(注1)何の罪もない、純粋で心優しいゆっくりが酷い目に遭います。
(注2)東方原作キャラが出てきます。
ゆっくりと悪魔のような子供達
四月。若草芽吹く、暖かい季節。
それは、人間にとっても、ゆっくりにとっても心が浮き立つようなシーズン。
春の陽気に誘われて、二匹のゆっくり――れいむとまりさが、
桜の花びらが舞う小道を楽しそうに跳ね回っていた。
「ゆっゆっゆー! とってもあったかいよ! まりさ!」
「そうだね! すっごくゆっくりできるね!」
冬の間、巣の中でゆっくりと過ごしていた二匹の体には、エネルギーがあり余っていた。
『皆にゆっくりしてもらいたい』という本能を抑えきれず、道端の草花に挨拶し始める。
「たんぽぽさん! こんにちわ!」
「つくしさん! とってもゆっくりしてるね!」
暖かくなってくると、人間でもこういう事をしている人が時々いるが、
その人達も『皆にゆっくりしてもらいたい』と思っているのかもしれない。
ひとしきり挨拶して回ると、二匹は達成感に満ち足りた表情で頬をすり寄せた。
「「すーり、すーり、しあわせー♪」」
密着した皮がフニフニと形を変える様は、まるでマシュマロが相撲を取っているようだ。
親愛の情を表すにしては、やけに濃密な触れあいである。この二匹、どうやら夫婦らしい。
「ゆ~! まりさのほっぺ、きもちいいね!」
「ゆっゆっ! れいむのほっぺもきもちいいよ!」
れいむがまりさの頬を甘噛みして引っ張りだした。
弾力性のあるまりさの頬はゴムのように柔らかく伸張する。
大好きなれいむの激しいスキンシップに、まりさは思わず恍惚の声をあげた。
「ゆ~ん!」
お返しとばかりに、今度はまりさがれいむの頬を唇で挟んで引っ張る。
「ゆゆ~ん!」
二匹はその後一時間、ただひたすらにそんな事を繰り返していた。
人間ならば、たとえ新婚夫婦でもそこまでベタベタしてはいられない。
なんの仕事も役割も無い、ゆっくりならではの時間の過ごし方と言えるだろう。
やがて、愛する伴侶とのスイートタイムを満喫した二匹は家路につく事にした。
「おうちにかえろうね! ゆっくりかえろうね!」
「そうだね! こんどはおうちでゆっくりしようね!」
弾けるようなゆっくりスマイルで、巣に向かってスキップする二匹。
その姿を写真に撮ったなら、タイトルは『幸福』とつけるのが最適だろう。
ぼよん ぼよ~ん ぼよよ~ん
ゆっくりの飛び跳ねる、ディズニーアニメの効果音みたいな音が周囲に響く。
今日はとてもゆっくりした良い日だった。明日もきっと、良い日に違いない。
その時だった。二匹が着地した地面が、突然陥没したのだ。
「「ゆっくりぃー!?」」
珍妙な叫び声をあげて落下するれいむとまりさ。
手足の無いゆっくりに受身など取れるはずも無く、
穴の底へ顔面から派手に激突する。
「「ゆぐぅっ!?」」
それでも、二匹にとって幸運だった事が二つある。
一つは、ゆっくりには鼻も骨も無いので、顔面から落ちても鼻が折れる事は無い事。
もう一つは、穴がそれ程深くはなかったので、激突の衝撃が大きくなかった事だ。
穴の底には、変な鳥のイラストと『バーカ』と書かれた一枚の紙が落ちていた。
この穴は、おそらく子供が悪戯で掘った落とし穴なのだろう。
「まりさ、だいじょうぶ!?」
「まりさはだいじょうぶだよ! れいむはだいじょうぶ?」
「れいむもだいじょうぶだよ! ふたりともだいじょうぶだね!」
「そうだね! よかったね!」
お互いの無事を確認して安心し、すりすりと頬をこすり合わせる二匹。
どんな状況に陥ろうともパートナーさえ元気ならば、自分達はゆっくり出来る。
そして、ゆっくり出来さえすれば自分達は幸せだ。
