乞食れいむのおうた
作者:白兎
※虐待成分少なめ。
※独自設定。
夕焼けがとっても奇麗な、7月のとある日暮れ時。
学生もサラリーマンも、みんなおうちに帰って行きます。
そんな人々が行き交う道ばたで、おうたを歌う1匹のれいむがいました。
「ゆ~♪ゆゆ~♪ゆ~♪」
ゆっくり特有のリズムを奏でながら、新聞紙の上でおうたを歌うれいむ。
彼女は、この街に住む乞食ゆっくりでした。
乞食ゆっくり。
もしかすると、皆さんは初めてお聞きになったかもしれません。
だって、この街でしか使われていない言葉ですから。
「おにいさん、こじきってなんなのぜ?」
それは、とある銀バッヂまりさの質問から始まりました。
飼い主の横でテレビを見ていたまりさが、お兄さんに、いきなりそんな質問をしたのです。
「ん?どこでそんな言葉覚えたんだ?」
「きょう、おさんぽのとちゅうで、ちいさなにんげんさんたちがいってたのぜ。」
やれやれ、とお兄さんは思いました。
あまり良くない言葉を覚えて欲しくなかったのです。
けれども、これも社会勉強と、まりさにその言葉の意味を教えることにしました。
「んー、なんて言えばいいのかな……。」
お兄さんは、知識の少ないゆっくりに、何とか説明を試みます。
「乞食って言うのはね、街中で物乞いをする人のことだよ。」
「ものごいってなんなのぜ?」
「道ばたで、人にお金をもらったりすること。」
「なんでなのぜ?にんげんさんは、かいしゃからおきゅうりょうをもらうのぜ?」
「そういう人は、仕事が無かったり、自分の家が無かったりするからね。」
まりさは、お兄さんの説明にしばらく体を捻っていましたが、
ふと全ての謎が解けたかのように、ぴんと背筋を伸ばして言いました。
「ゆん!ゆっくりりかいしたのぜ!こじきはのらのにんげんさんなのぜ!」
このまりさ、お兄さんの説明を少し勘違いしてしまったようです。
けれども、お兄さんも面倒くさかったので、あえて訂正はしませんでした。
翌日、銀まりさは、お友達のゆっくりに、この話を伝えました。
みんな、近くの家で飼われている高級なゆっくりばかりです。
「むきゅ。ぱちゅも、えきまえでみたことあるのだわ。」
「のらのにんげんさんだねー。わかるよー。」
「それじゃあ、のらのゆっくりも、こじきなのかしら?」
「きっとそうだみょん!」
野良の人間が乞食なら、野良のゆっくりも乞食だろう。
彼らは、そう結論付けました。
そして、街中で野良を見かける度に、彼らを乞食と呼ぶようになったのです。
「あんなところにこじきがいるのぜ!きたないのぜ!」
「こじきはとかいはじゃないわ!ありすのそばにこないでね!」
この2匹、別にゲスではありません。
ペットショップで、店員さんから、野良は汚くてゆっくりできないと教えられ、
それを忠実に守っているだけなのです。
けれども、この呼び名を広めたのは、当の飼いゆっくりたちではありませんでした。
それを横で聞いていた、地元の小学生です。
小学生というものは、相手を馬鹿にする言葉が大好きなのです。
あっと言う間に、地元の小学校でこの呼び名が広まりました。
そして、今度は、小学生の言葉遣いが、他の飼いゆっくりに影響を与えます。
「おーい、こっちに乞食がいるぜ!」
「ゆゆ!こじきがいるよ!」
「おおこじきこじき。」
こうして、分別のある大人を除き、みんなが野良ゆっくりを乞食と呼ぶようになりました。
野良ゆっくりたちは、それが悪口だと分かると、とても怒りました。
「れいむはこじきじゃないよ!れいむはれいむだよ!」
「まりさはりっぱなのらゆっくりだよ!こじきじゃないよ!」
ですが、毎日のように乞食乞食と言われ続けると、
なんだか本当に乞食のような気がしてしまうものです。
1年も経った頃には、野良ゆっくりも、自分たちのことを乞食と呼ぶようになりました。
ですから、この街では、野良ゆっくりはみんな、乞食ゆっくりと呼ばれているのです。
