09 懇願


 花村庄一の最期の記憶を書き出す事にする。
 彼は小さな鉄工所を経営していた。破産し家族と共に無理心中を図ったが、図らずも自分一人が生き延びてしまった。
 結果、彼は死ねなくなった。
 妻と2人の娘を殺しながら、しかし自分だけが生き延びてしまったという現実が、あまりにも怖くなってしまったのだ。
 酒に逃げ、或いは鬱々としたまま日々を過ごしていた彼は、何故かいつの間にかこのようなツアーに連れてこられ、そして今まさに死に瀕している。
 ぱん、ぱん、と、破裂音がした。
 その前にも聞こえていたが、恐らく自分に当たったのはその二つだ。
 まずは、太腿。そして、脇腹だった。
 最初、痛み、というのはさして感じなかった。
 それでも地面に倒れ、その湿った感触を顔面で感じた頃から、徐々に体が現実を知り始めてきた。
 痛い。
 或いは、熱い。
 痛みと熱の中間か、その両方がない交ぜになった感覚が、腹と太股にじわりじわりと広がりだした。
 そこでようやく、ハナムラは自分が撃たれたという事を理解した。
 撃たれた。
 銃だ。多分そうだ。
 銃撃など、映画やドラマでしか知らぬ。
 あれでは確か、もっと重厚な音がしていた様にも思うが、それでもやはり、自分は撃たれたのだろう。
 あの少女か?
 先程、自分の目の前に現れた、天使のように愛らしい少女。
 南の島に些か不似合いな、ふわりとした柔らかなワンピース。
 艶やかなストレートの黒髪。
 その姿ははっきりと、しかし何処か朧気で曖昧なまま、ハナムラの脳裏に焼き付いている。
 だが、と、ハナムラは思う。
 違うように思う。
 自分を撃ったのは、あの少女ではない。
 少女は、ハナムラの持っていた錆びた鎌を手にして斬りつけてきた。
 そしてそのまま、慌てふためき逃げるハナムラを、走って追いかけてきていた。
 銃があれば、初めから撃っている。
 少女に斬りつけられたときにはあれほど狼狽していたハナムラは、撃たれて地面に倒れた今、何故だか少し、冷静さを取り戻していた。
 しかしそれは、ハナムラにとって幸運なこととは言い難かった。
 少しばかり冷静さを取り戻しても、この現状を打破する術はない。
 銃を持った誰かは未だ近くにいるはずで、また、少女も後を追ってきていたのだ。
 そして何より、この脇腹と太腿に受けた傷は、決して軽いものではない。
 脂汗が滲み、目の中に入る。
 それが染みて痛むが、けれどもそれ以上に腹と太股が痛い。
 死ぬ。
 自分はもうじき死ぬ。
 ハナムラの意識は僅かに冷静さを取り戻したことで、明確にそれを悟ってしまった。
 と同時に、それがすぐさま死ぬと言うことではないことも、分かってしまった。
 ぶるぶると痙攣するように震える。
 息が浅く早くなる。
 次第にぬらりとした濡れた感触が地面と体の間に広がっていく。
 血だ。
 血が、どんどんとあふれ出て、体の中から失われていく。
 ハナムラの生命が、地面に染みだし吸い込まれていく。
 傷口は熱く燃えるようだが、体全体は次第に冷えて寒くなっていく。
 そして、動けない。
 脚に力が入らぬ。腹にも力は入らぬ。
 或いは、もっと気力があればそれも叶ったかもしれない。しれないが、今のハナムラにその気力は無いし、また立ち上がったところでもう一度撃たれるだけだろう。
 何より、ハナムラは今、恐ろしかった。
 死ぬことが、ではない。
 死して、自分が殺した妻と娘に会うことが、何よりも恐ろしかったのだ。
 死後の世界や、霊魂を信じるかどうかと言うこととは無関係に、ただひたすら、ハナムラはそれが怖かった。
 自分は死ぬ。
 その事を明確に意識してから、ハナムラは強い恐怖と混乱に襲われた。
 些かでも冷静さを取り戻してしまったが故に、その恐れに追いつかれてしまったのだ。

 意識が、混乱と恐怖に支配された。
 痛みと熱が、それらを加速し渦となって増幅した。
 その混濁した意識は、失血と共にとぎれがちになり、それでも完全に失われぬまま、かなりの時間が経ったようだった。
 それはハナムラにとって数時間でも数十時間でもあり、或いは数分でも数秒でもあるかのような時間だった。

 不意に、光が見えた。
 閃光のような光が視界に入り、それはすぐに消えたが、その残滓が目の端に残っていた。
 残っていた光が、徐々に大きく広がり始める。
 その光の中に、誰かがいた。
 誰か。
 少女だ。
 あの少女だろうか。
 あの少女なのかも知れない。
 しかしもしかしたら、自分が殺してしまった娘なのかもしれない。
 既にハナムラは、それらを分別できるだけの意識を失いつつあった。

 ひゅる ひへ

 乾いた唇の端から、音が漏れた。

 ひゅる ひて ふれ

 白く耀くその少女に、或いは、自らが殺めた娘に向かい、ハナムラはただそう繰り返した。

 ひゅる ひけ うれ

 おほう はん ほ ひゅる ひへ ふえ

 懇願、であった。
 ただひたすら、それだけを祈っていた。

 その声に応えて、光の中で、小さく、しかし明瞭に声がした。

「赦します」
「あなたの罪を赦します」
「あなたの罪を、浄化します」
「あなたの罪を、私が、浄化します」

 あの少女か、自分の娘か、或いは、天使なのか。
 何も分からぬまま、ハナムラはその言葉に涙した。

 それが、花村庄一の最期に観たものであり、最期に聞いた言葉だった。


【参加者資料】 
花村庄一 (ハナムラ・ショウイチ)
男・54歳・鉄工所経営者
罪:無理心中を試みての妻子の殺害
ポイント:100
【死亡】


前へ 目次 次へ
08 嬲 10 閃光

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2011年07月15日 21:20
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。