「それじゃ、ここからでようね!」
「そうだね! ゆっくりでようね!」
そう言って、ぴょんぴょん飛び跳ねるれいむとまりさ。
しかし二匹の跳躍は、地上までもう少しという所で届かない。
「でられないね!」
「そうだね!」
落とし穴にはまり、脱出できない。
それは、野犬や鳥などの天敵が多いゆっくりにとって、非常に危険な状況だった。
だが、二匹はニコニコと笑っていた。たいていのゆっくりは、馬鹿がつくほど楽天的なのだ。
「とおりかかったひとに、たすけてもらおうね!」
「そうだね! それまでは、ここでゆっくりしようね!」
他力本願な考えだが、ゆっくりにしては賢明な思いつきだろう。
自分達の力で脱出できない以上、誰かに助けてもらうしかない。
そんな二匹の願いが神様に通じたのか、落とし穴の外から人間の話し声が聞こえてきた。
「おい、昨日掘った落とし穴に何か落ちてるみたいだぞ」
「どうせ、犬とかじゃないの?」
声の主は十歳くらいの少年と少女だった。
れいむとまりさは子供達に向かって元気いっぱいに挨拶する。
「「ゆっくりしていってね!」」
その声を聞いて、のんびり歩いていた子供達が駆け足で落とし穴に近づき、中を覗き込む。
「……おい、やったぞ。ゆっくりだぜ」
「……やったね。ゆっくりは虐めがいがあるもんね」
どうやら、願いが通じたのは神様ではなく悪魔だったらしい。
二人の子供は、無邪気で残酷な笑みを口元に張り付かせている。
だが、知能の低いれいむとまりさには、その悪意が伝わらなかったようだった。
「ここからだしてね! それから、れいむたちとあそぼうね!」
「なにしてあそぶ? おにごっこ? かくれんぼ?」
二匹は、もうすっかり助けてもらえると思い込み、
落とし穴から出た後、子供達と何をして遊ぶかを考えて楽しげに体を揺らしている。
そんな能天気な二匹を見て、子供達は心底おかしそうに笑い出した。
この世に悪魔が本当にいるなら、きっとこんな顔で笑うのだろう。
「そうだな、何して遊ぼうか?」
「縄跳びなんてどうかな?」
そう言うと子供達は、手さげカバンから縄跳びを取り出した。
「なわとび? そんなあそびしらないよ!」
「でも、なんだかたのしそうだね!」
ゆっくりは遊ぶのが大好き。
初めて聞く『縄跳び』という遊びに、れいむとまりさの胸は高鳴った。
「ああ、楽しいよ。もっとも、楽しいのは俺達だけなんだけどな」
少年は、縄跳びの持ち手を二つとも片方の手で握り、即席の鞭を作った。
そして、二、三度縄跳び鞭を回し、その勢いを殺さずにれいむのくりくりとした瞳に叩きつける。
バッチィィィイイイイン!
「ゆっぎぃぃぃぃいいいい!!!」
「れいむぅぅぅぅうう!?」
鋭くも乾いた打撃音と共にれいむの右目が弾け飛び、
その残骸と眼窩から噴水のように吹き出した餡子が、すぐ隣にいたまりさの顔面に降り注いだ。
ほんのり赤みの浮いたまりさのもちもちほっぺが、れいむの餡子で茶黒くデコレートされていく。
「いだい! いだい!! いだい゙い゙い゙い゙!!!」
「めがあ! れいむのきれいなおめめがあ!」
自分の身に何が起こっているか理解できず、パニックになってのた打ち回るれいむ。
眼球が潰れる。少しつねっただけで泣き出すような、痛みに弱いゆっくりにとって、
それは想像を絶する苦痛に違いない。
「わあ、一発で目に当てるなんてすごいね。私も狙ってみようっと」
少女は楽しそうに微笑むと、縄跳び鞭を振りかぶり、れいむの左目を狙って振り下ろす。
おそらく、今まで何度もこうやってゆっくりをいたぶってきたのだろう。
その動作は手馴れたものであり、縄跳び鞭の先端は的確に狙い通りの場所を叩く。
バッチィィィイイイイン!
「いぎゃぁぁぁぁあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!」
「やめてえええ! れいむがかわいそうだよおお!!」
れいむの左目は真っ赤に腫れ、大量の涙液が少しでも痛みを癒そうと溢れ出る。
眼球が砕けなかった事は不幸中の幸いと言えるだろう。
「お前だって上手いじゃないか」
「でも、目が潰れなかったよ。悔しいなあ」
残念そうに眉をひそめた少女は、その鬱憤を晴らすかのように、
れいむに縄跳び鞭を叩きつける。何度も、何度も、執拗かつ入念に。
バッチィィィイイイイン!
「いたいよ! いたいよ! ゆっくりやめてね!」
バッチィィィイイイイン!
「やめてね!! やめてね!! すっごくいたいよ!!」
バッチィィィイイイイン!
「いだい゙っ!!! いだい゙っ!!! ほんどにいだい゙い゙い゙!!!」
バッチィィィイイイイン!
「も゙ゔや゙べでえ゙え゙え゙!!!! ゆ゙っぐり゙じだい゙い゙い゙い゙!!!!」
激痛に悶絶するれいむ。まりさはその側で呆然としていた。
なんにも悪い事をしていないのに、何故こんな目に遭うのか。
子供達が面白半分で虐待をしてくるという事は、まりさの理解を完全に超えていた。
少年は、泣き叫ぶれいむを指差して、まりさに話しかける。
「おい。こいつ、お前の仲間だろ? 助けなくていいのか?」
理解不能な事態に放心状態になっていたまりさが、その言葉で我に返る。
愛しいれいむが理不尽な暴力で苦しんでいるのだ。助けなくてはいけない。
体の芯から来る強烈な震えで、ちいさな歯をカチカチと鳴らしながら精一杯の抗議をする。
「やめ、やめ、やめてあげてね! いた、いた、いたがってるよ!」
言えた。途中で何度も言葉に詰まったが言えた。これで酷い事を止めてくれるに違いない。
まりさはそう思って、いまだにれいむを叩き続けている少女を見上げる。
だが、少女が言い放った台詞がまりさの淡い希望の灯火を吹き消した。
「知ってるよ。と言うより、痛がらせる為にしてるんだよ」
「どうじでえええ!!?? そんなのひどいよおおお!!!!」
哀願が通じない以上、まりさに出来るのは落とし穴の隅でブルブルと震える事だけだった。
生まれてから今まで、平和にゆっくりする事だけを考えてきたまりさにとって、
『戦う』という考えなど浮かぶはずも無かった。
もっとも、子供達に戦いを挑んだとしても、その結果は悲惨なものになる事は必定だが。
目の前で大好きなれいむがボロボロになっていく様を見せ付けられながら、まりさはこの悪夢が終わる事を願った。
縄跳び鞭による拷問は、それから十分間も続いた。
最初の頃は叩かれるごとに絹を裂くような悲鳴をあげていたれいむも、
今では精根尽き果てたのか、ぐったりとして弱々しいうめき声を吐き出すだけになっていた。
バッチィィィイイイイン!
「ゆ゙ぐ゙っ……ゆ゙ぅっ……」
バッチィィィイイイイン!
