序幕 『絶海の孤島・ミステリーツアー』

 青い、果てしなく青い、青く青く消えゆく空。
 白い筋が一つ。
 白い山がいくつか。
 そして、赤い飛沫が、幾重にも。

 ああ、夏だな。
 これで、もう、終わるんだな。
 漠とした意識で、そんな事を考えていた。
 考えと言うには散れぢれの無数の感覚。
 それがただ、端から現れては、端へと消える。

 ああ、これで終わるんだな。

 ゆっくりと、その背中を見る。
 ゆっくりと、その背中を押す。
 ゆっくりと、その背中が、小さく、小さくなり。

 赤い大きな雫となった。

 ああ、これで終わるんだな。
 何も、かもが。

【1日目】

 青い、どこまでも青い空が広がっている。
 都会では決して見れない空だ。
 ふと、自分は何年くらい、こんな空を目にしていないのだろうかと考える。
 考えるが、思い出せない。
 それでも、ただ呆としてその青さを目に焼き付けていた。
 例え様も無く貴重なものを、見ているように。

「どうしました? 御気分でも?」
 ふいに、背後からそう声を掛けられて、サトミはゆっくりと振り向く。
 日に焼けた浅黒い肌は、健康そうな笑顔とよく似合い、はにかんだ目元は見た目の年齢には不相応な愛嬌を感じさせる。
 結城ということの男は、サトミと同じこのツアーの客で、医師をしているらしい。
 医師という職業から感じられる印象とはまるで違う雰囲気に、最初は戸惑いを覚えたものだ。
「ええ、大丈夫です。ただ、その…空が、あまりにも綺麗で…」
 妙に恥ずかしいような気になるのは、その屈託の無さに対してか。
 結城は視線を合わせて空を見やり、
「そうですね。こんな空、そう滅多には見れませんから」
 また、微笑む。
 笑顔と、この青空に、そしてよく焼けたこの肌は、まるで一枚の絵のようにこの場面に馴染んでいる。
 夏の、絶海の孤島。
 そして、「ミステリーツアー」 の舞台に。

 その背後を、すっと通り過ぎる影がある。
 背が低く、猪首でずんぐりとした体型。
 すれ違い様に結城と軽くぶつかり、こちらを見て軽く頭を下げ、そそくさと立ち去る。
 サトミはその視線を感じ、些かたじろいだ。何故だろう。視線にひるむのは。
 用意されていたホテルは、島の中央の高台にあり、海と、空と、緑の全てが見渡せる。
 造りはと言うとまるで西洋の城そのもので、パンフレットによると実際にあった城の設計図を元に作られているらしい。
 サトミと結城は、そのホテルへと向かう階段の途中にあった展望台で立ち話をしていたので、背の低い男のみならず他のツアー参加者達がその背後を次々と通り過ぎていく。
 蒼白い痩せた青年。いかにも粗暴そうな目つきの悪い男。おそらく農家だろうか、これまたよく日に焼けた、目の細い中年の男。
 なんとなく国籍不明な印象の筋肉質の男。サングラスにキャップ、大きめのTシャツにアクセサリーという若者。如何にも実直そうな老齢の男性。
 とりとめもなく歩いている彼らに、何かを感じるのだが、それが何なのかが、聡美には分からない。
 仲の良い少女二人が、先を争うように駆け上がってゆく。
 中年夫婦の二人組は、夫とおぼしき男が1人で重い荷物を持って汗をかいていた。
 その様子を眺めつつ、サトミは何か違和感を感じている。
 何に? 何をそんなに訝しんでいるのか。
 自分でも解らぬ、その薄膜にも似た違和感は、それでもやはりこの島の青さに吸い込まれ、確とした形にならずに霧散する。

「私たちも行きましょう。この風景も見物ですが、城からも多分絶景でしょうしね」
 白い歯をちらりと見せて、青年医師はスマートにそう誘う。
 何故だろう。
 やはりサトミはこの誘いにも、違和感を覚えずには居られなかった。


