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巨人1999年の自由枠入団(修徳高-駒大-東芝)

1975年4月2日生まれ 身長177cm体重78kg

左投左打 血液型 B型  

 

キレのいいストレートに、スライダー・シンカーのコンビネーションが特徴的。入団1年目からローテーションに定着。初登板から中日打線を8回4安打1失点8奪三振と圧巻のピッチング。(開幕カードの広島戦を負け越して向かえただけに、工藤・メイ・尚成の左腕で中日を3タテと、このカードで一気に挽回したことが、その年の優勝へと導いたといっても過言では無いだろう。)その後も順調に勝ち星を重ね、この年、9勝6敗・防御率3.18の好成績を挙げる。日本シリーズ(夢のON対決と言われたダイエーとの決戦の年である)では第5戦に先発し、完封ピッチングで優勝に貢献。人をくったような性格よろしく、つくづく初登板に強い選手である。

 

その後もローテーションの一角を与え続けられるも、いまいち勝ちきれないのがこの投手。3年目の10勝を最高に、入団7年間で41勝51敗15セーブは物足りない内容。2006年は、骨折による離脱で内海にローテーションの座を奪われ、豊田の不調もあり、復帰後は抑えで活躍するも、2007年は先発復帰を希望。背番号も巨人エース左腕の称号21番を継承し、真の復活を期待される。

オフの交渉では清武英利球団代表に2007年の先発復帰を直訴している。

先発に戻った2007年4月には月間5勝を挙げ、球団の左投手としては1979年5月の新浦壽夫以来、28年ぶりの快挙を成し遂げた。入団8年目にして監督推薦によりオールスターゲーム初出場を勝ち取り、フルキャストスタジアム宮城での第2戦に先発、山崎武司にホームランを打たれ2イニングで2失点を喫したものの、阿部慎之助の3ランなどのセ・リーグの打線の奮起に助けられて勝利投手となっている。

<エピソード>

・かつての宮本からエース左腕の座だけでなく、宴会部長の名誉も継承されたのかどうかは定かでないが、優勝祝賀会での尻見せパフォーマンスは有名。某掲示板でのあだな「尻」の由来ともなる。おそらく引退後は、ズムサタ司会後継の大本命と目されるも、まずは現役生活の全うな完全燃焼を期待される。

年度 チーム










セーブ



















2000年 巨人 36 24 3 0 20 2 1 9 6 0 .600 563 135.2 133 10 36 2 102 59 48 3.18
2001年 30 3 1 20 1 0 9 9 0 .500 584 134.2 126 20 52 3 99 65 59 3.94
2002年 17 24 2 0 21 0 1 10 4 0 .714 669 163.1 143 16 39 6 145 58 56 3.09
2003年 13 3 0 10 0 0 4 4 0 .500 364 86.2 79 14 27 4 78 42 37 3.84
2004年 16 3 0 13 1 1 5 10 0 .333 402 91 107 18 26 3 61 59 55 5.44
2005年 27 4 0 22 2 0 8 12 0 .400 695 163 171 18 48 4 135 88 81 4.47
2006年 35 0 23 4 0 0 2 6 15 .250 266 62 70 10 15 1 51 36 34 4.94
2007年 21
通算成績 169 18 24 110 6 3 47 51 15 .480 3543 836.1 829 106 243 23 671 407 370 3.98
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