「ゆ゙っ……ゆ゙っぐり゙……じだぃ……」
反応が薄くなった事が面白くないのだろう、子供達はれいむを叩くのを止めた。
ひとまず暴虐が終わった事で、それまで子犬のように怯えていたまりさが慌ててれいむに駆け寄る。
「ゆ゙っぐり゙ぃ……」
「れいむ、だいじょうぶ?」
「い゙だぃ……い゙だぃよぉ……まりざぁ……」
「ごめんね……たすけられなくて……ごめんねぇ……」
まりさは涙を流しながら、れいむの体に出来た痛々しい傷をぺろぺろと舐める。
暴行を受ける前のれいむは、ゆっくりの中でもかなり可愛いゆっくりだった。
爛々と輝く大きな瞳に、透き通るような白い肌。艶のある黒髪はサラサラで、とても良い香りがした。
だが、今のれいむは片目が潰れ、体中に無残なミミズ腫れが浮かび、
振り乱した髪はぐちゃぐちゃで、お世辞にも可愛いとは言えないゆっくりになっていた。
ほんの一時間前のれいむの愛らしい笑顔を思い出し、まりさの心は締め付けられるように痛んだ。
そんなまりさの気持ちを知ってか知らずか、子供達は楽しそうに談笑していた。
「縄跳びでれいむを叩くのも飽きたね。次はどうしよっか?」
「次はまりさにするか」
突然自分の名前があがって、まりさは口から心臓が(無いけど)飛び出しそうになった。
れいむが虐められるのを見るのも嫌だが、自分が虐められるのも嫌だ。
「やめてね! こっちこないでね!」
まりさは両の瞳にいっぱいの涙を浮かべて必死に嘆願するが、まったく無駄な事だった。
『やめて』と言われておとなしくやめるような子供達なら、そもそもこんな事はしない。
逆に、憐憫を誘う表情が子供達の嗜虐心に油を注ぐだけだった。
「こいつ、可愛い顔で泣くな」
「そうだね。やっぱり、可愛いゆっくりを虐めるのは楽しいよね」
泣いている自分を見てクスクス笑う子供達を、まりさは心底恐ろしいと思った。
普通、泣いている者がいたら慰めてあげるのものだ。
だが、この人達は、まりさが泣いているのを見て楽しんでいる。
いや、それだけではない。れいむを叩く時も、とても楽しそうだった。
『どうして? どうして? どうして? どうしてこんなことするの?』
まりさはその疑問を、気づかぬうちに口から出していた。
「どうしてこんなことするの?」
まりさに質問された子供達は、
一度お互いの顔を見合わせて、すぐにまりさの方に向き直る。
「そう言えば、どうしてなんだろうな?」
「自分でも理由はよく分からないけど、あなた達を見てると虐めたくなるの」
子供達のあっけらかんとした口調に、まりさはポカンと口を開けて固まってしまった。
理由がよく分からないのに虐める? どうして? どうして? どうして?
わからない……わからない……わからない……いみがわからない……
そこまで考えて、まりさの恐怖は限界を超えた。
もうなんでもいいから、ここから逃げ出したい。おうちでゆっくりしたい。
「ゆひっ! ゆひぃっ! おうち! おうちかえる!」
火事場の馬鹿力なのか、まりさはゆっくりとは思えないほど高く跳躍し、
先ほどは何度飛んでもぎりぎり届かなかった落とし穴の外に着地する。
そして、その勢いのまま脱兎のごとく逃げ出した。
だが悲しいかな、ゆっくりの移動速度はその名の通り本当にゆっくりしているのだ。
まりさは全速力で逃げているつもりでも、子供達からすればその速さは、
お爺さんのジョギング程度のスピードだった。
「逃がすかよ」
少年は足元の石を拾い、野球選手のようにワインドアップで構えると、
オーバースローで必死に逃げるまりさの後頭部に投げつける。
グシャア!
「ゆぎぃっ!?」
球審も文句なしの、見事なストライクである。強烈な衝撃を受けて地面に倒れこむまりさ。
砂利で柔らかい頬がズタズタになるが、気絶してしまったのか叫び声をあげない。
投石が炸裂した後頭部にはパックリとした裂傷ができ、そこから漏れ出した餡子が綺麗な金髪の隙間からはみ出ている。
「あっ!? もぉ! やりすぎだよ! 死んじゃったんじゃないの?」
地面に突っ伏したままビクビクと痙攣を繰り返しているまりさを見て、少女が狼狽する。
