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中田 翔(大阪・大阪桐蔭)投手 183/80 右/右」(2007/02/24 (土) 13:50:27) の最新版変更点

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<p><strong><font face= "DF平成明朝体W3">中田 翔(大阪・大阪桐蔭)投手 183/80 右/右</font></strong></p> <br> <p><strong><font face= "DF平成明朝体W3">~疑問~</font></strong></p> <br> <p><font face= "DF平成明朝体W3">私は、あの衝撃的な投球を間の当たりにしても、実は投手、中田 翔 の将来性には疑問を持っている。と言うよりも、一年に一人ぐらいは出るレベルの投手としての素材よりも、 松井秀喜 や 清原和博 と比較出来る程の才能を持つ、打撃の才能を買うからと言う方が的を得ているのかもしれない。そこで</font><font face="DF平成明朝体W3">ここでは、その理由を考えてみたい。</font></p> <br> <p><font face= "DF平成明朝体W3">私が、彼の投手としての才能に疑問を持つ最大の理由は、典型的なスライダー投手の投げ方をしているからだ。「迷スカウト」では、技術的な部分に踏みこんで、その理由を考察するのだが、ここではとりあえず私がそう考えているとだけ覚えていてもらいたい。ここで言うスライダー投手とは、プロの世界でも通用するような、打者に球種を見破られないような腕の振りのカーブが投げられる可能性が厳しいフォーム・ストンと縦に落ちる打者の空振りを誘えるようなフォークの修得が厳しいだろうと考えられる腕の振りを指す。</font></p> <br> <br> <p><font face= "DF平成明朝体W3">アマチュア野球の場合、アウトコースの真ん中~低めにしっかり速球をコントロール出来、そこからボールゾーンへ逃げて行くスライダーの精度とキレが水準以上の能力があれば、実績を残すことが出来る。これは、高校生に限らず、大学でも社会人でもそうである。</font></p> <br> <br> <p><font face= "DF平成明朝体W3">しかしプロとアマの最大の差は、それだけではプロの打者は抑えられないと言うことなのだ。すなわちプロでは、速球やスライダーと言う比較的球速が近い変化球とのコンビネーションだけではダメで、緩急を使ったり、縦に落差のある球種を投げられる、内角を厳しく突けるなどの、アマチュア時代とは、別の要素が求められることになる。</font></p> <br> <p><font face= "DF平成明朝体W3">そのためスカウティングの時に大事なのは、現時点でそういった球が投げられる投げられないと言うことよりも、将来的にそういった球種を身につけられるフォームなのかが、より重要になってくるのだ。</font></p> <br> <p><font face= "DF平成明朝体W3">私の経験からすれば、中田のフォームは、そういったプロで通用する見分けの難しいカーブの修得や落差の大きな縦の変化球を修得するのは厳しい、もしくは仮に投げられても、極めて負担が大きく、故障の可能性が高いことなってしまう。彼が2年生になって、故障に悩まされたのも、けして偶然ではないと考える。そのため投手・中田を続けて行けば、これから先も、常にこういった問題と闘って行かなければならないだろう。</font></p> <br> <p><font face= "DF平成明朝体W3">アマチュア時代、大器と騒がれたり、極めて高い評価で入団しても、意外な程、前評判ほどの実績を残せないまま球界を去って行く投手の中には、典型的なスライダー投手のフォームであり、この問題を解決出来ないで終わる選手は少なくない。この投手・中田にも、その危険性が充分な程あると私は考える。それ</font><font face="DF平成明朝体W3">ならば、やはり10年に1人級の、野手としての可能性を最初から追求してもらいたい!</font></p> <br> <p><font face= "DF平成明朝体W3">話しは予断になるが、この衝撃の日・大阪万博球場で私がスピードガンを向けていると、隣りに座っていた高校生達が話しかけてきた。日本中アマチュア野球を観戦していると、よくこういった場面に出くわすことは珍しくない。そこで、見知らぬものと野球談義で盛り上がることもしばしばだ。</font></p> <br> <p><font face= "DF平成明朝体W3">彼らは、一足早く最後の夏を終えた京都の高校球児だったと記憶している。長時間球場にいる間に、会話のやりとりをした。そして私が一足早く球場を跡にすることになったのだが、帰り際に礼儀正しく「お疲れ様でした!」と大きな声で私を見送った。彼等は、夢果たせず甲子園には行けなかったが、この三年間が充実したものであったのだろうことを、この時私は実感した。</font></p> <br>
