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 眼を閉じた先の風景で、オレは今度こそ、求め続けた陛下の笑顔に辿り着けるのだろうと、そう思っていた。
 しかし、オレが再び瞼を開いた時、世界は天国とは程遠い、ドス黒い闇に覆われたままで、
 あの『荒木飛呂彦』と名乗った男の口から告げられた言葉は、オレの理解を遥かに越えており――そうして気付けば、
 オレは状況を把握する事も殆ど出来ないまま、見慣れぬ土地の草叢に一人、こうして立ち竦む羽目になってしまっている。
 『奇妙』なことに、草叢はオレの周囲に限り、横嬲りの突風にでも遭ったかの如く薙ぎ倒されて、綺麗な『円』を形作っていた。
 オレをこの地に呼び寄せるための、魔法の陣か何か、か?
 そんな冗談がふっと浮かんで、苦笑するのと同時に、安心を感じた。
 このように下らない事を思い浮かべて、それを笑う事が出来るのも、尊ぶべき『生の実感』であり、オレが『人間』である事の証、なのだと。

 ……ああ、生きている。オレは今、生きているぞ。
 ジョナサン・ジョースター――三百年たった世界の友人よ。

 今際に長年の相棒を授けた、高貴なる精神の持ち主である紳士。
 屍生人と化していた頃の記憶は、オレにとって一生の恥に値する暗黒だった。その呪縛から解き放ってくれたあの青年には、
 どれだけの感謝を捧げても足りはしない。彼は果たして、続くタルカスとの戦いに勝利する事が出来ただろうか。
 ……フフフ、無用な心配というものか。彼はこの黒騎士ブラフォードに勝利した男。たとえタルカスが相手であろうと、決して遅れは取るまい。
 むしろ、今はオレ自身の事を考えるべきというもの。『殺し合い』をしろと、『荒木』と名乗った男はそう言った。最後の一人にならない限り、
 決してこの世界から逃れることは出来ないと。
 この世界は、陛下のおられる天の国では到底有り得ん。むしろその真逆、人間の醜い本能のみを発露させ、争わせるだけの殺戮地獄。
 しかし、オレにも騎士としての誇りがある。陛下の下へと旅立つために己の首を刎ねるなどといった、女々しい真似をする気は毛頭ない。
 ならば、『荒木』の命ずるがまま、血を血で洗う剣の振るい合いへと身を投じるか?
 ――それこそ、バカな。騎士が剣(つるぎ)を引き抜くのは、忠義を誓った主の一声を受けた時のみと決まっている。
 ……ヌゥ、考えが纏まらんな。ひとまず、この『支給品』とかいう袋の中身を確認してから、身の振り方を練り直すとしよう。

 足元に置かれている、『荒木』が『デイパック』とか呼んでいたそれを、屈んで手に取った。袋に幾つも、小さな金属の摘みが拵えてある。
 これを開けばいいのだろうか? スコットランドでは見かけない、変わった構造の袋だが……フム、なるほど。中々便利なものだな。
 『デイパック』の中から最初に出てきたものは、4等分に折り畳まれた一枚の紙だった。
 広げてみる。どうやら、この世界の地図らしい。曲がりくねった道の隅々に至るまで、丁寧に記載されている。……驚嘆すべき測量技術だ。
 また便利な事に、目印となるような特徴のある地点は、特別にその場所の概観と位置が点として表示してあった。
 オレが今いるのは、街の北西側……『ミステリーサークル』と呼ばれる場所の中心のようだ。
 ここからすぐ西の方角には、『鉄塔』と呼ばれる建造物があり、南に行くと『二ツ杜トンネル』という洞穴があるらしい。共に聞き慣れぬ名だ。
 続けて出てきたのは、食料と水(透明な材質の容器に入っていた)、鉛筆と真っ白の紙、懐中電灯とかいう光を放つ奇怪な物体に、
 磁石に時計(振り子の付いていない時計など初めて目にした。ましてや腕に巻いて使用するなどと……信じられん)といった、
 戦いを補助する役割の道具だった。これらを巧みに利用する事で、生き延びろという事なのだろう。無駄に気の利く男だ、『荒木』め。
 最後に、2枚の紙が残った。今度は一体、何が書かれているのだろうか。そう思いながら紙を広げたオレの目の前に『現れた』ものは、
 文字でも記号でもない――確かな質感を持ち、それでいて見慣れた――そう、たとえ宇宙が一巡しようとも、忘れるはずのない存在だった。

