ゆっくりいじめ系2760 ブサイクれいむ

「ブサイクれいむ」



―― 1 ――


8畳の洋室の隅にある、『れいむのおうち』と殴り書きされたダンボール。
ビニールボールやら新聞紙やら、遊び道具になりそうなものが放り込まれている。
その中に差し込む朝日を浴びて、れいむは目を覚ました。

「ゆゆ……ゆっくりしていってね!!」

巣にはれいむ以外誰もいない。何故なら、ここはれいむだけのおうちだから。
外からはチュンチュンと鳥の鳴き声が聞こえる。鳥は、れいむよりもずっと早起きだ。

「ゆ! おなかがすいた! あさごはんをたべるよ!!」

ゆっくりは総じて燃費が悪い。
れいむのお腹は先程からぐ~ぐ~鳴りっぱなしだ。
ナメクジのように這いずって、れいむは巣から顔を覗かせる。
そこでは、飼い主であるお姉さんがテーブルで朝食をとっていた。

「あら? 今日は早いのね」
「ゆゆっ!!」

にっこり微笑むお姉さん。
それにつられて、れいむもキリッと眉毛を吊り上げて笑う。

だが、その笑顔は次の一言で崩れ去った。



「おはよう、ブサイクれいむ」



「ゆぅ……」

微笑を崩さないお姉さん。
その言葉を聞いた途端、れいむは悲しげな顔をして俯く。

「どうしたの? ブサイクれいむ? 朝の挨拶は?」

れいむの顔を覗きこみ、にこやかに問いかけるお姉さん。
ゆっくりできない。こんな挨拶はゆっくり出来ない。
それでもれいむは、お姉さんに逆らう事が出来ず……
恐る恐るお姉さんを見上げながら、ぎこちない笑みで言葉を返した。

「ゆ……ゆ、ゆっくりしていってね!」
「はい、よく出来ました。さぁブサイクれいむ、朝ごはんにしましょう」

そんなれいむの顔を見て、お姉さんも満足げな笑顔を浮かべる。
とても幸せそうな、とても綺麗な、充足感に満ちた表情だ。



“ブサイクれいむ”

れいむがこんな風に呼ばれたのは、今日が初めてではなかった。




れいむは、ペットショップで中レベル品質のゆっくりとして売られていた。
3ヶ月前に今の飼い主であるお姉さんに買われ、今はこうしてペットとして生活している。

そんなれいむは、生まれながらの美ゆっくりだった。
街を歩けば全てのゆっくりが振り返るぐらいの、美しいゆっくりだった。
れいむ自身も、自分の美貌に自信を持っていた。
そして、その美貌でお姉さんをゆっくりさせてあげたいとも思っていた。

飼われ始めた当初は、お姉さんもゆっくりしてくれた。
れいむはとても可愛いから、とてもゆっくりできる……そんな風に言ってくれた。
だが、いつからだろうか。お姉さんは変わった。
前触れもなく、こんなことを言うようになってしまったのだ。


『ねぇれいむ? どうしてあなたはそんなにブサイクなの?』


当然、最初は反論した。

『れいむはブサイクじゃないよ!! とてもゆっくりできる、かわいいれいむだよ!!!』

でも、半月ぐらいで反論する気力を失った。
自分がブサイクであることを否定するたびに、言葉で表すことが憚られるほどの虐待を受けたからだ。

『れいむはブサイクだから、私が捨てたら生きていけないわね。誰も飼ってくれないもの』
『私は優しいから、ブスなれいむでもちゃんと養ってあげるから、安心してね』
『あなたがこんなにブサイクなのだから、きっとあなたのお母さんはもっとブサイクなんでしょうね』
『ブサイクじゃない子と区別できるように、今日からあなたを“ブサイクれいむ”と呼ぶことにするわ』

いつからか、れいむは“ブサイクれいむ”と呼ばれるようになった。



お姉さんは、優しくてゆっくり出来る人だ。
ご飯は3食満足に食べさせてくれるし、時間が許す限り遊んでくれる。
歌が上手いと褒めてくれるし、夜一人で眠るのが怖いときは一緒に眠ってくれる。
お姉さんの手に撫でられると、れいむはとても安心できる。
そういう時、れいむはとてもゆっくりできるのだ。