ところで、名は体を表す、という諺があります。
乞食ゆっくりたちは、だんだん本物の乞食と一緒の生活をするようになりました。
街中で、物乞いをするようになったのです。
もちろん、ただ座っているだけでは、何も貰えません。
だから、乞食ゆっくりたちは、芸を披露することにしました。
あるものはダンスを踊り、あるものはおうたを歌います。
こうして、乞食ゆっくりたちは、街中の風景にすっかり溶け込んでしまいました。
「ゆゆ~♪ゆ~ゆ~♪ゆ~♪」
このれいむも、昔は街の近くにある小さな森で暮らしていましたが、
土地開発で巣を追われ、こうして乞食になったのです。
都会での生活に慣れていないれいむには、苦労苦労の連続でしたが、
仲間の手助けにより、ここまでやってこれました。
「ゆ~♪ゆ~♪ゆゆ~♪」
「こじきのれいみゅにおきゃねをめぐんでくだちゃい!」
おうたを歌うれいむの横で、通行人に笑顔を振りまいているのは、
森を追われるときに助けた妹れいむです。
両親と他の姉妹は、おうちを潰そうとする巨大なすぃーに立ち向かい、
そして、ぺっちゃんこにされてしまいました。
「ゆ~♪ゆゆ~♪ゆ~♪」
「おねがいしましゅ!こじきのれいみゅににゃにかめぐんでくだちゃい!」
森にいた頃は、うたひめと呼ばれ、みんながれいむのおうたを褒めてくれました。
でも、この街では、誰もれいむのおうたなど聴いてくれません。
みんな、顔色ひとつ変えずに、れいむたちの前を通り過ぎて行くだけです。
だけど、おうたを歌う以外に何もできないれいむは、おうたを歌い続けるしかありません。
「ゆゆ~ん♪ゆ~ゆゆ~♪」
おうたを歌っているとき、れいむはいつも、森での暮らしを思い浮かべます。
とっても優しいお父さんとお母さん、可愛らしい妹たち、
そして、みんなと遊んだゆっくりプレイス。
れいむは、ゆっくりとした記憶に浸りながら、今日もおうたを歌うのです。
ふと、道の向こうから、不機嫌そうなサラリーマンが歩いて来ます。
男は、今日、上司にこっぴどく怒られて、内心むしゃくしゃしていました。
「けっ、部長の指示が悪いんだろうが……。なんで俺のせいになるんだよ……。」
男が新聞紙の前を通りかかったところで、妹れいむが声を上げました。
「おじしゃん!こじきのれいみゅににゃにかめぐんでくだちゃい!おねがいしましゅ!」
男は、2匹にちらっと目をやると、あからさまに舌打ちをします。
「……なんだ、ゆっくりか。うっせーな。」
男は、ほんの一瞬、れいむの顔に目をやりました。
森の暮らしを思い出して歌うれいむの表情は、幸せそのものです。
男は、そのまま通り過ぎようとしましたが、何を思ったのか、
ポケットに手を入れると、きらきら光るものを、空き缶に投げ入れました。
チャリーン
金属のぶつかる音がします。
「ありがとうございます。」
れいむは、おうたを中断し、もみあげで三つ指をついて、頭を下げました。
「ありがちょうごじゃいましゅ!」
妹れいむは、ぴょんぴょん跳ねて、サラリーマンにお礼のダンスを披露します。
サラリーマンは、そんな2匹を無視すると、先を急ぎました。
れいむは、男が見えなくなったところで、ようやく顔を上げます。
「きょうはおかねもらえたね。くらいからもうおうちにかえろうね。」
「ゆっくち~♪」
れいむは、空き缶の中に入っている金属片を、もみあげでゆっくり取り出します。
いったいいくら入っているのでしょうか。
「……。」
夕暮れの太陽に赤く光る丸い円盤。
それは、お金ではありませんでした。
ただのビール瓶の蓋でした。
男は、嫌がらせをするために、わざとそれを入れたのです。
「ごめんね……。これおかねじゃないよ……。ごめんね……。」
「ゆぅ……。」
れいむは、白玉の目からすっと涙を流し、妹に何度も何度も謝ります。
やっと貰えたと思ったお金。
これなら、何も貰えない方が、どれほど良かったことでしょう。