「こ……これはッ!」

 月明かりに照らされて、鈍い光沢を放っている一振りの剣。あの『風の騎士たちの町』において、確かにジョナサンへと手渡したはずの――
 『幸運』の剣、だった。

「……ム?」

 待て。何故この剣が『支給品』としてここに存在し、尚且つ『紙』から飛び出してくるといった非常識な事を、
 如何にして遣って退けたのかという事も問題ではあるが、それよりも。
 『一文字』が、足りない。彼の未来が輝ける道であるようにと、願いを込めて確かに刻んだ、『勇気』のためのアルファベットが、足りない。

「どうなっているのだ……?」

 ……何もかも、まったく検討が付かぬ。つくづく、この世界は『奇妙』だ。あるべき姿から捻じ曲がっている。まるで、
 人知を超えた何者かの夢で構成されているかのようだ。恐らくはきっと、その者にとって都合の良い姿で。
 『神』の存在か。――下らん。オレの精神を凌駕しえる者など、メアリー女王陛下以外に認めてなるものか。
 何はともあれ、『幸運』の剣はオレにとって、これ以上にない力を与えてくれる武器だ。ありがたく、使わせてもらうとしよう。
 残った紙はあと一枚。この『中』からも、何か出てくるのだろうか。充分に用心しながら広げていく。どうやらこちらは、普通の紙のようだ。
 人名らしき文字が、幾つも綴られている。名簿、というワケか。おそらくは、この殺し合いに巻き込まれた参加者たちの。
 この名前の中から、何らかの法則性を見出すことは出来ないかと、ふと考えた。『荒木』の目的が何なのかは定かではないが、
 わざわざ『殺し合い』と銘打ったからには、オレやタルカス、獅子王ウィンザレオにイナズマの騎士アイクマン、独眼のカイネギスといった、
 『戦士』と呼ぶに相応しい者を呼び集めているものと思われるのだが。そういった強者どもがこの世界に集っているというのならば、
 腕試し代わりに決闘を挑んでみるというのも悪くない。そんな事を思いながら、見知らぬ名前の羅列をすらすらと読み進めていき――
 ある筈のない名前を見つけて、止まった。

 ――ジョナサン・ジョースター。

「バ……バカなッ!」

 それは紛れもなく、あの屈強の青年が自ら名乗った名前だった。何故、彼がこのような下劣なる闘争に巻き込まれているのだ……!?
 見知った名前は他にも出てきた。DIO。ジョナサンがここに呼び寄せられているという事は、このDIOというのも間違いなく、
 『あの』ディオ・ブランドーに間違いないだろう。タルカスの名も記載されていた。何と……何という事だ。

「ジョナサンが……」

 彼には無理だと、即座に思った。あの愚直なまでに人間を信じる紳士に、『殺し合い』などという外道の振る舞いが出来る筈がない。
 参加者の中にディオの名前があるという事は、奴と同じ『暗黒』の中に身を置く者も、少なからずいると考えられる。
 それらの下衆にとって、彼の『甘さ』は格好の的だ。ジョナサン・ジョースターの持つ気性は、あまりにもこの世界に向いていない。
 下手をすれば既に、彼は何らかの困難と対峙しているかもしれない……!

