ダブル雪歩に花束を

スーツ姿のビジネスマン風の男が夜道を歩いていた。
ウェイトトレーニングでもこなしているか、男の体は鍛え抜かれた刃のように鋭い筋肉が備えられている。
それでもどういうわけなのか、男から漂う雰囲気に、彼の肉体から窺えるような鋭さはない。
それどころか、どこか愚鈍さすら窺えるのだから、彼の肉体自体とは正反対のオーラをこの男は放っている。

それもそのはずだった。彼、いかりやビオランテはいつ殺されるか分からないこのゲームに、心底怯えていた。
しきりに首を振って、眼球をコロコロと動かして辺りを気にするその様子からは、何の威厳も見えない。
その逞しい肉体とは裏腹に、ビオランテの心は非常に弱弱しいのである。
人は見かけによらないとはまさに彼のためにある言葉だ。ビオランテはその見かけによらず、ヘタレだ。

「ああ~。もう、もう最悪……!もう最悪や~もうあかん!」
目に涙を浮かべながら、大きな体をこれでもかというくらいに縮めている。
ぶつぶつと泣き言を呟きながら、彼は暗い夜道を弱弱しく歩いて、必死に隠れられる場所を探していた。

道の両脇には雑草が生えた茂みがあり、そこに隠れようと思えば隠れられるのだが、
ビオランテにその考えは元よりない。深夜にそんな得体の知れない茂みの中に分け入っていくなど考えられない。
彼にとって、それはあまりにも恐ろしすぎる行いだ。そんな事をすればきっと恐怖でどうにかなってしまうだろう。

「あかん……あかん……こわい……あかんわ、もうあかん……助けてえ」
いや、ただ夜道を歩いている時点でもうどうにかなってしまいそうなくらい恐怖しているのだから、
茂みになど入ったら、それはもう大変な事になる。

「え!ええええええええ!ええ!なになになになに!!」
ビオランテは突然喚き声をあげた。目の前に突然巨大な何かが現れたからだ。
巨大な何かはビオランテの前に立ちふさがり、ぴくりとも動かない。
怖い!タスケテ!もうあかん!ビオランテは全身総毛立ち、かちかちと震えた。

(あかんあかんあかんあかん!わしはもうここで死んでしまうわ!
 もうあかん!怖い怖い怖い怖い!…………え?)
爬虫類が背中をはいずり回る様な恐怖を全身に感じながら、ビオランテは何かに気付いた。
「あ……なんや……ただの建物か……」
騒々しい男である。

「あかんわ~この建物めっちゃ怖いわ~……気持ち悪いけどここに隠れなしゃあないかもしれん……」
一人でぶつぶつ呟きながら、ビオランテは一歩一歩すり足で建物へと近づく。
その内、すり足から匍匐前進にでも変わるのではないだろうか、と思える位の怯えようだ。
「あかん~……気持ち悪ぅ」

建物は何かの施設のようだ。落ち着いてみれば沖木火葬場と掘られた文字が見えたはずだが、
ビオランテは当然落ち着いていないので何も目に入らない。
正面の開かない自動ドアを無理やり開いて、ビオランテはそっと建物の中に忍び込んだ。
建物の中に入ってもやはり怖いものは怖い。どこか落ち着ける空間はないかと、辺りを見渡す。
障害者用トイレが目に映った。

「トイレか……嫌やなあ」
嫌やなあ、嫌やなあ、怖い怖いと言いながら、ビオランテは再びすり足を始める。
トイレは怖い。怖いけどこのままここにいるのはもっと怖い。
もっと怖いなら仕方がない。仕方がないなら行くしかない、と彼は自己完結した模様。

「す、すいませーん……入りますからねぇ」
何故か空いている障害者用トイレにノックするビオランテ。言葉が震えている。
恐怖のせいで頭がどうにかなってこんな意味のない事をしているのか、素でやっているのかは判断がつかない。
ゆっくりとトイレのドアを開いて、そぅっと中に入り、急いで鍵を閉めた。

「はあぁぁ……」
トイレの床に座り込み、特大の溜め息。トイレは勿論怖いが、閉鎖されている狭い空間であるから、
今までに比べてかなりマシだ。と思った次の瞬間、ビオランテの顔は驚愕に染まった。
「え!?えええええ!!何これ!!!なになになになに!!どういう事!?」
これはいったいどうした事だろうか。世にも奇妙な光景がビオランテの目に映った。
いきなり、何の切欠もなく突然、彼の前に何者かが姿を現したのである。

「えええええ!!誰誰誰!!もうやめてよもう~~」
ビオランテは殊更に怯え、裏返った声で悲鳴を上げた。目の前の何者かもビオランテと同じように怯えている。
そして、心なしか姿形までビオランテと似たような────

