唯一滴の勇気

E-04には地図上にホテル跡と表記されている通り、大規模な廃墟があった。
沖木島を観光地として売り出すために、巨額の資金を投資して建設されたものだが、
廃墟になっている事から分かる通り、結局は絵に書いた餅だったようだ。
何もない辺鄙な島に喜んでやってくる物好きな客は少なかった。

そんなホテル跡の入口辺りを、井上は支給品である薙刀を握りぶらぶらと歩いていた。
警察官という職業柄、彼は日々自身の肉体を練磨する事を怠らない。
そのお陰で彼の肉体は遠目から見てもがっちりとして逞しい。

ケツホルデス……

彼は心の中で呟いた。警察官として、いや、人間としてこんな殺し合いを許すわけにはいかないのは、
もはや言うまでもない事だ。しかし、そんな人間としての当り前の倫理以前にも、
井上にはケツホルデスを許すわけにはいかない理由がある。

井上はホテルの入り口の傍にある植え込みの縁の上に腰を下ろし、支給品の煙草に火を付けた。
たっぷりと煙を吸い込み、そして満足そうに吐きだした後、井上は煙草の灰を落としながら、
何でもない事かのように口を開いた。

「いるんだろ?いい加減にして出てこい」
物陰で服の裾のような何かがひらりと動いたのを、井上は見逃さなかった。
「信じて貰えないかもしれんが、俺は殺し合いには乗らんよ。俺は一応、警察に勤めているからな」
そう言うと、井上は再び煙を吸い込む。確かな緊張感が、井上と隠れている何者かを包み込んでいる。

しばらく待ってみたが、隠れている何者かは一向に井上の前に現れようとしない。
かといって、どこかへ逃げていくわけでもなく、ただ物陰の潜み続けている。
井上は溜め息と共に、煙を吐き出した。

膠着状態は続く。井上としてはさっさと物陰から出てきて欲しいのだが、そうは上手く事は運ばない。

(らちが開かんな。こりゃまた、初っ端から難儀な奴と出会っちまったのかもしれん。
 俺が殺し合いに乗っていないと言っても出てこないという事は、どういうことだ?
 ただ単純に躊躇しているのなら可愛いが、俺を殺そうと物陰で作戦を練っていたとしたら、
 ちょっと笑えない状況だ。なんにしても面倒な相手だ……)

ちりちりと、煙を吸い込んで煙草が短くなっていく。
(俺がこの膠着状態を破る切欠を作らないと駄目なのだろうか……)
短くなった煙草を指で弾いて捨て、井上は口を開いた。

「どういうつもりだ?さっさと出てきて欲しいんだがな。
 俺は誓って殺し合いには乗らない。お前も殺さない。怯える必要なんざないんだよ。
 ここまで言ってもまだ怖いってんなら、俺はこいつを地面に捨てておく」
井上は持っていた薙刀を目の前に捨てた。これで井上は無防備だ。
もし隠れている誰かが強力な武器で武装し、かつゲームに乗っているのであれば、非常に危険な状況だ。

「…………」

何者かの息遣いは確かに感じる。間違いなく誰かがそこの物陰に潜んでいる。
ついさっき、服の裾がはためいているのを井上は見逃さなかった。だから、間違いなくそこに誰かいる。
だが、物陰に潜む誰かは井上が武器を捨ててもなお、沈黙を保ったまま潜み続けていた。

井上は上手く事が運ばない事に苛立ちを感じながら、二本目の煙草に火を付けた。
煙草が支給品というのはなかなか有難い。苛立ちを抑える事が出来る。
となれば、煙草とはいえ、これからは大切に使っていかなければならない。
ゲーム開始早々二本も使ってしまったのは、案外勿体ない事なのかもしれない。

「ケツホルデスっていたよなぁ……主催者の事だが……
 俺がこのゲームに乗らない理由は二つある。一つは、こいつは言うまでもない事だが、
 どんな状況であろうと人を殺すのは人間として絶対の禁忌だからだ。
 二つ目は……ケツホルデスの言いなりになるのは、死んでも嫌だからだ」
遠い目をして、煙を吐きだした。

「俺はケツホルデスの事をずっとずっと前からよく知っているんだよ。
 奴は俺の事なんざ知りもしないだろうが……」
物陰に潜む何者かは、今驚いているだろうか。そういう反応をとってくれていると有難い。
俺としても、語る価値があるってもんだ。

「ケツホルデスってのは、まあ端的に言うととある犯罪グループのボスでな。
 俺は刑事という立場上、ずっとこいつを追いかけていてな……
 ところがなかなか上手くいかない。姿も名前も知っている女をどうして捕まえられないのかって、
 不思議に思うかもしれないが、世の中には自分の利益のためなら他人の悪さを見て見ぬふりするって奴が案外多くてよ」
井上は吐き捨てるように言った。

「それは警察組織でも変わらない。つまるところ、ケツホルデスってのは逃げるのが上手い。なかなか尻尾を掴ませないんだ。
 仮に掴んだとしても、さっき言った見て見ぬふりをする腐った連中を巧みに買収、恐喝し、悪事を揉みくちゃにする手腕を持っている。
 組織ぐるみで犯罪を犯していても、奴を逮捕する口実が見つからなければ逮捕できない……
 今までに何度かケツホルデスを追い詰められそうな機会があったが、いつも逃げられてしまった。だがな……」

