ゆっくりいじめ系2664 わからないよー!!

わからないよー!!

書いた人 超伝導ありす



このSSは以下の要素を含みます。苦手な方は読むのをお控えください。

  • ゆっくりを愛でるシーンがあります
  • 死なないゆっくりがいます
  • 罪のないゆっくりがひどい目に遭います
  • 虐待シーン少なめです
  • 名前付きの登場人物がいます



「わかるよー。すごくわかるよー」

 そのペットショップには、一匹のゆっくりちぇんが居た。
 ちぇん種は見た目の猫っぽさから、同じゆっくりの中でも幅広い客層に受け入れられる。
 この日も、ちぇんはゆっくりとしては唯一、店のショーウインドを飾る事を許されていた。

「うわあ、なにこれ?」

 そこへ、学校帰りの少女が通りかかった。
 少女と言っても、今年は16歳の高校生。
 名前を、安食琴美(あじき ことみ)という。

 彼女にはゆっくりブリーダーの見習いをしている姉が居たが、琴美はゆっくりなんぞに興味は無かった。
 少なくとも、今までは。

「おねーさん、ちぇんにきょうみがあるんだねー。わかるよー!」

 下膨れの付いた丸い顔が跳ねる。

 ぽよん、ぽよん。
 なんて軽快な擬音は到底似合わない。
 ぼよん、ぼよん。
 というのが正解だ。

 琴美の感性は、それを見てキモカワイイという単語を思い出した。
 これが人間の顔そのままだったら、キモイを通り過ぎて恐怖だろう。
 ちぇん種はゆっくりの特徴に加え、猫耳と二本の尻尾という、一般ウケのよい特徴を兼ね備えている。
 琴美はあっという間に、その愛くるしい姿に心奪われてしまった。

「買った!コレ買った!!」

 琴美はその日のうちに両親を説き伏せ、ちぇんの購入に漕ぎ着けた。
 姉がブリーダーをしている事が、両親の理解を助けたのかもしれない。
 琴理の姉は、常々こう言っていた。
 『人の言葉を喋れるゆっくりには、ペットとしての新たな可能性が眠っている』と。

「きょうからおねーさんが、ちぇんのかいぬしさんなんだねー」

 ペットショップからの帰り道。
 琴美は透明箱に入ったちぇんの姿に満足げな笑みを浮かべていた。



「ちゃんと自分で世話をしなさいよ」
「がってん承知!」

 琴美はちぇんを親へ簡単に紹介すると、透明箱のまま自分の部屋へと戻り蓋を開いた。

「さあ、今日からここが、貴方のおうちよ!」
「きれいなへやなんだねー」

 ちぇんは透明箱から飛び出ると、まるで猫のように身を左右に震わせ、それから背伸びをした。
 『背中』という部位がなく、体全体が微妙に伸びる、シュールな光景ではあったが。

「う~ん、どうするか…」

 しばらく部屋の中をウロウロしているちぇんの背中を眺めながら、琴美は唸る。
 やがて家具の配置を覚えたのか、自分の目の前に戻ってきたちぇんに対して、琴美は口を開いた。

「きめた。アンタの名前は、『ちょぼ太』よ!」
「にゃ?」

 言われた意味が分からないのか、にこにこ笑顔のまま、首を傾げるように体を傾ける、ちぇん。

「だから、アンタの名前よ。ちょ~ぼ~た。いい?」
「ちぇんはちぇんだよ、わかってねー」
「くっ…」

 一瞬怒りを覚えるものの、踏みとどまる琴美。
 言葉が通じるのに意味が通じないというのは、結構なストレスだ。

「おちつけ私。普通の猫だって、すぐには覚えないじゃない。…そうだ!」

 自分に言い聞かせるように呟きながら、はっと琴美は思い出す。
 机の上に放り投げておいた冊子を開きながら、遅れて椅子に座った。
 ちぇんを買った時に、『ゆっくりの飼い方』というものを店員に渡されていたのだ。

「名前、名前…あ、コレだ」

 琴美はゆっくりの名前についてを記した部分を眺め。

「…ゆっくりは固有の名前を嫌いますう?」

 パタ、と力尽きたように机に突っ伏す。

「げんきだしてねー。ちぇんもゆっくりできないよー」
「はぁ…」

 衝動的に買ってしまったものはしょうがない。
 もしかしたら姉が解決策を知っているのではないか…と、携帯を取り出して、しかし電話を掛けるのはやめる。
 琴美の姉…琴理は見習いになったばっかりで、寮で多忙な日々を送っていると聞いていた。
 余計な心配をかける必要は無いと、ぱぁん!と自分で両頬を叩き。