「…………」

 『デイパック』の中へと、取り出した『支給品』の山を仕舞い直し、担ぎ上げた。右手に持つは、数多の戦場でオレに『幸運』を齎してくれた剣。
 決断に、躊躇は微塵も無かった。既にオレは一度、否、二度に至る死を遂げている身。己の命に、最早執着心など持たぬ。

 ――オレは黒騎士ブラフォード。忠義を誓った主のために、剣を振るう一介の戦士。
 その主は今や、遥か遠き黄泉路の向こう。故にオレは、オレの望むがままに、この力を使わせてもらう。
 ジョナサン。君を守るために。



 磁石を頼りに北へと歩を進めて、10分程度が経過していた。周囲に広がる情景は、すっかり様変わりしている。
 『CLOSED』の看板が掛けられた、透明な壁の住居に目が留まる。地図に載っていた、アイスクリーム屋『レインボー』とかいう施設のようだ。
 アイスクリーム……イタリアからフランスに伝わったという菓子の一種か。スコットランド人のオレは目にした事すら一度も無いが、
 食料が心持たなくなった時は、ここに足を踏み入れる必要性が出てくるかもしれん。一応覚えておくとしよう。……ム?
 『レインボー』から視線を外して正面に向き直ってみると、淀んだ夜の闇を裂くように、月光を浴びて歩み寄ってくる一つの人影があった。
 いよいよ、というわけか。――望むところだ。何者であろうと、オレの行く手を阻むのならば斬り伏せてみせるのみ。

「フン……この黒騎士ブラフォードを相手に真正面から向かってくるとは、気に入ったァ! 名乗りを上げいッ!!」

 先手の咆哮を突きつけてやると、人影は怯むわけでもなく、至極冷静な調子でその場に足を止めてみせた。
 大した度胸だ、感服するぞ――そんな事を思いながら薄笑いを浮かべていたオレへと、真の驚嘆が襲い掛かってきたのはその直後だった。

「康一君……知らないかしら?」

 問いかけとともに、人影が再び一歩を踏み出した。月の光明に照らされて、ようやくその素顔が露になる。
 ――女だ。それも、まだ若い。腰の辺りまで伸ばされている、波状の黒髪が特徴的である。顔立ちから察するに、東洋の人間か。
 それにしても、『荒木』め……これは一体どういう事だ。奴は確かに『殺し合い』をしろと、この世界での掟を称した筈。
 女子供にまで、命の遣り取りを強要しようというのか? 何たる卑劣漢――戦士の風上にもおけん奴ッ!!

「――無礼を許してもらおう、女。オレに敵意はない、まずは落ち着いて話を――」
「康一君はどこ?」
「……ヌゥ」

 剣を下ろして無害を主張してみせたのだが、女はどうやら一種の興奮状態にあるようだ。こちらの声が耳に届いているのか、いないのか。
 これでは会話が成立しない。仕方があるまい、まずは向こうの質問に応じてやるとしよう。

「悪いが、この世界で他の人間に出会ったのは、女。キサマが初めてだ」
「……そう」

 落胆してみせると思ったのだが、返ってきた声は意外にも平坦なものだった。然程、沈鬱な表情にも見えない。
 元より期待はしていなかった、とでもいう事か。よく分からない女だ。しかし、これでようやくまともな会話に移る事が出来るだろう。

「だったら――」

 そう思って、女の元へと一歩を進めたとき。
 女の目付きが唐突に、鋭い矛の切っ先でこちらを射抜こうとしているかのような、険悪なものへと変貌した。
 オレは、その目をよく知っていた。戦場で幾度となく相対してきた、明確な殺意『のみ』を瞳孔に宿して、
 それ以外の全てを意識から取り払ってしまった者の――

 ――『狂人』の目だッ!

「――用は無いから、殺してやるわッ!」
「――ぐッ! ヌオオオオッ!?」

 少女の口から発せられるには、余りにも相応しくないその怒声と共に、オレの首へと『何か』が巻き付き、頚動脈を締め上げていく……!?
 い……息がッ! 何という不覚ッ! だがオレは何をされているッ!? 何なのだッ!? 女の方から『伸びてきている』これは……!?

 ――“意外! それは髪の毛ッ!!”

