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中田 翔(大阪・大阪桐蔭)投手 183/80 右/右


~出会い~


俺が初めて 中田 翔 と出会ったのは、彼が1年生の6月ぐらいだったと記憶している。丁度大阪桐蔭が関東に遠征してきた時で、当時「なにわ四天王」と騒がれていた 辻内 崇伸(巨人) や 平田良介(中日) が、夏の予選前に観られるとあって、東海大相模のバックネット裏席は、練習試合にも関わらず早くから超満員となっていた。勿論私の目的も、彼らにあったことは言うまでもない。


私は、当日席取りが大変になると考え、試合開始の2時間以上前にグランドを訪れた。しかしこの段階ですでに、バックネット裏には多くの座布団やスポーツ新聞で、席が確保されていたのを今でも鮮烈に思い出す。一番乗りだと思ったその場所には、いつも神宮で見かける中年男性が一人、いち早く好位置をキープし、観戦の準備を進めていた。


試合が始まる直前に学校近くを歩いていると、知り合いのスカウトと部長が揃ってやって来る。「蔵ちゃん、試合何時からや?」なんてのんびり聞いてくるのだ。「ちょっと来るの遅いんじゃないの」と内心思っていたが、試合が始まるとしっかり好位置をキープしているあたりは、プロのなせる技だろう。


そんな大阪桐蔭に、広島からスーパー1年生が入ってきたとバックネット裏でも話題になっていた。その男こそ、中田 翔 その人に他ならなかった。とても1年生とは思えない骨太の身体つき。ただ者ではないことは、永年野球を観てきたものならば、誰しも直感することが出来た。


ただドラフトまで2年以上ある1年坊主。私はそれほど当時の中田翔には、興味を覚えなかった。ダブルヘッダーの第1試合。確か試合を5イニングぐらい観て、次に控える辻内の登板前に、食事のために席をたった。


当時の中田翔は、確かにスーパー1年生ではあった。ただそれは、その数年前に観た 栂野 雅史(桐蔭学園-新日本石油-巨人入団)や 泉 正義(宇都宮学園-ヤクルト退団)などと比べても、特別なものではなかった。しかし投手・中田は、順調に行けば間違いなく2年後上位指名を意識出来る器だとはすぐにわかった。


この時、打者 中田 翔 という意識はなく、2打席ぐらい観て、席を立ったと記憶している。パワフルな打撃をするとは思ったが、それ以上でもそれ以下でもなかった。私にとっての 中田 翔 との出会いは、それほど鮮烈なものではなかった。しかしその印象を一変させる出来事が、それからほんの1ヶ月後に起こることなど、そのとき知るよしもなかったのだ。


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