「よっし、ごはん持ってきてあげるからね!待ってなさい!」

 頬が叩かれた音にぎょっとして、目を丸くしているちぇん。
 親に渡された札束の枚数では、専用の餌にまで回らなかったのだが、琴美にはアテがあった。

 そして用意された、今夜のごはんは、猫用のドライフード。
 前に飼っていた猫の余りが倉庫に眠っていたのである。

 ちぇんは言われた通りにドライフードを食べ、その晩腹痛に身悶えた。
 ドライフードの賞味期限は、軽く5年ほどぶっちぎっていたのである。

「わからない、わからないよおおお!?」
「うるさいよ!」

 ごつんっ!
 拳骨をくらい涙目のちぇん。
 先が思いやられるちぇんのペット生活は、こうしてスタートした。



 ちぇんが安食家のペットになってから、半年が過ぎた。
 この頃になると、ちぇんはようやく自分が『ちょぼ太』である事を自覚し始めた。
 否、諦めたと言うか。

 ちぇんの存在は、両親の生活にも潤いをもたらしていた。

「わかるよー。たいへんなんだねー」
「顔はブサイクだけど、聞き上手だね、ちょぼ太は」
「ちぇんはぶさいくじゃないよー!わかってよー!」

 専業主婦だった母親にとっては、愚痴や世間話をこぼせる相手になった。

「ちょぼ太はかわいいなあ。うん、本当に」
「さすがはぱぱさんだねー。ちぇんのことをわかってるねー」

 娘二人を持った家庭での、父親の肩身は狭い。
 父親はまるで三人目の子供のように可愛がり、親バカぶりを発揮した。

 ちぇんは初日に感じた不安とは裏腹に、温厚な家族に囲まれ、幸せなペット生活を送っていた。
 そんなある日、ちぇんは初めて外に連れ出された。
 今までずっと家の中で過してきたのだから、目に入る景色の新鮮さにちぇんは大はしゃぎする。

「わかるよー!これがそとのせかいなんだねー!!」

 さすがに自由行動というわけにもいかない。
 ちぇんの尻尾の根元には紐が括り付けられ、その先は琴美の手に握られていた。

「もー、少しは落ち着きなさいよ!」

 躾けの行き届いていない犬のように、ちぇんは何度も琴美の腕を引っ張る。
 成体のゆっくりは直径30cmに達する。
 ちぇん種はゆっくりの中でも小柄のほうだが、それでもチョコレートクリーム(の重さ)は伊達じゃない。

 もっとも、犬の散歩と違って気にしなくていいものは糞の始末が無いことだ。
 ゆっくりは基本的に排泄行為を行わない。
 食べたものは完全消化してしまうし、犬のように縄張りを示威する必要が無いからだ。

 ただし、毎日食べきれないほどの贅沢をさせると、より多くの餌を食べようと自分の中身を
 排泄するように『進化』してしまう個体も居るようだ。
 しかもそれは子供へ遺伝する事もある。
 もちろん、そんなの事になるのは勘弁なので、ちぇんの食事は必ず所要量だけ与えていた。

 家の周りを一周だけではかわいそうなので、琴美はちぇんを近くの公園に向かわせた。
 公園と言っても、ランニングコースを併設する大きな運動公園である。

「わかるよー!すごいひろいんだねー!」

 琴美の言われた通りに進んでいたちぇん。

「ちょっと待った!!」

 突然、琴美はちぇんを引っ張って木の影に隠れる。
 先ほどまで引っ張られてばかりの少女とは思えない万力のような力が、ちぇんの尻尾の根元に掛かった。

「わぎゃっ!?」

 ちぇんの体はもんどり打って琴美の足元へと強制移動させられた。
 運よく尻尾がもげることはなかったが、ちぇんは痛みに絶叫を上げようとして。

「らなぎゃっ!?」

 琴美に足で踏んづけられ、口が開けない状態にされてしまった。
 痛みに耐えつつ、ちぇんは飼い主の様子を観察する。
 彼女は木の影から、この先にあるベンチを凝視していた。

(わからないよー)

 ベンチには、飼い主と同世代の少年が座り、野良猫を足元にはべらせ…もとい、足元で可愛がっている。
 その少年は、琴美にとって意中の人だった。
 同じ町に住んでは居るが、学校が違うので接点が無く、今まで本格的に話をしたは無い。