「おにぇしゃんなかにゃいでにぇ。れいみゅゆっきゅりがまんしゅりゅよ。」
心配した妹が、れいむの頬にすーりすーりして来ます。
「おにぇしゃんしゅーりしゅーり。なきゃないでにぇ。」
そんな健気な妹を見ると、れいむも泣いてはいられません。
笑顔を取戻し、元気よく妹にすーりすーりし返してあげます。
「さあゆっくりおうちにかえろうね!」
「ゆっくち~♪」
れいむたちは、もみあげともみあげをしっかりと繋ぎ合わせ、
夕闇に包まれた始めた大通りを、ゆっくりと去って行きました。
「ゆゆん!このあんぱんさんはさんえんだよ!とってもやすいよ!」
「ちぇんかうよー!きょうはごえんだまもらったよー!」
「まりさもあまあまさんいっぱいあつめたよ!ゆっくりかいものしていってね!」
「ちーんぽ!」
ここは乞食谷。
乞食ゆっくりたちが集う、街の下宿所です。
もちろん、町中に谷などありません。
誰も住んでいないビルに囲まれた空き地が、谷底に似ているので、そう呼ばれているだけです。
乞食たちは、この谷の真ん中にあるドラム缶の前で、毎晩市場を開きます。
食べ物や段ボールなど、生活に必要なものを集めたゆっくりが、
人間からお金をもらったゆっくりに、それを売っているのです。
今日も市場は大盛況。
ゆっくりたちの賑やかな声が、あちこちから聞こえてきます。
「ゆぅ……。あんぱんしゃん……。」
そんな市場を遠くから眺めているのは、さきほどのれいむ姉妹です。
お金も物ももらえなかった2匹は、何にも交換するものがありません。
ただただ、他のゆっくりたちの買い物を見ている以外、することがないのです。
「れいみゅもあんぱんしゃんたべちゃいよ……。」
妹れいむが、物欲しそうに涎を垂らしながら、ちぇんの買った餡パンを見つめています。
「ごめんね。あしたはおかねをもらってあんぱんさんたべようね。」
「ゆぅ……。」
そんな会話をしていると、ふと市場の方から、1匹のゆっくりが跳ねて来ます。
それは、よく見知った帽子の子、ゆっくりまりさでした。
「ゆっくりしていってね!」
まりさは、笑顔でれいむに挨拶します。
「ゆっくりしていってね!」
「ゆっくちしちぇいっちぇね!」
れいむとその妹も、先程までの空腹を忘れて、元気よく挨拶を返します。
れいむは、このまりさと大の仲良しでした。
この乞食谷に案内してくれたのも、街中でたまたま出会ったこのまりさだったのです。
まりさは、人間にもそうと分かるくらいの美ゆっくりでしたが、野良は野良。
お帽子にはあちこちに穴が空き、お肌も都会の空気ですっかり汚れてしまっています。
そんなまりさは、とびっきりの笑顔で、れいむに話しかけます。
「きょうもいっぱいおかねもらえたよ!」
嘘ではありません。
このまりさは、1日になんと15円も稼ぐのです。
普通は5円も集まれば御の字なのですから、どれほど凄いかが分かります。
それもそのはず、このまりさは、芸の名人でした。
ぴょんと30センチも飛び跳ねてトンボ返りをしたり、
口に棒をくわえて、コーンの間に張った綱を渡ったりできるのです。
だから、人間さんたちの間でも、まりさはとっても有名でした。
「れいむはおかいものしないの?」
まりさは、れいむにそっと尋ねました。
れいむは何も答えませんでしたが、まりさには分かっています。
だって、れいむがお買い物をすることなど、滅多にないのですから。
れいむは、それくらい物乞いが下手なのです。
けれども、嫌みで尋ねたわけではありません。
まりさは、いつもこうやって、れいむにプレゼントする機会を作っているのです。
「れいむにこれあげるよ!」
まりさは、帽子の中から、野菜屑を取り出して、れいむに差し出します。
それは、八百屋さんの前で芸を披露したときに、店のおじさんから貰ったものでした。
このおじさん、普段はじゃがいもの皮しかくれないのですが、
その日はまりさの宙返りがあまりにも見事だったので、キャベツの葉っぱをくれました。
