7-228 水

368 名前:水 1/5 投稿日:2006/09/30(土) 10:17:18
于禁は城壁を降りた。
まだ引き切っていない水は、于禁の腰まである。場所によっては、人一人くらいすっぽり収める水深にもなるだろう。
水は冷たかった。
水の中で、足を進める。歴戦の将の、屈強な足をどんなに速く動かそうとしても、普通に歩くほどの速さも出ない。
泳いだ方が、速いのだろう。別に泳ぐのは苦手ではない。ただ、逃れがたい思い出がある。
あの時ほど、水を恐れたことはなかった。
降り注ぐ雨の音が、あの時ほど憎く感じたことはなかった。
急流にさらわれていく兵の顔は、今も脳裏にこびり付いている。
「そう、ひ………」
奴は銅雀台にいるだろうか。
俺を絶望に陥れた、あの男は。
必ず見つけ出さなくてはいけない。見つけて、この手で殺さなければ、俺は………
やがて、銅雀台が目の前に迫った。
高く高く、鄴にある何よりも高く作られたその台。
台の左右に閣道が伸び、曹操が銅雀台と共に建てた金鳳台と冰井台と連結している。三台がそびえ立つ様は、力強くも美しく、曹家の繁栄をよく示していた。
水を振り切り、階段を何段か上る。体が水から解放されると、清々しい気分になった。
銅雀台が完成し、その式に呼ばれた時のことを思い出す。
張遼、楽進、張郃、徐晃と共にこの階段を登り、台頂に着いて振り返った時。
あの景色の、なんと素晴らしかったことか。
その栄華を、誇りに持ち、五人は改めて曹操に忠誠を誓ったのだ。
もう一度、あの場所に。



369 名前:水 2/5 投稿日:2006/09/30(土) 10:19:02
「あれ?」
露に濡れて光り輝く銅雀と、その銅雀を取り付けた豪壮な舎と、それを背景に横たわる男。
それはどこか、神秘的な光景だった。
「うそだ………」
あまりのことに目眩を覚えながら、于禁は男へ近づく。もはや水に縛られることのない足。なのに、水中を進んでいたときよりも、はるかに遅い足取り。
その事を、予想をしなかったわけではない。むしろ可能性は高いと思っていた。それでも、それは、認めがたい事実だ。
恐怖。
于禁は目の前の事実に、ひたすら恐怖する。
もはや怒りと恨みはどこにもない。
ゆっくり、本当にゆっくりと、于禁は進む。進み、男に近づくたびに、最も恐れていた予想が、確固たる事実へと変わってくる。
まったく上下しない胸。表情を固めたまま、微動だにしない青ざめた顔。やけに渇いた、紫がかった唇。赤い布が巻かれた右肩の下には、血溜まりができていた。
「うわ………あ………あ………」
目眩が顕著になる。足取りがおぼつかない。手の平が汗で濡れてくる。心臓の鼓動が激しくなっていく。
違う。絶対に違う。
死んでいるはずがない。死んでいたとしても、他人のそら似だ。
あの男が死んでいいわけがないのだ。
まるで初めて歩く幼児のように、于禁は進んだ。
こんなのじゃない、俺が銅雀台に望んでいた光景は。違う。逃げたい。こんな所からは逃げ出したい。
多大な恐怖を抱えながら、それでも、確かめずに去ることはできない、という思いが于禁を強く拘束していた。
ただその思いは、男の表情に気付いた途端、崩壊した。
記憶にある、悪意に満ちた捻れた顔と、目の前の安らかな顔が、重なり合う。
違う―――こんなの奴じゃない―――こんな、こんな慈愛に満ちた顔を、奴は、絶対に―――
その時、于禁の心の中で、急速に脹らみつつあった何かが、音を立てて弾けた。
于禁は銃を抜き出し、男の顔を目掛け、即座に撃ち込んだ。
撃ったと同時に踵を返し、確かな歩調で銅雀台を降りていく。
途中、何かに気付いたかのように、はたと足を止めた。そして目の前に広がる光景を見渡した。
それは光に溢れた世界。
家も、木も、洪水で廃墟と化したものも、浮かぶ流木も瓦礫も、地表を隠す水面も、すべてものが光り輝やき、幻想的な美しさを創り出していた。
ああ。
水がこれほど美しいものだとは、知らなかった。



370 名前:水 3/5 投稿日:2006/09/30(土) 10:20:32
曹丕に対する憎しみは、もはや消え去っていた。
水はもう恐れるものではなく、雨の音はすでに憎むものではなかった。



371 名前:水 4/5 投稿日:2006/09/30(土) 10:22:26
俺はどうしたらいい?
曹丕は死んだ。恨みは消えた。この世界も、元の世界も、曹公も、もうどうでもいいんだ。
誰か教えてくれよ。俺はどうしたらいい?
―――殺しなさい。
殺す? 何で?
―――理由なんて、今のあなたにいるのですか?
―――典韋殿を殺したように、皆を殺せばいいのですよ。
あー、確かにいらないかもな。死んでも別にいいし。で、誰から殺せばいい?
―――誰からでも、どうぞご自由に。
―――ただし、曹操様を見つけたら、優先的に殺してくださいね。
曹公? 何で?
ああ、理由なんていらないんだったな。
いいさいいさ。引き受けてやるよ。みんな殺せばいいんだろう? 簡単だ、きっと。
―――はい。あなたならできますよ、于禁殿。



372 名前:水 5/5 投稿日:2006/09/30(土) 10:23:19
気が付けば、時刻はとうに昼を過ぎていた。
数時間、銅雀台の階段で立ち止まっていたことになる。
目の前には、数時間前からずっと見ていた光景。水は大分引いており、濡れた家や木などもほとんど乾いていたから、当初の美しさは消えていた。
こうしてみると、洪水の被害は大きかったようだ。壮観な町並みは戦火にあったかのようになり、城壁は一部崩れてしまっている。
至る所に瓦礫や倒れた木々が散乱しており、いつか見た栄華は見る影もない。
だというのに、于禁には何の感傷もなかった。また大雨が降らないかな、とは思ったが。
なんだか、気分がぼんやりとしている。だけど、悪い気分じゃない。夢心地というのだろうか。
それにしても、俺は数時間、ここに突っ立って何を思ってたんだ?
ああ、思い出せない。心に靄がかかっているみたいだ。
まあいいか。とりあえず降りよう。
それから、みんな殺すんだ。



373 名前:訂正 残弾減ってなかった 投稿日:2006/09/30(土) 12:12:14
@于禁[左耳破損、右手小指喪失、全身軽傷、洗脳]『現在地 冀州・魏郡・ギョウ城壁上見張り小屋内部』
【山刀(刃こぼれ、持ち手下部破損)、煙幕弾×3、ガン鬼の銃(陰陽弾×24)】
※現在地は鄴の銅雀台。みんな殺します。曹操優先。行き先は気が向くまま。

タグ:

于禁
+ タグ編集
  • タグ:
  • 于禁

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2007年11月17日 19:39
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。