「おねーさん、ちぇんはわからないよー」

 踏みつける圧力が減り、ちぇんは呟く。

「あのおにーさんがどうかしたの?」
「な、なんでもないわよ…。そろそろいくわよ」

 ちぇんが見上げると、琴美は顔を真っ赤にしていた。
 それを見て、再び少年を見比べ。

「わかったよー!おねーさんは、あのおにーさんがすきなんだねー!」
「ちょっ!な、なななな、何言ってるのかしら?」

 ペットに言い当てられ動揺する琴美。
 ちぇんは嬉しそうに、木の影を飛び出す。
 紐を握る力はすでに軽くなっていた。

「わかったよー!」
「ええええええ!?」

 呆然とする琴美の前で、ちぇんは少年の下へと向かっていく。
 琴美も追わないわけにはいかなかった。

「おにーさん!ちぇんもかわいがってね!」
「お…や?」

 ベンチに座り、野良猫を撫でていた少年は、やってきたちぇんに気がつく。
 体も綺麗だし、何より紐を引きずっているので、飼いゆっくりだとすぐに気づいた。

「やあ、君はちぇんだね。飼い主さんはどこに?」
「こらまてええ!!」

 そこへ、琴美が追いつき、ちぇんの体をがしっと捕まえ。

「す、すいませんでした。ちょぼ太が勝手に…!」

 慌てて踵を返そうとするが、ちぇんは拘束をするりと抜けて着地する。
 あまりに慌てていたので、うまく掴めていなかったようだ。
 ちぇんは再び、少年の元へはせ参じると。

「ちぇんは、おにーさんになでなでしてもらいたいよー!わかってねー!」
「こらぁ!」

 あまりの剣幕に、野良猫たちはとっくに退散していた。
 しかし少年はちぇんの行動に強く興味を引かれたのだろう、優しく笑い。

「あ、よかったら、この子を触らせてもらってもいいかな?」
「は…」

 琴美の動きが止まる。

「は、はい。ウチの子でよければ!」
「ありがとう」

 少年はちぇんを抱き上げ、後頭部を撫で始めた。
 わざわざ公園で野良猫の相手をしている位なのだから、相当の猫好きだろう。
 猫に似たちぇんに、撫でて欲しいと申し込まれて悪い気はしないようだ。 

「わかるよー!おにーさんはやさしいんだねー!」
「ちょ、ちょぼ太。あんまり迷惑かけないでね」
「わかったよー」

 気持ちよさそうな顔をしているちぇんに対して、ハラハラドキドキ、オロオロと挙動不審の琴美。
 ふと、少年は会話の内容に気づく。

「『ちょぼ太』って?」
「あ、はい。その子の名前です…」

 少年に顔を向けられると、琴美はしどろもどろに返事する。

「ちぇんはちょぼ太だよー。わかってねー。おねーさんもやさしいんだよー。これもわかってねー」
「ゆっくりに名前を覚えさせるなんてね。よっぽど好かれているんだ?」

 少年にとっては少し驚くべきことだった。
 だから自然に、琴美への興味も沸いた。

「あ、そういえば、どこかで会ったことあったっけ?」
「安食です!近所です!」
「このちょぼ太君の話を聞かせてもらってもいいかな?」
「はいっ!」

 ちぇんとしては、自分の行動に大満足していた。
 正直言えば、ここまでの結果を求めたわけではない。
 ただ、自分に興味が向けば、接点が出来るのではないかと、単純に考えただけ。
 決して心中で『計画通り』と、ほくそ笑んでいたわけではない。

 ちぇんの起こした暴挙の結果、予期せぬ幸運を得た琴美は、がちがちになって話を続けている。
 一度は逃げた猫たちが、怪訝な顔をしてその光景を見上げていた。



「ふふふ、うふふ」

 公園から帰ってきた琴美は、まだ夢心地の中に居た。
 憧れの相手と、会話する機会を得たのだ。
 しかも、ちょくちょくあの公園には居るという重大情報もゲットした。
 少年は動物が大好きで、とりわけ猫が大好きのようだ。

 ちぇんが今回の件で橋渡し役をした事は事実で。

「ちょぼ太、えらい!ちょぼ太、さいこう!ちょぼ太、てんさいっ!」

 琴美は、公園で踏みつけたちょぼ太の頭に何度もキスの雨を降らせる。

「なにやってるの?」

 玄関先でそんな事をやっていると、母親に怪訝な表情で見られてしまった。

「おねーさんは、おにーさんとー」
「わー!わー!わー!わー!わー!」

 ちぇんの言葉を大声で覆い隠し、琴美はちぇんを抱えて自室に飛び込んだ。
 平日、彼女が学校に行けば内容は筒抜けになってしまうのだが。

「わかるよー。はずかしいんだねー」
「うっさい。…今日はたまたま結果が良かったからいいけど、次にこんなことしたら怒るからね!」
「わかったよー」
「まあ、いいわ。ありがと、ちょぼ太」

 ちぇんは飼い主に大感謝され、じんわりと心が温かくなるのを感じた。

(やっぱりおねーさんはやさしいよー。ちぇんはしあわせだよー)

