ゆっくりいじめ系1029 盲導ゆっくり(後編)

「盲導ゆっくり」(後編)





「ゆっくりおうちについたよ!!」
「ありがとう。今ドアを開けるからな」

かつて本物の盲導ゆっくりがやっていたように、お兄さんを玄関の前へ誘導するまりさ。
お兄さんは、ドアを解錠してまりさを家の中に招き入れた。

「ゆ~!!やっとゆっくりできるよ!!」

ベッドの上に飛び乗って、ぼよんぼよんと跳びはねるまりさ。
木の根もとの穴でも、暗い洞窟の中でもない、人間が人間のために造った快適な住居。
そこで三食不足なく食べ、たまに散歩にも連れて行ってもらえる。もしかしたら遊んでもらえるかもしれない。

バカな人間の、目の代わりを演じてやる。盲導ゆっくりのフリをする。
たったそれだけの代価で、それらが得られる。こんな幸運は二度と訪れないだろう。
そして、一度たりとも手放すつもりはなかった。

「まりさは元気そうだな」

お兄さんは、まりさに寄り添うようにベッドに腰を下ろした。
まりさにとって、目の前のお兄さんはもはや恐れるに足らない存在だった。
これから先も、盲導ゆっくりとしては失敗を重ねるだろう。愚鈍だと思われるだろう。
それでも構わない。この人間は、謝れば許してくれる。話せば許してくれる。だって……バカだから。

「ゆっくりおかしがたべたいよ!!おにーさんはとってきてね!!」
「ん?自分で取ってきたほうが早いんじゃないか?お兄さんはお菓子の場所が分からないし」
「ゆっ……」

まりさは、今日の昼頃の会話を思い出した。
あの時も同じような会話を交わし、自分で台所にお菓子を取りに行ったのはよかったが、その時はお菓子は見つからなかった。
もしここでそのことを正直に言えば、またニセモノだと疑われてしまうだろう。
だから、何としてでもお兄さんにお菓子を取りに行かせなければならない。

「ま、まりさはゆっくりつかれちゃったよ!!だからおにーさんがとりにいってね!!」
「ふぅ…しょうがないな」

お兄さんは気だるそうに立ち上がって、台所へと向かう。
お菓子が楽しみで待ちきれないまりさは、そのお兄さんを先導するように台所へと跳ねていった。

「ゆ!!はやくしてね!!ゆっくりしないでね!!」
「はいはい、ちょっと待ってなさい。まったく、全然疲れてるように見えないよ」

台所の中央に鎮座して喚き散らすまりさを、お兄さんは踏み潰さないよう器用に回避する。
目線と同じ高さにある戸棚を開いて、その中からお菓子を取り出した。

「ほら、お食べ」
「むーしゃむーしゃ♪しあわせ~♪」

やっと人間の食べ物にありつけたまりさは、感動の涙を流した。
こんなに美味しいものを、人間は毎日食べているなんて!
こんなに美味しいものを、あのまりさは毎日食べていたなんて!!
やっぱり、本物を追い出して成りすました甲斐があった。

まりさは心の中で、ゆっへっへと下品な笑い声を上げた。

「それが食べ終わったら、ちょっと頼みたい事があるんだけど」
「ゆ?いまいそがしいんだよ!!ゆっくりあとにしてね!!」
「うーん、とても大事な用事なんだ。迷子になったまま帰ってこないゆっくりがいてね…」
「うるさいよ!!おしょくじちゅうはしずかにしてね!!」












「その迷子になっている本物のまりさを、探してきて欲しいんだ」











「いいかげんにしてね!!…………ゆ?いま、なんていったの?」

お菓子に夢中になっていたまりさは、聞き間違いだと思った。
“本物”を探して来い。お兄さんは確かにそう言った。聞き間違いではない。

本物って、何?…あれ?おかしいよ?本物を探してくるってことは、まりさはニセモノってことなの?
え?あれ?それじゃあこの人間は……も、もしかして……?

