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木佐貫 洋(27歳・巨人)投手 186/84 右/右 (川内高-亜細亜大出身)


いわずとしれた02年巨人ドラフト1位。

この年は「松坂世代」と呼ばれ大学生を中心に大物揃い。

木佐貫はその中でも『アマチュアNo.1右腕』の評価で華々しく巨人に入団。

150キロを超える速球に落差の鋭いフォークも一級品。巨人の将来、球界を担う存在になれると言われた。03年当時ルーキーながら開幕3戦目に先発した事実を見れば首脳陣の高い期待も窺い知る事が出来るだろう。結局開幕当初は苦い経験を味わいなかなか勝てなかったがプロの水に慣れた中盤からその本領を発揮。後半失速したが10勝7敗、防御率3.34をマークして同じ亜大出身の永川(広島)を押しのけて新人王。しかしその数字とは裏腹に彼の投球内容には2年目以降の不安要素を垣間見せていた。


速球とフォークが武器という事で上原に重ね合わせる人も多いと思うがタイプ的には異なる。キレの良いストレートと絶妙な低めの制球力を武器にする上原に対し木佐貫は豪速球の力勝負で押さえ込む力投派。そして木佐貫が一番上原と違うのはテンポの悪さ。四死球自体はさほどではないが2-3のフルカウントまで延々と長引くケースが多く、7回までで120球近く投げることもあれば結局完投するまでに150球を超える事もままあり見ている方が疲れる投手だった。

加えて蔵氏が指名時に『フォームが素直なために、球速や球質ほど打者が苦になりにくい』と危惧しているのがまさに的中。投球回数175回で168安打、18本塁打を喫したように球威を考えれば俄に信じがたい程打たれまくった。プロのバッターにとっては見やすいフォームの為スピードガンの数字ほど速さを感じない投手の典型例なのだろう。しかしそれでも打たれても打たれても耐え抜き7完投の強靱なスタミナと落差の大きいフォークでリーグトップの奪三振率(180個、規定投球回数以上)で追い込んでからは無類の強さを発揮。しかしこれは逆に言えば三振以外でアウトカウントの取れない投手という事の証明でもあった。ルーキーと百戦錬磨のエースを比べるのは酷だろうが当時の投球内容に雲泥の差があった事は否定しがたい(それでもローテーションを守っているので巨人投手陣でも抜けた存在ではあるのだが)。


そんな木佐貫は04年見事なまでに2年目のジンクスに嵌った。

7勝8敗5S、防御率5.03。投球イニング数も139回2/3と軒並み成績低下。被安打が前年同様168本とは皮肉も良い所。シーズン後半は抑え不在というチーム事情と奪三振率の高さからストッパー転向。投球自体を見れば適任と思う人もいるだろう。が、個人的にかなり疑問視せざるを得ない配置転換としか思えなかった。


というのも木佐貫は極端なまでの神経質。スランプに陥るとなかなか抜け出せず長期化する傾向も2年目の成績悪化を冗長した。これはもう記憶が薄いために間違っていたら申し訳ないが、あるテレビ番組で(03年オフの特番)室内練習場で練習している木佐貫が休憩中に靴ひもの長さが左右全く同じになるまで真剣な表情で何度も何度も結び直していた姿が妙に印象的で記憶に残っている。しかもあの桑田(当時最優秀防御率に輝き復活を果たしていた)が木佐貫に対して「僕より(性格的に)細かい」という趣旨のコメントをその番組内でしている。そんな性格の人間に精神的にタフである事と打たれても翌日にはケロリとしている事が適正条件と言われるストッパー(しかも注目度が高く常勝を求められるジャイアンツ)というのはどう見ても無茶というか無謀で結果5セーブを挙げたが炎上連発。それでも投球自体は抑え向き(と堀内監督は判断したのだろう)で定着を求められたが05年は故障頻発で登板数激減。元々大学時代から故障が多くこの点でもリリーフ向きではないと思っていた。第二次原政権で先発として再起をかけた06年にも故障の影響か3試合3敗防御率9.58で見るも無惨な成績に終わってしまった。


前述したように彼の性格を思えば先発がベスト。

しかしその為にはまず体調を万全にする事とカウントを整えるための緩いボールがどうしても必要になる。持っているボールは素晴らしいのだから後は本人の創意工夫次第。近年衰えの見え隠れする上原に代わって投手陣の柱にならなければならない存在であり、それだけの素質は十分あるだろう。絶対に今のままで終わって欲しくない選手、07シーズンからの復活を期待したい!

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