だけど、たまにゆっくりできない時がある。
お姉さんが、れいむを“ブサイクれいむ”と呼ぶ時だ。

 れいむはブサイクだ。れいむはブスだ。
 こんな顔面崩壊ゆっくりは、野生じゃ誰もつがいになってくれないだろう。
 だから、私のペットになれてよかったね。養ってもらえてよかったね。
 でも子供は産ませないからね。こんなブサイクから生まれるなんて、子供が可哀相すぎるから。

れいむの心を、深く抉る言葉。
その言葉を、お姉さんはいつもと変わらぬ笑顔で、まるで褒め言葉のように放つ。
れいむの歌を褒めてくれるときと、れいむと一緒に眠ってくれるときと。
まったく同じ笑顔を浮かべて、お姉さんは繰り返しれいむの心を傷つけていくのだ。




「むーしゃむーしゃ……」

お洒落な書体で『Reimu』と書かれた小さな器に、細かく砕いたお菓子が盛られている。
ゆっくりにとって最高のご馳走。野性の世界では、殆ど手に入れられない代物だ。
一口含んで噛み砕くたびに、れいむの口の中に例えようのない甘味が広がる。

だが、あの言葉が出てこない。
心を満たす幸福を更なる高みへ昇華させる、本能に刻み込まれた『しあわせ~!』が出てこない。

「どうしたのブサイクれいむ? 美味しくないの?」

お姉さんが、心配そうにれいむの顔を覗きこむ。
彼女の表情は、本当にペットを心配している飼い主のそれだ。
れいむを“ブサイクれいむ”と呼ぶことへの躊躇いや罪悪感は、まったくないのだろう。

「ゆ、ゆゆ……ゆっくりおいしいよ! とてもゆっくりできるあまあまさんだよ!!」

自分がかわいいゆっくりであるという意識が、言葉を詰まらせる。
決して反論してはいけない。思い出すのも躊躇われるぐらいの仕打ちを受けることになるからだ。

「そう、ならいいのだけど。たくさん食べて大きくなってね」
「ゆゆ!! ゆっくりりかいしたよ!!」

れいむにとってお姉さんは、すごくゆっくり出来る飼い主さんだ。
美味しいご飯をたくさん食べさせてくれるし、一緒に遊んでくれる。
れいむの歌を上手だと褒めてくれるし、一緒に歌の練習もしてくれる。

だけどここ数ヶ月で、れいむが心からゆっくりできたことは一度もない。
お姉さんの中で“かわいいれいむ”が“ブサイクれいむ”になってしまった、あの日から…
淡々と、繰り返しれいむの心を傷つけるあの言葉があるから、ゆっくりできるけどゆっくりできない。
あの言葉さえなければ、れいむは―――

「さ、お姉さんはお出かけしてくるから、ブサイクれいむはお留守番お願いね」

―――もっとゆっくりできるのに。




―― 2 ――


お姉さんは、昼頃に帰ると言い残して、外に出て行った。
きっと狩りに出かけたのだろう、とれいむは思った。

ゆっくりしているけど、ゆっくりできないお姉さん。
綺麗で優しいけれど、れいむを“ブサイク”というお姉さん。
お姉さんがいない間は、寂しいけれど心が落ち着く。
ゆっくりできないけれど、少しだけゆっくり出来る。

「れいむは……ブサイクじゃないよ」

誰もいないのに、誰かに訴えかけるように呟く。
お姉さんの言葉への反論が許されるのは、お姉さんがいないときだけだ。

「れいむは……かわいいんだよ…ブサイクなんかじゃないんだよぉ!!」

生まれてすぐ、れいむの顔を見たお母さんは『かわいいおちびちゃんだね!!』と言ってくれた。
ペットショップの店員さんも、こんな美れいむは今まで見た事がないと褒めてくれた。
お姉さんだって、最初は綺麗で可愛いと言ってくれたのに……

「ゆっぐぅ……ゆっぐぃ……ゆっぐり゛い゛い゛ぃい゛い゛ぃい゛ぃぃぃぃ!!!!」

悔しくて、泣いた。
ゆっくりできるゆっくりだと。かわいいゆっくりだと、認めてもらえないのが悔しくて、泣いた。
そして、お姉さんがいない時にしか泣けないのが悔しくて、さらに泣いた。

お姉さんは、ゆっくりさせてくれる。だけど、認めてくれない。
美味しい食べ物をたくさんくれるし、一緒に歌ってくれるし、一緒に遊んでくれる。
だけど、れいむの可愛さだけは認めてくれない。ゆっくりとしたゆっくりだと、認めてくれない。