「ゆゆん!まりさありがとう!」
れいむは、うれし涙を流しながら、キャベツの葉っぱを受け取ります。
それを見た妹のれいむは、今にも端っこに噛み付いてしまいそうでしたが、
お姉さんのお腹がぐーぐー鳴っていることを、ちゃんと知っています。
だから、溢れそうになる唾を飲み込み、お行儀よく我慢することができました。
「こまったときはおたがいさまだよ!」
困ったときはお互い様。
まりさは、いつもそう言ってくれます。
だけど実際には、れいむが貰う一方で、お返ししたことなど一度もありません。
本当はお返ししたいと思っていても、あげるものが何もないのです。
れいむがまりさにしてあげられることは、ひとつだけ。
そして、まりさも、そのたったひとつのことを、いつもお願いして来ます。
「ねえ!まりさにおうたをきかせてよ!」
「いいよ!ゆっくりきいていってね!」
れいむは、まりさの前で、ゆっくりとおうたを歌い始めます。
「ゆ~♪ゆゆ~♪ゆゆ~♪」
まりさは、本当にゆっくりとした表情で、れいむのおうたを静かに聴きます。
「れいむのおうたはほんとにゆっくりしてるね!」
「ゆゆ!ありがとう!」
まりさは、お世辞を言ったのではありません。
れいむのおうたは、ゆっくりにとって、本当にゆっくりしたおうたなのです。
だけど、そのおうたを聴いてくれるのは、街中でも、このまりさしかいません。
その理由は簡単でした。
みんな生きることに必死で、おうたなど聴いている場合ではないのです。
だから、このまりさがおうたに耳を澄ますのは、彼女が恵まれていることの証なのです。
「おとうしゃんだけじゅるいよ!まりちゃもなきゃまにいれちぇにぇ!」
れいむとまりさの間に割って入ったのは、小さな体をのーびのーびさせた子まりさでした。
まりさをお父さんと呼んでいますが、2匹の間に餡子は繋がっていません。
子まりさの母親が車に轢かれ、側で泣いていたところを、まりさが拾ってあげたのです。
最初は母親が死んだショックで、まりさにはあまり懐いてくれませんでしたが、
いつからか、子まりさは、まりさをお父さんと呼ぶようになっていました。
「まりちゃだけにゃかまはじゅれにゃんてぴゅんぴゅんだよ!」
「ごめんね。でも、おちびちゃんがすーやすーやしてたから、おこさなかったんだよ。」
子まりさも、本気で怒っているわけではありません。
その証拠に、子まりさは、まりさの頬に擦り寄ると、すぐに笑顔に戻ります。
「れいみゅおねーしゃん。まりちゃにもおうちゃをきかちぇてにぇ。」
「ゆふふ。いいよ。もういっかいうたおうね。」
れいむは、そんなまりさたちのやりとりに、思わず顔が綻んでしまいます。
「れいみゅもおうちゃうちゃえるよ。」
子れいむが、もみあげさんをぴこぴこさせながら、可愛い声をあげました。
彼女も、お姉さんにおうたを教えてもらっているのです。
「それじゃあ、ふたりでうたおうね!」
「「ゆゆゆ~♪」」
その夜、乞食谷に、姉妹の楽しそうな歌声が、いつまでも響き渡りました。
次の日のこと。
物乞いから帰ったれいむのおうちへ、例のまりさが息を弾ませてやって来ます。
いったい何だろうと思っていると、まりさは次のように言いました。
「まりさ、てれびにでるよ!おかねもいっぱいもらえるよ!」
これでは、いったい何のことだか分かりません。
れいむはまりさを落ち着かせ、詳しく話してくれるように頼みました。
まりさの話はこうでした。
今日、いつもの繁華街で曲芸をしていると、いきなり男の人が話しかけてきたのです。
そして、男の人は、こう言いました。
テレビに出てみないかい、と。
彼は、某テレビ局のディレクターさんでした。
ディレクターさんの話によると、来月、街中の変わったゆっくりを紹介する番組があり、
ぜひまりさにも出演して欲しいと言うのでした。
「出演料として、500円出すよ。」
500円!