「聞こえなかった?……本物のまりさを探してきてね、って言ったんだよ」
「ゆっ!?へ、へんなことをいわないでね!!まりさはまりさだよ!!」

見苦しい悪あがきだった。
足元にいるまりさがニセモノだと確信したお兄さんに対して、その言葉は何の意味もなさない。
お兄さんはにっこり微笑んで、まりさの声がする方向を向いた。

「さぁ、本物のまりさを連れてきてよ。言っておくけど、“本物”だよ?」

これはマズい、とまりさは思った。おろおろと周りを見回しても、何も見つかるわけがない。まったく無意味な行動だ。
しばらく餡子脳を酷使した結果―――とりあえず謝っておこう、そしてその隙に逃げ出そう、そう考えた。

「ゆっ!!ゆっくりごめんなさい!!まりさはゆっくりしたかったんだよ!!」

と謝りながら、すりすりと後ずさるまりさ。
ぴょんぴょん跳ねれば音でバレてしまうが、こうやって移動すれば逃げている事に気づかれずに済む。
何て言ったって、この人間は目が見えないのだ。きっと、気づかないうちに逃げられたことを知って、悔しがることだろう。

「“ごめんなさい”はいいんだよ。それより、さ……連れてきてよ、本物を」
「ゆっ!!ごめんなさいだよ!!ゆっくりごめんなさい!!ゆっくりゆるしてね!!」

お兄さんが顔を向ける方向に、まりさはいない。
既に2メートル、まりさは台所の出口へと近づいていた。
出口に背を向けて、お兄さんの顔をまっすぐ見たまま、少しずつ少しずつ後ろへ下がっていく。
そして、安全な距離を確保できたと判断したまりさは……

「ゆっくりにげるよ!!」
「あぁ、言い忘れてたんだけど…」

逃亡宣言をし、身体を180度反転させて床を強く蹴って―――









「…そこのドア、閉めっぱなしだよ」

まりさは、台所のドアに正面衝突した。

「ゆべえええぇぇぇえぇえぇぇぇぇうげっ!?」

顔面の激痛に悶えているところを、上から思い切り踏みつけられたまりさ。
無様な声を上げて必死に逃れようとするが、人間に力で勝てるわけがなかった。
逃げられない。まりさは、そのことを身をもって理解したのだ。

「やめでねえ゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛!!!ごの゛ま゛ま゛じゃゆっぐりでぎな゛いい゛い゛い゛い゛いい!!!」
「さっきから言ってるでしょ?本物のまりさを連れてきてくれさえすればいいんだ。
 お兄さんは全然怒ってない。怒ってないんだ。だから、さ……一緒にまりさを探しに行こうよ」

お兄さんは目を瞑ったまま、足元のまりさに微笑みかける。
何だか良く分からないが、まりさはその笑顔が怖かった。何の穢れもない笑顔が、何故か怖かった。
もしここで、“本物のまりさは死んだ”ということを告げたら……自分はどうなる?

「ごべんなざい!!もうじまぜんがら!!もうかってにおうちにはいらないがらゆるじでええええええ!!」

とにかく謝っておこう。泣いて謝れば何とかなる。
まりさは力の限り、声を出し、涙を流し、謝罪の言葉を羅列した。

「あぁそうか。泣いて謝れば許してもらえると思ってるんだな。さすが、ゆっくりらしいや」
「ゆ゛ぉえ゛っ!!??」

お兄さんがまりさを踏み潰す力を強めた瞬間、内圧に押し出されてまりさの口から餡子が吹き出た。

「どうして逃げる必要があるんだい?まりさはここでゆっくりするんだろう?ゆっくりすればいいじゃないか。
 そんなゆっくりしているまりさに、ちょっとお仕事を一つ頼んだだけじゃないか」

表情一つ変えず、お兄さんはまりさに呼びかける。
全身を駆け抜ける痛みと、お兄さんの穏やかな語り口調が、まりさを苦しめ続ける。

「簡単なことだろう?“本物のまりさ”を連れてきてくれさえすればいいんだから。
 知ってるんだろう?まりさの居場所を。さぁ早く、連れてきてくれよ」
「し、しらないのおおおおおおお!!!だからゆるじてええええぇえっぇぇええ!!!」

うねうねと身体を動かしてみるが、踏み付けから逃れることは出来ない。
それどころか、皮が異常に引っ張られて痛みだけしか得られなかった。

「いやいや、知らないわけがないさ。だって君は自分で殺したじゃないか。本物のまりさを。
 本物を殺して、自分が成り代わって、バカな人間を騙して、一生ゆっくりする。そういう作戦なんだろう?」
「ゆ゛!?……どぼぢでしってるのお゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!??」

騙そうとしていたことだけじゃない。本物を殺したことも、このお兄さんは知っている。
どうして?どうしてこの人間は全部知ってるんだ?バレてた?そんなわけがない!!だってこの人間は目が見えないんだから!!