せっかく手に入れたオモチャが、簡単に壊れてはつまらないからだろう。
「大丈夫だって。こいつら脆くて痛みに弱いけど、簡単には死なないから」
少年はまりさの髪を乱暴に掴むと、落とし穴に向かって放り投げる。
まりさ決死の脱出劇は、わずか一分で幕を閉じた。
「ゆべぇっ!? い……いだいぃ……」
穴の底に転落した衝撃で、まりさは意識を取り戻したようだ。
なんともいいかげんな意識である。
「ゆ……う……ぅ……あれ……まりさ……おそとにでたのに……」
「まりさ……だいじょうぶ? あたまから、あんこがでてるよ」
しばらく叩かれなかった事で少しだけ元気になったれいむが、
まりさの後頭部の傷を優しく舐める。
「れいむぅ……いだい……あだまがいだいよぉ……」
「まりさ……かわいそう……かわいそう……」
このれいむ、自分を置いて逃げようとしたまりさの事を少しも恨んでないらしい。
自身も深く傷ついているのに、慈愛の表情を浮かべてまりさを介抱する姿は実に感動的だった。
子供達にほんの少しでも良心があったなら、『こんな優しい生き物に、なんて酷い事をしてしまったんだろう!』
と言って改心しただろうが、残念な事にこの子達の辞書には『良心』の二文字は無かった。
「いいなあ、こいつら。こんな良いゆっくりは久しぶりだ」
「本当だよね。前に虐めた子達なんて、すぐに仲間割れしてガッカリだったもんね」
恐ろしい事に、この子達がゆっくりを虐待する理由は、
子供独特の純粋さから来る残忍性ではなく、ドス黒いまでの純然たる悪意だった。
れいむとまりさが、情の深い姿を見せれば見せるほど、二人の嗜虐欲求は高まっていく。
見た目はごく普通の可愛らしい十歳の子供だが、中身は悪魔そのものだった。
小さな悪魔達は天使のように優しく微笑むと、れいむとまりさを見下ろして恐ろしい事を言う。
「それじゃ、まりさの歯でも抜くか」
「あ、それいいね。基本的な拷問だけど、たっぷり叫び声が聞けるから楽しいよね」
歯を、抜く――
知能の低いゆっくりでも、それがどれほど恐ろしい事かはすぐに分かる。
ついさっき頭に受けた衝撃で、いまだに朦朧としていたまりさの意識が一瞬で覚醒する。
「い゙や゙だぁぁぁあ゙あ゙あ゙!! ゆ゙っぐり゙じだい゙い゙い゙い゙!!!!」
涙や脂汗を振りまきながら、半狂乱になって落とし穴から脱出しようとするまりさ。
だが、手負いの体では先程のような大ジャンプは出来ず、あっさりと少年に捕まった。
「い゙や゙だぁあ゙! い゙や゙だぁぁぁあ゙あ゙あ゙あ゙!! はなじでぇぇぇえ゙え゙え゙!!!」
渾身の力を振り絞り、少年の虜から逃れようとするまりさ。
彼の腕の中で悶え暴れるまりさの頭を、少女がそっと撫でる。
「ゆ……ゆぅ?」
その手つきは本当に優しく、穏やかなものだったので、
『もしかしたら、意地悪を止めてくれるのかな?』とまりさは思った。
だが、それはまりさの体内に詰まっている餡子よりも甘い考えだった。
「ゆっくりしてていいよ。こっちで勝手に歯を抜いてくから」
少女は愛らしい笑みをのぞかせると、
まりさの口に手を突っ込み、二本の前歯を親指と人差し指でつまんだ。
そして、「えいっ」と言う掛け声と共に、手を引き抜く。
ズボォッ
耳を澄ましていても聞こえないような、小さな小さな音がまりさの口内に発生した。
次の瞬間、スイッチプラグを引かれた防犯ブザーのように、まりさが振動しながら絶叫する。
「い゙ぎゃあ゙ぁぁぁあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!!」
あるべき物が無くなった間抜けな歯茎の穴から、クジラの潮吹きそっくりにビュビュっと飛び出す餡子。
少女は自分の手の中にある小さな二つの歯を、穴の中のれいむの前に投げ込む。
カラカラという乾いた音をたてて転がる白い物体。それを見たれいむの顔は、白蝋のように青ざめた。
「まりさ!? まりさぁ!? だいじょうぶ!?」
「い゙ぎゅあ゙ぁゔあ゙あ゙!! れ゙い゙む゙ぅぅゔ!! だずげでぇえ゙え゙!!」
穴の中にいるれいむには、まりさの様子は見えない。