 こッ……この女、まさか屍生人なのかッ!? この伸縮自在の髪の力はッ! オレが屍生人であった頃のそれに酷似しているッ!
 何という圧力だ……首筋に髪が食い込んできているぞッ! ジョナサンはこれ程までに凄まじい束縛と戦っていたのかッ!
 し、視界が霞みはじめてきた……! このままではマズいッ! 『幸運』の剣で、この『髪』を切断しなくてはッ!

「させるワケがないでしょうッ!」
「……ッ!」

 鞭のように素早く撓った『髪』が、オレの右腕を容赦なく打つ。下手な騎士が放つ一太刀よりも、圧倒的に苛烈なその一撃を受けて、
 右腕全体に電流のような痛みが奔る。当然それは、剣を保持する五指の神経に至るまで渡っていき、僅かに痙攣した掌が、剣を――
 ――取り落とした。更に剣を拾い上げる間もなく、オレの両腕両足双方にまでも、自由を奪う『髪』の鎖が絡み付いていく。

「変わった喋り方してるわよね、あなた……いつの時代の人のつもり? 『騎士(ナイト)』気取りは結構だけれど、
 あたしに余計な時間を取らせた罰は重いわよ。『ラブ・デラックス』に引き千切られて……『狂い悶えるがいいわッ! 苦しみでねッ!!』」
「ひ……『引き千切られて狂い悶える』だとォォ……?」

 全身を強く圧迫し続ける『髪』の拘束に抗って、オレは唇を歪めてみせた。
 女は完全に、オレの身動きを封じたものとばかり思っているようだが、それは違う。
 オレにはまだ、この窮地を脱するための手段が一つ残されている。
 ――『運命』の悪戯を感じるなァ……オレと同じ『力』を持つ者よッ!!

「確かに……狂い悶えたい気分だ。……この『髪』を引き千切る『喜び』でなァ! 『死髪舞剣(ダンス・マカブヘアー)』ッ!!」
「えッ!?」

 『髪』の支配から逃れる術は、奇しくも同じ『髪』によるものッ! 地面に『幸運』の剣を落とした際、
 既にオレの『髪』は剣の柄を掴んでいたのだッ! オレの『髪』は第三の手として、両手と同等、否、それ以上に自由に物を操る事が可能ッ!
 『髪』から放った『幸運』の剣の一薙ぎで、オレを縛り付けていた全ての『髪』を纏めて両断してみせる。女の黒髪が、
 夜の暗黒へ熔け落ちるようにして舞った。惨殺処刑を待つのみだったオレの肉体は、これで晴れて自由の身となった訳だ。

「――あああああああああッ!! あんた……よくもッ! よくもあたしの大切な髪の毛をッ! 長さは幾らでも整えられるけど、
 毛先まではそうはいかないのよッ! 痛んだらどうしてくれるっていうのッ! このクソッタレがッ!!」
「フン! 気性は荒くともやはり女かァ……戦いの最中に髪の痛みを気にするなどとォ! 笑わせるんじゃあないぞッ!!」

 『幸運』の剣を右手に持ち直して、構えを取る。
 あの『髪』に捕まると危険だという事は、今の攻防で充分に理解出来た。最早、身体の自由を奪われるなどといった愚を犯すつもりはない。
 そしてこの女。多少の同情は感じるが、屍生人であるというのならば問答無用。その呪われた『能力』ごと、貴様の命を断ち切ってくれる。
 ――『人間としての』三百年ぶりのウォーミングアップにゃ、ちょうどいいィ相手だァ!

「ふざけるんじゃあねーわよッ! あんたのその口調の方がよっぽど時代錯誤で笑えるっていうのよッ! ウスラボゲッ! 殺してやるわッ!」
「面白いィィ! やってみせろォォ、女ァァァァッ!!」

 耳を劈く金切り声と共に、女の『髪』が異常なスピードで、その長さを伸ばし続けていく。ものの10秒もしない内に、
 オレの周囲は蛇のようにうねる膨大な量の『髪』に覆われていた。数で攻めてこようというのか……ククク、思い出す。まったく思い出すぞォ。
 エリザベス軍の圧倒的な物量を前に、オレは幾度となく孤軍奮闘を強いられた。だがその度にオレは敵を全て蹴散らして生き延びてきた!
 何故ならば。そう、何故ならばァ! オレは『77の輝輪』を成し遂げた、5人の勇者の内が一人ィィ!!