「どうしてって、全部説明しなきゃいけないのかい?」
「ゆえっ!!やめっ…やめでねぇ……ぐるじいよぉ……」

ぐいっと足に力を込めるお兄さん。まりさは息苦しくて、喋ることもままならない。
これ以上力を込められたら、まりさは爆ぜて餡子を撒き散らしてしまうだろう。

「一つ目。盲導ゆっくりは自分からお菓子を食べたいなんて言わない。
 二つ目。盲導ゆっくりは『ゆっくりさせてね!!』なんて言わない。
 うーん、これ以上は面倒くさいや。一番の決め手は……そうだなぁ、やっぱり君の顔にある右頬の傷かな?」
「……ゆっ!?」

すごく重要な前提が、崩れた気がした。

“右頬の傷”
まりさ自身も気にした事がなかった傷。存在すら忘れかけていた傷。誰にも気づかれなかった傷。
そんな些細な傷で、ニセモノだと発覚した。だが、重要なのはそういうことではない。傷なんかどうでもいいのだ。

それよりずっと重要な事がある。





どうして、この人間は……目が見えないこの人間は、その傷が分かるんだ?





「よく見ると、本物のまりさと形がちょっと違うよね。本物はまん丸だけど、君はどちらかというと三角型だ」
「ゆっ!!おかしいよ!?おにーさんはなにもみえないんでしょ!?」
「ん?もちろん!何も見えないよ。だって―――


そっと、目を開くお兄さん。
眩しそうに目を細め、しばらくして光に慣れるとその目を大きく開いた。


―――目を瞑ってたら、何も見えないのは当たり前だろう?」


「ゆ…ゆゆゆゆ?……うそだあ゛あ゛あ゛あ゛ぁあ゛ぁあ゛あぁ゛あ゛ぁぁあ゛あ゛あ!!!!」


到底認められるものではなかった。
目が見えない人間だから、ニセモノだとバレない。
目が見えない人間だから、自分はゆっくりできる。
まりさの作戦の前提にあったのは、この人間の目が機能していない、ということだった。

だが、現実はどうだ?
お兄さんは両方の目を見開き、じっとまりさの顔を見つめているではないか。
その目が光を詳細に感知し、脳が周囲の状況を把握しているという証拠だ。

「嘘じゃないさ。右が2.0で左が1.5。日常生活ではまったく不自由しない、至って健康な目だよ」
「だましたの……ゆっぐじ…だまじだのぉおお……!!??」
「騙した?人聞きの悪いことを言わないでくれよ。
 僕は君に“目が見えない”などと言ったことは一度もない。“何も見えない”とは言ったけどね」

まりさは、固まったまま動けなかった。
“目が見えない”のと“何も見えない”のと、何が違うのか……ゆっくり考えて、そして理解できた。理解できてしまった。

そして、今までお兄さんはそれらしい素振りを見せてきたのに、まりさはまったく気づかなかった。
目が見えるから、まりさにぶつからないギリギリのところに腰を下ろす事が出来たのに。
目が見えるから、まりさを踏み潰さずに戸棚を開ける事が出来たのに。
まりさはそのことに、今に至るまで気づいていない。

「さて、盲導ゆっくりを殺しちゃったまりさには、弁償してもらわないとな」
「ゆっ!?べんしょう?」
「盲導ゆっくりを育てるのには、とてもお金がかかるんだ。だからそれを殺したまりさは、お金を払わなくちゃいけない」
「お、おかねなんかもってないよ!!ゆっくりあやまるからゆるしてね!!ゆっくりさせてね!!」

ははは、とお兄さんは呆れたように笑い、台所の戸棚からアイスピックを取り出した。

「だったら、まりさが代わりに盲導ゆっくりにならないとね。これからは盲導ゆっくりとして、ゆっくりしてもらおうかな」
「ゆ?……ゆっくりできるの?ゆっくりさせてくれるの?」
「もちろんさ。君はバカな人間を騙してただけ、そして盲導ゆっくりを殺しただけで、何も悪いことはしてない。
 だから、ゆっくり出来ないわけがないだろう?盲導ゆっくりになれば、思う存分ゆっくり出来るよ」
「ほんとう?だったらまりさは“もうどうゆっくり”になるよ!!」

跳びはねて喜ぶまりさを見て、お兄さんはにやりと笑った。思い通り、という顔だ。
ゆっくりの“ゆっくり”と人間の“ゆっくり”は、同じとは限らないのだ。

「よし、そうと決まったら早速」

跳びはねるまりさを鷲づかみにし、その右目にアイスピックを突きつける。
そして、すっと息を吸い込んで、アイスピックを握る右手に力を込めた。

「ゆっ!?なにをするの!?ゆっくりできないよ!?ゆっくりやめてね?」
「まずは、目が見えない人の気持ちを学ぼうか」
「どうしてそんなことするの!?ゆっくりさせてね!!めがないとゆっくりできないよ!?やめてやめてやめt―――



ザグッ!ザグッ!



