11 穢

【1日目、朝、店舗跡地、三木塚さち】

 ずっここで隠れていよう。
 そう思って閉じこもっているうちに、どうやらうたた寝をしてしまっていたようだった。
 びくりと目を覚ましたのは、サイレンと、それに続く放送によって、だ。
 暗闇の中の、さらに奥。放置されていた既に使われていない業務用冷蔵庫の中。
 その中にひっそりと身を隠しているが、それでも音と声が容赦なく耳に届く。
 何せ、この建物の中のスピーカーから聞こえてきているのだ。
 スーパーマーケットと、コンビニの中間くらいの大きさの店舗。いや、かつて店舗であっただろう建物。
 古く、さびの浮いた陳列棚やら壊れたレジスターの残骸やらが、唯一ここが店であった事を示していた。
 とはいえ彼女、三木塚さちは、それらを十分に認識していない。
 深夜に、例の鉄の棺桶から目覚めて、開催宣言を聞いた後、彼女はとにかく隠れられる場所を探して彷徨っていた。
 そして見つけたこの建物の中で、特に奥まった倉庫らしき場所に、小さく小さく身を潜めたのだ。
 この世のあらゆるものから、隠れようとして。

 覚醒し始めた頭で、彼女は朝の定時報告とやらを聞いていた。
 名が、無い。
 彼女がこの島に来る前から、唯一知っている名が、読み上げられていない。
 その事に、少し安堵した。
 そして半ば、当然のことのように受け止めていた。
 そうだ。彼女がそんなに易々と死ぬはずはない。
 それは確信と言うよりもむしろ信仰に近い。
 何故か?
 サチの唯一の友人である佐々良えみは、天使だからだ。
 それも、罪人に罰を下す、死の天使だからだ。
 この島にいるのが、真実殺人を犯した罪人ばかりだというのであれば、彼女が誰かを罰する事 ――― つまり、殺すと言うことだ ――― はあっても、誰かに殺されるなんて有り得ない。
 だが、しかし ――― 自分は、天使ではない。
 だから、怖いのだ。

 彼女は言う。「私たちは天使なのよ」
 エミにそう言われて、サチは舞い上がるほどの高揚感を覚えた。そして恍惚としたその陶酔に、ずっと浸っていたかった。
 エミと居る時間だけが、彼女の全てだった。
 エミと居るときだけ、彼女は自由だった。
 しかし、知っている。
 自分は天使ではない。エミとは違う。
 髪はぼさぼさで癖があり太い。
 目元はむくんで腫れている。
 肌はカサカサと乾いている。
 面皰が顔中を覆い、脂ぎっている。
 腕も、脚も太い。
 同年代の他の子よりも、たしかに胸は大きい。
 けれどもその下の腹部にも、むっちりと肉がまとわりついている。
 そうだ。サチは思う。
 私は醜く、そして穢れている。
 エミとは違う。
 エミとは、何もかもが違う。

 サチは思い浮かべる。
 艶やかな黒髪は細く、陽光に透けると微かに金色に耀く。
 涼しげな目元は、切れ長で見る者の心臓を射すくめる。
 しなやかな四肢はすらりと伸び、余計な贅肉などまるで無いほっそりとした体と相まって、正しくお人形のようだ。
 数ヶ月遅れで年は一つ下だが、背はサチより数センチ高い。
 彼女は、サチの持っていないもの、そして欲しいと願っているもの全てを持っている。
 そして何より ――― 彼女は、天使だ。
 エミが天使であることを、サチは微塵も疑っていない。それは確信と言うよりも、むしろ信仰に近かった。
 だから、怖いのだ。
 崇拝すればするほどに、サチはエミが怖くなる。
 自分も又、穢れているからだ。

 穢れた殺人者を集めたというこの島で、エミはそれら罪人を罰する天使である。
 しかし自分はどうだ?
 自分は天使ではない。それは痛いほどに分かっている。
 ならば ――― 罰せられるべき罪人ではないか。
 人を殺したから? 違う。
 もとより、自分は穢されているのだから。
 殺人者に見つかるのも怖い。しかし、エミと再会してしまうのも怖い。
 エミは彼女を友人だと言ってくれていた。
 2人とも、天使なのだと言ってくれていた。
 けれどもエミは知らない。
 彼女が既に穢されていることを。
 彼女はエミとは違い、天使なんかではないということを。
 それとも、或いは ――― 既に、知っているのかもしれない。

 こうして、サチはこの島で覚醒して以来、これまで出来うる限り目を背けていた一つの事実、一つの疑念に囚われている。
 果たして自分は、エミと共にいても許される存在なのだろうか? と。