だが凄まじい慟哭と、目前の歯を見た事により、まりさがとてつもなく惨い拷問を受けている事を理解した。
と言っても、それでまりさを助けられる訳ではない。ゆっくりの脆弱な力では、決してこの状況は変えられない。
だから、自分達以外の誰かに助けを求めるしかない。しかし、誰に助けを求めれば良いのだろう。
そんな事を考えてオロオロしているうちに、まりさの歯はどんどん抜かれていく。
「ゆ゙ぶぅえ゙ぇぇぇえ゙え゙え゙え゙!! や゙めでえ゙!! や゙めでえ゙え゙え゙え゙え゙え゙!!」
穏やかで暖かい春の空気を、まりさの絶叫が音波となって振るわせる。
発声している者が、死ぬほどの苦痛を受けている事が容易に想像できる悲鳴。
気の弱いゆっくりがこれを聞いたなら、それだけで気絶してしまうだろう。
「ふふっ。こんなに良い声で泣いてくれると、こっちもやりがいがあるよ」
ニッコリ微笑んでまりさの歯をねじり抜く少女。
歯にくっついていた神経がブチブチと不快な音を立ててちぎれる。
「ゔぎぐい゙がぎゃあ゙ぁぁぁあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!!」
今までどれだけのゆっくりの歯を抜いてきたのだろうか、
少女の手際は驚くほど鮮やかなものだった。将来は歯科医を目指すと良いかもしれない。
ものの三分もしないうちに、まりさは入れ歯をなくしたお婆ちゃんそっくりになった。
少年は、まりさの歯が全て無くなったのを確認して、落とし穴の底に叩きつける。
「ゆ゙びゅえ゙っ!」
地面と派手にキスするまりさ。もし歯があったら、今の衝撃で何本も折れてしまった事だろう。
それを思えば、歯がなくなった事もあながち悪い事ではないかもしれない。
まりさは緩慢な動作で体を起こすと、れいむに泣きついた。
「ゆひゅぅ……ゆひゅぅ……ふぇいみゅ……いひゃい……いひゃいよぉ……」
その顔を見て驚いたのはれいむである。
歯の無いゆっくりの顔が、これほど間抜けなものだとは思ってもみなかったのだろう
れいむは哀れな姿に成り果てたパートナーの側で、彫像のように固まってしまった。
それから、ふるふると力なく振るえ、隻眼となった左目から一滴の涙をこぼした。
「まりさ! まりさぁ……! まりさのはがぁ……! これじゃ、ごはんがたべられないよぉ……!」
「ふぇいみゅ……ふぇいみゅぅ……かえりひゃい……おうちにかえりひゃいよぉ……」
傷ついた体を寄せ合って、お互いの身に起こった悲劇を嘆くれいむとまりさ。
それは、思わず涙を誘うような痛々しい姿だった。なんせ、この二匹は全く悪い事をしていないのだ。
他者に害を与える気持ちなど、露ほども無い純真無垢で心優しいゆっくり達。
そんな二匹が、理不尽な暴力でズタボロにされて、泣いているのだ。
この光景を見たなら、地獄の亡者達でさえも同情の涙を流すだろう。
「あははははははは! 見ろよ! 二匹とも泣いてるぞ! 可愛いな!」
「あははははははは! 本当に可愛いね! だから、ゆっくりって大好き!」
悲しみと恐怖に震える二匹を指差して、
コメディードラマでも見ているかのように爆笑する小さな悪魔達。
笑いすぎて涙目になりながら、次の虐待方法を相談し始める。
「はぁ~笑った笑った。さて、次はどうする?」
「そろそろ飽きてきたし、殺しちゃおうよ」
こ ろ し ちゃ お う よ
たっぷりの悪意を含んだ苦い言葉が、
れいむとまりさの甘い餡子脳にゆっくりと浸透していく。
子供達から明確な殺意を向けられて、二匹は卒倒しそうになる。
「「ゆ、ゆっくりぃー!?」」
恐怖に駆られ、「ゆー! ゆー!」と喚きながら落とし穴を這い上がろうとするが、無駄な努力だった。
元気いっぱいの時でも出られなかったのに、現在の半死半生状態で脱出できるはずが無い。
もう……駄目だ。殺される。
二匹が絶望し、そう思った時だった。子供達の背後から、凛とした女性の声が響いたのである。
「お前達! 何やってるんだ!」
突然の大声に、肩をすくませながら振り返る少年と少女。
振り向いた先にたたずんでいる人物を見て、思わず「あっ!」と驚きの声をあげる。