 各々がカードキーを渡され各人の部屋へと進む。荷物を置き、それぞれに一息つくと、夕方からは大広間での晩餐会だ。
 パンフレットによると、この晩餐会がミステリーツアーの最初のイベントで、ここでまず殺人事件が起こる事になっている。
 勿論そこで事件が起きることが明示されているわけではないが、文章の端々からそういう事が暗に示されているのははっきり分かる。
 殺人事件。
 この言葉にもまた、サトミは違和感と、そして微かな痛みを感じている。
 ミステリーツアー。
 ツアー参加者が、あたかもミステリー小説の如き"殺人事件"(勿論、主催者による芝居、演出だ)に巻き込まれ、その中で提示される謎を解きつつ一夜を過ごす。
 見事犯人を当てれば賞金が貰えるし、当てられずとも凝りに凝った演出での"探偵ごっこ"が楽しめる。
 いわば、イベント参加型ツアーの典型である。
 その上、今回のこのロケーション。
 正に「絶海の孤島、ミステリー城殺人事件」というイベント名に相応しいこの島は、参加型ツアーとしても相当に贅沢だ。
 晩餐会の時間まで、パンフレットを読みながらぼんやりとしていたサトミは、突然の館内放送により意識を引き戻される。

『来賓の皆様方、私がこの城の城主です。
 このたびは我が城へようこそ。歓迎いたしますぞ。
 ただいま、晩餐会の準備が整いました。大広間でお待ちしております。
 それでは、皆様方が心より楽しまれることを願って―――』

 妙に芝居がかった(いや、芝居なのだから当たり前だが)アナウンスに、サトミはパンフレットをエンドテーブルに置いて立ち上がる。
 特に意識もせずそのまま部屋を出てホールに向かう姿には、やはりどこかふわふわとした不安定感がある。
 自分の番号が書かれたテーブルに座る。
 同じテーブルには既に何人かの客がついており、サトミはぼんやりとした意識のまま、軽く会釈だかどうだか分からぬ程度に頭を下げ挨拶をした。
 黒服のボーイ達がホールの中を歩き回り、参加者達に色々と告げている。
 サトミの脇にも一人の男が来て、テーブルにあった大きめの腕時計の様なものを指し示し、
「天祢様、こちらの腕輪をおつけになってください」
 と言う。
 それは何かと聞くと、参加者のポイントを計算したりするのに使う装置だ、という。
 会場内に細かなミニゲームが設置されていて、そのために必要なもので、それらは謎解きのヒントになったり、また正解に至らずともポイントを稼ぐことで得られる賞品などがある、などと言う。
 そういえば、パンフレットにもそんな事が書いてあった気がする、と思い出し、ミサトはそれを左手に巻いた。
 機械仕掛けになった接合部が、カチリと締まったとき、きゅっと心臓に震えが走る。
 ひんやりとした金属の感触がそうさせるのか。
 それを何とはなしに撫でさすっていると、はす向かいにいた中年夫婦の声が聞こえてくる。
「いいから、その腕輪をこっちに合わせなさいよ」
「う…うん」
 強い調子の奥さんの声と、遠慮がちな旦那さんの声。
 腕輪の表面、ちょうどデジタル腕時計のような液晶表示部がある箇所を合わせてなにやら操作をすると、電子音がした。
「ほら、みなさいよ。これで私の方に貴方のポイントが動いたでしょ。
 ポイントを私一人に集めておけば、2人でバラバラに持っているよりも最後に貰える賞品のランクが上がるんだから。
 だから、アンタはポイント手に入れたら、全部私に渡すのよ」
「うん、うん、そうだね、うん」
 参加者同士で、ポイントの譲渡が出来る。パンフレットにあった一文が思い出される。
 なるほど、この2人が夫婦ならば、たしかにポイントを1人に集めている方が、総合的なポイント数で得をするのは道理。
 半ば感心するような気持ちでその様子を眺めているサトミの横で、微かに笑い声がした。
 サングラスをした、野性味のある男が口元をつり上げ、「まるで奴隷だな」と、小声で呟いたのが、微かにサトミの耳に入る。
 そのとき、オーケストラの厳かな音楽がホールに響き始めた。