まりさはびっくりしました。
だって、まりさの一ヶ月分の稼ぎが、1日で手に入るのですから。
まりさは、喜んでテレビ出演を快諾しました。
ディレクターさんは、日曜日にまた来ると言って、その場を去りました。
「もし500えんもらったら、れいむにすてきなぷれぜんとをするよ!」
500円もあれば、大きな板チョコが何枚も買えます。
まりさは口にしませんでしたが、その板チョコをれいむにプレゼントし、
そして愛の告白をするつもりだったのです。
「まりさすごいね!れいむゆっくりおうえんするよ!」
「うん!まりさもゆっくりがんばるよ!」
その日、まりさは、前祝いとして、とっておきの5円チョコを4匹で分け合いました。
上手く割れなかったので、れいむは子れいむに、まりさは子まりさに、
それぞれ大きな欠片を渡します。
「「「「む~しゃむ~しゃ♪しあわせ~♪」」」」
その夜、乞食谷に、4匹の幸せな声が、いつまでも響き渡りました。
日曜日、ついにまりさのテレビ出演の日がやって来ました。
もちろん、今日は単なる収録日で、放送は後日なのですが、
ゆっくりであるまりさたちには、そんなことは分かりません。
それに、どうせテレビを見ることなどできないのですから、
テレビに出られるかどうかなんて、本当はどうでもよかったのかもしれません。
「おにいさん!きょうはまりさのすごいわざいっぱいみせてあげるね!」
まりさが、少しばかり声を震わせて言いました。
さすがに緊張しているのでしょう。
早速、得意のバク転を決めようと身構えたところで、ディレクターさんが止めに入ります。
「あ、悪いけど、君がやることは、こっちで決めてあるんだ。」
ディレクターさんは、そう言うと、奇麗な青空を指差しました。
まりさもれいむも、そして同伴した子ゆっくりたちも、不思議そうに空を見上げます。
「あそこに綱が見えるだろう。あれを渡ってくれ。」
最初は気付きませんでしたが、ビルとビルの間に、一本の太いロープが張られていました。
それは、建物の5階から伸びていて、長さも10mはあるでしょうか。
まりさは、言葉が出せません。
だって、こんなことをやるとは、聞いていなかったのですから。
「ゆゆ。これはたかすぎるよ。それにひもさんもながすぎるよ。」
「なに、やらないの?やらないなら、他のゆっくりに頼むけど?」
ディレクターさんは、まりさを睨みつけました。
「でも……あぶないよ……。」
「危ないからこそ、視聴者も喜ぶんだろう。普通の芸で500円貰おうなんて甘いね。」
まりさは迷います。
いくらゆっくりでも、この高さから落ちれば死ぬことくらいは理解できました。
以前、お友達のまりさが、誤って歩道橋から落ちてしまい、
地面でぺちゃんこになったのを、まりさは見たことがあるからです。
まりさは、困ったように視線を落とした後、今度はれいむの方を見ました。
まりさの目には、不安と同時に、何かを諦めきれない気持ちが、入り交じっていました。
れいむは、何も言うことができません。
これは、まりさの舞台なのです。
決めるのは、まりさであって、れいむではないのです。
しばらく悩んだ末、意を決したように顔を上げると、まりさはこう言いました。
「ゆん!まりさやるよ!」
「だめだよまりさ!こんなのゆっくりできないよ!」
大声を上げたのは、れいむでした。
そんな危険なことをして欲しくない。
ただその一心から出た声でした。
「あーん?なんだこのれいむは?」
ディレクターさんが、れいむの方へ近付いてきます。
すると、まりさが、慌ててディレクターさんの前に立ちはだかりました。
「れいむはまりさのおともだちだよ!いじめないでね!いじめたらまりさやめるよ!」
