永遠のゆっくり21(後編)

最後の日の夜明け前、親れいむはお兄さんの枕元で目を覚ました。

時刻はまだ早朝。
大きなベッドにお兄さんが眠っていて、
その周りに、自分を含め十三匹のゆっくり達がすやすやと眠っている。

お兄さんが許してくれてから、今日までの五日間。
最後の日々を、十三匹はこのうえなく幸福に過ごした。
お兄さんの部屋で、お兄さんと一緒に暮らし、懸命に尽くした。
そんな自分たちを、お兄さんはたっぷり可愛がってくれた。

毎日たっぷり与えられるあまあま、
ふかふかで居心地のいい寝床、
そして何より、お兄さんのすーりすーり。
渇望していた究極のゆっくりを、十三匹は心ゆくまで堪能した。

親れいむは、これ以上ないほどゆっくりした気分で、
窓からしらじらと明けてゆく空を眺めていた。

今日は最後の日。
永遠にゆっくりするのは怖かったが、五日かけて心の準備もできた。
今日、やっと、かつての罪を精算できるのだ。
そして何より、優しいお兄さんが見守ってくれている。
不安はなかった。

お兄さんが起き上がり、こちらを見つめていた。
なにより愛しいその人に向かって、親れいむは挨拶をした。

「ゆっくりおはようございます!」


お兄さんは十三匹を丁寧に洗ってくれた。
ゆっくり用のファンデーションで肌を整え、髪を梳かしてもらった。
髪飾りも綺麗に手入れしてくれ、全員がこのうえない美ゆっくりになった。
互いに見とれ、頬ずりを交わすゆっくり達。

多幸感に包まれて、十三匹は最後の廊下を跳ねていた。
白衣に身を包んだお兄さんの後につき、
待ち受ける運命に想いを馳せる。
待っているのはゆっくりできない死、だがその後はお空に行くのだ。
ゆっくり達の表情に悲壮感はなかった。

扉が開かれ、最後の場所が眼前に開けた。

灰色の部屋だった。
寒々しいコンクリートがむき出しになっており、
部屋の両脇は白いカーテンで仕切られている。

カーテンに囲まれたスペースの中心に、それはあった。
巨大で暴力的な残酷さをむき出しにして佇む機械。

「ミキサーだよ」

お兄さんが教えてくれた。

ミキサーの上部は透明な箱になっており、
内部の様子が見えるようになっている。
箱の底は鈍角の漏斗状になっていて、
中心には小さくて鋭い刃が何本も放射状に突き出して、酷薄な光を帯びていた。

「ちょっと動かしてみるよ。よく見ててくれ」

お兄さんはそう言い、ミキサーのスイッチを入れた。
とたんにミキサーは全身を激しく震わせはじめ、内部の刃が回転する。

その中に、お兄さんが持ってきたスイカを投げ込んだ。
固いスイカは、すぐには壊れず、
小さな刃に少しずつ削られていき、がたがたと震えながら消滅していった。
漏斗状の底にスイカの残骸が吸い込まれていき、しばらく後、
ミキサーの中には飛び散った果汁の他には何も残っていなかった。

「こうなる。もちろんすごく痛いし、その苦痛は長引く。
それでも入る勇気はあるか?」

ゆっくり達はぶるぶると震えていたが、
眉をきりりと引き締めると、意思を瞳に燃やして叫んだ。

「ゆっくりつみをつぐないます!!」

ミキサーには大きくて高いテーブルが併置されており、
ゆっくり用の大きくてゆるやかな階段が、
床からテーブルを経てミキサーの上部にまでつながっていた。
階段を上って、十三匹は中継地のテーブルの上に並んだ。

最後の時を迎えて、十三匹は互いに頷き合い、頬を交わした。

そして、親れいむがお兄さんに向って喋り始めた。

「おにいさん。
いままで、ほんとうに、ほんとうにごめんなさい。
ほんとうにほんとうにありがとうございました。
れいむたちは、ゆっくりできないゆっくりでした。
だけど、ゆるしてくれてありがとうございました」