 ホールの前面中央、壇上に上がった男は、中世ヨーロッパの貴族の様な出で立ちに、マスカレードの仮面を付けて口上を述べる。
 ときおり、拍手や歓声があがり、また既に運ばれてきていた料理を咀嚼する音や、知り合い同士か、或いはこのツアーで交流を持った者同士かで、囁き笑う声が聞こえる。
 サトミは口上や寸劇の様子を眺めつつも、あまり料理に手を伸ばすでもなく、やはりどうにも落ち着かないままでいる。
 壇上では進行役の男が芝居をし、参加者のテーブルに紛れていた一人と言い争いになっている。
 おそらく、ここから殺人事件の幕開けとなる進行なのだろう。
 そんな事を考えていると、横にいた例の男が、ふいにサトミに話しかけてきた。
「なあ、あんた」
 突然の事に、サトミは自分が呼ばれていると理解できず、反応が遅くなる。
「なあ、あんた、何でこのツアーに参加したんだ?」
 そんなサトミの様子にお構いなしで、男はそう続けてきた。
 何で?
 問われて、サトミは一瞬思考が止まる。
 何で?
 何で、ミステリーツアーに?
 そう…たしかこれは、夫が私に贈ってくれたプレゼントだ。
 サトミはこの半年ほど、色々と心塞ぐような出来事が起き、心身共に疲れ果てていた。
 その様子を心配した夫が、彼女にこのツアーを紹介する。
『お得意先から貰った券なんだけどさ。企画は別としても、この島の自然、悪くないだろ? 少し、のんびりとしてくれば良いよ。娘のことも―――』
 ―――娘の事も?
 娘は、どうしているのだろうか? 
 まだ3歳で、危なっかしい時期。
 夫は仕事が多く、とても一人で面倒は見られない。
 夫の両親とは、まだ関係が修復されているとは言えないし、勿論サトミの両親など論外だ。
 義姉さんなら、或いは数日面倒を見るくらいはしてくれるだろう。彼女は唯一、私と夫の結婚に反対をしなかった。
 だが―――。
「俺は、自分がなんでこのツアーに居るのか、わからないんだ」
 不意に、男がそう言った。
 男は、確かにそう言った。
 そのとき壇上では、主催者とやり合っていた演者が苦悶の声を上げて倒れ込む。
 横にいた別の演者が、「毒だ!」 と叫ぶ。
 オーケストラの音楽が止み、主催者とその男にスポットライトがあたる。

『おお、まさにこれは毒だ! 罪深き者、恐ろしき者、忌まわしき者。その罪はこの毒により浄化された』
『罪人の腕につけられた死の時計は、刻々とその時を告げる』
『皆様の罪もまた、これにより浄化されんことを―――』

 暗転。

◆◆◆

 すべてを、思い出していた。
 サトミは両手で身体を抱きしめるようにして、星明かりしか届かぬ暗い森の中で立ちすくんでいる。
 あたりには誰も居ない。
 何もない。
 ただ小さなデイバッグと、自分が収められていた、棺がある。
 棺。
 それは金属製で、人一人がすっぽりと収められる程度の大きさ。
 中には機械仕掛けの装置があり、音声もそこから聞こえてきていた。
 主催者、進行役を演じていた仮面の男の、声。

 意識が戻ったとき、サトミはその金属の棺の中にいた。
 真っ暗で、僅かに手足をばたつかせられる程度の空間。
 本来ならパニックに陥るだろうその目覚めに、しかしサトミは模糊とした意識のままである。
 何らかの薬物の作用だろうか。それもあるだろう。ホールで意識を失ったこと、そしてこの金属の箱での覚醒。
 そこには主催者側の仕掛けがあるはずだ。
 しかしこのときサトミは、そのようなことに考え至る事もない。
 ただ、暗闇の中でのゆったりとしたまどろみから、次第に意識が浮かび上がるに任せていた。
 声が聞こえたのは、その状態で暫くしてからである。
 箱の両側面に、スピーカーが埋め込まれているのだろう。
 ゆったりとした出だしのオーケストラが、次第に大きな音へと変わる。否が応でも意識は覚醒する。

