【1日目・夜・須鹿満千夫】
吐いて、戻した。
胃液の饐えた匂いと、島特有の潮の匂いが、鼻腔を通じて混ざり合う。
その匂いによって更に嘔吐感が増し、もう一度吐いた。
夕方に食べた晩餐のメニューが、全てある。ローストビーフに、海老、様々なフルーツ。
流石の食い意地も、今度ばかりは仇になっている。
もったいねぇ。
吐きながら、思わずそう思う自分に、我ながら呆れる。
喰って寝るだけの生活があまりに板に付きすぎだ。
嗚咽を数度漏らし、喉の奥に絡んだ残りの吐瀉物を吐き出す。
それでも気持ち悪い感触が残り、バッグからボトルを取り出して、口と喉をすすいだ。
「…っけんなよ…」
小さく悪態を付くが、そこに力はない。
小太りの身体を包むのは、だぶだぶのTシャツに、やはり大きめのミリタリー柄のハーフパンツ。
Tシャツにはどろどろのゾンビがプリントされていて、少しでも上品な場所に行けば眉をしかめられるデザインだ。
極端な坊主頭にキャップを被り、イミテーションの金ネックレス。
彼を街中で見かけたなら、半数の人は「たちの悪いチンピラ」と判断するだろう。
残りの半数の内何人かは、「ギャングスタ気取り」と言うかも知れない。
実際のところ、後者が正解だ。
ミチオは、高校を中退した後、しばらくはバイトを点々として、しまいにはそれすらもしなくなった。
親は地元の土建屋で、バブルの頃ほどとは言わないが、それなりに余裕がある。
近くの市街化調整区に所有している土地にガレージを建てており、ミチオはそこを好き勝手に使っていた。
そこで、数人の仲間と、時間を潰す毎日だ。
ライブをやろう、なんて話を時折する。仲間内ではヒップホップの話題が多い。雑誌で見たギャングスタファッションを真似て、つてを使って先輩DJからトラックを貰い、リリックを考えてラップを作る。
稚拙だがそれなりの形になったときに、よし、これで世界を相手にしてやろう、等と盛り上がる。
勿論、実際にライブを開いたことは一度もない。
「こんなん、マジ、あり得ねーよ…」
咽せながら、再び小さく愚痴る。
なんでこんな事に。そう自問したところで、答えは出てこない。
自分がこのツアーに参加した経緯すらよく思い出せない。
自分の頭の中を弄くり回されたんじゃないという気すらする。するが、鮮明なあの記憶だけは、紛れもない事実であったと、そう考える。
ハンドルを切り、ブレーキを踏み、しかしそれでも勢いは止まらず、そのまま突っ込んだ。
1人が死に、4人が怪我をした。
怪我人の1人は自分で、もう1人は道を歩いていた老人。2人は同乗していた仲間で、内1人は脊髄を損傷して今も病院のベッドの上だ。
死人は助手席にいた中学の頃からの友人。
俺が、殺した。
その記憶は、間違いなく事実であったと、ミチオは覚えている。
いや、思い出している。
この島に来てしばらくは、何故だかすっかり忘れていたというのに。
しばらくはそこで、うずくまるように、或いは這い蹲るようにして喘いでいた。
30分くらいはそうしていたかもしれない。
ようやく少しは落ち着いてきた頃、茂みの向こうから声が聞こえた。
【1日目・夜・花村庄一】
天使のようだった。
ふわりとしたレースに彩られた、あたかも西洋人形の着る服だ。
些か蒸し暑いこの島の気候に、それは確かに不似合いであったが、それでもその少女にはピッタリで、だからこそそれを見て、天使のようだと思ってしまった。
男、花村庄一にとってその考えは些かに突飛で、自分自身そう思って後に、やはりあまりに柄にもないと顔を赤らめた。
彼はそう言った類のメルヘンに興味があるわけでもなく、また宗教的な意味でも天使などとは無縁だ。
一応浄土真宗の檀家ではあるが、別に熱心な信徒でもない。彼にとってそれは、ただの墓の管理人程度の意味しかない。
その墓に、妻と2人の子どもが入っている。
「どうしたんですか?」
少女はそう問いかけてきた。
現実味の無いふわふわした場の空気に、やはり現実味のない声だ。
問われて、ハナムラは今どうして自分が此処にいて、どういう状況なのかを思い出した。
思い出したが、さりとてそれではどう返すべきかが分からない。
子ども、だ。
年の頃は15~6というところだろうか。或いはもっと若いかも知れない。
生きていれば、自分の2人の子も、あと4~5年でこのくらいまで成長しただろう、と思う。
目元は少し細く、けれども涼やかでもある。
鼻筋が通っていて、些か日本人離れした印象があり、それがこの西洋人形のような服装と相まって、彼女の印象をより際だったものとしている。
腕輪をしていること。肩にデイバッグをかけていることなどから、やはり彼女も先程の宣言にあった「ゲーム」の参加者なのだろう。
しかし、果たしてそうなのか?