お兄さんは笑顔で聞いてくれた。

「おそらにいったら、あかちゃんにごめんなさいをしてきます。
おそらで、おにいさんたちのことをみています。
おねえさんがおきあがれるように、ゆっくりおいのりをします」
「……ありがとう」
「れいむたちは、これからおわびをします。
………ゆぐっ……ゆっぐ、うっ………ぼんどうに……
ぼんどうに、ぼんどうに、あじがど、ごじゃ………」
「いいんだよ」

お兄さんが手を伸ばし、頬を撫でてくれた。
親れいむの顔に笑いが広がり、みんながその腕に集まってきた。
本当に最後の、ゆん生最後のすーりすーり。
みんなが涙を流していた。


最後のゆっくりの時は過ぎ、ついに贖罪の時がきた。
一番手を名乗り上げたのは親れいむだった。

テーブルの上からさらに階段を上り、
うなるミキサーの透明なガラス箱のふちにたどりつく。

スイカの果汁を飛び散らせながら回転する眼下の刃。
膨れ上がる恐怖を必死に抑え込む。
償わなければならない。
これをしないとゆっくりできるゆっくりではない。

「おにいざんっ!!」

叫び、親れいむは飛び込んだ。


「ゆぎょぎょぎょぎょぎょぎょぎょぎょぎょががががががあああああががががががいいいいぎいぎいいいいいいいぎぎぎぎぎぎぎ
ゆぐうううぐぐぐぐぐぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅごごごごごごおああああああがががががーーーーあああああああーーーーっ」

ゆん生最高の苦痛が親れいむを襲っていた。

回転する刃が少しずつあんよを削っている。
その激痛にたまらず身悶えするが、
頬と言わず頭部と言わず、下になった部分が削られ、激痛を増加させる。

自らの餡子が激しく飛び散り、周囲のガラスにへばりつく。
親れいむは絶叫し、転がりつづけた。
今、右の眼球が刃にひっかかって持っていかれた。

「あぎょごおおおおおおーーーーーーっあゆぐううううーーーーー」

とても耐えられない。駄目だ。できない。
もっと、もう少しだけゆっくりできる死に方がいい。

餡子まみれのガラス壁ごしに、親れいむは残った左目でお兄さんを見た。
お兄さんが親れいむをじっと見守っていた。
その目を見て、親れいむは懇願の言葉を飲み込み、意思を固めた。
裏切れない。
約束を違えてお兄さんの期待を裏切ることはできない。

テーブルの上では、十二匹の家族が声援を送っている。

「ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!」
「ゆうううううううっぐりいいいいいいいいいがんばづよおおおおおおおおおーーーーーっ!!!」

親れいむは喉の奥から絶叫した。
すでに身体の半分が削れてなくなっていた。

親れいむは今、自らの中枢餡に刃が触れるのを感じ、

そして、暗黒が訪れた。







にんげんさん。


ごめんなさい。


ありがとう。






































「…………………………………ゆ?」

目の前には、灰色の床が広がっていた。

自分が入っているのは、浅い鉄製の皿らしかった。
周囲には大量の餡子や黄色いカスタードが飛び散っている。
何やらやかましい機械音が耳ざわりだった。

ここはどこなの?

親れいむはまばたきをして見回した。
少なくとも、あの部屋じゃないことは確かだ。
自分はもう死んだのだから。

ここが………おそら?

親れいむはぼんやりした頭を抱えて這いずりだした。
這い、大皿の浅いふちを乗り越える。
眼前に、今いる世界が広がった。

「…………………おにいさん?」

お兄さんが自分を見下ろしていた。

まさか。
お空にお兄さんがいるはずがない。

お兄さんは眉をひそめて屈みこみ、親れいむに話しかけてきた。

「れいむ。どうしたんだい」
「ゆっ!!おにいさんこそどうしたの!?おそらにきたの!?」
「何を言ってるんだ。ここはお空なんかじゃないよ。寝ぼけてるのかい」

お兄さんが親れいむを持ち上げ、周囲の様子を見せた。

「あぎょぎょぎょぎょぎょぎょぎょぎょぎょぎょごごごごごごごごががががばばばばあああああーーーーー」

視界に入ってきたのは、忘れもしないあのミキサー。
機械音を響かせて振動するミキサーの中には、子まりさが二匹入り、刃に削られている。

「ゆ………ゆ………ゆゆゆゆゆ!!?」
「怖気づいちゃったのかい、れいむ?
逃げ出すなんてお前らしくないじゃないか。
みんなあんなにがんばってるのに」
「ゆ!?ゆゆゆ!?れいむはにげてないよ!?
れいむはあそこにはいってえいえんにゆっくりしたんだよ!!?」
「何を言ってるんだ。生きてるじゃないか」