ディレクターさんは、少し不機嫌そうでしたが、黙ってスタッフに合図を送ります。
カメラが用意され、撮影が始まりました。
まりさは、若い男のスタッフに持ち上げられ、ビルの中に消えて行きます。
「ゆ~ん♪おそらをとんでるみたい♪」
そんな暢気な声が、半開きの自働ドアから聞こえてきました。
まりさが棒をくわえ、ロープの前に立ったとき、彼女はびっくりしてしまいました。
下から見上げたときよりも、ずっとずっと高く感じられたからです。
さすがのまりさも、あんよが震えてしまいます。
「よーし!じゃあ始めてくれ!」
遠くから、ディレクターさんの掛け声が聞こえました。
「おとうしゃん!がんばっちぇにぇ!」
「まりしゃおじしゃんがんびゃりぇー!」
地上で無邪気にまりさを応援しているのは、子まりさと子れいむの2匹です。
彼らは体をのーびのーびさせながら、一生懸命に声を張り上げます。
その横にいるれいむは、もみあげを合わせ、不安そうにまりさを見つめているだけ。
まりさのことが心配で心配で、舌が動かないのです。
そんなれいむの顔を見ていると、何としてでも渡り切ってやろうという気持ちが、
まりさの餡子の中に、むらむらと湧いてきました。
「これがめいじんまりさのつなわたりだよ!みんなみててね!」
まりさは、棒を上下の歯でしっかりと挟み、ぐっと表情を引き締めると、
まるっこいあんよを、ロープの端に乗せました。
めまいがしそうな高さです。下を見てはいけません。
「……。」
ゆっくりと、本当にゆっくりと、まりさはロープを渡って行きます。
人間さんたちは、最初から応援も何もしていませんでしたが、
今や子ゆっくりたちも、黙ってまりさの勇姿を見守るしかありません。
芸の最中に声を上げると気が散ることは、彼らも知っていたからです。
どれほどの時間が過ぎたでしょうか。
1時間とも2時間とも感じられるような緊張の連続が過ぎ去り、
気付けば、まりさはロープの半分を渡り切っていました。
さすがの人間さんたちも、これには驚きを隠せません。
あと半分。
この調子であと半分を渡り切れば、500円玉が手に入る。
そして、れいむに愛の告白をすることができる。
まりさの餡子を支配していた恐怖が、だんだんと希望に取って代わられます。
と、そのときでした。
ビューーーッ
「!」
強烈なビル風が、道ばたにいる人々を襲います。
まりさは、歯を食いしばり、ロープの上でバランスを取ろうと必死に踏ん張りました。
普通のゆっくりならば、すぐに吹き飛ばしてしまったであろうこの強風も、
まりさの素晴らしいバランス感覚の前では、柳に風です。
そう、まりさの前では。
「おぼっ!?」
まりさは、全身を器用にくねらせ、ロープの上で絶妙なバランスを取っていました。
しかし、まりさが動かせるのは、まるっこい饅頭の体だけなのです。
だから、辛抱を切らした風は、まりさではなく、
まりさの大事なお帽子を攫って行くことに決めました。
まりさは、外れかけたお帽子を放すまいと身を捩りますが、全く意味がありません。
お帽子は飾りであり、体の一部ではないのです。
ついに、風が、お帽子のツバに、見えない指を掛けました。
「まりさ!だめだよ!」
れいむの声は、遅過ぎました。
まりさは、お帽子に対する愛着から、うっかり後を追おうとしてしまったのです。
当然、バランスを失い、そのまま地面へ真っ逆さま。
ぐちゃ、という音と一緒に、永遠にゆっくりしてしまいました。
一瞬の出来事だったので、れいむたちには、何が起きたのか分かりません。
「よーし、いい絵が取れたぞ。」
「ディレクター、テロップはどうしますか?」
「薬中まりさ、白昼の錯乱綱渡り。バカとゆっくりは高いところがお好き。」
「お、いいですねえ。高視聴率間違いなしですよ。」