 そう思うと、今まで違和感を感じていた『ちょぼ太』の名前も不思議と受け入れられるようになる。
 ちぇんはちぇんでも、『ちょぼ太』は幸せを招く符合。
 チョコレート脳はそう認識したのだろう。

「さあ、今日はスペシャル猫まんまよっ!」

 その晩、ちぇんの前に出されたのは分厚いステーキ。

「すごいよー!でもわからないよー!」

 ステーキにはたっぷりの胡椒も振りかけられていた。
 中身が甘味のゆっくりにとって、辛いものは大敵なのである。
 琴美はもちろん知ってはいたが、今日の彼女は夢心地。
 いつも通りに焼いたステーキ、胡椒を抜くことなんてすっかり忘れている。

 主人の優しさと間抜けさを、ちぇんは涙しながら堪能するのだった。



 時は移り、ちぇんが安食家のペットになってから、一年が過ぎた。
 ちょぼ太が虹の架け橋になってから、およそ半年。

 あれから琴美は休みの度に公園へと出かけていた。
 しかも、実際に会えるのは月に多くても3回ほど。
 携帯の電話番号を交換したのはつい最近のことで、会っても会話は他愛のない話ばかり。
 自分の想いが気取られるのが怖くて、少なくとも恋愛に発展しそうな話はなかなか飛び出さない。

 だからこそ!
 だからこそ今日なのだ。

 今日会うことは予約済み。
 琴美は朝早く起きて、クローゼットの中身とにらめっこを続けていた。
 ちぇんは、その光景を何時も通りニコニコ笑いながら眺めている。

「きょうこそけっせん、なんだねー。わかるよー」
「ちょぼ太は黙ってて!」

 ちぇんに話しかけられるたびに気難しい顔をしていた琴美が選んだのはスカートだった。
 待ち合わせの時間近くになって、ようやく琴美は支度を終える。
 いつもはデニムパンツがお気に入りに彼女にしては、やたらと女の子っぽい勝負服。

 何時も他愛ない話をしてきたが、相手もそろそろ意識し始めているだろう。

「今日こそ、付き合ってもらえるようにお願いしないと!」

 唾を飲もうとするものの、喉はカラカラ。
 琴美はかなり緊張している。
 少年に現在彼女は居ないし、変な性癖を持っているわけでもない。
 勝機はあると、踏んではいたが。

「じかんだよー。わかってねー」
「わかったわよ!!」

 琴美はちぇんの尻尾の根元に紐をくくりつける。
 時間が迫っているので、小走りで公園へと向かった。

「だいじょうぶだよー。おねーさんはいっぱいれんしゅうしたんだよー」

 ちぇんは琴美を追いかけながら、今までの光景を思い出していた。
 彼女はここ直近になってから、ずっと告白の機会を伺い、覚悟を決めようとしていた。
 そして、部屋の中で告白の練習をする彼女を何度と無く眺めてきた。

 時には二人一役で。
 『好きです、付き合ってください』
 『僕も君が好きだ!』
 『まあ、なんてうれしい!』
 『今夜は離さないよ』
 『そういってあの人は私の両手優しく握り…うはは、うははは』
 などと暴走して、告白後のホテルの中にまで妄想が及んだこともあったが。

 運動公園には着いたのは時間ギリギリ。
 地元のスポットだけに油断したのか、準備が足りなかったのか。
 いずれにせよ、琴美の表情には焦りが浮かんでいた。
 服装や化粧が崩れるような全速力で走るわけにはいかない、女の子は大変だ。 

「ごめん、ちょっとおくれた!」
「いいっていいって」

 実際には5分と遅れていなかった。

「待ってないよ。俺も今来たところだし」

 最初に会った頃に比べ、少年の口調はかなりラフになっていた。
 もちろん、だからといって好き嫌いとは別の話。

「え~とね、今日は…」

 気を取り直そうとして、琴美は、はたと気がついた。
 しかも、それは致命的な問題だった。
 思わずガラスが割れる音を幻聴してしまったほどだ。

 琴美は告白のシーンを何度もシミュレーションしていたのだが、当日、問題にシーンに達するまでの
 道のりをすっかり考えていなかったのである。
 完全なド忘れだ。

 琴美はまがりなりにも女の子である。
 出会いがしらに、いきなり「俺に惚れろおお!」なんて『漢』っぽい事が出来るはずもない。
 告白なんてものを、自分に『言わせる』には、それなりのムードというものが必要なのだ。