「黒騎士ブラフォードよォォォォォォォォッ!!」

 四方八方から噴流の如く飛び出してくる『髪』の束を、『幸運』の剣で斬り払いながら進んでいく。
 防ぎきれないと判断したものは、逆にこちらの『髪』で絡め取ってやる。慣れ親しんだ多対一の戦闘に、心地良く四肢が反応してくれていた。
 じわじわと距離を詰めていくうちに、女の表情が狼狽のそれへと近付いていくのが目に見えて分かった。固定観念を根本から崩されたような、
 イカサマを使い、表しか出ないように仕組んだ硬貨を投げたのに裏が出てきてしまった、とでも言うような滑稽なサマをしている。クク……!

「どうしたァ! 食い止めてみせろよォ女ァァァァッ!!」
「じょっ……冗談じゃあないわッ!!」

 そう言って、女が身を翻すのと同時に、『髪』の群れは瞬く間に、荒々しい大蛇からしみったれたミミズへと退化するようにして縮んでいく。
 決闘の最中に背を向けるというのか……フン! この女、屍生人である上に戦士としての誇りすら持ち合わせていないものと見える。

「つくづく救いがたいぞォォッ! 逃がすと思うかァァァァァッ!!」

 闇夜の中へと遠ざかっていく、女の小さな背中を追う。
 『幸運』の剣があるとはいえ、所詮は女の脚力。甲冑も着ていない今のオレにとっては、追いついてみせるのは容易い事。
 『レインボー』の横で女が曲がり、路地裏へと姿を消した。単純な競争では勝てぬと悟り、地形を利用してオレを欺こうというのか。下らん。
 ここは我々にとっての異界。迷路同然の場所なのだ。下手な逃走経路を組み立てようとすれば、迷い込む羽目になるのは、むしろ――

「――キサマの方だという事だ。女」

 建物同士の合間に出来た、道とすら呼べない細長い隙間の奥。乗り越えられる筈もない高さの壁に背中を預けて、女がこちらを向いている。
 行き止まり、という訳だ。呆気ない逃走劇だったなァ。さァ決闘の続きを――

「――降参だわ」
「……ム?」
「二度言わせないで。『観念した』って言ってるのよ。さっさとトドメを刺したらどう……?」
「…………」

 ……妙だ。余りにも諦めが良すぎる。第一、瞳の色を覗く限りでは、先刻までの獰猛な敵意は微塵も吹き飛んではいない。
 罠、というワケか。――下らん真似を。何を仕掛けるつもりかは知らぬが、この黒騎士ブラフォードを相手に小癪な策を弄するというのか。

「よかろう……女ァ! キサマが賭けの代償として差し出しているその命ッ! 下らない『策略』と共に纏めてェ! たたっ斬ってやるわァァァァ!!」

 立ち尽くしている女の下へと猛然と突っ込んでいき、眼前で剣を振りかぶったその瞬間に、死角の背後で何かが蠢く気配がした。
 正体は見ずとも決まりきっている。女の『髪』だ。無駄な事を……例え視界に映らぬ箇所からの不意打ちであろうとも、
 このオレの皮膚に触れる事すら出来ないという事は、先の攻防で存分に証明してみせたというのに。
 剣を振り上げたその瞬間が、隙になるとでも思っていたのか? オレにはキサマの『髪』を封じる、『第三の手』があるという事を忘れたか。
 背後から風を切って薙がれた足掻きの『髪』を、万端の警戒を敷いていたオレの『髪』が捕らえる。そうして防備の手段を失った女の頭部へと、
 『幸運』の剣を振り下ろし――

 ――その時になって異変に気付く事が出来たのは、『髪』の末端から触覚を通して伝わってきた、決定的な違和感ゆえの事であった。
 違う……こッ! これはッ! オレの『髪』が掴んでいる『もの』はァ! 『硬い! そして重いッ!!』とッ……止めきれぬッ!?