 サイレンと放送で覚醒したものの、サチの意識はさほど鮮明ではない。
 ただ寝ぼけていた、というのとは少し違っている。
 閉めきった倉庫の奥。夜とはいえ南国。
 夏のねっとりとした蒸れた空気に、水分不足。
 そして、放送前から昇りだした日の光。
 サチにはまだ自覚症状はなかったが、彼女は軽い熱中症に罹り始めていた。
 熱いな、とそう感じ始め、しかしここから外に出るという決断も出来ずにいる。
 バッグの中にはボトルの水が入っているのだが、それを飲もうという方に気が回らない。
 実際には隠れ場所を探して彷徨っているときに喉が渇き、既に1本を飲み干し空けてしまっていたのだが、空けてしまってから、ここに隠れ続けるつもりならば節約しなければならないと思い、我慢しているのだ。
 しかし、その判断が彼女に軽い熱中症を引き起こさせている。
 目眩がし始め、漸くここにこのまま居るのは拙いのではないかと思い始める。
 力を入れ、扉を押す。
 押すが、既に踏ん張るのもきつくなっている。
 体ごと扉に体重を掛ける。掛けた、と思う。掛けているのか、倒れ始めているのか、それすら分からなくなっていた。

【1日目、朝、店舗跡地、高樹朝子】

 逃げよう、隠れよう。
 今のアサコの頭の中にある思考、或いは思考の残骸と呼べるものは、その二つだけだ。
 逃げよう。あの男から。いや、あの男達から。いやいや、あらゆる男達から、彼女は逃げ出したかった。
 隠れよう。あらゆる暴力から。あらゆる恐ろしいものから。あらゆる ――― 罪から。
 古びた作業場で殺人を見、そこから逃れた海岸沿いで襲われた。(厳密には、襲われ掛けた、ように思える状況になったのだが)
 その彼女に出来ることは、逃げること、そして隠れること。それだけなのだ。
 漸く見つけた建物に、アサコは慎重に近づく。日が昇りだした今、屋外にいればすぐに誰かに見つかってしまう。
 しかし、あの作業場のときのように、いきなり不用心に飛び込めば、先に隠れ潜んでいる誰かに襲われるかもしれない。
 恐る恐る、身体を低くし、辺りをうかがいながら中の様子をうかがう。
 ガラスの両開きの扉に大きな窓は、どこかに隠れようにも一目瞭然だった。
 何も置かれていないカラッポの棚やレジ台がある。廃棄されてから長いスーパーのようだ。
 かつてこの島に住人達が居たのだろうか?
 そうも考えるが、結局よくは分からない。
 さっきの作業場にしてもそうだ。本当に誰かが使っていたのか。又は、誰かが使っていたようなものを建てたのか。
 殺し合いという事それ自体意味が分からないのに、その舞台であるこの島のことなど、もっと分かりようがない。
 朝の日を背にして、入り口のとを押す。
 特に錆び付いたり軋んだりという様子もなく、それは難なく開いた。
 ゆっくりと中を伺う。
 棚の後ろや柱の陰に潜んでいる様子はない。
 低い姿勢のまま足を踏み入れる。
 アサコはそのとき、「誰かが追ってきて、こちらを襲う隙をうかがっては居ないか?」 という事ばかりに意識がいっていた。
 だから、例えば床に積もった埃や濡れた泥の靴跡を見逃したし、この直後に起きた物音の意味を理解するのに時間が掛かった。
 がたりという、金属に大きな物体がぶつかり、倒れる音。
 想定とはまるで異なる出来事だった。


 胸に耳を当て、呼吸を確かめる。
 顔立ちからすると、まだ幼い。十代半ばの未成年に思えた。
 思春期の少女らしく年相応に脂肪が付き、ふくらみ始めた胸は弾力とはりのある若々しさを感じさせる。
 面皰がいくつか顔にあったのも、少女の若さを証明していた。
 浅く、乱れた息。しかし、生きている。その事に安堵する。
 軽い熱中症だろう。アサコは経験からもそう判断した。
 バドミントン部の顧問もしていたアサコは、何度かそういう生徒を見ているし、救護もしている。
 彼女が持っていたであろうバッグを枕代わりに横にして寝かせる。
 飲み水が減るのは惜しいが、とはいえそうも言ってられない。
 ハンカチに自分のボトルの水を含ませ、額に置く。
 それからゆっくりと水を、口に含ませていく。
 手帳を使って扇ぎ、熱を冷ます。
 次第に、呼吸が落ち着き、穏やかな表情へと変わっていった。
 少女、三木塚さちが目を覚ますのはそれから十数分後のことになる。
 このときアサコは、この島で遭遇した様々な出来事も、そして殺人者が集められたという事前の説明も、全て忘れていた。


【参加者資料】 
高樹朝子 (タカギ・アサコ)
女・31歳・教員
罪:痴情のもつれの末の殺人
備考:衣服に乱れ
ポイント:100


三木塚さち (ミキヅカ・サチ)
女・15歳・女子中学生
罪:友人と共謀しての殺人
備考:軽い熱中症
ポイント:100



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最終更新:2011年11月10日 06:39
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