 とはいえ…。
 固まったままの、無様な姿を見せるわけにもいかない。
 琴美は緊急回避的に、いつもと同じ流れを切り出した。

「それでねー」
「ああ、そうだっけ?」

 そのまま他愛のない会話とともに、他愛の無くはない貴重な時間が過ぎてゆく。
 少年を前にして緊張が最高潮になるはずが、今の琴美は焦りが最高潮にあった。

「あ、そろそろ時間かな…」

 公園の時計は、午後の三時を指していた。
 少年は用事があるらしく、必ず日が暮れる前にはかえってしまう。
 チェックメイトだった。

 と。

「あのさ」
「ん?な、なに?」

 少年は、立ち上がるといつものように背は向けず、琴美に笑いかけた。

「今日は、何か言いたいことがあるんじゃないかな?」
「え?ええ?」

 言い当てられ、違った意味で緊張の走る琴美。

「だって、さっきから落ち着かないし…」

 少年がポリポリと頭を掻き、視線を空へと向ける。
 そのいじらしい姿に、琴美の心は、愛おしいと思える領域になんとか足を踏み入れた。

「うん、まあ…そうだけど」

 少年はチャンスをくれた。
 今しかない。
 琴美は、立ち上がる。

 ちぇんは彼女の傍らで、静かにそれを見守っている。
 まるで飼い主の動悸が伝わってくるかのような緊張が、その場に流れた。



「わたしと、付き合ってください」

「ああ、やっぱりか…」

 少年はここ最近の雰囲気で、なんとなく気づいてはいたようだった。
 けれど瞳は哀しげで。

(え…)

 琴美は目を疑った。
 その表情は不都合な未来を連想させた。
 そして、流れに抗うことなく、少年の口から否定の言葉が流れ始める。

「せっかくだけど…」
(だめ…)

「きみにはもっと…」
(嘘…でしょ?)

「ふさわしい人が…」
(その先は言わないで!!)

 琴美の時間は、ゆっくり流れていく。
 じわじわと去来する思いは、自分の想いが否定されてしまう、という恐怖。
 今すぐ耳を塞ぎたいかった。

 けれど、同時に琴美の心の底には、正直な欲望も蠢いている。

 違う。
 貴方の都合なんて、どうでもいい。
 私の事を好きだと、言ってくれればそれでいい。


 代弁者は。すぐ近くに居た。


「ちがうよー!わかってよおおお!!」

 少年が、すべてを口にしてしまう前に、ちぇんは叫んだ。
 叫ぶだけでは足りなかった。

 ちぇんの行動も、衝動的なもの。
 主人の本気を、その欲望をぶつけるには、今しかない。
 ちょぼ太と呼び、特別なちぇんとして扱ってくれた恩返しをしなければ!

 だから、ちぇんは彼女の靴の上に飛び乗ると、体の底に力を込めた。

 ラストチャンスに披露したのは、一世一代の大ジャンプ。

 目標は目の前にある。
 ちぇんは、そのままの勢いで、スカートの端をくわえ込んだのだ。

「おねーさんはおにーさんとえっちしたいんだよおおお!!わかってあげてねえええええ!!」


 つまり……。スカートめくりをしたのである……。


 少年の視線が下半身へと釘付けとなり。
 本日二度目のガラスの割れる音とともに、琴美の時間が止まった。



「この、くそ猫がああ!!」
「わぎゃらっ!?わぎゃらにゃいおおおお!?」

 いつもの彼女であれば、有り得ないほどの暴言を、琴美は口にしていた。
 鷲づかみにした尻尾を勢い良く振り上げると、ちぇんの体は簡単に宙に浮かぶ。

 琴美は逃げるように帰ってきた。
 あんな恥ずかしい姿を見せられて、その場に留まることなんて出来ない。
 昂ぶった想いは怒りとなって、ちぇんの体に襲い掛かる。

 ちぇんの体はすでにチョコレートまみれになっていた。
 痣が浮かび、目からは涙がとめどなく流れている。

「ちょぼ太がいなければッ!」

 腕を振り下ろすと、ちぇんの頭がテレビの角に思い切りぶつかった。

「にゃぎゃあっ!?」
「あんなことにはッ!」

 ちぇんは傷から、口からチョコレートクリームを派手に吹き漏らす。
 重い一撃、一撃が、その命を削ってゆく。

 ぶちぃっ!

 とうとう勢いに負け、一本目のちぇんの尻尾が根元から千切れた。
 だが、彼女の勢いは止まらない。

 ちぇんがあの時何もしなくとも、結果は見えていたようなもの。
 けれど、琴美は逆恨みと知ってもなお、怒りをちぇんにぶつけ続ける。
 理屈ではない。
 悲しすぎて、鬱憤をとにかく晴らしたかったのだ。

「らるべっ!?」

 琴美は千切れた尻尾を放り投げると、もう片方の尻尾を握り締める。
 ちぇんは尻尾が千切れた痛みにびくん、びくんと痙攣していたが、残りの尻尾を握られて悲鳴を上げた。

(わがらないっ!わがらないよおおお!)