そう言い、お兄さんは親れいむの頬をつついた。

「ゆ???ゆ???ゆうううううぅぅ!!???」

なにがなんだかわからず、親れいむは混乱の極にあった。
そんな親れいむに、お兄さんはかすかな失望をにじませた声をかけた。

「やめるのかい?罪を償うのはあきらめる?」
「ゆ??ゆ!!?ゆうううう!!?
つぐなうよっ!!れいむはつぐなうよ!!きっとゆめをみてたんだよ!!」

そうだ。
夢を見ていたのだ。
あれだけ削られたれいむが、無傷で生きているはずがない。
削られたのは夢だったのだ。

「おにいさん!!ゆっくりねちゃってごめんなさい!!
いますぐやりなおすからね!!ゆっくりみててね!!!」
「ああ。がんばれよ」

お兄さんの手から飛び出し、親れいむは階段を駆け上がる。
テーブルの上で一息をつき、再び階段、ミキサーのガラス箱の淵。
怖い。だが大丈夫。夢の中で練習したじゃないか。

「ゆっくりごべんなざいいいいぃぃ!!」


「ゆ……………ゆ………………?」

大量の餡子とカスタード、そして灰色の世界。
親れいむにはもう何が何だかわからなかった。

頭上を向くと、ミキサーの底面を見上げる格好になり、
底面の中心に開いた穴から大量の餡子がひっきりなしに吐き出されている。
周囲にはぼろぼろに崩れた仲間たちのなれの果てもあった。

その中に、自分と同じく起き上がるゆっくりもいた。

子まりさと目を見合わせ、「ゆゆ?」と呻く。

そこから這い出ると、再びお兄さんの姿。
お兄さんが失望の色を顔に浮かべている。

「やめちゃうのかい?」
「ゆううううううう!!!?」

親れいむ達は弁解し、必死に階段に飛びつく。
階段からミキサーの中に飛び込む。

堪え難い苦痛、ゆん生最大最後の苦痛。
それをもう何回繰り返したのか。


何度ミキサーに飛び込んでも、親れいむは再び床に立っていた。
親れいむと同じく、仲間のゆっくり達もわけがわからない表情で傍らに立っている。
あれほど削られたはずなのに、全員が無傷の状態だった。

なぜ。
なぜ。

ゆっくり達は叫んだ。

「なんでしなないのおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!?」
「償えると思っていたのか?」

親れいむは振り向いた。
お兄さんが自分たちを見下ろしていた。

「死んで詫びる?
お前たちが死んだぐらいで償えると、本気で思っていたのか?
俺の家族の命はそんなに安いのか?」

その目は、打って変って酷薄な表情を浮かべており、
自分たちを許してくれると言ったあの時の温もりは消えうせていた。

「何度も言ったはずだ。
お前たちゴミクズには何の価値もない。
何の価値もない命が何千何万回死んだところで、
俺の家族の命は贖えないんだよ。
仮に、俺の娘の命の価値が1としようか?
それに対して、お前たちの命はゼロだ。
ゼロの死が何億回積み重なったところで、1……娘の命には釣り合わない」

身体が震える。
あれほど詫び、償いの意思を示しても、
お兄さんの怒りはかけらほども収まっていなかった。
どうあっても償えない罪を背負ってしまった絶望。

「だから死ななくていい。
わかるか?ここが地獄だ。
この地獄で、お前たちには永遠に苦しみ続けてもらうことにしたよ。
永遠に償えないなら、永遠に苦しんでもらうしかない」
「お、おに……おにいざ…………」