「うごおァッ!!」

 鎧の加護を失った脇腹へ、『それ』は強烈にぶち当たった。肋骨が砕け、内臓までも衝撃が突き抜けていく。踏みとどまる事など到底出来ず、
 オレの身体は、馬の後足に蹴り飛ばされたかの如き勢いで横っ飛びに弾かれた。『レインボー』の透明な壁を突き破って、
破片と共に店内の床へと落下する。剣を離さずにいられたのは、殆ど奇跡に近い。いや、それこそが『幸運』と言えるのか。

「――康一君から、聞いた事があったのよ……あらゆる物を『紙』に変えてしまうスタンド使いがいるってね。
 『これ』は強力な武器には違いないけれど、大き過ぎてデイパックの中には入りきらない。だから『紙』の状態で支給されていた……そして!
 『死髪舞剣』……だったかしら。あんたの真似をさせてもらったわッ! あんたのそのヘナチョコな『剣』じゃあ、
 『これ』とまともに打ち合ったってヘシ折れるだけよねェ――ッ!!」

 割り砕かれた透明の壁を跨ぎ越えて、女が建物の中へと入り込んできた。下品という言葉以外では形容し難い高笑いを上げて、
 女が『髪』に括り付けた『それ』を、聖剣でも持っているかのように誇らしく掲げてみせる。
 鍛冶屋が鉄を打つ際に使う、大型のスレッジ・ハンマー。なるほど、『髪』から察した奇妙な感触の正体にも、それで合点がいった。
 しかし……今重要なのはそこではないッ! 『スタンド』だと? あらゆる物を『紙』に変えるだと? ハッ! 『紙』に変える……だとォ!?
 『まさかッ! この『幸運』の剣もッ! そうだったというのかッ!?』
 女にも『幸運』の剣と同じ、『紙』の形で支給された『武器』があったという事なのかッ! その時は女の細腕ゆえ、
 持ち歩く事敵わずその場に放置したが、たった今それを取りに戻ってきて、『死髪舞剣』と同様の原理でオレを攻撃したというのかッ!!

「……ガハッ! うごォ……!」

 腹部へと食らったハンマーの一撃は、見事なまでにその威力を肉体へと浸透させてしまっていた。
 喀血は、内臓が深く傷つけられている証拠である。数え切れぬほどの戦場を乗り越えてきたが、これ程の深手を負ったのは初めての経験だ。
 客観的な視点で見るならば、オレの肉体は既に、戦闘者としてのコンディションを保ててはいないのだろう。自分自身、その通りだとも思った。
 ……無様な。オレは女を追い込んだと過信していたが、そうではなかったのだ。死地へと追い込まれていたのは、オレの方、だった。

 ――だが、しかし……!!

「オレは……黒騎士ブラフォード! これしきの痛み! へこたれぬわッ!!」

 『幸運』の剣を杖代わりにし、立ち上がってみせる。女の嘲笑がぴたりと止んで、月下の戦場に沈黙が下りた。
 己の背中へと剣を放り投げ、『髪』でその柄を掴み取る。言うまでもない。三百年の時を経た今も尚、オレの力であり続ける技。『死髪舞剣』。
 オレの真似をしただと? 齢二十にも満たぬ小娘が、不意打ち同然の一発を決めてみせただけで、
 このオレの誇り高き妙技を会得したつもりになっているなどと……

「許すと思うかァァァァァ――ッ!! 小娘ェェェェェ――ッ!!」
「いい加減に……しつっこいのよッ!!」

 双方同時に首を振り、互いの『髪』が空中で交差する。それが必然であるかのように、運命のように『髪』が絡み合う。
 その先端に縛られた『獲物』は、斬りつける時を待っている。打ちつける時を待っている。対峙する者の首を狙う、死神の鎌にも似た執着で。
 そうして、決着を告げる技の名は、紡がれた。