二人の視線の先にいたのは、人里の寺子屋で子供達に教育を施している上白沢慧音だった。
「「け……慧音先生」」
少年と少女の顔がみるみる青ざめていく。その顔に浮かぶのは少しの恐怖と、大量の焦り。
先程までの悪魔の表情ではなく、先生に悪戯が見つかってうろたえる、ごく普通の子供の顔だった。
「悲鳴が聞こえたから来てみたら……これはいったい、どういう事なんだ?」
「「えっと……これは……あの……その……」」
さっきまでの威勢は何処へやら、借りてきた猫のように大人しくなる二人。
慧音は、落とし穴の中の哀れなれいむとまりさを見て眉をしかめる。
「こ、これは酷い……紅魔館の吸血鬼でも、ここまで惨い事はやらないぞ……」
自分達にとって救いの女神とは知らず、
子供達よりずっと大きな慧音を見て、ガタガタと震えだすれいむとまりさ。
そんな二匹に、沈痛な面持ちで「私の生徒が迷惑をかけた。すまない」と言った後、子供達に向き直る慧音。
「……お前達。何か言い訳はあるか?」
「「……ありません」」
「よし、潔い態度だ。さあ、こいつらに謝るんだ」
「「……はい」」
塩をかけられたナメクジのように萎んでしまう少年と少女。
それもそのはずである。この二人は、慧音の事が大好きなのだ。
ぶっきらぼうで厳しい所もあるが、優しくて美人の先生を、里の誰よりも尊敬していた。
そんな慧音先生に叱られるという事は、この世で最大の悲しみだった。
力の抜けた腕で、れいむとまりさを穴から出してやると、深々と頭を下げる。
「「……意地悪してごめんなさい」」
「「ゆ? ゆ?」」
暴虐の限りを尽くしていた二人に、突然謝られて困惑するれいむとまりさ。
歯がないので上手く話せないまりさに代わって、れいむが今最も気になる事を尋ねた。
「……もう、いじわるしない?」
「「うん、しないよ。だから、ゆっくりしてね」」
地面に向かって直角に頭を下げたまま、優しい声色で答える子供達。
ゆっくりにとって、一生に一度は言われたい台詞トップ5に入る、『ゆっくりしてね』を言われた事で、
れいむとまりさの心が歓喜の渦に満たされていく。酷い目に遭ったが、これでゆっくり出来る。
この子達ともゆっくり出来る。そう思った二匹は痛んだ体に鞭打って、元気良くジャンプして唱和する。
「「ありがとう! ゆっくりするね!」」
二匹の元気な声を聞いて、子供達はやっと顔を上げた。
れいむとまりさは、その時の二人の顔を一生忘れる事が出来ないだろう。
子供達の目には、先程の楽しそうな輝きは一切無かった。
そこにあるのは、憎悪と狂気に濁った真っ黒な瞳。
慧音に悟られぬよう、口だけは笑っていたが、少年の瞳と少女の瞳、
合計四つの黒い目玉から発せられる邪悪な視線が、れいむとまりさを突き刺していた。
『目は口ほどにものを言う』と諺にはある。
誰が考えたのかは知らないが、まったくもって名言である。
口先では神妙な事を言って謝っていたが、二人の瞳は、雄弁にこう語っていた。
『お前らのせいで、大好きな慧音先生に叱られた。殺してやる。どこに逃げても、絶対に見つけだして殺してやる』
はっきり言って逆恨みもいいところだが、悪魔には理屈など通じない。
血も凍るような冷たい瞳に、れいむとまりさは同時に絶叫した。
「「ゔわ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!!!!」」
素直に謝る子供達を見て喜んでいた慧音が、突然叫びだした二匹に驚く。
「ど、どうした!? 落ち着け、もう怖がらなくてもいいんだ。私からよく叱っておく」
れいむとまりさが何故叫んでいるのか分からず、オロオロしながら二匹をなだめる慧音。
芯の通った慧音の声には不思議な説得力があり、れいむとまりさも徐々に落ち着いていった。
ああ、そうだ。この女の人の言うとおりだ。もう怖がらなくていいんだ。
とにかく、悪夢は終わったのだ。世界は広い。この子供達とは、もう二度と会うことは無いだろう。
れいむとまりさはそう思った。その時は、そう思っていた。
作:ちはる
最終更新:2009年05月08日 06:26