「ゆっがぁぁぁあっぁrがえrがえろmpごぱえおmぽmpろmp!!??」

眼球がくりぬかれた穴から餡子が飛び出す。両目を失ったまりさの叫びが、家中に響き渡った。
先ほどまで目があった場所を、焼け付くような痛みが蝕む。
お兄さんは手のひらの上で2つの眼球を転がし、その感触を楽しんでいる。

「おーぷるぷる可愛い眼球だねぇ。食べちゃいたいぐらいだよ」
「やめでえええええええ!!!までぃじゃのおめめがえじでえええええええええ!!!!」

ぶるんぶるんと身を震わすまりさ。まったく見当違いの方向を向き、お兄さんに訴えかけている。
お兄さんはくすくす笑いながら、パンパン手を叩いてまりさを自分の方向に導いた。

「ほら、こっちこっち!!お兄さんのところまで来たら、お菓子をあげるよ!!」
「ゆっ!?おかしっ!?ゆっくりだべさせてね!!」

“お菓子”という言葉が食欲を刺激し、一時的に自分の眼球のことを忘れるまりさ。
お兄さんが手を叩いて導いてくれるので、どちらに跳ねていけば良いかはよくわかった。

「ゆっ!そっちにいるね!!ゆっくりいくよ!!ゆっくりぶぎゅえ!?」

お兄さんのいる方向へまっすぐ跳ねていったまりさは、いつの間にか床に置いてあった画鋲を踏んづけてしまった。
鋭い針が勢い良く体内に入り込み、それは足の痛みとしてまりさを苦しめる。

「ゆぎゅっ!!ひどいよ!!ゆっくりさせてね!!」
「気をつけないとダメだよ。世の中何があるかわからないんだから」

と言いながら、お兄さんはまりさの行く手を阻む画鋲をさっと除けてやった。
その音を聞き、まりさはもう進路上に障害物はないと判断する。

「ゆ!こんどこそゆっくりいくよ!!ゆっくりおかしをちょうだいね!!」

目が見えないというのに、躊躇いなく跳ね進むまりさ。
進路上にはなにもない。踏んで怪我をするようなものも、踏んで壊れてしまうようなものも、何もない。
自分の都合のいいように、根拠なく決め付ける。その結果、まりさは大切なものを失うことになる。

お兄さんのところまであと一歩、というところまで迫ったときだった。

「ゆっ!!すぐちかくにいるね!!ゆっくりもうすぐだよ!!」



ぶちっ!ぶちっ!



まりさが着地すると同時に、何かが爆ぜる音が聞こえた。
ぬるぬるとした感触が、まりさの底部に伝わる。

「あーあ、やっちゃった」

全てを見ていたお兄さんは、呆れたように呟いた。
一体何が起こったのか、まりさは理解できていない。
何も見えないこの状況では、底部に残る気味の悪い感触からしか判断するしかないのだ。

