ゆっくりいじめ系27 幻想鉄道の動物対策

 幻想鉄道の動物対策

 幻想郷は幻想の郷というぐらいだから、幻のようにぼんやりしている。誰も知らない山や谷、川や野原もあちこちに点在している。全体の地図はいまだに作られていない。そもそもどこまで幻想郷が続いているのかも不明だ。
 おれの私見を言わせてもらうと、幻想郷の核にはあの巫女や魔女の住んでいるメジャーな一帯があって、周辺に行くにつれ、幻想郷のようでありながら、そうでない場所へと、コントラストをもって変化していくのだと思う。
 まあそんな理屈は、聞き流してくれていい。俺が言いたいのは、俺の勤める職場も、ある意味で幻想郷と地続きなのだろうということだ。
 その理由は二つ。
 まず名称。――幻想鉄道株式会社という。
 俺たちは人間のほかに妖怪や神様や精霊など、あらゆるものを乗せて日夜汽車を走らせている。こんな列車は人間界にはないはず。
 俺自身は幻想郷の中心に行ったことはない。でも、うちの列車は幻想郷の辺縁のどこかを走っているのだと思う。
 そしてもう一つ。
 うちの路線には、近ごろ増えてきたあの怪生物、ゆっくりが大量に出るのだ。

 雨上がりの日のこと。
 ある支線の駅長から、恒例となった通報があった。
「あーもしもし、血吸川駅・眼球鉄橋間の列車から、野生動物の発生で通行不能との報告がありました。運行本部、対処願います」
「運行本部聴取しました。野生動物はシカでしょうか、ぬえでしょうか、それとも狐狗狸でしょうか」
「本部、野生動物はゆっくりです。ゆっくりが線路を塞いでいるとのことです」
「ゆっくりの数量はどれぐらいでしょうか」
「大量です。少なくとも500メートルにわたっているとのことです」
「本部了解。対処しますので、お客様対応願います。神様等お怒りにならないよう、十分おもてなししてください」
「血吸川駅了解」
 ただちにしかるべき手続きが踏まれ、機関士の俺に出動命令がくだった。俺は同僚と機関庫に向かった。
 野生動物には、それぞれ対処の仕方というものがある。シカやイノシシなら線路外へ出せばいいが、ムカデやミミズが大量発生すると、つぶれて線路が油だらけになるので、砂をまかなければいけない。妖怪の類だとはるかにやっかいで、俺たちだけでは対処できない。強力なハンターや英雄を呼ぶこともある。
 大量のゆっくりに対しては、これしかない。
「ロータリー車、出るぞー」
 機関車に後方から押されて、自重77トンもある、巨大なそれが車庫から姿を現した。
 キ600型ロータリー雪かき車。前方に大きく開いた口の中には、直径三メートル近い羽根車がついている。本来は、冬の神様や氷妖精などが起こす突発的な豪雪に対処するためのものだが、最近ではこの目的での出動が増えた。
 俺は運転台に乗り込み、声をかけた。
「ロータリー車よーし」
「機関車よーし、出発進行ー」
 腕木信号がガタリと斜めに変わり、俺たちは出発した。

 ギロギロと列車をにらむ眼球鉄橋を越えると、切り通しに差し掛かった。左右の山肌が迫り、V字の谷間になる。
 同僚が山肌を見上げていった。
「ああ、こりゃあ確かに、あんな饅頭どもが落ちてきたら登れんなあ」
 ほどなく、前方に問題の箇所が見えてきた。
 壮観だった。谷底を赤白黒の丸い物体が埋めているのだ。一体一体が飛んだり跳ねたり細かく動き周り、鍋の中で湧き立つ湯のように、うぞうぞぴょんぴょんと蠕動している。例の「ゆっくりしていってね!!!」という鳴き声も、これだけいると意味のある声としては聞こえない。ただ、数百の耳障りな甲高い叫び声が、渾然一体となって、谷間にわぁんと反響しているのみだ。
「こりゃあすごい。こんな規模のゆっくりは初めて見た」
「何体ぐらいいるんだろう」
「さあなあ、千や二千じゃないな、これは」
「一桁上かもしれん。よくもまあ、こんなに繁殖したもんだ」
 自然は時に、このような驚異を垣間見せてくれる。人間はその前で、畏怖に打たれるしかないのだ。俺と同僚は、つかのま、毒気を抜かれてゆっくりの大群に見入っていた。