『こんなに美味しいご飯を毎日食べてるのに、ブスのままだなんて……とっても可哀相!』
『れいむはお歌が上手なのね。ブサイクなのに』
『あなたみたいなブサイクは誰も遊んでくれないでしょうから、お姉さんが遊んであげるね』

それだけで、れいむはゆっくりできなくなるのだ。
自分の誇る特徴を、それと認めてくれないだけで……



そろそろお姉さんが帰ってくるかなと、れいむが思い始めた頃。
こつんこつんと、ガラス戸を叩く音が聞こえた。
ボールを噛んだり蹴ったりしながら暇を潰していたれいむは、好奇心に誘われて音のしたほうへ跳ねていく。
カーテンの隙間から、顔を覗かせると……

「ゆゆっ!! ゆっくりしていってね!!! まりさはまりさだよ!!」

そこには、野生のものと思われるゆっくりまりさがいた。
金髪と黒い帽子が特徴の、れいむと並んで最も数の多い種類である。
すごくゆっくりできそうなまりさだ。れいむはそう思った。

「ゆゆーー!! れいむはれいむだよ!! ゆっくりしていってね!!」

散歩の時以外で他のゆっくりに遭遇するのは、とても珍しいことだ。
ぴょんぴょん跳ねてアピールするまりさに、れいむは喜びながら同じポーズをとって応じた。

「ゆぅー!! れいむはとってもきれいだね!! ゆっくりできそうなれいむだね!!」
「ゆゆっ!? ゆふふ!! てれるからゆっくりほめないでね!!」

頬を赤く染めながらも、れいむの心は幸福で満たされていた。
こんな風に、周囲のゆっくりはいつもれいむのことをかわいいと褒めてくれる。
散歩の途中で人間さんに会ったときも、同じように褒めながら頭を撫でてくれる。
れいむの事をブサイクだというのは、お姉さんだけなのだ。

「ゆぅ……かべさんがいじわるしてるよ!! れいむといっしょにゆっくりしたいのにぃ!!」

まりさは頬を膨らませながら、どんどんとガラス戸に体当たりしている。
どうしよう、このままではガラス戸が壊されて……お姉さんが困ってしまうかもしれない。
そう思ったれいむは、まりさを止めることにした。

「ゆっくりやめてね!! かべさんをこわしたら、おねえさんがこまるよ!!!」
「ゆゆぅ? おねえさん? それってゆっくりできるもの?」
「おねえさんはゆっくりできるひとだよ!! だからかべさんをこわさないでね!!」
「ゆん!! ゆっくりりかいしたよ!! かべさんをこわさないで、ゆっくりするね!!」

それから2匹は、ガラス越しに頬を合わせながらゆっくりすることにした。
本当のすりすりに比べればゆっくりできないけど、これでも十分ゆっくりできる。
好きな食べ物とか、好きな遊びとか、好きな歌とか、いろんなことについて話しながらゆっくりした。



そして、20分ぐらい経って…



「ねぇ、れいむ?」
「ゆ? なぁに?」
「まりさは、れいむとずっとゆっくりしたいよ!!」

それは、ゆっくりにとっての愛の告白だった。
出会って20分程度しか経過していないが、それはゆっくりにとって愛情を確信するのに十分な時間だった。
もじもじしながら俯いているまりさを見て、れいむは考え始める。

まりさはとてもゆっくりしている。れいむをかわいいと褒めてくれる。
だから、れいむもまりさとずっとゆっくりしたい。

だけどお姉さんは……そのことを許してくれるだろうか?
まりさと一緒に暮らすことを、お姉さんは認めてくれるだろうか?