「ゆ?……まりさはなにをふんだの!?ゆっくりおしえてね!!」
「まりさが踏んだのは、まりさに食べさせるはずだったお菓子だよ」

お兄さんは、正直に答えた。
すると、何を思ったのか……まりさはうねうねと動いて、踏みつけたお菓子の残骸を底部から取り払い始める。

「ゆっ!!おかしをたべるよ!!ゆっくりたべるよ!!」

床に落ちた破片を、這うようにして探し当てて口に運ぶ。

「むーしゃむーしゃ♪しあわせ~♪」

口の中に広がる甘みが、まりさを幸せにさせる。
そして、お菓子二つ分の破片を食べつくすと、やっと大事なことを思い出したようだ。

「ゆっくりおいしかったよ!!こんどはまりさのおめめをかえしてね!!めがみえないとゆっくりできないよ!!」

今から眼球を戻せば、視力が回復すると思っているらしい。
実際、ゆっくりならそれで元通りになるのかもしれないが。

「目?何言ってんだ。今食べただろう?」
「……ゆ?」

聞き間違いだと思ったまりさは、もう一度お兄さんに目を返すよう要求する。

「そんなことはどうでもいいよ!!ゆっくりおめめをかえしてね!!」
「何度も言わせないでくれ。お前の、目は、お前が、今、食べたんだよ」

返ってきた答えは同じ。意味する内容は同じ。お兄さんはとても分かりやすく教えてくれた。
口の中に広がる、餡子の味。その正体をまりさは知った。知らされてしまった。

「ゆっ!!ゆっくりはきだすよ!!ゆべっ!!ゆべえええええぇぇぇぇぇぇえ!!!」

なんとか自分の目を取り戻そうと、体内の餡子を吐き出すまりさ。
まともな思考が出来ないまりさは、そんなことをしても手遅れだということに気づかない。

「もう遅いよ。君が踏み潰した時点で、あの目はもう治らない」
「ゆああああぁぁぁぁぁ!!!そんなこといわないでえええぇぇえ!!!ゆっぐりでぎないいいいい!!!」

ぐちゃぐちゃに潰れた目を吐き出したところで、それをどうしようと視力は戻らないのだ。

「自分の目は美味しかったかい?自分の目を食べるなんて、とてもいい経験をしたね!」
「ゆっがぁあぁっぁあぁぁ!!!おまえのせいだっ!!おまえがわるいんだああっぁあぁぁじねええぇぇぇぇぇぇ!!!!」

お兄さんに体当たりしようと大きく跳びはねるまりさ。
だが、まりさが飛んでいったのはまったく正反対の方向だった。

「ゆっぐりじねえええええええぴぎゃっ!?」

真正面から壁に激突し、べたんと床に落ちる。
痛みにのた打ち回るまりさは、今度は反対側の壁にぶつかって悶絶した。

「んひゅうううううううやっばりおめめがないどゆっぐじでぎない゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛!!!」

今度はダメージを抑えるために、床を這いずってゆっくり移動するまりさ。
それが偶然にも、お兄さんがいる方向だった。どこから取り出したのか、右手にハエ叩きを握って待ち構えるお兄さん。
そして、もう少しでお兄さんにぶつかるというところで、まりさの顔面にバシンと一撃見舞ってやった。

「ゆびっ!!ごっぢじゃゆっぐじでぎないの!?」

もうお兄さんを殺すという目的も忘れ、ゆっくり出来る場所を探すことに夢中になっている。
そして、方向を変えて這いずり始めたまりさの顔面を、またまたハエ叩きで殴りつけた。

「ひゅっ!?ごっぢもなのお゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!??」

まりさが進行方向を変え、ほんの少し進むたびに正面から攻撃を加える。
身体の損傷はないが、まりさにとっては耐えがたい激痛。それが向きを変えるたびに襲ってくる。
そんなことを50回も繰り返すと……まりさは、ぴたりと動かなくなった。

「ゆっ…ここからだじで!!ここじゃゆっぐじでぎな゛い゛よ゛!!」

まりさは、自分が狭いところに閉じ込められたのだと勘違いしている。
実際はまりさの周りは何もなく、動き回ろうと思えば自由に動きまわれるというのに……
目が見えないばかりに、痛みのみに支配され、痛みだけを信じ、それを疑わなくなってしまった。
そこには何かがある。何もないのに、まりさにとっては何かがある。だから出られない。ゆっくりできない。

「おにーさん!!おねがいだよ!!ここからだしてゆっくりさせて!!」
「さて、お兄さんは買い物に行ってくるから、そこでゆっくりしててね!」

ばたんと、扉を閉じる音が聞こえた。
その音でまりさは、お兄さんが出て行ったのだと判断する。
仮に、お兄さんが中にいて扉を閉めただけだとしても、まりさはそうだと気づかない。
それが、見えないということ。目の見えないまりさを支配するのは、音と痛みだ。

「ゆっ!!やめでっ!!おいでがないで!!おねがいだがらゆっぐりさせてよ゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛ぉぉぉぉぉ!!!!」

喚き散らすも、その場から動こうとはしない。
動けばまたあの痛みに襲われる。それが怖いから動かないのだ。

まりさを閉じ込めているのは、透明な箱でもなんでもない。
それは、自分自身だ。




それから、同様の事が何度も繰り返された。

3日も経つと、まりさは自分の周りに存在しない壁を作り上げてしまった。

呼んでも、そこから出ようとしない。

食べ物を与えようとしても、そこから出ようとしない。

寝せようとしても、そこから出ようとしない。

まるで、見えない結界が張られているかのように、まりさは閉じ込められていると思い込んでいた。

それを見て、お兄さんは“とてもゆっくりしているね”と褒める。

その言葉を聞いて、まりさは何も言わず涙を流した。

喋れば身体が動く。身体が動けば、痛いものに触れてしまう。

だから動けなかった。

お兄さんを罵りたくでも、それが出来なかった。



そして。

何も食べず、何も飲まず、何も出さず。

まりさは、死ぬまでの半年間、ずっと30センチ四方の正方形の上でゆっくりし続けた。

それはある意味、究極のゆっくりだった。



(終)



あとがき

お兄さんが盲導ゆっくりを飼ってた理由?

指導員だったんじゃないですか?たぶん。


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最終更新:2009年01月20日 02:09
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