 ちぇんはわけがわからなかった。
 すべては主人のためにしたことなのに。
 主人の欲望を、漏らさずぶつけただけなのに。
 それを琴美は望んでいたはずなのに。

 運よく幸せな生き方をしてきたちぇんに、善意が裏切られ、本音が不幸を呼ぶ世の理など、理解できるはずもない。

「よくもよくもぉぉ!あんな痴態を晒してくれたわねええええっ!?」
「わがらないのにいいいいい!!」

 再び、尻尾が持ち上げられる。
 ちぇんはその後も地獄を見せられ続けるのだった。

 十五分後。

「あが、あががが…」
「はあっ、はあっ、はあっ」

 もはやまともな声も出せないちぇんが、床に転がっていた。
 肩で大きく息をしていた琴美が、両膝を突く。

 落ち着きを取り戻すとともに、取り返しのつかない事をしてしまったと、琴美は気づき始める。
 一年間、寝食を共にした、可愛らしかったちぇんは、無残な姿をしていた。
 体はずいぶんと萎み、右目と歯とチョコレートが部屋中に散乱している。
 尻尾は確認するまでもない。
 二本とも、自分がもぎ取ってしまった。

「ああああ…なんて、なんてこと……!!」

 どうしていいか分からない。
 心を支配するのは、虚無と脱力感。

 何かに縋りたいと強く思った時、携帯のベルが鳴る。
 少年の電話番号に設定したメロディーだった。

「もしもし…!」

 琴美はすぐに携帯を手に取った。

「僕だけど…」

 声の主は、確かに少年のものだった。

「さっきはごめん」

 そう、謝られた。
 琴美は、なぜ謝られたか、分からない。
 自分を悲しませたと思うなら、あんな答えはなかったはずのに。

「ううん。貴方が悪いじゃなけじゃない…よ…」

 悲しみが大きくなるから、傷口が大きくなるから、聞いていたくはなかった。
 けれど振り向き、ちぇんだった何かを見たくはなくて、切る気にもなれなかった。
 しかし、それは良い方へと彼女を後押しする。

「いや、その…今更こんなことを言うのも変かもしれないけど…」

 少年は、大きく息を吸い込んで。

「僕と…付き合ってほしい」


「え?」


 とりあえず琴美は、まず耳を疑った。

「もう一度!もう一度言って?」
「あ~その~なんだ」

 繰り返すのが恥ずかしいのか、少年は言い淀むが、すぐに覚悟を決め。

「僕と、付き合ってほしい」

 泥沼の中に沈んでいた心が、ひょいっと手で掬われた気がした。
 その気持ちを、どう言い表していいか分からない。
 言葉にならない声を発して、琴美はとにかく……そう、喜びの海に身を投げ込んだ気分だった。

「どうして?」
「ああ、その。僕も薄々は気づいていたんだ。君が僕に気を持ってること…」

 少年も緊張しているかのように、たどたどしく続ける。

「だけど、本気の女性にどう接していいか分からなくて…僕でいいのか分からなくて…」
「……うん」

 想いは通じていた。
 相手は自分を心配していて、いらぬ回り道をしていたのだ。
 そうと分かると、目頭が熱くなってくる。

「でも、後になって気づいたんだ。そんなのは、思い上がりなんだって」
「……」
「ちぇんをあんなに必死にさせてしまうほど、優しい君の想いを、あんな形で蹴ってしまって反省している。
 責められたって構わない。だから、謝りたい…」

「その上で、付き合ってほしいなんて、勝手すぎるかな?」

 答えなんて決まっていた。
 皮肉な事に、ちぇんで怒りを発散させた事が、彼女を素直にさせる一因ともなった。
 もしちぇんが居なければ、(そもそも大騒ぎにもならなかったであろうが)このお誘いは断っていたかもしれない。

「ううん。嬉しい。嬉しいよ。私も…付き合ってほしい…です」

 ほっとした雰囲気が、息遣いから感じ取れた。

「また、今度。すぐ会おう。できれば、ちぇんも一緒に」
「あ…」

 ちぇんの名前が出てきて、琴美は現実に引き戻された。
 何かを言わなければ、思う間に少年は続ける。

「ほめてあげようよ。じゃ、また」
「待って、その!」

 電話は切れていた。
 そして、待ってもらったとして、何を言えばいいのか分からないことも、すぐに理解した。

 あの雰囲気で、ちぇんを潰してしまったとは言えない。
 だが振り向くと、ちぇんは僅かに動いている。
 生きているのだ。

(そうだ…!)