そうだ、お願いしてみよう。
こんなにゆっくりしたまりさだから、ちゃんとお願いすれば許してくれるに違いない。

「ゆゆ!! れいむもまりさとゆっくりしたいよ!!」
「ゆぅー!!! ありがとう!! ゆっくりしていってね!!」

れいむは、まりさの告白を受け入れた。
だが、一緒に暮らすのはお姉さんの許しを得てからだ。

「ゆっくりまってね!! おねえさんにおねがいしてみるからね!! ゆっくりするのはそれからだよ!!」
「ゆっくりりかいしたよ!!………ゆっ?」

告白を受け入れてくれただけでも嬉しい。
全身を駆け巡る幸福に身を弾ませていたまりさは………れいむの背後に現れた大きな影に気づいた。

その影は、自らの手でカーテンを退かし、鮮明な姿を現した。
“影の正体”は足元のれいむに目をやると、視界の端に入り込んだ黒い物体―――まりさに視線を移した。

「ブサイクれいむ? こんなところで何をしているの?……って、あらら、野良ゆっくりが泥棒に来たのね」
「ゆっ!? おねえさん!? おかえりなさい!」

れいむに微笑みかけたお姉さんは、まりさに目を向けても表情を変えなかった。
驚きの声を上げながら、れいむはお姉さんの顔を見上げる。

「ゆゆぅ!! このひとがおねえさんなの? ゆっくりー!!」

生まれつきのふてぶてしい笑みを浮かべて、まりさはぴょんぴょん跳ねた。
れいむの言ってたとおり、このお姉さんはとてもゆっくりできそうだ。
そう思って、喜びのあまりドンドンとガラス戸に体当たりする。

「まったく、うるさいわね。これだから野良は……」
「ゆっくりぃ!! おねえさん!! れいむはおねがいがあるよ!!」
「ちょっと後にしてくれる? お姉さんはこのまりさとお話があるから、ブサイクれいむは向こうのお部屋で待っててね」

そう言うと、お姉さんはガラス戸を開けてサンダルを履き、庭へと出て行った。
分厚いカーテンを閉め、戸もぴしゃりと閉められてしまって、れいむからは外の様子を見る事が出来ない。
でも、きっとまりさのほうからお話をしてくれて、お姉さんも同居を許してくれるだろう。
れいむはそんな風に、楽観的に考えていた。



だが、その外では“お話”など行われていなかった。

「ささ、泥棒さんは出てってちょうだい。二度と戻ってきちゃ駄目よ」
「ゆゆ!? やめてね!! おはなしをきいて―――

問答無用でまりさを鷲づかみにし、そのまま塀の向こう側へ放り投げる。
事が片付いたと安心しきったお姉さんは、微笑を浮かべたまま家の中へ戻ろうとしたが……

「ゆっくりまってね!! おはなしをきいてね!!」

まりさは、塀の下部に空いている小さな穴から、ひょっこりと顔を覗かせた。
そのままずりずりと這いずり、再び庭の中へ入り込む。

「まりさはれいむとずっとゆっくりしたいよ!! おねがいだよ!!」

ぴょんぴょん跳びはねながら、まりさは甲高い大声を放つ。
それに反応して振り向いたお姉さんの顔は、笑っていなかった。
まるでお面を被っているかのように、ピクリとも動かない……感情の篭っていない顔。

「もう二度と言わないからよく聞きなさい。“5秒以内”に、私の家から出てって」
「ゆっ!? どうしてそんなこというの!?」

会話など成り立っていなかった。
通常と違うのは、その原因がゆっくりではなく、人間である“お姉さん”だということ。
彼女は一切の無駄を許さず、自分の意思に従って着々と行動している。

「5……4……」
「おねがいだよ!! れいむもまりさとゆっくりしたいっていってたよ!!」

お姉さんは、まりさの言葉に耳を傾けようとはしない。
彼女にとって、まりさは最初から“排除するべき野良ゆっくり”なのだ。

「3……2……」
「ゆっくりきいてよ!! れいむはとてもかわいいゆっくりだったよ!!
 そんなかわいいれいむと、まりさはすごくゆっくりしたい!! ゆっくりしたいんだよおおおおおぉぉ!!!」

声を張り上げるまりさ。
お姉さんは、それとは無関係に背後を振り返る。

「1……」

そして、ガラス戸もカーテンも完全に閉められていることを確認すると―――

「……ゼロ」

拳を大きく振り上げた。




―― 3 ――


言いつけどおり、隣の部屋でゆっくり待っていたれいむだったが…
お姉さんとまりさのお話がどうしても気になるので、庭に面した部屋に戻ってきてしまった。
盗み聞きは良くないことだとわかっているが、今回ばかりは我慢できないのだ。

「ゆっ! そろーりそろーり……」

カーテンは光を殆ど遮断してしまうので、2人の姿はよく見えない。
れいむはゆっくりとカーテンに近づき、聴覚を研ぎ澄ます。

その瞬間……

ゴッ!! ゴッ!! ゴスッ!!!

鈍い音が、3回連続した。

「どぼ**********!!! がぼ**~~~****~~~~!!!!」

誰かが庭で物凄い大声で叫んでいる。
だが、ガラスとカーテンを隔てたれいむには聞き取れない。

ドンッ!! ドンッ!! ドスンッ!!!

