【1日目、朝、店舗跡地、三木塚さち】
ずっここで隠れていよう。
そう思って閉じこもっているうちに、どうやらうたた寝をしてしまっていたようだった。
びくりと目を覚ましたのは、サイレンと、それに続く放送によって、だ。
暗闇の中の、さらに奥。放置されていた既に使われていない業務用冷蔵庫の中。
その中にひっそりと身を隠しているが、それでも音と声が容赦なく耳に届く。
何せ、この建物の中のスピーカーから聞こえてきているのだ。
スーパーマーケットと、コンビニの中間くらいの大きさの店舗。いや、かつて店舗であっただろう建物。
古く、さびの浮いた陳列棚やら壊れたレジスターの残骸やらが、唯一ここが店であった事を示していた。
とはいえ彼女、三木塚さちは、それらを十分に認識していない。
深夜に、例の鉄の棺桶から目覚めて、開催宣言を聞いた後、彼女はとにかく隠れられる場所を探して彷徨っていた。
そして見つけたこの建物の中で、特に奥まった倉庫らしき場所に、小さく小さく身を潜めたのだ。
この世のあらゆるものから、隠れようとして。
覚醒し始めた頭で、彼女は朝の定時報告とやらを聞いていた。
名が、無い。
彼女がこの島に来る前から、唯一知っている名が、読み上げられていない。
その事に、少し安堵した。
そして半ば、当然のことのように受け止めていた。
そうだ。彼女がそんなに易々と死ぬはずはない。
それは確信と言うよりもむしろ信仰に近い。
何故か?
サチの唯一の友人である佐々良えみは、天使だからだ。
それも、罪人に罰を下す、死の天使だからだ。
この島にいるのが、真実殺人を犯した罪人ばかりだというのであれば、彼女が誰かを罰する事 ――― つまり、殺すと言うことだ ――― はあっても、誰かに殺されるなんて有り得ない。
だが、しかし ――― 自分は、天使ではない。
だから、怖いのだ。
彼女は言う。「私たちは天使なのよ」
エミにそう言われて、サチは舞い上がるほどの高揚感を覚えた。そして恍惚としたその陶酔に、ずっと浸っていたかった。
エミと居る時間だけが、彼女の全てだった。
エミと居るときだけ、彼女は自由だった。
しかし、知っている。
自分は天使ではない。エミとは違う。
髪はぼさぼさで癖があり太い。
目元はむくんで腫れている。
肌はカサカサと乾いている。
面皰が顔中を覆い、脂ぎっている。
腕も、脚も太い。
同年代の他の子よりも、たしかに胸は大きい。
けれどもその下の腹部にも、むっちりと肉がまとわりついている。
そうだ。サチは思う。
私は醜く、そして穢れている。
エミとは違う。
エミとは、何もかもが違う。
サチは思い浮かべる。
艶やかな黒髪は細く、陽光に透けると微かに金色に耀く。
涼しげな目元は、切れ長で見る者の心臓を射すくめる。
しなやかな四肢はすらりと伸び、余計な贅肉などまるで無いほっそりとした体と相まって、正しくお人形のようだ。
数ヶ月遅れで年は一つ下だが、背はサチより数センチ高い。
彼女は、サチの持っていないもの、そして欲しいと願っているもの全てを持っている。
そして何より ――― 彼女は、天使だ。
エミが天使であることを、サチは微塵も疑っていない。それは確信と言うよりも、むしろ信仰に近かった。
だから、怖いのだ。
崇拝すればするほどに、サチはエミが怖くなる。
自分も又、穢れているからだ。
穢れた殺人者を集めたというこの島で、エミはそれら罪人を罰する天使である。
しかし自分はどうだ?