井上の両目がきっと鋭くなる。ついに獲物を捉える瞬間までこぎつけた猛獣のように、その両目は覇気に満ちている。

「奴がここまで大がかりなゲーム、いや犯罪行為をしでかしたのは今回が初めてだ。
 そして奴は、知ってか知らずか、毎日毎日奴を捕えるために牙を研ぎ続けてきたこの俺をゲームに参加させた。
 奴を現行犯で逮捕するまたとないチャンスだ。このゲームは、俺とケツホルデスの最後の戦争なんだ」

殺気を込めてそう宣言すると、短くなった二本目の煙草を再び指で弾いて捨てた。

「だから、奴の手の平の上で踊ってたまるかと思ってな。俺は反逆するから、だから殺し合いのゲームでも殺さない」
「…………」

物陰の方に意識を集中させる。先ほどと違って、何者かが潜んでいるという気配を感じない。
井上は突然立ち上がり、全速力で物陰の方へと走った。案の定、そこには誰もいない。

「なんだよ。語り損かい……いったいなんだったんだ……」

【一日目/深夜/E-04 ホテル跡】
【井上カブレラ@本格的!ガチムチパンツレスリング】
[状態]:健康
[装備]:薙刀、煙草
[所持品]:基本支給品一式(パン残り2個)
[思考・行動]
基本方針:ケツホルデスと決着を付けるため、ロワに反逆する
1:いったいなんだったんだ……


弱音ハクは息を切らしながら荒れた山道を全力疾走する。頭の中は混乱の極みだ。
正直言ってどうして自分がこんなにまで必死で逃げているのか、自分でも理解出来ない。

「きゃあ!」
地面に露出した拳大の石に躓いて、ハクは盛大にずっこけた。
手足を派手にすり剥いてしまった。鼻血まで出ている。
ハクはあまりの痛さに呻いた後、自分の情けなさに嫌気が差して泣いてしまった。

「うううう……どうして、どうして私は逃げたの……?どうして私はこんなに臆病なの……?」
地面に座り込み、ついさっきの事を思い出していると自然に涙が流れてくる。

あの男の人はきっと普通にいい人なのだろう。ケツホルデスに反逆する、あの言葉に嘘はなかったと思う。
きっと警察官というのも全部全部本当で、きっと頼りになる人だったはずだ。
そう、私は頭の中ではそう分かっていたんだ。でもいざとなると、悪いイメージがどこからともなく湧いて出てきて……

自分の臆病さは本当に嫌になる。私はあの男の人がケツホルデスの事を話している時のあの怖い顔に、
きっと怯えてしまったんだわ。でも改めて考え直してみると、あの怖い顔は私を驚かそうとかしているわけじゃなくて、
ただ単純に、彼の話している内容そのもの……ケツホルデスへの怒りが顔に出ちゃっただけだったのよ……

彼の表情に、私は何も考えないで怯えちゃって、逃げる必要もないのにここまで逃げてきちゃった……
頭では分かってたのに!あの人は殺し合いには乗っていないって事くらい分かってたのに!
どうしていつもいつも土壇場になって逃げちゃうのよ!

「ううう……」

ティッシュなど持っていないので、鼻血の処理に困る。
仕方がないので、手で鼻血をふき取ったが、やはり一度ふき取ったくらいでは鼻血は止まらなかった。
何かで圧迫する必要があったので、仕方がなく服の裾で鼻を押さえる事にした。

鼻血と涙でべちゃべちゃになった顔を手で拭う。

「どうしようかな……もう一度あの人に会いに行こうかな……」

ホテル跡がある方向を見つめて、私はあの人の顔を思い浮かべる。
あの人、私がいきなり逃げちゃったりして、怒ってるんだろうな……
あの人、怖い顔の人だったし、出来れば会いたくない……警察官だし、頼りになるのは分かるけど。

ハクははっとなって気づく。言っている傍からまたネガティブな思考をしてしまっている。

(どうして私は“こう”なのかしら……勇気がないと、勇気を振り絞らないと……)

と思いつつ、ハクはとりあえず現実から逃避して、勇気を振り絞るためという口実の元に、
名簿に載った巡音ルカの名前に目を落とすのだ。彼女の親友、巡音ルカ……
早くルカに会いたい。会いたい……あの怖い男の人に会いに行くよりも、本音を言えばルカを探したい。

勇気を出すのは難しい。特にハクのようなタイプの人間にとっては。
現実から、困難から逃げて、逃げた後には合理化と自己正当化のオンパレード。
本人のみが自分は精一杯やったという慰めと偽の達成感に酔いしれる。挙句の果てが悲劇のヒロイン気どり。
ハクはそんな自分が嫌で嫌でたまらなかった。

強い自分に変わりたい、そんな思いはあるが、どうしても勇気を振り絞る事が出きない。
バトルロワイアルという状況なのだから、それは尚更なのかもしれない。

頑張れ、ハク。これからは、自分に負ける事がないように。

【一日目/深夜/E-05】
【弱音ハク@ボーカロイド】
[状態]:健康、鼻血、擦り傷多数
[装備]:
[所持品]:基本支給品一式(パン残り2個)、AK-47(残弾数不明)
[思考・行動]
基本方針:死にたくない。ルカに会いたい
1:どうしよう……
※服の一部と手が血塗れ

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最終更新:2010年02月19日 21:56
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