『咎人の皆様、お目覚めでしょうか』
『これより、本イベントの開催を宣言いたします』
『覚醒と共に、皆様の記憶も次第に鮮明となってゆくでしょう。ですので、前置きは飛ばして、ゲームの本質を語らせていただきます』
『皆様はこの絶海の孤島で、これから3日間、即ち72時間を過ごしていただきます』
『その間、我々も、そしてあらゆる法も権力も、あなた方同士のほとんどの行動について、介入することはありません』
『さて、それであなた方に何を競っていただくのか?』
『このミステリーツアーは、犯人捜しをしてもらうものですが、おお、なんという事か! 犯人は皆様方全員なのです!』
『従って後は、時間いっぱい犯人から逃げおおせるか、或いは島に潜む犯人を見つけ出し、それを退治するか―――それだけです』
『犯人を退治するとどんな利点があるのか? あなた方の腕に付けられた装置にある、ポイントが関係します』
『皆様はゲーム開始時に、それぞれ100ポイントが腕輪に設定されています』
『犯人を退治した場合、その犯人が持っているポイントを全て獲得することが出来ます』
『そして、ポイントは、ゲーム終了時に、100ポイントを100万円と換算して、換金することが出来ます』
『また、それらポイントから、ある特定のサービスを受けることも可能です』
『ある条件下に置いては、ゲーム中のポイントによる賞品交換も可能です』
『我々の手配する、高度な美容整形を受ければ、まるで別人へと生まれ変われます』
『日本を離れ、海外へと移住したいというご希望があれば、このポイントにより様々な便宜を受けることも可能です』
『或いは特定の環境からどうしても移動できないという不自由を感じておられる方には、そこから解放される権利を得る事も不可能ではありません』
『全ては ――― ポイント次第で御座います』

『1つ―――重要な点を』
『最初の100ポイントは、このゲームの参加料で御座います』
『ゲーム終了時に、100ポイント分だけは、参加費用として徴収させていただきます』
『そしてその場合、皆様方はこのバカンスの事など全てお忘れになって、元の生活、元の暮らしへとお戻り頂きます』
『また、その際にポイントが不足していた場合は、果たして元の生活に戻れるか―――』

『皆様方が、このゲームを終えた後に、今までよりもよりよい生活、よりよい人生をお望みであれば』
『是非とも頑張って、多くのポイントを獲得なさることをお薦めいたします』
『それでは ―――』

 プシュ、というような、空気の抜ける音と、機械の音。
 ゆっくりと、棺が開き初め、生ぬるい夏の夜の空気が頬を撫でる。
 完全なる闇の世界に、満天の星上がりが入り込んできた。

『ゲームの開始です』

 音声が止まった。
 サトミは声を上げずに叫んでいた。
 そして、すべてを思い出していた。
 棺の中からふらふらと起きあがり、両手で身体を抱きしめるようにして、星明かりしか届かぬ暗い森の中に居る。

 犯人は。
 犯人は皆様方なのです。
 殺人の。
 殺人の犯人は ――― 私だ。
 サトミは全てを思い出していた。
 何故忘れていたのだろう。
 何故こんなツアーに参加していたのだろう。
 何故私は此処にいるのだろう。
 私が。
 私が、咎人だからだ。
 私が、殺人者だからだ。
 私は ――― 娘を、殺した。

 サトミは、全てを思い出していた。
 ゆっくりと、その背中を思い出す。
 ゆっくりと、その背中が小さくなる。
 ゆっくりと、そこには赤い飛沫が広がる。

 私は、娘を殺した。



【参加者資料】
天祢聖美 (アマネ・サトミ)
女・24歳・主婦
罪:子殺し
ポイント:100

【ゲーム終了まで、あと72時間】  


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01 犬

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最終更新:2011年01月19日 07:54
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