ぶるぶる震える舌で、言葉を絞り出す。
どうすれば。
どうすれば詫びることができるのか、許してもらえるのか。

「地獄に来た以上、お前たちはもう死ねない。
お前たちは永遠に生き続ける」
「ゆぐ……ゆぐじで…………ゆぐじ……」
「永遠だ。想像できるか?
俺たちはあと何十年生きるかわからないが、百年たたずに死ぬだろう。
それでもお前たちはまだ生きている。
こんな話をお前らにしてもわからんだろうが、
数百年先ともなれば、いよいよ地球環境も破綻を迎えるころだ。
ほとんどの生物が絶滅しているかもしれない。
動物はいなくなり、植物も死に絶え、
数千年、数万年が過ぎ、地球上に生き物が完全にいなくなっても、
それでもお前たちは生きている」
「ゆあ……………あ……………あ……………」
「地球そのものが滅ぶとしても、
お前たちは宇宙空間の中で生き続ける。
話し相手もない、食べるものもない、どこまで見渡しても暗黒だ。
お前たちに向かって「もう充分だ」と言って許してくれる人間は、とっくの昔に滅んでいる。
何千、何万年先も、お前たちは生きている、生き続ける。
何億年経とうが永遠に死ぬことはできない。
仮に数百億年先、この宇宙が終わっても、
お前たちだけは無限の虚空の中で生き続ける」

死ねない。
つまり終わらない。

「海辺の砂の粒を、一年に一粒だけ運ぶとしよう。
それで山を作るとすれば、いったい何年かかる?
そうして作った山で島を作るには何年?
一年に一粒の砂で、地球を作るにはどれだけの時間がかかる?
お前たちは、それだけの時間を苦しみながら生き続ける。
そして、それだけの時が過ぎたとしても、
永遠のうち、ほんの一瞬だって終わっちゃいないんだ。
それだけの時を、お前たちはさらに何万何億何兆倍も積み重ねなければいけない。
それが過ぎても、永遠はほんの砂粒ほども終わったとは言えない」

終わらない。
苦しみは終わらない。
おわらないおわらないおわらないおわらないおわらないおわらないおわらないおわらないおわらないおわらない

「ゆあああああああーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!
うああああああああああああああああぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」

十三匹は無意識に叫んでいた。
お兄さんの話は半分もわからなかったが、
それでも、彼らを襲っている絶望はそれまでとは比べものにならなかった。

「苦しみは時の流れる限り永遠に続く」

お兄さんが、部屋を横切るカーテンを一気に引いた。
カーテンの向こう側には、かつて見なれた器具が所狭しと並んでいた。

天井から伸びるフック、金属製の輪。
ロープ、鉄板、車輪、針、注射器、かつて見た拷問器具。
見たこともないような器具もたくさんあったが、
どれもゆっくりできないことだけは確かだった。

「お前たちの犯した罪の、それが償いだ」
「いやだああああああーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
「ごろじで!!ごろじで!!ごろじで!!じなぜでええええぇぇぇ!!!」
「おぞらでっ!!あがぢゃんにっ!!あいにいぎだいいいいいいい!!」
「ゆんやあああああーーーーーーーーーーーーーっ!!ゆぁがあああーーーーーーーーーーっ!!!」
「いやだああああああああああ!!じにだい!!じにだい!!ゆっぐじざぜでええええええええ!!!」
「ゆるじでっ!!ゆぐじで!!ゆぐじでぐだざいいいいいいいいい!!!」
「おにいざん!!おにいいいいざあああああああああああああああああ」
「ゆあああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」

ゆっくり達は、いつまでもいつまでも絶叫しつづけた。

涙と涎をまき散らしながら喉も裂けよと絶叫し続けている親れいむの頬に、
両手を当てて優しく撫でながら、お兄さんは静かに言った。

「気分はどうだ?何か言ってみてくれ」

絶望。
絶望の上に塗り重ねられた絶望。
救いはない。逃げ場もない。無限の苦痛。

ひび割れた思考の奥から、
親れいむはやっとのことで、かすれた言葉を絞り出した。


「………………………………………………たすけて………………………………………………………………………
………………………………………………………………………………………………ください…………………………」
「駄目だ」