ディレクターさんは、嘘を吐いたのではありません。
ゆっくりの番組が放送されるというのは、本当です。
成功すれば500円玉をあげるつもりだったのも、本当です。
ただ、ディレクターさんは、ひとつだけ言わなかったことがあるのです。
番組のタイトルが、『爆笑☆街中のおかしなゆっくりたち』だということを。
「じゃ、それっぽく見えるように、適当に編集しといてね。」
ディレクターさんがその場を去ると、他の人間さんたちも、道具の片付けを始めました。
がちゃがちゃという音に、れいむは、ようやく意識を取戻します。
そうだ、ここには人間さんたちがいる。
人間さんは、どんな病気でも治すことができる。
れいむは、昔、死んだ長のぱちゅりーに、そう教えられたのを思い出しました。
「にんげんさん!おねがいだよ!まりさをたすけてあげてね!おねがいだよ!」
しかし、人間さんたちは、誰も助けてはくれません。
れいむは、側にいた女の人のところへぴょんぴょん跳ねると、また大声で言いました。
「おねえさん!まりさはまだいきてるんだよ!だからゆっくりたすけてあげてね!」
女の人は、五月蝿そうにれいむを避けると、道具を持ってどこかへ行ってしまいました。
れいむは向きを変え、少し離れたところにいる男の人に、跳ねながら話しかけます。
「おにいさん!まりさをびょういんにつれていってあげてね!おねがいだよ!」
れいむがさらに近付こうとすると、男の人の踵が、れいむの顔に当たりました。
体の中からメキッという音が聞こえ、れいむは後ろに転がってしまいます。
起き上がってみると、口の中が何やら変な感じです。
そうです。前歯が折れてしまったのです。
男の人も、それに気付きました。
「あーあ、足下でうろちょろするから。どっか行けよ。」
「まりひゃをびょういんにひゅれてってあげてね!おねがいだよ!」
れいむは、歯の折れた痛みなど忘れて、もう一度男の人に頼みます。
「あのさ、生きてるわけないっしょ。少しは現実見ろよ。」
「まりひゃはいきてるよ!だからたひゅけてあげてね!おねがいだよ!」
男の人は、やれやれと首を横に振り、その場を離れて行きました。
誰も助けてくれないことが分かったので、れいむは涙を流しながら、
まりさのところへ駆け寄ります。
「おとうしゃん!おめめあけちぇえええ!」
「まりしゃおじしゃんげんきになっちぇね……。ぺーろぺーろ……。」
まりさの側で、子れいむと子まりさが、しくしくと泣いています。
「まりひゃ!れいむといっひょにおいひゃひゃんにいこうね!」
れいむはそのとき、初めてまりさの顔を見てしまいました。
白玉の目玉が飛び出し、そこから餡子がたくさん漏れています。
それに口の形もいびつで、だらしなく舌が垂れていました。
街中でも指折りの美ゆっくりだったまりさの面影は、もはやどこにもありません。
「まりひゃ!きっとよくなるよ!だからおいひゃひゃんへいこうね!」
まりさは、返事をしてくれません。
それから何度かまりさの名前を呼んだ後、れいむは、
ようやくまりさが死んだのだと分かりました。
「まりびゃあああ!!!まりびゃああああああ!!!」
れいむも、わんわんと泣きました。
こんなことなら、まりさを止めれば良かった。
そう思っても、全ては後の祭りです。
そして、れいむにはもうひとつ、とっても後悔したことがありました。
彼女は聞いてしまったのです。
まりさが最後に叫んだ言葉を。
れいむあいしてるよ、と。
「ゆ~♪ゆゆ~♪ゆひゅ~♪」
夕焼けがとっても奇麗な、7月のとある日暮れ時。
学生もサラリーマンも、みんなおうちに帰って行きます。
そんな人々が行き交う道ばたで、おうたを歌う1匹のれいむがいました。