ハナムラは疑問に思う。
あの声は、此処にいる参加者全てが殺人者だと言った。
そして少なくともハナムラに関して言えば、それは真実であった。
彼は、妻と2人の子を殺した。
無理心中を図り、妻と子どもを乗せた車の中で、炭酸ガスを吸い、共に死ぬ。
そのはずだった。そのはずだが、彼だけ生き延びてしまった。
残されたのは、借金まみれの鉄工所と、その経営者である彼1人。
だがしかし。
目の前にいるこの少女が、果たして本当に殺人者なのか?
ハナムラには俄に信じられない。
若いから、女だからと言って、無条件に無垢でか弱いなどと言うほどに、ハナムラも若くはない。
女であっても犯罪は犯すし、子どもとはいえ暴力の加減の分からぬものもいる。
そうは思うが、とはいえこの少女に関して言えば、やはりそうは思えなかった。
或いは、それは何らかの過失によるものなのかもしれない。
ハナムラとて、妻子を殺して自分だけが生き残ろうというつもりは毛頭無かった。
共に死ぬ。そのつもりであったが、結果、妻子のみを殺し生き延びた。だから彼は、殺人者なのだ。
その後、もう自分も死のうと何度も思った。
けれども、一度死に損なった彼は、自ら死のうとすることが出来なくなっていた。
死ぬことが、恐ろしくなったのだ。
首を括ろうと、工場の鉄骨にザイルをかける。作った輪に首を差し込み、今行くぞと心に思うと、不意に地面から数多の手が伸びてきて、彼を引っ張る。
そして恨みに満ちた、妻子の顔が浮かんでくる。
ハナムラは、自分が妻子に恨まれていると、そう思っていた。
そしてその恨みが、とてつもなく恐ろしくなった。
熱心な信徒でもなく、死後の世界、地獄や極楽を信じていたわけでもないというのに、彼は自分が死んだ後、妻子の恨みに直面するであろうという考えがぬぐえなくなった。
死にたいが、死ぬのが怖い。死ぬこと自体ではなく、死んで妻子に会うかも知れぬと考えることが、怖い。
馬鹿げた妄執だとそう思うが、それでもやはり、怖かった。
「だいじょうぶですか?」
再び、少女がそう問うた。
暗い回想から意識を引き戻され、ハナムラは少女を見た。
少女は、その手に錆びた鎌を持っていた。
あ、と思った。
それは、ハナムラのバッグに入っていたものだ。
つまりは、ハナムラに与えられた武器なのだ。
少女はそれを右手に持ち、掲げて、振るってきた。
【1日目・夜・佐々良えみ】
最初の一閃は、僅かに肩口を掠めたに留まる。
首を狙ったのに、巧くいかないものだと思う。
そのままもう一度振ったそれは、今度は男の鼻先を掠め、僅かに肉を抉る。
錆びた鎌である。殺傷力などたかが知れている。
それでも、彼女にとってこれはまだ、手軽に扱える部類の武器であった。
そこにきて、呆然としていたようだった中年男は、ようやく声にならぬ声を上げた。
「お具合でも悪いのですか?」
エミはそう問いながら、もう一度鎌を振るう。
男は後じさる。ただ、ひぃと声を漏らしつつ後じさる。
身体的な能力で言えば、男のそれはエミの遙か上を行っただろう。
もし男がここで、その肉体を武器に反撃に出てくれば、エミは容易く組み敷かれていたかもしれない。
けれども、男はそうしなかった。
出来なかった。
何故出来ないかを、エミは知らぬし、分からない。
頬を抉られて、男は反転してよたよたと走り出す。
遮二無二、それはむしろ戦いから、攻撃から、人から逃げ出すと言うよりも、まるで怨霊か何かから逃げ出すような、恐慌に似た走りであった。
「あ、待って」
エミはそう言い、男が置き去りにしたバッグを慌てて掴むと、その後を追う。
ふわふわと、ひらひらと、淡いピンクと白に彩られたドレスを閃かせながら、彼女は男の後を追う。
少し思ったのは、この武器ではやはり、ドレスが汚れてしまうと言うことだった。
【参加者資料】
須鹿満千夫 (スガ・ミチオ)
男・23歳・無職
罪:交通事故による過失致死
備考:自称ラッパー、ゾンビT
ポイント:100
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06 小説
花村庄一 (ハナムラ・ショウイチ)
男・54歳・鉄工所経営者
罪:無理心中を試みての妻子の殺害
ポイント:100
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03 狩人
佐々良えみ (ササラ・エミ)
女・14歳・女子中学生
罪:友人と共謀しての母親殺し
備考:錆びた鎌、ロリータ服
ポイント:100
最終更新:2011年11月13日 08:38