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成瀬 善久(21歳 ロッテ)投手 左投・左打 180/75 (横浜高校→ロッテ) 
 
名門横浜高校のエースということでそこそこの知名度ではあったものの(センバツで準優勝)、蔵氏が「プロに入ると並以下のキャパ」などど評しているように大きく伸びるタイプには見えず、評価は高くなかった。名門で磨かれてきただけのことはあり、入団した時点で洗練されたマウンドさばき、強心臓、安定した制球力などの技術面はプロに混ぜてもそこそこのものがあった。多彩な球種を持っているのだが、プロで必要になる絶対的な武器になるボールがなく、いかに球威の代わりの武器を見つけ出すかが課題だった。


そんな成瀬投手のルーキーイヤー。当然のごとく、ファームで漬け込まれることになるが、先発を中心にして19試合に登板。その実戦力を買われ、高校生としてはかなり多くの登板機会に恵まれた。また、この年はバレンタイン監督就任の年であり、同時にぬるま湯体質と非難されてきたロッテ2軍の改革が始まったことも彼にとって追い風となった。しかし、やはり制球力だけで抑えられるほどプロは甘くなく、成績的にもファームで防御率6点台と、まだまだ先は長いかなと思わせる内容であった。ただ、その中でも47イニングを投げて47奪三振と、高卒投手としては光る数字を残している。


2年目の05年。彼は、ファームで先発として起用され続ける。この年は新球の導入により苦しむ投手が多い中、持ち前の器用さでいち早くそれに対応。決して大きな期待をかけられているわけではなかったが、淡々と与えられた場所で投げ続け、終わってみれば防御率3点台。確実に実力をつけていることを印象づけた。ただ、この年は千葉ロッテが絶好調で、投手陣がほぼ完璧に固まっていたため、一軍での登板機会には恵まれなかった。ちなみに前年のドラフトで横浜高校の涌井投手が西武に入団。同じ横浜高校の先輩松坂と後輩涌井というスーパールーキーに挟まれ、心無いファンからは「それに比べて成瀬は」といったように、叩かれることも多かった。大きなプレッシャーとなってもおかしくなかったが、持ち前の強心臓をここでも発揮して飄々と受け流していた姿は印象深い。


そして06年。この年も、解説者たちはもちろん、ファンですら(おそらくバレンタイン監督すら)彼に一軍で先発などという期待は持っていなかった。しかし、そんな周囲の評価に反して彼はファームで快刀乱麻の投球を見せる。2試合目の登板で、二軍戦とはいえ16奪三振3失点。さらに次の登板では、14奪三振完封勝利。高校時代から球速が大きく伸びたわけでもなく、超一流の変化球があるわけでもない。しかし、独特の肘の使い方をする極端に球の出所が見にくいフォームから、元々キレのあるストレート(MAX140キロ)をコーナー(特にアウトハイ)に投げ込むことで三振を奪うというスタイルを確立する。これによりチーム内で一気に注目されるようになり、5月17日の横浜戦でプロ初登板初先発を果たすこととなる。ここでも、その投球は変わらず見事に6回を投げきりプロ初勝利を挙げる。以後、千葉ロッテ先発陣唯一の左投手として抜擢され、最後までその地位を守り通した。ただ、この年ロッテは打線が絶不調で好投しても援護に恵まれず、最終的に5勝5敗で防御率3.45という成績に終わった。しかし、高卒3年目の投手としては合格点を超える成績であることには間違いなく、前年から大きく成績を落とした千葉ロッテとしては数少ない明るい話題となった。


前述したように、140キロに満たない速球で三振を奪いにいく珍しい投手であり、フォーム的には、ボールを隠す技術などの点でホークス和田投手に近いものがある。変化球はスクリュー系の球とスライダーを持つが、これらのレベルは決して高くなく、一軍レベルでは楽に見送られることも多い。以前と同じ投球では通用しないプロの世界。真っ直ぐ以外の武器をいかに見つけ出して磨くかという課題は依然として残る。また、プロの打者を打たせて取る技術という点ではまだまだで、狙って打たせることができないため球数が多くなりがちな面もある。その意味で、三振以外でアウトを取るようになったとき、彼は一流と呼ばれるようになるのかもしれない。だが、チームに少ない左の先発候補として、また、球速が遅い=軟投派というイメージを覆す可能性のある投手として、色々な意味で貴重な存在。


先発候補の数が多く、競争が激しいチーム事情の中ではまだローテーション投手としての地位を確立したわけではない。
今年も先発枠からの争いになるが、デビュー当時が1番よかったなどと言われないよう、ぜひ先発の柱として成長してほしい。

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