そうです。あの乞食れいむです。
れいむはあれからも、同じ場所で、同じおうたを歌い続けています。
「こじきのまりしゃにおきゃねをめぐんでくだちゃい!おにぇがいしましゅ!」
「こじきのれいみゅはおうたがとってもじょうずなんでしゅ!きいてくだちゃい!」
だけど、歯が折れてしまったれいむは、もう今までのようにおうたが歌えません。
以前は顔色ひとつ変えずに避けていた人たちも、今や我慢ができないといった様子で、
れいむたちを睨みつけ、罵声を浴びせます。
「くっせぇ饅頭がこんなところで歌ってんじゃねーぞ!」
「きもー。あのれいむ歯がないじゃん。」
「ゆひゅ~♪ゆひひゅ~♪」
溢れそうになる涙を堪えながら、れいむはおうたを歌います。
もう、おうたを歌っても、昔の楽しかった思い出は、餡子の中に浮かんできません。
だかられいむは、何も考えず、生きるためにおうたを歌うのです。
ふと、道の向こうから、不機嫌そうなサラリーマンが歩いて来ます。
男は、今日、上司にこっぴどく怒られて、内心むしゃくしゃしていました。
「けっ、ありゃ新入りのヘマだろうが……。なんで俺のせいになるんだよ……。」
男が新聞紙の前を通りかかったところで、妹れいむが声を上げました。
「おじしゃん!こじきのれいみゅになにかめぐんでくだちゃい!おねがいしましゅ!」
男は、3匹にちらっと目をやると、あからさまに舌打ちをします。
「……なんだ、ゆっくりか。うっせーな。」
そのまま通り過ぎようとしたとき、男は、ふと足を止めました。
この光景、どこかで見たことがある。そうだ、あのれいむだ。
ずっと前に、ビール瓶の蓋で、このれいむをからかったことを、男は覚えていました。
男は、しばらくの間、じっとれいむの顔を見つめていました。
れいむの方は目を瞑り、真剣におうたを歌っています。
前歯の隙間から空気が漏れ、ひゅーひゅーと間の抜けた音が聞こえても、
れいむは真剣におうたを歌っているのです。
チャリーン
缶の底で、金属のぶつかる音がします。
「ありがとうごびゃいまひゅ。」
「「ありがとうございましゅ!」」
れいむと2匹の子ゆっくりは、もみあげとおさげで三つ指をつき、深々と頭を下げます。
サラリーマンは、お礼を言う3匹を無視して、先を急ぎました。
れいむは、男が見えなくなると、ようやく体を持ち上げます。
「ひょうはおかねもらえひゃね。くらいからもうおうひにひゃえろうね。」
「「ゆっくち~♪」」
れいむは、空き缶の中に入っている金属片を、もみあげでゆっくり取り出します。
いったいいくら入っているのでしょうか。
「……。」
夕暮れの太陽に赤く光る丸い円盤。
それは、1円玉でした。
「ゆわ~♪いひえんだまひゃんだよ♪」
れいむの顔がぱっと明るくなります。
「いちえんだましゃんゆっくりしていっちぇね!」
妹れいむも目を輝かせ、1円玉さんにすーりすーりしようと体を伸ばします。
「おじしゃんありがちょね!」
子まりさは、もう姿の見えない男の方角に向かい、何度も何度もお礼を言いました。
「ゆっくりおうひにかえってくひゃひゃんをむーひゃむーひゃひようね!」
「「ゆっくち~♪」」
れいむは、右のもみあげで子れいむを、左のもみあげで子まりさを抱き寄せると、
夕闇に包まれた始めた大通りを、ゆっくりと去って行きました。
そんなれいむの唇には、生まれて初めて恵んでもらった1円玉が、
何か大事なものと交換されたかのように、赤く赤く、輝いているのでした。
終わり
これまでに書いた作品
ダスキユのある風景(前編)
ダスキユのある風景(中編)
ダスキユのある風景(後編)
英雄の条件
ふわふわと壊れゆく家族
♂れいむを探して
最終更新:2013年01月10日 22:23