何かでやわらかい物を殴るような、そんな音だ。

「ごっ****~~~~!!!! ゆっぐり*********!!!!」
「ゆゆぅ? なんだかゆっくりできないよ!?」

鈍感なれいむも、不穏な雰囲気を感じ取った。
カーテンの向こう側で、誰かがゆっくり出来なくなっている気がする。
だけど、怖くてカーテンの向こう側を覗く事が出来ない。

「こわいよ!! ごあい゛よ!! ゆ゛っくり゛させて!! お゛ね゛え゛さああ゛ぁぁぁん!!!」

そのお姉さんは、カーテンの向こう側だ。
もしかしたらお姉さんも、何者かの手によってゆっくり出来なくされるかもしれない。
そう思ったれいむは、怖くて怖くてたまらなくなり、その場で震えていることしか出来なくなった。

ゴスンッ!! ドスンッ!!! バキィッ!!!

「****~~~~!!! **   **~~~!!」

ガッ!!! ドッ!!! ゴッ!!!

「*    ***   *      」

バコッ!!! ゴスッ!!! ズドンッ!!!

「**         *      」


音は鳴り止まない。
だが、叫び声はだんだん弱くなっていって……


ズドッ!!! ゴスッ!!!!


「                  」


……そして、聞こえなくなった。

「ゆゆゆゆぐぐぐぐぐぐぐりりりりりりりりいぃいいぃぃぃぃい?????」

もしかして、まりさもお姉さんもゆっくりできなくなってしまった?
頭に浮かんだ最悪の光景に恐怖して、れいむはまともに喋ることもできない。
歯茎をむき出しにしたまま、驚愕の表情でガクガクと震えている。

そんなれいむの目の前に……

ガラガラガラガラ

「あら、いつも以上にブサイクな顔をしてどうしたの?」

ガラス戸を開けて姿を現したのは、お姉さんだった。
全身を見渡しても傷一つなく、その綺麗な顔はいつもと同じように微笑んでいる。
手についた黒い何かをパッパッと払いながら、涙でくしゃくしゃになったれいむの顔を見下ろした。

「おねえええざああぁああぁっぁあん!!! ごあがっだよおおおおおぉぉおぉぉ!!!」

れいむは勢いよく、お姉さんの胸に飛び込んだ。
そんなれいむを、優しく抱きしめてくれるお姉さん。
れいむをブサイクだというけれど、やっぱりお姉さんは優しくてゆっくりできる。

「もしかして、怖がらせちゃった? 大丈夫よ、あんなのお姉さんが追い払ったから」
「ゆやああぁあぁあぁあぁっぁああん!!!!…………ゆっ? いまなんていったの?」
「“あんなのお姉さんが追い払った”って言ったのよ? あのまりさ、泥棒に来た悪いゆっくりだったから」
「ゆゆっ!?!?」

れいむは理解できなかった。
あのまりさは、あんなにゆっくりしていたのに。そのまりさが、泥棒?

「どうしたのブサイクれいむ? お姉さん、何か変なこと言った?」
「ま、まりさはどろぼうさんじゃないよ!! とてもゆっくりできるまりさだよっ!!!」

あのまりさはとてもゆっくりしていた。泥棒なんかじゃない。
なのに、泥棒と間違えて追い払ってしまうなんて……!

「まりさをゆっくりつれてきてね!! まりさはわるくないよ!! いいものだよ!!!」
「はいはい、もうおうちに戻りましょうね」

れいむの心からの叫びを、お姉さんはまともに聞こうとしない。
力任せに、れいむを巣に押し戻そうとする。
でも、れいむは諦めなかった。力いっぱい、お姉さんの手を押し返す。

「ゆっくりはなしをきいてね!! だって―――

その時、れいむはお姉さんの背後に転がっている黒い帽子に気づいた。
白いリボンがアクセントの、高く尖った黒い帽子。
あれ? あの帽子……つい最近、どこかで見た気がする。

「ゆゆぅっ!!!」

れいむはお姉さんの手から離れ、庭の真ん中に落ちている帽子へと駆け寄る。
舐め回すようにその帽子を眺めながら、必死になって記憶を辿っていく。
そして、思い出した。つい数分前の、ゆっくりとした光景が思い浮かんだ。