 いつまでもそうしているわけにも行かないので、俺は気を取り直して言った。
「ちょっと見てくる」
「大丈夫かね」
「ゆっくりは一応話が通じる。話してどくものなら、そのほうがいいだろう」
「まあ、いったん始めると、洗車が大変だからな」
 俺はロータリー車から降りて、連中のほうへ向かった。
 近づくと、てんで勝手に話したりほお擦りしていたゆっくりの一体が、こちらを向いて言った。
「ゆっくりしていってね!!!」
「ああ、ゆっくりしているよ。ところでちょっといいかな」
「ゆっくりしていってね!!!」
「いっしょにゆっくりしよう!!!」 
「今、ゆっくりしているよ!!!」
 やかましいことこの上ない。俺は両手をふってゆっくりたちを黙らせ、尋ねた。
「君たちはなんでこんなに集まっているんだね」
「ゆっくりしているからね!!!」
「ゆっくりしたいからだよ!!!」
「ゆっくりとね!!!」
 埒が明かないので一匹抱え上げて、少し離れたところまで連れていった。そのゆっくりは特別扱いされたとでも思ったのか、嬉しそうに跳ねて言った。
「あそびに連れて行ってくれるの? 霊夢、おなかすいたよ!!!」
「ぜんたい、おまえはどこから来たんだい」
「崖の上からゆっくりと来たよ!!!」
「ゆっくりなわけないだろう、昨日はいなかったんだから……。どうして来たんだい」
「ごろごろと転がってきたよ!!! ゆっくりできなかったよ!!!」
 こんな具合の問答を辛抱強く続けて、俺はなんとか事情を聞きだした。
 この崖の上は、ゆっくりに好適な高原の森になっていて、そこで大量のゆっくりが生息していた。連中はどこかよそから移住してきた種で、地べたに巣を作る習性があった。ところが昨夜、連中が経験したことがないほどの大雨が降り、森の中に一時的に川ができた。森中のゆっくりがその流れに巻き込まれ、ここへ押し流されてしまったのだ。
「じゃあ、さっさと森へ帰ったらいいじゃないか」
「ゆっくり登っているよ!!!」
 確かに崖に接したゆっくりはそちらへ登ろうとしているが、ちょっと上がっただけで転んで戻ってきている。集団の中のほうのゆっくりにいたっては、あきらめたのか、現状を把握していないのか、顔を見合わせて楽しげに雑談したり、追いかけっこをしたりしている始末だ。
「崖はどう見たって無理だろう。この先に斜面があるから、そっちへ回ったらいい。ほんの一キロかそこらだ」
「ほんとう? じゃあゆっくり行ってみるね!!!」
 俺はそのゆっくりを離してやったが、のたのたと群れに戻ったそいつは、二、三分もすると仲間たちと戯れ始めてしまった。数が多すぎて話を聞かせられないらしい。
 ゆっくりには統率や団結心などないのだ。
 それどころか、まともな知能も想像力もない。森中のゆっくりが集まるという情景に接して、物珍しさ、目新しさではしゃいでいる。このままここにいたら、半日もたたないうちに飢えて苦しみだすだろうに、その程度の未来のこともわからないのだ。
 別のゆっくりが二、三匹やってきて、きらきらした目で列車を見ながら言った。
「お兄さん、あの大きい黒いのはなあに?」
「ゆっくりさせてくれるの?」
 自分たちを楽しませてくれる何かではないかと、期待で一杯だ。おれは言った。
「あれはロータリー車だよ。積もった雪をザクザクとかきとって跳ね飛ばすんだ。とても強力な機械だよ」
「わあ、すごいすごい!」
「ゆっくり見てみたいな!!!」
「ゆっくり見ていていい?」
「ああ」
 しょせん野生の畜生たちだ。期待した俺が馬鹿だった。
 俺はそのうちの一匹を適当に選んで抱き上げ、列車へ戻った。同僚が無言で目配せした。
「蒸気圧、規定値。タービン回転開始」
「タービン回転開始」
 復唱して俺はクラッチをつないだ。凍りついた雪をかき砕くために、鋭い刃を備えた羽根車が、凶悪な風切音を発して回転し始めた。
 ヒィィィィン……ゴオオオオオオオオオ
「ロータリー車、オーライ。進行願います」
「機関車オーライ。進行」
 後方の機関車から合図があって、ガクンと列車が動き始めた。