「やった、すごい!!」

須藤春奈博士が跳び上がらんばかりの喜びを見せていた。

「ホラ見て!ゆ糖値がすんごい跳ねあがってる!!
ケタが三つも違うよ、すごいすごい、新記録!!」

傍にいた研究員と手を叩き合わせて喜ぶ博士。
その場にいた大勢の研究員が、実験の結果に声を上げていた。

ゆ糖値とは、一般に言われる糖度とは別物で、
ゆっくりの体内の餡子の甘味を、
須藤春奈博士の研究により数値化することに成功したものである。

苦痛によって凝縮され向上した甘味が、
具体的な数値となってゆ糖計器のカウンターに表示される。
それは、かつて俺が虐待した時の数字に比べて、
確かに三桁ほどの差があった。

「精神的虐待の基本にして原則、「上げて落とす」。
山が高ければ高いほど谷は深くなるってわけ。
ここまで手間をかけた甲斐はあったね!
圭一さんも名演技でした!グーよ、グー♪」
「そいつはどうも」
「憎んでないとか言ってたわりには情感こもってたんじゃなーい?」
「まあ、やっぱり割り切れない部分はあったね」

正直驚きだった。
今回、肉体はそれほど痛めつけていないというのに、
精神を責めたとたんにこれほどの数値が出るとは。
ゆっくりは痛みに弱いといわれるが、それは肉体的な意味に限ったことではないようだ。
むしろ、精神のほうが肉体よりもさらに脆いらしい。
あれほど普段からしつこくゆっくりを渇望しているほどだ、
ほんの少しのストレスにも耐えられないというわけだろう。

まして、このゆっくり共に与えられたのは、
地球上の生物がかつて感じたこともないほどの空前絶後のストレスなのだ。

「かくて永遠は生まれたり」

高揚感を保ったまま、
春奈博士がいろいろと書き込まれたホワイトボードを指して喋り続けている。

「本来人間には手の届かない領域、永久機関がついに生まれたわけね。
ゆっくり以外の物質ではどう転んでも不可能な芸当です。
結局、あたしたちには本当の意味で実感はできないけどさ、
「死ぬことができない」というストレスはここまですごいってわけだね。
永遠に生き続けるという恐怖。みんな想像できる?できないできない」

手をひらひらさせる春奈博士。
彼女は俺に向きなおって言った。

「ほんっと、ありがたかったわー。
あたしのプランには、なるべく人に迷惑をかけたゆっくりがほしかったの。
ベストはもちろん人殺しなんだけど、
人を殺したゆっくりなんてどこ探してもいないもん、普通。
ところがこの子たちでしょ、さんざん人間によくしてもらったあげく人殺し!
これ以上のサンプルはないよねー。圭一さん、ほんと感謝感謝」
「褒められてる気がしないな」
「あはは、まあまあ。
さて、このサンプルがどれだけ役に立つか、あとはお楽しみってわけねっ」

俺は改めて聞いた。

「一体どうやって、あんな体にできたんだ?」
「なによー、もう何回も説明してるじゃん」
「すまん。何度聞いてもよくわからない」
「もー、だからね、もうホントちょっといじるだけなの。
ゆっくりの体を構成しているものは、マジ、地球上のどんな生物とも全然違うわけ。
物質としてのルールからして全然違う。
世界中の科学者が混乱したのは、生物学上のルールを無理にあてはめようとしてたからよ」
「うん」
「ゆっくりは生物じゃないの。
かといって鉱物でもない、生体鉱物ともいえない。
存在自体が、これまで地球上にはなかった全く新しい概念なんだ。
その存在は、ルールから性質からすべてが未体験で、今までの常識は全く通用しません。
質量保存の法則も相対論もなにもかも、無駄」
「だろうな」
「なぜ饅頭が生きて動いているのか。
あたしはそれを解明しちゃいました。
詳しく説明するのはすごく難しいんだけど、あえて名付けるなら「物語性」っていうのかな、
まあそんなような概念がルールになってます。
まだ研究中だから、論文にはまだまとめてないんだけどね」
「物語性?」
「普通の生物のルールってのは、こうでしょ」

