花村庄一の最期の記憶を書き出す事にする。
彼は小さな鉄工所を経営していた。破産し家族と共に無理心中を図ったが、図らずも自分一人が生き延びてしまった。
結果、彼は死ねなくなった。
妻と2人の娘を殺しながら、しかし自分だけが生き延びてしまったという現実が、あまりにも怖くなってしまったのだ。
酒に逃げ、或いは鬱々としたまま日々を過ごしていた彼は、何故かいつの間にかこのようなツアーに連れてこられ、そして今まさに死に瀕している。
ぱん、ぱん、と、破裂音がした。
その前にも聞こえていたが、恐らく自分に当たったのはその二つだ。
まずは、太腿。そして、脇腹だった。
最初、痛み、というのはさして感じなかった。
それでも地面に倒れ、その湿った感触を顔面で感じた頃から、徐々に体が現実を知り始めてきた。
痛い。
或いは、熱い。
痛みと熱の中間か、その両方がない交ぜになった感覚が、腹と太股にじわりじわりと広がりだした。
そこでようやく、ハナムラは自分が撃たれたという事を理解した。
撃たれた。
銃だ。多分そうだ。
銃撃など、映画やドラマでしか知らぬ。
あれでは確か、もっと重厚な音がしていた様にも思うが、それでもやはり、自分は撃たれたのだろう。
あの少女か?
先程、自分の目の前に現れた、天使のように愛らしい少女。
南の島に些か不似合いな、ふわりとした柔らかなワンピース。
艶やかなストレートの黒髪。
その姿ははっきりと、しかし何処か朧気で曖昧なまま、ハナムラの脳裏に焼き付いている。
だが、と、ハナムラは思う。
違うように思う。
自分を撃ったのは、あの少女ではない。
少女は、ハナムラの持っていた錆びた鎌を手にして斬りつけてきた。
そしてそのまま、慌てふためき逃げるハナムラを、走って追いかけてきていた。
銃があれば、初めから撃っている。
少女に斬りつけられたときにはあれほど狼狽していたハナムラは、撃たれて地面に倒れた今、何故だか少し、冷静さを取り戻していた。
しかしそれは、ハナムラにとって幸運なこととは言い難かった。
少しばかり冷静さを取り戻しても、この現状を打破する術はない。
銃を持った誰かは未だ近くにいるはずで、また、少女も後を追ってきていたのだ。
そして何より、この脇腹と太腿に受けた傷は、決して軽いものではない。
脂汗が滲み、目の中に入る。
それが染みて痛むが、けれどもそれ以上に腹と太股が痛い。
死ぬ。
自分はもうじき死ぬ。
ハナムラの意識は僅かに冷静さを取り戻したことで、明確にそれを悟ってしまった。
と同時に、それがすぐさま死ぬと言うことではないことも、分かってしまった。
ぶるぶると痙攣するように震える。
息が浅く早くなる。
次第にぬらりとした濡れた感触が地面と体の間に広がっていく。
血だ。
血が、どんどんとあふれ出て、体の中から失われていく。
ハナムラの生命が、地面に染みだし吸い込まれていく。
傷口は熱く燃えるようだが、体全体は次第に冷えて寒くなっていく。
そして、動けない。
脚に力が入らぬ。腹にも力は入らぬ。
或いは、もっと気力があればそれも叶ったかもしれない。しれないが、今のハナムラにその気力は無いし、また立ち上がったところでもう一度撃たれるだけだろう。
何より、ハナムラは今、恐ろしかった。
死ぬことが、ではない。
死して、自分が殺した妻と娘に会うことが、何よりも恐ろしかったのだ。
死後の世界や、霊魂を信じるかどうかと言うこととは無関係に、ただひたすら、ハナムラはそれが怖かった。
自分は死ぬ。
その事を明確に意識してから、ハナムラは強い恐怖と混乱に襲われた。
些かでも冷静さを取り戻してしまったが故に、その恐れに追いつかれてしまったのだ。
意識が、混乱と恐怖に支配された。
痛みと熱が、それらを加速し渦となって増幅した。
その混濁した意識は、失血と共にとぎれがちになり、それでも完全に失われぬまま、かなりの時間が経ったようだった。
それはハナムラにとって数時間でも数十時間でもあり、或いは数分でも数秒でもあるかのような時間だった。
不意に、光が見えた。
閃光のような光が視界に入り、それはすぐに消えたが、その残滓が目の端に残っていた。
残っていた光が、徐々に大きく広がり始める。
その光の中に、誰かがいた。
誰か。
少女だ。
あの少女だろうか。
あの少女なのかも知れない。
しかしもしかしたら、自分が殺してしまった娘なのかもしれない。
既にハナムラは、それらを分別できるだけの意識を失いつつあった。
ひゅる ひへ
乾いた唇の端から、音が漏れた。
ひゅる ひて ふれ
白く耀くその少女に、或いは、自らが殺めた娘に向かい、ハナムラはただそう繰り返した。
ひゅる ひけ うれ
おほう はん ほ ひゅる ひへ ふえ
懇願、であった。
ただひたすら、それだけを祈っていた。
その声に応えて、光の中で、小さく、しかし明瞭に声がした。
「赦します」
「あなたの罪を赦します」
「あなたの罪を、浄化します」
「あなたの罪を、私が、浄化します」
あの少女か、自分の娘か、或いは、天使なのか。
何も分からぬまま、ハナムラはその言葉に涙した。
それが、花村庄一の最期に観たものであり、最期に聞いた言葉だった。
【参加者資料】
花村庄一 (ハナムラ・ショウイチ)
男・54歳・鉄工所経営者
罪:無理心中を試みての妻子の殺害
ポイント:100
【死亡】
最終更新:2011年07月15日 21:20