自分は天使ではない。それは痛いほどに分かっている。
ならば ――― 罰せられるべき罪人ではないか。
人を殺したから? 違う。
もとより、自分は穢されているのだから。
殺人者に見つかるのも怖い。しかし、エミと再会してしまうのも怖い。
エミは彼女を友人だと言ってくれていた。
2人とも、天使なのだと言ってくれていた。
けれどもエミは知らない。
彼女が既に穢されていることを。
彼女はエミとは違い、天使なんかではないということを。
それとも、或いは ――― 既に、知っているのかもしれない。
こうして、サチはこの島で覚醒して以来、これまで出来うる限り目を背けていた一つの事実、一つの疑念に囚われている。
果たして自分は、エミと共にいても許される存在なのだろうか? と。
サイレンと放送で覚醒したものの、サチの意識はさほど鮮明ではない。
ただ寝ぼけていた、というのとは少し違っている。
閉めきった倉庫の奥。夜とはいえ南国。
夏のねっとりとした蒸れた空気に、水分不足。
そして、放送前から昇りだした日の光。
サチにはまだ自覚症状はなかったが、彼女は軽い熱中症に罹り始めていた。
熱いな、とそう感じ始め、しかしここから外に出るという決断も出来ずにいる。
バッグの中にはボトルの水が入っているのだが、それを飲もうという方に気が回らない。
実際には隠れ場所を探して彷徨っているときに喉が渇き、既に1本を飲み干し空けてしまっていたのだが、空けてしまってから、ここに隠れ続けるつもりならば節約しなければならないと思い、我慢しているのだ。
しかし、その判断が彼女に軽い熱中症を引き起こさせている。
目眩がし始め、漸くここにこのまま居るのは拙いのではないかと思い始める。
力を入れ、扉を押す。
押すが、既に踏ん張るのもきつくなっている。
体ごと扉に体重を掛ける。掛けた、と思う。掛けているのか、倒れ始めているのか、それすら分からなくなっていた。
【1日目、朝、店舗跡地、高樹朝子】
逃げよう、隠れよう。
今のアサコの頭の中にある思考、或いは思考の残骸と呼べるものは、その二つだけだ。
逃げよう。あの男から。いや、あの男達から。いやいや、あらゆる男達から、彼女は逃げ出したかった。
隠れよう。あらゆる暴力から。あらゆる恐ろしいものから。あらゆる ――― 罪から。
古びた作業場で殺人を見、そこから逃れた海岸沿いで襲われた。(厳密には、襲われ掛けた、ように思える状況になったのだが)
その彼女に出来ることは、逃げること、そして隠れること。それだけなのだ。
漸く見つけた建物に、アサコは慎重に近づく。日が昇りだした今、屋外にいればすぐに誰かに見つかってしまう。
しかし、あの作業場のときのように、いきなり不用心に飛び込めば、先に隠れ潜んでいる誰かに襲われるかもしれない。
恐る恐る、身体を低くし、辺りをうかがいながら中の様子をうかがう。
ガラスの両開きの扉に大きな窓は、どこかに隠れようにも一目瞭然だった。
何も置かれていないカラッポの棚やレジ台がある。廃棄されてから長いスーパーのようだ。
かつてこの島に住人達が居たのだろうか?
そうも考えるが、結局よくは分からない。
さっきの作業場にしてもそうだ。本当に誰かが使っていたのか。又は、誰かが使っていたようなものを建てたのか。
殺し合いという事それ自体意味が分からないのに、その舞台であるこの島のことなど、もっと分かりようがない。
朝の日を背にして、入り口のとを押す。
特に錆び付いたり軋んだりという様子もなく、それは難なく開いた。
ゆっくりと中を伺う。
棚の後ろや柱の陰に潜んでいる様子はない。
低い姿勢のまま足を踏み入れる。
アサコはそのとき、「誰かが追ってきて、こちらを襲う隙をうかがっては居ないか?」 という事ばかりに意識がいっていた。
だから、例えば床に積もった埃や濡れた泥の靴跡を見逃したし、この直後に起きた物音の意味を理解するのに時間が掛かった。
がたりという、金属に大きな物体がぶつかり、倒れる音。
想定とはまるで異なる出来事だった。
胸に耳を当て、呼吸を確かめる。
顔立ちからすると、まだ幼い。十代半ばの未成年に思えた。
思春期の少女らしく年相応に脂肪が付き、ふくらみ始めた胸は弾力とはりのある若々しさを感じさせる。
面皰がいくつか顔にあったのも、少女の若さを証明していた。
浅く、乱れた息。しかし、生きている。その事に安堵する。
軽い熱中症だろう。アサコは経験からもそう判断した。
バドミントン部の顧問もしていたアサコは、何度かそういう生徒を見ているし、救護もしている。
彼女が持っていたであろうバッグを枕代わりに横にして寝かせる。
飲み水が減るのは惜しいが、とはいえそうも言ってられない。
ハンカチに自分のボトルの水を含ませ、額に置く。
それからゆっくりと水を、口に含ませていく。
手帳を使って扇ぎ、熱を冷ます。
次第に、呼吸が落ち着き、穏やかな表情へと変わっていった。
少女、三木塚さちが目を覚ますのはそれから十数分後のことになる。
このときアサコは、この島で遭遇した様々な出来事も、そして殺人者が集められたという事前の説明も、全て忘れていた。
【参加者資料】
高樹朝子 (タカギ・アサコ)
女・31歳・教員
罪:痴情のもつれの末の殺人
備考:衣服に乱れ
ポイント:100
三木塚さち (ミキヅカ・サチ)
女・15歳・女子中学生
罪:友人と共謀しての殺人
備考:軽い熱中症
ポイント:100
最終更新:2011年11月10日 06:39