そう言い、春奈博士はホワイトボードに犬の絵を描き入れる。
ひどく下手な絵で、くすりと笑う声がどこからか聞こえてきた。

「はいはい、笑わない。で、こうでしょ」

犬の輪郭の中に、心臓が書き込まれ、何本もの管が書き込まれる。

「心臓が血を全身に送り出して、血液が栄養分を全身に行き渡らせる。
栄養分は食物を体内に取り入れることで摂取でき、不要な分は便になって排出する。
植物なら光合成だけど、こんなふうに複雑なシステムが絡み合い、機能しているから、
生物は生きることができる。そういうわけ」
「ああ」
「さて問題。ゆっくりを生かしているシステムとは何か?」

黒い三角をかぶった球体、まりさ種のつもりらしい、
ホワイトボードに描き入れたその絵をペンで叩いて春奈博士が聞いてきた。

「お手上げだ。ご教授願うよ」
「答え。生きているから」

球体の中心に乱暴に「生」と書きつけ、春奈博士が強い語調で言った。

「生きている饅頭、そう決められているから生きている、それだけです」
「ちょっと待ってくれ。誰が決めたんだ?」
「知らなーい。とにかくそうなってるの。
他の動物は、食べることで身体を動かすのに必要な栄養素を取り込む、という理屈だけど、
ゆっくりの場合は、「ものを食べるようになっているから」というだけ。
なにを食べても餡子に変換するのも、頭に茎が生えて子供が実るのも、
「そういうふうになっているから」なの。
それ以上のどんなメカニズムも整合性も、ゆっくりにはありません」
「わけがわからん」
「動物だと思わなければわかるはずだよ。そのように作られているから、そんだけ。
すごく単純に説明してるけど、もちろん実際の餡子内の情報量はけっこう複雑だよ。
ともかくあたしは、ゆっくりの餡子に刻みつけられているそのルールを、
人間の言葉に翻訳することに成功しました。
ゆっくりというのが物語として、それを構成しているのが設定とするなら、
その設定を、おおむね解読できちゃった。
で、あとは、それを書き変えただけ。
「餡子がなくなったら死ぬ」「中枢餡が破壊されたら死ぬ」という部分を、
まるごと「死なない」に変換した、というわけです」
「…………」
「ま、簡単に言っちゃったし、やってることも単純なんだけどさ、
書き変える方法がまたものすごく難しくってね、専門的な話になっちゃいます。
言ってみれば別次元に干渉するのに近いね。
本にパンチして、漫画の中のキャラを殴ろうとするようなもん。
ま、企業秘密としときましょ」

春奈博士はそう言い、けらけら笑った。

「やり方がわかったらあとは簡単。
中枢餡だけは壊れない、餡子だけ再生する、皮までまるごと再生する、
いろんなパターンの不死を楽しめます。
今回のプランでは、途中まで中枢餡のみの不死。
ミキサーに入れる前にまた処置して、皮を張り替え、全身不死ゆっくりにしたわけ。
餡子だけじゃあ話もできないもんね」
「どういうしくみで再生するんだ?餡子はどこからくる」
「いまさらな質問だなあ。だから、そうなってるから。
仮に核爆弾が直撃しても、地球が爆発しても、膨張した太陽に飲み込まれても、
それどころか宇宙が消滅しても、このゆっくりは生きてます。
それがなぜかといえば、「死なない」と決められたから、なの。
あたしが「もろもろの条件下で死ぬ」と書き改めない限り、何やっても死なないよ。
さっき、漫画のキャラっていうたとえ話を出したけど、
実際、ゆっくりだけが別次元にいるようなものでね。
この三次元で何が起ころうと、別次元の概念には一切干渉できないってわけ」
「何度も聞いた説明だが」

俺は肩をすくめて息をついた。

「さっぱり、わからん」
「そりゃそうだよ」

いたずらっぽく笑い、春奈博士は言った。

「作者にもよくわかってないもん」


続く

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最終更新:2011年09月02日 03:12
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