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  0.カレンダー

「もうそろそろだね…」
  四月の下旬、親戚に安く借りてる為でかい声で言えないが、ボロい安アパートの二階の一室で、俺と向かい合って彼女──卯月桜は言った。返事を聞く前に古く隙間風の吹き込みそうな窓に目を向ける。
  タバコの脂で茶色く染まった壁に掛けられたボロい室内に対し浮くほど新しい時計の秒針がカチッカチッと急かす。
「そうだな……」
  俺は気のない返事をし、釣られて窓を眺めた。窓には裏庭に植えられた遅咲きの柳桜が風に吹かれはらはらと散っているのが映っていた。
  部屋から漏れる蛍光灯の明かりと半分欠けた月にライトアップされた桜よりも色濃い花びらが、急な突風に煽られスッと流れる向きを変えるのを見届けながら、彼女は、言う。
「ごめんね…私達が居るせいで彼女と一緒に居られる時間が少なくて…」
  俺は、少しムッとして彼女のまだ流れる桜の花びらから目を離していない横顔を睨んだ。
  その瞳には、桜色というには少し濃いピンクの桜が映っていて、思わず息を呑むほどには綺麗だった。
「あはは、また君はそんなことないって言うよね?」
「当たり前だろ?」
  急に振り返りこっちを見つめる顔が眩しくて…痛くて、俺は思わず目を逸らし、苦々しいものを吐き出すように続けた。
「俺は、アイツが好きだ。けど、お前たちだって……」
「じゃあ、私とキス…できる?」
  彼女は、俺を試すように笑いながら尋ねる。
  その笑顔はすでに答えを知り、それでも敢えて聞く顔だった。
  その顔に隠されたものが何かはわからない…けど俺は、返事ができずボロボロの畳と向かい合った。
「ふふふ、出来ないよね? わかってるよ、君が好きなのはあの子だけだもん」
「………ごめん」
  なにも答えられない俺は、ただ一言謝った。
「えへへ、それにあの子は全部受け止めて欲しいって言ったけど、その意味もわかってる?」
「? …それって……」
  彼女が一瞬悲しそうな顔をする。けど、別れる時は笑顔と決めているらしい彼女は、すぐに笑顔に戻った。
「教えてあげませんっ! 来年会うときまでに理解しといてね? ほら、もう時間……」
  時計は無情に12時1分前を示していた。彼女とともに居られる時間ももう秒読み段階だ。
  悲しくないわけがないのに、彼女は健気に満面の笑みを浮かべ、精一杯の元気を振り絞るように別れの言葉を紡ぎ始めた。
「じゃねっこの一ヶ月、楽しかったよ? ……さようなら」
「さよ……」
  最後の言葉を聴く前に彼女は目を瞑る。
  もう、声が届かないことを俺は知っていた。


「……サヨナラ…出来たの?」
  そっと目を開けた彼女は、先ほどとは打って変わった口調で尋ねてきた。
  いや、口調だけではない。声質そのものが変わっていた。
  まるでわざと演じているかのように声のトーンは低く、倦怠感あふれる感情を隠そうとしない。
  先ほどの彼女の影は微塵に消えていた──そう、微塵に……
「自分の目見りゃわかるだろ?」
  まだあっけない別れの衝撃に立ち直ってないからだろうか?
  俺は少しぞんざいに返事を返してくるりと顔を逸らした。
「……そうね…」
  あまり詮索しない性質の”今の彼女”は涙をぬぐってから答え、大きなあくびと伸びをした。
数秒前の彼女からは想像に難い仕草だ。それが別れを明確に伝えているようで少し悲しかった。
  そう今の彼女は先ほどまで、このオンボロアパートで俺と柳桜を眺めていた彼女ではない。
  彼女は──
「………疲れた」
  悲しみとは別の涙を目に溜めた彼女は、一言で俺の思考を遮るとさっきまで漂っていた雰囲気と余韻を打ち壊し、怠惰を振りまきながら周囲を睥睨し、やがて布団にターゲットオン。
  しばらく何を考えているのか図りかねる表情でしばし見つめると、唐突に俺へと告げた。
「……眠い」
「ハァ!? …あっちょっ…まっ……俺の布団で寝るな! 俺が寝れねーだろっ? だぁーもうっ皐月っ! 部屋に帰れッゴーホーム! カ~エ~レ~!」
  ぎゃーぎゃー帰れと騒ぐ俺の制止を振り切り、万年寝ぼけ娘は勝手気ままに俺の煎餅布団を占領完了。
「──すうすぅ」
「はやっ!」
  体が布団に収容されてからわずか2秒で規則正しい可愛い寝息が聞こえ始めた。
  ヤバい、残念ながら住み始めてひと月も経たない俺の部屋には、毛布なんて気の利くアイテムはたったの一枚きりだ。
  ただ、悲しいかなその一枚もあまりにも寒い煎餅布団と共に皐月の体を包んでいた。
「……このままじゃ、寝れねぇじゃねーか」
  今は深夜の12時こんな時間に布団か毛布を借りに行くのは非常識というものだし、かといって何もなしに寝るには、ついさっき5月になったとはいえ、まだまだ厳しいものがある。
「……ったく…どこで寝りゃいいんだよ」
  よい手も思いつかず思わず漏れた一言に、まだ寝てなかったのか皐月が焦点のぼんやりとして瞳でこちらを見やり。

  ……ポンポンっと自分の脇の空間を叩いて誇示した。
「出来るかっ!」
  間髪居れずにNOと突き返す。俺の顔は恐らく熟れ過ぎたイチゴのようにそりゃあ真っ赤に染まっているだろう。
  それが皐月にはおかしいのか、ふふっと笑みを零すと申し訳程度に脇にずれて空間を広げ、そのまま無言でじっと見つめてきた………やばい…可愛い。
「……ダメ?…」
  トドメの追撃…っうう、でも……
「私は、君がなんと言おうと退かないよ?…ねぇ、他に寝るところある?あのコは……」
  無口な彼女としては限界だろう、無理に明るく言っているような調子で語る皐月。その言葉を遮るように俺は手を翳し……
「………わかった」
  彼女の精一杯な言葉を受け取り、小さな声で返した。
  その声は傍から見ればか細くしか聞こえなかっただろう。
  だが、彼女は待ちわびた答えに柔らかい笑みを見せ、もう一度ポンポンと薄い布団を叩く。
「ただ…エロいのはナシな」
  なんだろう……言ったとたんどこか遠くのモニターの前から、落胆や呪詛やらが聞こえてきた気がする。うるせぇ!俺はチキンじゃねぇッ!!
「……わかってる、十分だよ」
  そんな呪詛を吹き飛ばすようにニコリと笑って返す彼女の姿は、なんつーか贔屓目に見ても可愛かった。




  これは、不甲斐ない俺と毎月人格の入れ替わる彼女のカッコいいアクションも、派手な演出もない物語。
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