<p><strong><font face= "DF平成明朝体W3">中田 翔(大阪・大阪桐蔭)投手 183/80 右/右</font></strong></p> <br> <p><strong><font face= "DF平成明朝体W3">~疑問~</font></strong></p> <br> <p><font face= "DF平成明朝体W3">私は、あの衝撃的な投球を間の当たりにしても、実は投手、中田 翔 の将来性には疑問を持っている。と言うよりも、一年に一人ぐらいは出るレベルの投手としての素材よりも、 松井秀喜 や 清原和博 と比較出来る程の才能を持つ、打撃の才能を買うからと言う方が的を得ているのかもしれない。そこで</font><font face="DF平成明朝体W3">ここでは、その理由を考えてみたい。</font></p> <br> <p><font face= "DF平成明朝体W3">私が、彼の投手としての才能に疑問を持つ最大の理由は、典型的なスライダー投手の投げ方をしているからだ。「迷スカウト」では、技術的な部分に踏みこんで、その理由を考察するのだが、ここではとりあえず私がそう考えているとだけ覚えていてもらいたい。ここで言うスライダー投手とは、プロの世界でも通用するような、打者に球種を見破られないような腕の振りのカーブがを投げるのが厳しいフォーム・ストンと縦に落ちる打者の空振りを誘えるようなフォークの修得が厳しいだろうと考えられる腕の振りを指す。</font></p> <br> <br> <p><font face= "DF平成明朝体W3">アマチュア野球の場合、アウトコースの真ん中~低めにしっかり速球をコントロール出来、そこからボールゾーンへ逃げて行くスライダーの精度とキレが水準以上の能力があれば、実績を残すことが出来る。これは、高校生に限らず、大学でも社会人でも共通する。</font></p> <br> <br> <p><font face= "DF平成明朝体W3">しかしプロとアマの最大の差は、それだけではプロの打者は抑えられないと言うことなのだ。すなわちプロでは、速球やスライダーと言う比較的球速が近い変化球とのコンビネーションだけではダメで、緩急を使ったり、縦に落差のある球種を投げられる、内角を厳しく突けるなどの、アマチュア時代とは、別の要素が求められることになる。</font></p> <br> <p><font face= "DF平成明朝体W3">そのためスカウティングの時に大事なのは、現時点でそういった球が投げられる投げられないと言うことよりも、将来的にそういった球種を身につけられるフォームなのかが、より重要になってくるのだ。</font></p> <br> <p><font face= "DF平成明朝体W3">私の経験からすれば、中田のフォームは、そういったプロで通用する見分けの難しいカーブの修得や落差の大きな縦の変化球を修得するのは厳しい、もしくは仮に投げられても、極めて負担が大きく、故障の可能性が高いことなってしまう。彼が2年生になって、故障に悩まされたのも、けして偶然ではないと考える。そのため投手・中田を続けて行けば、これから先も、常にこういった問題と闘って行かなければならないだろう。</font></p> <br> <p><font face= "DF平成明朝体W3">アマチュア時代、大器と騒がれたり、極めて高い評価で入団しても、意外な程、前評判ほどの実績を残せないまま球界を去って行く投手の中には、典型的なスライダー投手のフォームであり、この問題を解決出来ないまま終わる選手は少なくない。この投手・中田にも、その危険性が充分な程あると私は考える。それ</font><font face="DF平成明朝体W3">ならば、やはり10年に1人級の、野手としての可能性を最初から追求してもらいたい!</font></p> <br> <p><font face= "DF平成明朝体W3">話しは予断になるが、この衝撃の日・大阪万博球場で私がスピードガンを向けていると、隣りに座っていた高校生達が話しかけてきた。日本中アマチュア野球を観戦していると、よくこういった場面に出くわすことは珍しくない。そこで、見知らぬものと野球談義で盛り上がることもしばしばだ。</font></p> <br> <p><font face= "DF平成明朝体W3">彼らは、一足早く最後の夏を終えた京都の高校球児だったと記憶している。長時間球場にいる間に、会話のやりとりをした。そして私が一足早く球場を跡にすることになったのだが、帰り際に礼儀正しく「お疲れ様でした!」と大きな声で私を見送った。彼等は、夢果たせず甲子園には行けなかったが、この三年間が充実したものであったのだろうことを、この時私は実感した。</font></p> <br>

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