「これはまりさのぼうしだよ!!! どうしてここにおちてるの!?」

お姉さんはため息をつくと、苦笑いしながら答えた。

「まりさが泥棒だからよ」
「ちがうっていってるでしょ!? まりさはどろぼうさんじゃないよ!!!」
「じゃぁ、どうしてその帽子が落ちたままなの? どうしてまりさは、取りに戻ってこないのかしら?」

にこりと笑って、首を傾げるお姉さん。
れいむは思考がついていかず、言葉を失ってしまった。

「きっと、ここに戻ってこれない理由があるのね。じゃぁ、その理由は何かしら?」
「ゆゆぅ………そ、それは……」
「まりさは帽子を失くしても逃げなければいけなかった。
 何故ならまりさは泥棒で、悪いゆっくりだから……見つかったら捕まってしまうから。だから逃げたの」

れいむは、反論できなかった。反論する頭などもとからない。
俯くれいむを見て、お姉さんは満足そうな顔をする。

「ほら、いつだってお姉さんは正しいのよ? 今まで私が間違ってたことって、ある?」
「ゆっ………」

れいむを抱え上げて、お姉さんは家の中へ上がる。
お姉さんの胸の中。れいむの一番安心できる場所だ。
だけど、今はそんな気分じゃなかった。
大好きなまりさが、悪者呼ばわりされているから……

「ねぇ、ブサイクれいむ? 冷静に考えてみて。あなたはあのまりさを良いゆっくりだと言ってるけど……
 あなたを“かわいいれいむ”だなんて言うお馬鹿さんが、良いゆっくりなわけないでしょう?」

「ゆゆっ!? そんなことないよぉっ!!!」

今までで一番の、力強い否定。
これ以上、まりさを悪者呼ばわりされるのは我慢できなかった。
れいむをかわいいと言ってくれた、ゆっくり出来るれいむだと褒めてくれた。
そんなまりさを、これ以上ゆっくり出来ないモノにされたくなかったから。

だが、勢いに任せて放った言葉は、決していい結果を導かない。



パァアン!!!

「ゆびぃっ!?!?!」

何かが破裂するような音。
直後、れいむの左頬が真っ赤に染まる。

「言いなさい。何が“そんなことない”のかしら?」

お姉さんの顔は、笑っていなかった。
それを見上げると同時に、先程叩かれた時の痛みが餡子を伝って全身に広がっていく。
ビクビクと身体を震わせて、だらだら涙を流している。

「ゆ゛!? い゛だいっ!! い゛だい゛よ゛ぉーー!!! ゆ゛ゆ゛ぅーーー!!!」
「お姉さん、何か間違ったこと言った?」

パアァンッ!!!!

今度は右頬が叩かれた。
両頬を真っ赤に腫らしたれいむに、お姉さんは鼻先が当たるくらいに顔を近づける。
そして、れいむのまん丸な目を凝視し、無表情のまま問いかけた。

「ゆびぃっ!! ゆびぃーーーっ!!! ゆ゛あ゛ぁーーー!!」
「言って御覧なさい? 何が違うのかしら?
 まりさが悪いゆっくりだってこと? それとも、あなたが“ブサイクれいむ”だってこと? どっちなの?」

れいむは答える事が出来なかった。
お姉さんが、笑っていなかったから。
笑っていないときのお姉さんは、とても怖いから。

どっちが正解なのだろう?
いったいどちらを選んだら、お姉さんは痛いのをやめて、優しいお姉さんに戻ってくれるのだろう?

「ふーん、迷ってるのね」
「ゆぅうぅぅ……」

お姉さんから視線を逸らし、小さく唸るれいむ。
そんなれいむを見て困ったようなため息をついたお姉さんは、れいむを抱えたまま机へと歩み寄る。

「だったら……」

そして、机の上に無造作に放ってあった彫刻刀を手に取った。


「……迷わないような顔に、してあげる」


無表情だったお姉さんが、笑った。




―― 4 ――


「ゆ゛あ゛あ゛ああぁーーーーー!!! やべでねっ!!! や゛べでねっ!!!」
「駄目よ。これはあなたが“勘違い”しないようにするために、必要なことなのだから」

お姉さんの左手で、仰向けの状態で床に押し付けられるれいむ。
右手に握られた平刀タイプの彫刻刀は、その刃先をれいむの顔に向けている。

「ごべんなざいぃっ!!! ごべんな゛ざい゛ぃいいぃぃ!!! れいぶはブザイグでずぅっ!!! だがらゆるじでっ!!!」
「あなたがブサイクなのは知ってる。お姉さんはそれを、しっかり自覚して欲しいの」

そして、右手を振り下ろした。

ザクゥッ!!!