「あ……なんや……鏡か……」
つくづく騒々しい男だ。
「ええ~、やめてよもう。鏡とか怖いわ~」
ずりずりと、鏡が見えない位置まで床を這う。

「あかん……怖すぎる。わしなんかが参加出来るゲームちゃうわ……これ。
 わしには向いてへんわ……勝たれへん」
ビオランテは漸く落ち着ける場所を見つけて緊張の糸が切れたのか、つい悲しくなって涙をこぼした。
筋骨隆々の大男がさめざめと泣いているのだから、これだけ見苦しいものはなかった。

「ビリー署長らも、参加しとるのかしら……」
デイパックを見て、ふと名簿の事を思い出す。名簿を取り出して、眺めてみた。
ビオランテにとって予想外の名前がそこにあった。ビリー・ヘリントンなど、職場の同僚達の名前ではない。
彼らの参加は、なんとなく予想できていた。ビオランテが全く予想していなかった名前がそこにはあった。

「嘘やん……ユッキー……!」
名簿にしっかりと刻まれた萩原雪歩という名前。彼はそれを凝視して、呟いた。
彼は彼女の事が好きだった。彼女は新日暮里消防署内で唯一の女性にして、事務員を務めている。
それほど親しいわけではない。それどころか、彼は萩原雪歩とあいさつを交わす程度しか、今まで話した事がなかった。
臆病な性格だが、彼は今まで人見知りや人付き合いに苦労した覚えはない。だが、雪歩の前ではどうしても照れてしまい、
上手く舌が回らないのだった。

『ユッキー』という呼び名も、フランクなトータスやビリー署長が彼女をそう呼んでいるのを密かに真似しているだけで、
本人の前で言った事がない。別に言っても怒られないとは思うのだが、やはり気恥かしくて呼べない。

何故彼女の事を好きになったのだろうか。ビオランテはしばしば不思議に思う。
自分は生粋のガチホモだったはずなのに。女には興味がなかったはずなのに。
会話すらろくに交わしていないのに、何故こうも彼女の事を好きになってしまったのだろう。
答えはいつも出てこない。どれだけもっともらしい理由を添えてみても、何かが違う、というような気がしてくる。
自分はガチホモなのにどうして彼女の事が好きなのか、理由は分からないが、
彼女の事が好きだという気持ちだけは確かだった。

はたして、いつからだろうか。
彼女が笑っているのを見る事がたまらなく楽しくなったのはいつからだろう。
楽しげに、流暢に彼女と会話するトータスや署長に嫉妬するようになったのはいつからだろう。
彼女に挨拶をして貰えただけで、嬉しくてたまらなくなったのはいつからだろうか。

「ありえんわ……ケツホルデスありえんわ……ユッキー関係あらへんやん……
 新日暮里消防署はガチホモの巣窟ぞ。消防署からの参加者はガチホモだけっていうんが筋やろうが……」
彼女だけはなんとしても死なせるわけにはいかない。ケツホルデスへの怒りを燃やしながら、
彼は再びデイパックに手を突っ込んだ。強力な支給品さえあれば、わしやってなんとかやりようがある!

スポンっとデイパックから出てきたのは、綺麗な綺麗な花束だった。
デイパックに入っていた支給品はそれだけだった。ビオランテはあんぐりと口を開けて呆けた。

「嘘やん……なになになに?……何これ?わし、殺し合いの真っ最中にユッキーに花束届けに行くん?」
冗談にもほどがある。しかし、何度調べなおしても、デイパックには他には何も入っていなかった。
「あかんわ……もうあかんわ……詰みやわこれ……」
再び、ヘタレモードに戻ったビオランテ。名簿に乗せられた雪歩の名前を目にしながら、
ユッキー、ユッキー、とうわ言のように呟く彼の目には、やはり恐怖しかなかった。

「あれ……?」
ふと、妙な違和感に気づく。名簿がおかしい。彼の愛する萩原雪歩の名前が、なんと二つある。
見間違いかと思い何度も見直してみたが、やはり二つある。

「どういう事なんこれ。印刷ミスなんか?ユッキーと同姓同名の奴が参加しとるんか?」

まさかそんな偶然があるとは思えないが……
ビオランテは二つの名前を交互に見比べ、何故か感慨深げな様子で言った。

「ダブル……雪歩か……」
心なしか、ドヤ顔である。上手い事でも言ったつもりなのだろうか。
彼の手には、未だに美しい花束が握りしめられている。

【一日目/深夜/H-7 焼場】
【いかりやビオランテ@本格的!ガチムチパンツレスリング】
[状態]:健康
[装備]:花束
[所持品]:基本支給品一式(パン残り2個)
[思考・行動]
基本方針:雪歩を死なせたくない。だけど怖くて死にそう
1:どうしてユッキーが二人?


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最終更新:2010年01月19日 00:38
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