 琴美は再び携帯を開く。

(お姉ちゃんなら!)

 ゆっくりの専門家は、こんな身近な場所に居た。



 結果的に、ちぇんは一命をとりとめた。
 左目しか見えず、自由に体は動かなかったが、心は誇り高かった。
 自分の行動が、最終的に主人を幸せに導いたのだから。

 一度は絶望したものの、その片鱗は今のちぇんには無い。
 ちぇんがちぇんである証明、よもぎ色の帽子が無事だったのもちぇんを勇気付けた。
 琴美がちぇんを振り上げた勢いが強すぎた結果、帽子は早い段階で床に落ちていたのだ。

 ちぇんはペットショップから引き取られた時の透明箱に入れられている。
 しかもその上で、琴美の両親が滅多に覗かないクローゼットに閉じ込められている。

 大怪我をしたちぇんを、両親に見せられない、というのが琴美の理由だった。
 傷が完治するまでの辛抱だと、ちぇんは待ち続ける。

 だが、閉じ込められてから二日後。
 それは突然やってきた。

「ちょぼ太~。調子はどう~?」

 クローゼットが開かれ、琴美の姿が目に映る。
 彼女は幸せそうな表情を浮かべていた。

「しわせなんだねー。わかる…よ?」

 しかし、同時にちぇんはそこに異物があることも知った。
 彼女の腕には、ちぇんではないちぇん、同族のゆっくりちぇんが抱かれていたのだ。

「わかるよー。おおけがしてるんだねー。かわいそうなんだねー」

 第二のちぇんは、そう言ってちぇんを慰め、琴美が続いた。

「ごめんね、ちょぼ太。私も色々考えたんだけど、この方法が一番かなって」
「どういうことなの~?わからないよ、おねーさん!」
「あの人に、今のあなたを見せるわけにはいかないの。まさか私がこんな凶暴な女なんて思われたくもないし」

「だから~」

 琴美は、透明箱の蓋を開き。
 ちぇんの帽子に手を付けた。

「ごめんね」

 第二のちぇんの帽子が自分の頭へ。
 自分の帽子が第二のちぇんの頭へ交換される。

 自分の物ではない帽子の感触に、背筋を凍らせるちぇん。

「そして、今日からちょぼ太は、この子よ。ね、ちょぼ太?」
「わかるよー!ちぇんはちょぼ太はなんだねー」

 ニコニコと笑顔を返す、第二のちぇん。
 驚く事に、第二のちぇんは自分がちぇんではない事に順応し、他人の帽子を気にしてもいない。

 飾りを無くしたゆっくりが、非常にゆっくり出来ない事態に陥るのと同じく。
 自己の証明たる飾りが自分のものではないとすれば、これもゆっくりすることはできない。
 ちぇん種にとって飾りたる帽子は、命の次に大事なものなのだ。

「わからない…よ…?」

 あの優しかった主人の姿はどこへ行ったのか。
 ちぇんは理解できなかった。
 理解したくもなかった。

 帽子だけではない。
 目の前の第二のちぇんは、自分にとっての特別な名前まで奪ってしまうつもりだ。

「これもうんめいだよー。わかってねー」
「これでよしっと」

 琴美の笑顔は非常に満足げだ。
 かつて、自分がペットショップから運ばれた時と同じように。

「あ、そうそう。忘れる所だった」

 一瞬、琴美の表情に狂気がにじんだような気がして、ちぇんは青ざめた。
 後ずさろうとして、自分が今、思うように動けない場所にいて、動けない体である事に気づく。
 だから、叫ばずにはいられなかった。

 それが、最期の言葉になろうとは。

「わからない…。わがらないよおおお!!!」
「うっさいわね!」
「ぐげっ!?」

 琴美は、割り箸の先端で、ちぇんの喉を突いていた。
 今度こそ、ちぇんは何もかもが分からなくなった。
 だが、悲劇は止まらない。

「お母さんたちに聞こえちゃうでしょ。まったく」
「びゅっ!ひゅっ!」

 琴美は割り箸の先で、ちぇんの喉を何度も突き刺した。
 蜂の巣にされたちぇんの喉は、それきり声を失う。

「本当にごめんね。ちぇんには世話になったわ。だからこそ、ちぇんを捨てるなんてひどいことはできない」

 だけど。

「ちぇんが寿命を迎えるまで、ここでずっと可愛がってあげる。ね?安心して」

 それは最後通告も同然だった。
 琴美の表情は、かつてのように優しい。
 だから分からない。何がなんだか、分からない。

 バタン。

 無情にも、クローゼットの扉は閉まってしまった。
 一時間もすると、扉の向こう、琴美の部屋からは楽しげな会話が聞こえてきた。

「さすがにあの時は、心臓止まるかと思ったんだから!」
「ごめん。いや、ほんと。だけど、ちょぼ太が必死だったから、僕も気づけたんだよ」
「ちょぼ太はえらいんだよ。わかってねー」