『――『死髪舞剣(ダンス・マカブヘアー)』ッ!!』

「……ッ!!」
「クク……!」

 『幸運』の剣とハンマーが、一寸違わぬタイミングで、加速を付けて振り下ろされる。表情の色を変えたのは、女の側だった。
 そう、女のハンマーはオレの頭部を真っ直ぐに狙っているが、オレは敢えてそれを斬り払おうとせず、
 ハンマーを持つ『髪』の方へと狙いを定めたのだ。『武器』同士の争いで勝ち目が無いというのなら、それを保持する根本の『腕』を断ち切る。
 これも戦場で培った、戦士としての経験があればこそ。戦いの年季の違いというものが、よく分かっただろう、女ァァ……?
 ――『髪』はバラバラになった。ハンマーを掴んでいた女の『髪』の先端は、勢い余って明後日の方向へと飛んでいく。
 これで終いだ。騎士にとっては絶好の間合い、尚且つこの至近距離では、『髪』による防備も間に合うまいィ!!

「とどめだァァァ! 女よォォォォ! 首をはねてそのあふれる血をもらうぞォォ!!」
「――待っていたわ」
「……何?」
「振り下ろしたその『髪』の方を……斬ってくれるのを待っていた。あんたの頭上で、あたしの髪の毛が宙に舞うから。
 『ラブ・デラックス』……あんたの頭皮に、あたしの『髪』は埋め込まれた。剣を持っているあんたの『髪』に……自由に動く、あたしの髪が……」
「……ッ!?」

 女の首へと伸びていた筈の『髪』が、頭部で蠢く僅かな『異物』に引っ張られて、戻ってくる。当然その先端が握った、『幸運』の剣と共に。
 ……『幸運』だと? それは一体、誰が齎すものなのだ? 『神』か? ならば問おう。『神』よ――
 ――何故『幸運』の剣先は、狙い済ましたようにオレの方を向いて、いるのだ……?

「――か」

 その先の呪詛を吐く事は、オレにはもう、出来なかった。
 『幸運』の剣に、声帯が位置する喉元を貫かれ、オレの身体は噴水のように溢れ出た鮮血の海へと、沈んだ。



 ――最初はもう、あの『荒木』とかいうヘナチン野郎に対する怒りで、頭がどうにかなりそうだったわ。
 でも、『支給品』の中に入っていた、『名簿』の名前を見つけた時に、そんなものは全て吹き飛んでいってしまった。
 康一君が……あたしの愛する康一君が、『殺し合い』に巻き込まれている。こんな現実を前にして、他の事へと意識を向けられると思う?
 ようやくあたし達、結ばれたのよ。『殺人鬼』が死んで、町に平和も戻ったッ! あたし達の『運命』は! ここから始まっていく筈だったのにッ!
 康一君は、あたしが守る……それを邪魔立てするようなヤツは、誰であろうと殺してやるわ。『こいつ』のように、ね。

「でも……まだ、生きているわね」

 出来損ないの口笛のように、酷く情けない呼吸音を発している、『騎士』を気取ったイカレた男。ブラフォードとか名乗ってたわね、そういえば。
 まさしく『虫の息』ってヤツかしら。可哀想な格好……もしもこの人が本当の『騎士』だというのなら、
 これ以上の屈辱は一生味わうことがないでしょうね。尤も、その一生ってヤツも、ここで終わる事になるんだけど。

「あんたが持ってるその剣、せっかくだから頂いていくわ。この金槌って重いんですもの。『紙』に戻して持ち運べたら良かったんだけど、ね――」

 そう言ってやった直後、不規則な瞬きを繰り返すだけだったブラフォードの目が、弾かれたように大きく見開いた。
 何か知らないけど、この剣はこいつにとって愛着のある『武器』みたいね。でも、『騎士』っていうなら分かるでしょう?
 勝者には略奪の権利があって、敗者にはそれをどうする事も出来ないってこと。潔くあの世で、理想の姫でも捜してなさい。……ん?
 ブラフォードが、血塗れの指で剣に触れている。柄を握るわけでもなく、ただ触れるだけ。まだ何かする気なの……!?