れいむの左頬に、刃が抵抗なく突き刺さる。
その瞬間、叩かれた時の数十倍の激痛が、れいむの全身を襲った。

「ゆぎゃああぁあぁあぁぁぁぁぁあっ!!!! いだいぃぃいいぃっ!!!! い゛だいのやだぁあ゛あぁーーーー!!!!
 ゆっぐじじだいいいぃいいぃっ!!! ゆっぐじざぜでえぇええぇぇぇーーーーー!!!!」
「ほんのちょっと痛いかもしれないけど、我慢してね。あなたのためなのよ、ブサイクれいむ」

外部からの異物が、体内の餡子に直接触れる。
それだけで、気を失いそうな痛みが身体を駆け抜ける。
しかしお姉さんは、彫刻刀を振り下ろす手を休めようとしない。

ザシュッ!!!

「ぴぎゃあ゛ぁあ゛ぁあ゛ぁっ!!!!」

ドシュッ!!!

「い゛っびゃあ゛あぁあ゛あぁぁっ!?!?!」

グザッ!!!

「ひぎい゛い゛ぃいい゛ぃぃいいぃぃっ!!!!」

微笑を絶やさぬまま、お姉さんは繰り返し繰り返し、れいむの顔面に彫刻刀を突き刺す。
少しずつ刺す位置をずらしながら、目と口は避けて刺していく。

刺されたところは醜く腫れあがり、傷口からグズグズの餡子がはみ出している。
まるで、畑を耕しているかのようだ。
目と口以外の部分が、お姉さんの手によって均等に耕されていく。

「びぃ……ゆ……ぐ…じ……」
「もうすぐよ。もうすぐだから、我慢してね」

れいむの頭の中を、痛みと恐怖が支配する。
ぶくぶくと泡を吹きながら、振り下ろされる彫刻刀を目で追うことしか出来なかった。




“農耕作業”は10分足らずで終了した。
れいむは気を失い、白目を剥いたまま転がっている。
背中も底部も、美しく張りのある状態。黒髪の艶も保たれている。

だが、顔面は見るも無残。吐き気を催すほどグロテスクな有様……バケモノの顔だった。
漏れ出した粘性の強い餡子が、脆い岩石のように歪になって、れいむの顔を覆い尽くしている。
口は形を保っているが、動かすたびに周囲の皮に激痛が走るだろう。
浮き立った眼球がギョロリと動く様子は、一度目の当たりにすれば人間の子供でも逃げ出すに違いない。

お姉さんは、花柄のタオルで額の汗を拭った後、刷毛を使ってれいむの顔面に薄くオレンジジュースを塗る。
そして、れいむの目の前に座り込み、れいむが目を覚ますのをじっと待ち始めた。



れいむは、30分後に目を覚ました。
お姉さんが塗ったオレンジジュースのおかげか、ズタズタにされた顔面の痛みはもうなかった。

「おはよう、ブサイクれいむ」
「ゆ゛っ……ゆ、ゆっくりしていってね!」

怯えながら、れいむは挨拶を返す。
口の周囲に違和感を感じているようだが、発する言葉は明瞭だ。

「ごめんね。痛かったでしょう?」
「ゆ、ゆっくりぃっ!!! もういたいことしないでね!!!」

頭を撫でられながら、れいむは声を張り上げる。
まだ、自分の顔がどんな状態なのか、把握できていないようだ。
お姉さんはれいむを抱き上げると、壁際にある姿見の前へ移動した。

「ブサイクれいむ? もう痛いところはない?」
「ゆゆ!! だいじょうぶだよ!!」

そして、れいむを鏡と向かい合わせにする。
鏡には……歪な物体を抱きかかえた、やわらかい笑顔のお姉さんが映っている。

「そう、なら安心ね。………これならもう、“勘違い”しないでしょうし」
「……ゆゆっ?」

お姉さんの言葉に疑問を感じながら、れいむも鏡に目を向けた。
そこに映っていたのは、綺麗なお姉さんに抱きかかえられた……正視できないほど醜い、バケモノ。
鏡がどんなものなのか知っていたれいむは、そこで一旦思考が停止した。

「ゆーーーーー? ゆゆーーーーー?」

あれ? ここに映ってるのは何?
れいむ? ちがう、れいむじゃないよね?
だって、れいむはかわいいゆっくりだもん。綺麗なゆっくりだもん。
だから、こんな気持ち悪いのが、れいむなわけがないよ。