 ちぇんはクローゼットの中で、静かに涙していた。
 第二のちぇんは、自分がちょぼ太である事を完全に受け入れている。
 もはや、自分がちょぼ太である意味はない。

 いや、世界はそう認めてはくれない。
 難しいことは分からなかったが、ちぇんはそう確信した。

 一度は絶望したつもりだった。
 だけど、本当の絶望はそんなものではなかったのだ。

(わからないっ…!わからないよおおおおおおお!!!)

 心の中で、ちぇんは最後の慟哭を上げる。
 …絶望という名の大穴が、すぐ目の前まで迫っていた。



 それから、どれだけの月日が経ったのだろう。

 以後、二人の仲が親密になるほど、ちぇんの扱いは雑になっていた。
 琴美はちぇんの様子を窺うことなく、小さな穴から餌を放り込むばかり。

 だけど、覗いたって意味はなかっただろう。
 ちぇんは残った左目を死人のように曇らせて、黙っていただけなのだから。

 もう、ちぇんは、わかるともわからないとも、心の中でさえ思わないようになっていたのだから。



おしまい。



後書き

 チョコレートつながりで、バレンタインシーズンに思いついたのですが、ネタと時間がまとまらず、
 結局ホワイトデーにも間に合わなかったという、苦笑い作品。

 執筆中、ちぇんを何度も「ちゃん」とタイプミスしてしまいました。
 ちなみに琴美の姉、琴理は、書きかけの作品に何度か出てきまして、それなりにお気にのキャラ。
 なにぶん書きかけ(しかもずっと放置中)なので、ここにデビューするかは微妙ですが。


 もしよろしければ、感想をお願いします。





おまけ

 琴美は姉に電話を掛ける。
 もはや一刻の猶予もないと、心がせき立てた。

「珍しいじゃない、琴美」
「ああ、お姉ちゃん。よかった!」
「どうしたの?そんなに慌てて?」

 しょうがない子ね、と呆れたような琴理の口調。

「その…無理は承知でお願いするんだけど、成体のゆっくりちぇんを一匹、欲しいの」
「ふぅん?」

 意味ありげな生返事。

「ある?」
「ええ、居るわよ。調教の訓練に私に宛がわれた、とっても素直な子がいるの」

 姉は、どうして?とは聞かなかった。

「それで?自分の事を『ちょぼ太』だと思っていればいいのかしら?」
「え…」

 琴美は言葉に詰まる。
 なぜ、それを知っているのか。

「どうして…」
「そんなに警戒しなくてもいいわよ。ブリーダーは、飼い主の失敗をある程度はシミュレートできないいけないんだから」
「職業柄?」
「そうそう!私、もう少しで正規のブリーダーとして認めてもらえそうなのよ」

 突然、脈絡のなさそうな話に切り替える琴理。
 琴美は急いではいたが、頼みが頼みだけに、無碍にもできない。

「通常、ゆっくりに名前を認めさせるには、虐待まがいの調教が必要なんだれど~。私はその効率化に成功したのよ!」
「はい?」

 琴美の疑問符に気づくことなく、興奮したように続ける琴理。

「同期や先輩の一部は、おまえのやり方は邪道だ!って嫉妬してきたりするんだけど、知ったこっちゃないわね」

『人の言葉を喋れるゆっくりには、ペットとしての新たな可能性が眠っている』のだから。

「だからぁ。今から、その子にすぐに覚えさせるから。明後日のクール便でいいかしら?」
「あ、うん、お手柔らかにね」

 琴美はそこで電話を切ろうとして。

「あ、そうそう」

 再び琴理に呼び戻された。

「ちょぼ太を捨てるなら、引き取るわよ?」
「な、何言ってるのお姉ちゃん!さすがにそれはかわいそうじゃない!」
「だったら、色々と伝授してあげるわ…」

 話を聞いていた琴美は、やがて姉が遠い世界に行ってしまった事を確信した。
 だが一方で、その話をすらすらと聞いている自分がいた。

 愛するちょぼ太を、捨てるわけにはいかない。
 けれども、あの人にそれをばらすわけにもいかない。

 なんて自分勝手で醜い判断なのだろう。

 もう戻れない。
 愛のためには、修羅になる覚悟もなければと、琴美は考え初めていた…。

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最終更新:2009年05月22日 20:36
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