「……鬱陶しいのよッ!! 悪足掻きはよしなさいッ!!」

 伸ばした『髪』でブラフォードの頬をブッ叩いた。『エコーズACT2』のしっぽ文字をも容易く打ち落とす鞭打ち。
 そんなものを顔面に食らえば、普通なら痛みでのた打ち回り、『騎士』としての体裁を取り繕う事も出来ないくらい、
 泣きじゃくったっておかしくはない筈。なのに、こいつは。
 ……笑っていた。あたしに向かって『ざまあみろ』とでも言うように、満足気で不敵な笑みを、浮かべていた。
 左瞼が、痙攣してきた。『眼輪筋』がピグピグいって、暴力的な気分になる。こいつがナマイキな態度取るから。……ブッ殺してやるわッ!!

「さっさと死ねッ! ボゲッ!!」

 手加減一切無しのダメ押し。『髪』じゃあなくて、括り付けたハンマーでその顔面をブッ潰す。――静かになった。
 重たいハンマーを床に下ろして、ブラフォードの『髪』が絡みついた剣を拾い上げる。
 死んだっていうのに、随分根気良くへばり付いてるのね、この『髪』。中々解けないわ……クソッ! イラつくわねッ!
 ようやく柄の全体が露になって、そこに刻まれた『文字』を見た時、あたしは僅かに眉を顰めた。

 ――『UNLUCK』。

 ……何これ。『不運』ってこと? Yが足りなくてあたしの意訳に任せてんじゃあないのよ。
 『UN』の二文字だけ異様に赤くて太い。血で書いてあるの? おまけに、まだ乾いてないみたいだけど……
 ……ハッ! まさかさっき、ブラフォードが剣に触れていたとき……この二文字を書いていたというの?
 元は『幸運』の『LUCK』だった剣に、『UN』の二文字を継ぎ足して……『不運』の剣にしたというの? あたしへの当てつけにッ?
 ……ブラフォード。そういう事なの? 『オレの怨念は、お前に決して幸運など与えはしない』と……この『二文字』は、そういう事なの?

 左瞼が、またピグピグいった。

「ナマイキなのよォォォォォォ――ッ!! このクソッタレがッ!! このッ! このッ! このォォォ――ッ!!」



 結局あたしが『レインボー』を出たのは、ブラフォードの息の根を止めてから、更に10分くらいが経った後の事だった。
 まったく、我を忘れるところだったわ……こんな所でもたもたしてる訳にはいかないのよね、あたし。
 康一君が、危険な目に遭ってるかもしれないんですもの。もっと冷静にならなくちゃ。
 それに、決して無駄な時間じゃあなかった筈だわ。『不運』の剣……ちょっと切れ味は、悪くなったかもしれないけれど。

 『試し斬り』は、存分に出来たもの。

 それじゃあ、待っててね、康一君。
 あなたは必ず、あたしが守ってみせるわ――。



 山岸由花子の握り締めた『不運』の剣からは、涙のような真紅の雫が、静寂の杜王町に滴り落ち、点々と痕を刻んでいた。
 それを『愚者』の足掻きと取るか、彼が最期まで『勇者』であった事の証と取るかは――その者次第である。



【アイスクリーム屋『レインボー』周辺(C-02)/1日目/深夜】
【山岸由花子】
[スタンド]:『ラブ・デラックス』
[時間軸]:第4部終了後
[状態]:肉体・精神共に良好
[装備]:『不運』の剣
[道具]:支給品一式×2
[思考・状況] 1:康一を守る
        2:邪魔する奴は皆殺し



【黒騎士ブラフォード 死亡】


※大型スレッジ・ハンマーは、アイスクリーム屋『レインボー』の中に放置されました。

投下順で読む


時系列順で読む


キャラを追って読む

山岸由花子 35:恋人たちへ究極の問いを
黒騎士ブラフォード