「おねえさん。このかがみさん、おかしいよ。れいむがうつってないよ」
「……ブサイクれいむ。瞬きして御覧なさい。口を大きく開けて御覧なさい」

優しく指示するお姉さん。
れいむは、それに従ってぱちぱちと瞬きをする。
すると、目の前のバケモノも瞬きをした。

「ゆゆ?」

何かの間違いだと思い、今度は口を大きく開けた。
バケモノも、グロテスクな皮膚を引き攣らせながら、口を開いた。

「ゆゆぅっ!!! れいむのまねをしないでね!!! れいむおこるよ!!!」

れいむが怒ると同時に、目の前のバケモノも歪んだ顔面を更に歪めた。

「ゆっ!? どうしてぇ!? おかしいよ!!! おかしいよぉっ!!!」

何をしても同じだった。れいむの行動を、バケモノは見事にコピーする。
だから、何の偶然でも有り得ないし、鏡がおかしいわけでもない。
れいむは、受け入れざるを得なかった。自分が、目の前のバケモノであるということを。

「ど……お…じ………で……?」
「これでもう、自分がかわいいれいむだなんて勘違いしないわよね? ブサイクれいむ?」

ニコッと笑むお姉さん。
がくがく震えるクリーチャー。

「あなた、いつも周りの人からかわいいって言われるから、自分が可愛いれいむだって勘違いしてたでしょう?
 だから忘れないようにしてあげたのよ? ブサイクれいむは誰よりもブサイクなんだ、って」

お姉さんは、れいむをしっかり掴んだまま放さない。

「そして、勘違いしてたでしょう。私より可愛いって。私より綺麗だって」

お姉さんは、笑っている。

「忘れないでね。あなたは“れいむ”じゃないのよ?」

お姉さんは、綺麗だ。

「自分の言葉で言って御覧なさい。あなたは、れいむじゃなくて何なの?」

れいむは、怖かった。
お姉さんが笑っているのに、怖かった。
逆らおうなんて発想は、これっぽっちもない。
ただただ従順に、お姉さんの言葉に従えばいい。

今まで心の中では逆らってきたが、それもここまでだった。
れいむの心は、音をたてて折れてしまった。




「れいむは………ブサイクれいむ……だよ…」

「…よくできました」

お姉さんは褒めてくれた。頭を撫でてくれた。
鏡に映るバケモノが、お姉さんの手の力でふにゃりと歪む。
いつもなら安らぎを得られる瞬間なのに、台無しだった。

れいむは、認めるしかなかった。
自分はかわいくない。自分はブサイクなのだ、と。
だって、本当にブサイクなのだから。それどころか、ブサイクを超越してしまったのだから。
たとえ心の中でも、かわいいれいむを自称する事なんて出来ない。
こんな醜い顔の、どこがかわいいというのか。

だから、れいむは諦めた。
“可愛いれいむ”をやめて、“ブサイクれいむ”になった。



「さぁ、お散歩に行きましょうか、ブサイクれいむ。公園で他の子と遊びましょうね」

れいむがお姉さんを見上げると、彼女は綺麗な微笑を浮かべた。
鏡越しに、れいむは微笑み返す。
だけど、自分の顔が笑っているように見えなくて、れいむは目に涙を浮かべた。

「ゆぅ……ゆっぐりいいぃぃ……」
「ふふふ、お友達に会えるのがそんなに嬉しいのね。
 大丈夫よ、お友達はみんなゆっくりしてるから、ブサイクなあなたとも一緒にゆっくりしてくれるわ」

そんなわけがない。
こんな顔の自分を、皆は受け入れるわけがない。
しかし、お姉さんの手から逃れる術を、れいむは持っていなかった。
たとえ逃げる事が出来ても、れいむはどこでゆっくりすればいいのかわからない。
きっと、醜いれいむがゆっくり出来る場所など、お姉さんの家以外にないだろう。

「さぁ、行きましょうか」

足元のれいむを優しく抱えあげる。
お姉さんの顔は、綺麗な笑顔だった。
れいむよりもずっと綺麗な、あたたかい笑顔だった。




―― あとがき ――

ご近所さんがペットばかり褒めるから、お姉さん嫉妬しちゃった♪っていうお話。
お姉さんキチガイだよ。キチガイだよお姉さん。


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最終更新:2021年12月06日 04:22
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