」値に応じて回復量は増加するが、微々たるものである。 //事実と異なる(あるいは誤認している)のでCO -''とくぎ'':道中イベントで習得する各キャラクター固有の技。 -''チャクラ'':本作の目玉システム。 --「気」「知」「癒」「霊」「陽」「楽」「力」の7種からなる、特殊効果を持つ能力群。 --メニューで育成チャクラを選択することで戦闘時に「コスモストーン」と呼ばれるいわゆる熟練度が蓄積されていき、一定値に達するとそのカテゴリに応じた技やバフを習得する。 ---例えば「力」なら攻撃系の技を中心に覚え、「癒」なら回復系の技を中心に覚える。そのため各キャラごとに役割を分けつつ、ある程度の自由度を以て育成することができる。 ---イメージとしては『[[ファイナルファンタジーV]]』におけるジョブシステムとABPの関係に近い。 --ストーリー終盤では2つのチャクラ種を掛けあわせた「複合チャクラ」が使えるようになる。 ---これは高レベルのチャクラ種2点を習得している際に、それぞれの能力とは別に新たに特殊効果を付与するもので、例えば「知」×「力」でレベルアップ時のパラメータ上昇にボーナスが付いたり、「癒」×「力」で守備力を上げつつ他者へのダメージを身代わりする技を使えるようになったりする。 ''「まんじゅう」システム'' -本作に登場する地域では、日本国内外に関わらずほぼ必ず「まんじゅう」が土産物として販売されている。 --これを集める(食べていく)と貴重なアイテムが貰えるというものであり、ドラクエシリーズでいうところの「小さなメダル」、または単純にスタンプラリーとしての収集要素となっている。 --基本的に土産物店で購入するかサブイベントで手に入るが、極一部、落ちているものを拾得したり、敵から手に入れるケースもある。 //「ギャグ・パロディー要素」は評価点に移しました ---- **評価点 -江川達也氏のキャラクターデザイン --キャラクターデザイン、およびパッケージ絵は当時『GOLDEN BOY』『東京大学物語』連載中の人気漫画家であった氏が担当しており、特に女性キャラの官能的な雰囲気が魅力となっている。 //個性的なデザイン揃いでゲーム中のグラフィックにも特徴が表れている。 //↑特に原画の再現といった風味は見られないためCO -センスの光る台詞回し --さすが劇作家の手がけた作品ということもあり、凝った言い回しが随所に現れる。 --特にイベントをこなす度に内容が拡充される「日記」(主人公が書いているという設定の、ゲーム中で参照できるあらすじのようなもの)では、「ボクは10年間もボクじゃないままでいた」や「電車の音が落ち着くのは心臓の音に似ているから」と言った旨の詩的な表現が見られる。 --また、宗教で人民を支配していた敵に対して「宗教は自分で信じる分には問題は無いが、迷惑をかけてはいけない」といった、発売当時は誰もが持ち得ていたわけではなかった思想が書かれているなど、時代特有の味わいが感じられる((発売前年に日本現代史に残るテロ事件「地下鉄サリン事件」が発生しており、日本国内の新興宗教への見方を一変させた背景がある。))。 -シリアス一辺倒で終わらせないギャグ要素 --地球がエイリアンに襲来されるオープニングからほぼ徹頭徹尾シリアスなムードで物語が展開されるが、その端々で多量のギャグ、およびパロディが出現する。 --例えば前述の日記においては、初めての仲間キャラが加入した際「ボクらと同じ様な志を持つ人間が何人いるんだろう。あの[[有名なRPGの6>ファイナルファンタジーVI]]みたいに10人もいたらどうしよう」などと書かれるし、神戸の住人は「[[ポートピアで殺人事件があった>ポートピア連続殺人事件]]んだってねー」などと噂話をしている。 #region(その他のパロディ) --何度も立ちはだかるネタ的ボス「バットくん」のバトルBGMは往年のヒット曲『スモーク・オン・ザ・ウォーター』のリフのほぼ丸パクリとなっている。 --主人公の覚えるとくぎが「クロスカウンター斬り」「両手ぶらり斬り」「真白な灰斬り」など、どこかで聞いたものばかりとなっている。 ---これらの技は「ダン・キチ」という禿頭のジムトレーナーからの手紙を読むことで覚える。 --神戸の住人はその後北海道エリアを指して「昔[[オホーツクで殺人事件が>北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ]]あったそうじゃ」とも言う。 --エイリアンが支配していた宗教を壊滅させた後、教会に行くと再び明かりが点っており「カステラ一番~♪電話が二番~♪」と歌い続ける「カステラ教」なる教団に乗っ取られている。 --動物園に調べることの可能な看板があり、「ライオン/好きなもの:サイコロ・恋バナ」「トラ/好きなもの:放浪の旅/特技:失恋」などと書いてある。 ---最早賞味期限切れのパロディだが、前者はライオン株式会社がスポンサーをしていたお昼のトーク番組「ごきげんよう」、後者は『男はつらいよ』シリーズの車寅次郎を指している。 --加藤茶を模したハゲオヤジも随所に登場。脈絡のない出現で笑わせにかかってくる。 --[[モアイ像型の敵がイオンリングで攻撃してくる>グラディウス]]というものも。 #endregion --勿論これらが面白いのかはプレイヤーの感性によるところだが、合間合間に叩きこまれるギャグは地球滅亡を前に重たくなりがちなシナリオにメリハリをつけていると言える。 -チャクラが7種である理由づけ --これも時代がかっているが、かつて脳科学分野において「人間の脳は30%しか使われていない(よって人類には未知の潜在能力がある)」とする俗説が実しやかに語られたことがある((「10%しか」説もあり、そちらの方が有名。)) --その俗説を拡大解釈し、「残る70%」を7種のチャクラにあてはめたというのが本作の設定となっている。 ---主人公たちは世界各地に7つある「神の石」に触れることでそのチャクラに1つずつ開眼していき、能力強化をできるようになる……という筋書きであり、現在では似非科学もいいところであるが、発売当時の世紀末的ムード、特にオカルトブームにマッチするものであった。 ---ちなみにそれ以外の30%で発揮できる能力が前述のサイコということになっている。 --このロマン溢れるトンデモ学説に、RPG的なシステムで味付けをしたゲームは本作くらいであろう。 -戦闘で使用するチャクラと、コスモストーンを溜めるチャクラとを別に設定できる --このシステムのため、「新しいチャクラを育てるために一旦戦闘で弱体化する」ということが起こらない。 -SFC末期のゲームとしてグラフィックの出来は良い --マップグラフィックは各地域の特色が出ており、戦闘背景・敵グラフィックの描き込みも及第点。 --特に戦闘では技によって発生した地割れや焼け跡が描画されたまま残るようになっており、臨場感を持たせる演出となっている。 -やや珍しいタイプの隠しボス --本作はラスボスである「神」を撃破して一旦はエンディングを迎える。 ---その際、祝福ムードに湧く主人公一行に、モブの子供が恐怖を示すというイベントがある。 ---そしてスタッフロールが流れた後、操作をせずに放置していると、真っ暗で無音の画面に「つづけますか?」という選択肢がフェイドインしてくる。 --ここで「はい」を選ぶのがトゥルーエンドへの手順となっており、その後一行は「怒り」「悲しみ」「不安」という観念的なボスと連戦することになる。 --要は、最強の存在として全ての敵を撃破した主人公たちが、最後に自分の心に向き合うという展開になっており、少々の説教臭さはさておき、「一風変わった展開」という評価はできる。 //BGMのクオリティも良好。現実をベースにした世界中が舞台なので国際色豊かなBGMが揃っている。 //「バットくん」のテーマ曲など、パロディが多いゲームなだけあって元ネタが露骨なものがあるのはご愛敬。 //↑音楽の評判は悪い面もあるので賛否両論に移します 22.6.18 //-母親探しの冒険が感動的 //--主人公がエイリアン襲撃で行方不明になった母親を捜す旅に出る冒険が感動する。 //↑ストーリー的に特色はあるが、母親を探すことがそれほど前面に出てはおらず、感動を呼ぶタイプのものではないと思われるのでCO ---- **賛否両論点 -イベントが重すぎる --幾ら壊滅寸前の地球とはいえ、いわゆる「鬱展開」が多い。 #region(鬱展開について(ネタバレ)) --仲間の1人であるアイについて、同じく仲間であるヒースとの子供を妊娠しパーティーを離脱するイベントがあるのだが…… ---後に彼女に会いに訪れるとエイリアンの襲撃によって小屋は壊滅、アイはお腹の子供と共に死んでしまうという衝撃的な結末を迎える。ヒースは単身行動を取り、次に合流するのはかなり後になる。 //--「ホンマカタウン」では富のためにエイリアンと取引したシュウ大人が街を支配している。彼を追い詰めた時に見逃すかどうかを選択できるが、見逃してしまうとホンマカタウンから人がいなくなり、シュウ大人を後で倒しても街は元に戻らない。 --「ルナシティー」はエイリアンたちの街であり、今まで各所で倒してきたボスの母親エイリアンたち、つまり主人公にとって敵かつ「家族を失った遺族」が登場する。ボスを倒した際にはシステムを暴走させるか放置するか選択できるが、いずれにしても街の運命は暗い。 //--主人公は1999年に生き別れた母親を探すという目的があるが、その母親は早期にエイリアンにさらわれており、苗床となって新たなエイリアンを生ませるための道具となった姿で再会することになる。 #endregion //シュウ大人のイベントはpureのみ、母親は余談の「俺の屍を越えてゆけ」の記述よりCOすべきと判断 --世界観には非常に合っており、好みに合えば絶望感がたまらなくもあるのだが。 -音楽のクオリティが微妙 --冒頭の通り音楽にデーモン小暮閣下を起用しているのだが、良曲と言えるような楽曲は少ない。 ---寧ろサンプリング音源の質の低さもあり、本当に閣下の手によるものか疑わしいものとなっている。((実際のところ閣下は「監修」に留まっており、実際にほとんどの作曲を手掛けたのは別のスタッフである可能性が高い。それにしたって音楽監修として具体的にどう携わったのかは謎である。)) //---特に何百回と聞くことになるバトル曲は音数も少なく、ある種バラエティのコントBGMのような軽薄な曲調であり盛り上がりに欠ける。 ---また使いどころの良くない場面もあり、先述のような畳みかける鬱展開の中で楽曲も非常に重く悲哀のこもったものが流れるため、悲劇的なシーンも一周回ってギャグのように感じられる恐れがある。 --しかし勢いの良さと悲壮感を併せ持つエイリアン戦や、クワイア(コーラス)二部のかけあいで構成された「神の石」関連のジングルなど、一部光るBGMはある。 --また、世界各地の街や施設がダンジョンの元ネタとなっていることから民族音楽をベースにした曲もあり、ゲームBGMでは珍しいガムラン調である「アンコールワット」、琉球音階とストリングスのロングトーンを合わせて不穏な雰囲気を持たせた「リュウキュウ」などは一聴の価値がある。 //戦闘曲はpureでは書いてある通りだが、本作はちゃんとしている -多くの地域のキャラ付けが極端 --冒頭の通り、現実の地域をもとに舞台が構築されているものの、そのカリカチュアライズは極端なものとなっている。以下に一例を示す。 --エイリアンに地上の都市を壊滅させられ、ユーロトンネル(英仏海峡トンネル)内でお互いを「田舎もの」「気取ってやがる」と嫌悪しながら隣同士で居を構えるフランスとイギリス。 --武器防具屋の前に「品切れに注意。物々交換お断り」と張り紙があるモスクワ(ロシア)。市長にあうためには秘書にお金を、さらに市長の話をきくためには市長にお金を、それぞれ払わなくてはならない。 --名古屋を元にした「ミャアタウン」では、住民が語尾に「ミャア」を付けている。 --しかしこれが、特に低年齢層ユーザーには地理の理解に役立ったりする。 ---- **問題点 -全体的にテンポが悪い --&bold(){キーレスポンスがなぜかやたらに遅い}。 ---移動にしろ誰かに話しかけるにしろ、ボタンを押してからワンテンポ遅れて実行されるためプレイヤーの苛立ちを誘う。メニュー画面などもあまりレスポンスがよくないため、「感覚的に何度も十字ボタンを押してしまう→目的とは別の対象へカーソルが移動する」という現象もおきやすい。 --戦闘においてもエンカウントから実際にバトル画面へ移行する間が長い上、各キャラの行動決定の間にいちいちウィンドウ内のエフェクトが入り間が空く。 ---行動決定後、各行動間も妙なマージンタイムがあり、さらに戦闘終了後移動画面に戻るまでも長い。ひとつひとつは致命的でないにしても、総体としてかなり「もっさり」とした印象を与えてしまう。 ---またエンカウント率も高めなため、こういった戦闘を何度もこなさねばならない。 -終盤は有用な複合チャクラを前提にバランス調整がなされている節があり、独特なシステムの有用性に気づけるかどうかで体感的な難易度が変わってくる。 --とはいえ特にレベル上げに対する制限はないので、気づけなくても古典的な手法であるところの「レベルを上げてパワープレイに恃む」という戦法自体での突破は時間はかかるものの可能。 //-上記のパロディ項目にも通じるが、全体的に街の人間の台詞はかなりギャグめいており、「人類滅亡の危機」と言うシリアスな雰囲気にそぐわないと感じてしまう可能性はある。 //可能性の話なのでCO ---- **総評 基本はオーソドックスなRPGであり、RPGとして長所もあるが隙も多い。~ 鬱展開は人を選ぶし、評価点に記したパロディの多さも人によっては好みに合わない可能性はある。ただし多くの人はパンチの効いた終盤の展開を楽しめるだろう。 ただそれを差し引いてもなによりゲームテンポの悪さが痛い。街で人と話すにも、バトルでコマンドを選ぶにもボタンを押してすぐのレスポンスがなく、スピード感に欠ける。~ このあたりのストレスがゲームプレイを通して積み重なり、光るところはあるが手触りが悪すぎるせいでせいぜい凡作と言わざるを得ない印象を与えがちである。 ---- **余談 //-最終盤明らかになる「ある真相」が[[某世代交代RPG>俺の屍を越えてゆけ]]の真相とほぼ同じである。 //他ゲームのネタバレを匂わせる記述は望ましくないと判断しCO。 //総評から移行。 -著名人が製作に参加・現代が舞台・鬱/バカゲー要素など『[[イデアの日]]』と共通点が多いが、『イデアの日』がシナリオの骨子以外で徹底的にバカゲー/実験的要素を詰め込んでいるのに対し、こちらはシナリオ・システムを手堅くした上にギャグ/パロディーを散りばめている。 -コミカライズ版が存在し、角川書店よりコミックス(全一巻)も発売されている。 --ただしギャグテイストが強めであり、「魔心滅炎」等の漢字表記のオリジナル技が飛び交うなど、原作の雰囲気との乖離が激しい。 --ライバル(?)的存在のバットくんも当然登場するが、序盤でアッサリと退場する。 --しかも中途半端な所で終了。尤も当初から短期連載の予定ではあったらしい。 -発売が1996年12月とスーパーファミコン末期のため、本数が少なく、プレミアが付きやすい。 //--さらに、プロジェクトEGGでの配信も困難になっている。 //配信が困難な理由が不明なのでCO。 //総評から移行。 --今からプレイするならゲームテンポの兼ね合いから後述のPS版が無難か。 ---ただしストーリー進行がかなり変わっている場面もある為、プレイ環境(と忍耐)が許すならSFC版もプレイし、違いを比べるのもまた一興。 ---- **その後の展開 -1996年12月にプレイステーションにて『G.O.D pure』が発売。 --シナリオの筋自体は同じだが、ムービーやイベント、セリフなどが追加されたほか、一部イベントの時期や場所が変更された。 --とくぎの増加、チャクラの各属性の役割が明確になったことによる有用な技の増加など、スピードやバランス面での改善も図られている。

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