福浦 和也 9番 左投左打 内野手 習志野高-千葉ロッテ


あまりクローズアップされないが、現在の球界で唯一6年連続3割という記録を残している屈指のアベレージヒッター。


彼は入団時までは投手で、プロでも投手を続けるつもりであった(球団としては芽が出なければ打者でも行けそうだ、と踏んでいたようであるが)。しかし、当時二軍監督であった山本功児に打者転向を強く勧められ、1年目のシーズン中に打者転向を決意する。このとき、福浦は1年は投手でやらせて欲しいと頼んでおり、必ずしも望んだ転向ではなかったようだ。だが彼は、監督の目が正しかったことを身をもって証明していくことになる。


二軍で順調に実力を伸ばした福浦は、97年には一軍に定着し、98年には121試合出場で.284の打率を残す。99年00年は相変わらず一軍の戦力として活躍し続けたものの、何か殻を破れない印象であった。この頃は一塁手としては打撃が弱かったために、左翼で出場したりもしていた。そして01年、イチロー(マリナーズ)が海を渡り、プロ野球から姿を消したこの年に、彼は打撃を開花させる。シーズン序盤から終了まで打ちまくり、最後は小笠原(巨人)とのデッドヒートを制し、首位打者のタイトルを獲得するのである。以後、彼の3番ファーストは不動のものとなり、毎年コンスタントに3割を打ち続けている(一時期、「最強の2番打者」と呼ばれた頃の小笠原的な役割を期待され、2番で起用されたこともある)。この安定感と技術により彼はチーム内でも別格扱いされ、毎試合オーダーを変えるバレンタイン監督すら彼の打順はほとんど動かさない。ただし、慢性の腰痛を抱えており、時折戦線離脱がある。


バットを肩につくくらい寝かせて構え(ほぼ地面と水平)、トップの時点でバットの先端が一塁方向を向く独特の打法。どう見てもロスが多くなるはずの構えから、最短距離でボールを叩く技術は球界でも屈指。カットしてファールに逃げる技術が非常に優れている。打撃の特徴として、外野の間をライナーで抜く二塁打が非常に多く、また、流し打ちやセンター返しよりも引っ張りが多い。守備面は、一塁手としてはグラブ捌きや反応なども優れ、上手い一塁手であると言える。足はあまり速くない。ただこれは逆に言うと、足の遅さゆえ内野安打がほとんどなく、その上パワーがないため外野を下げてヒットゾーンを広げられない彼がこれだけの打率を残していることは、卓越した技術の証明であるとも言える。



(プロ入り後の実績をスカウティング通信簿で点数化)


94年 95年 96年 97年 98年 99年 00年 01年 02年 03年 04年 05年 06年 通算P 平均P

0P   0P   0P   7P   9P    6P  10P  13P  10P  11P   11P  9P   9P   95P  7.3P

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2007年03月20日 03:41