「ねえ、なにが起こるの? とてもゆっくりしたこと?」
「ちょっと邪魔しないでくれな」
 連れて来た一体のゆっくりを、俺は覗き穴のある箱に収め、前方がよく見える位置に置いた。
 車外では、ゆっくりたちが、興味しんしんで集まってきた。開け放したガラス窓から、叫び声が聞こえる。
「ゆっくりしていってね!!!」
「ゆっくり動いてね!!!」
 ああ、ゆっくりしているとも。時速二キロの最徐行だ。それ以上ではこちらが破損してしまうからな。
 もっとも、ゆっくりが相手では傷一つつかないだろうが。
 列車が進み、ゆっくりの群れに到達した。俺には、接触する寸前のゆっくりの顔が見えた。羽根車が引き起こす旋風に煽られて、キャッキャと喜んでいる顔だった。
 接触した。
 どばあああっ、と重い震動が羽根車から伝わってきた。大量の饅頭が羽根に当たり始めた衝撃だ。側面の排出ハッチから、あずき色の泥流が噴出し始める。
 俺は側面を見た。よく練られたつぶ餡は崖にべったりと張り付き、なだらかに流れ落ちている。雨が降れば側溝に流下し、この先の鉄橋まで運ばれ、川に注ぐだろう。
 餡の中に、グシャグシャに寸断された赤いリボンや、白い皮が見えた。
 問題ない。
「よし、そのまま」
 俺は前方へ目を戻した。
 そこでは、凄まじいパニックが巻き起こっていた。
「ゆっぐりしで、ゆっぐりじでいってね!!! こっちへ来ないでね!!!」
 べちょべちょの泣き顔で絶叫しているゆっくりがいる。
「ゆっくりでぎないよ、ゆっくりざぜでえええ!!」
 見苦しく喚いて、押し合いへし合うゆっくりがいる。
「ゆっ、ゆっくり逃げているよ!! ゆっくり押さないでね!!」
 仲間同士で懇願しあっているゆっくりがいる。
 俺は見たことがないが、海辺でフナムシの大群に出会ったことのある人もいるだろう。フナムシというのは気弱な昆虫で、近づくとものすごい勢いで逃げていく。地面を覆う絨毯が、勢いよくめくれて行くようにも見えるらしい。
 俺が見ているのは、それの紅白版だった。
 谷底を埋めたゆっくりたちが、津波のように逃走している。紅白のリボンと黒い髪がざわざわと波打ち、飛び跳ねる。
 身の軽い昆虫なら、ぶつかりあったりせず、スムーズに逃げていくだろう。
 だが、湿って重いこいつらは、昆虫よりも不器用だった。
 仲間に突き飛ばされて転ぶ者。
 髪を引っ張り合って邪魔しあい、結局別のゆっくりに乗り越えられてしまう者。
 子供たちを運ぼうとして、前のめりになり、結局を子供を押し潰してしまう、母親型のやつもいる。
 俺は、間近に迫った列車の前で、一匹のゆっくりが懸命に別の一匹を引きずっているのを見た。
 きっと親友か、姉妹なのだろう。
 だが、迫る列車から逃げられないと悟った途端、そいつは妹を見捨ててもぞもぞと逃げ出した。
 置いていかれた妹の顔は見えなかったが、その後頭部のリボンの激しい震えは、運転台からでも見えた。
 底知れない絶望、恐怖に打ちのめされたことだろう。
 それもこれも、素早いやつも遅いやつも、いいやつも悪いやつも――
 悪魔のあぎとのように高速回転する鋼鉄のブレードが、無慈悲に飲み込み、一瞬でばらばらにして、ドロドロの流体になるまで練り潰し、排出する。
 全力で横手へ逃げればブレードから逃げられるのだが、知能が低い上に恐慌をきたしているゆっくりたちは、そんな簡単なことにも気付かない。
 力尽き、倒れ、あがきながら、喚きたてながら、泣き叫びながら、懇願しながら、放心しながら、期待しながら――
 猛烈な勢いで噛み砕かれ、叩きつけられ、絶命していく。
 一秒間に、数十体ずつ。
 ちなみにこの間、覗き穴のある箱からは、凄まじい悲鳴と、哀願の声が続いている。
 が、仕事なので俺たちは無視する。
 同僚がインジケータに見入っている。
「ン……抵抗がすごいな」
「餡は雪みたいに熱で溶けないからな。むしろ焦げて粘りつく」
「出力、上げ」
「出力、上げ」
 ゴオオオオッ、とタービンがさらに轟音を高める。それはゆっくりたちの恐怖心を、狂おしいまでに煽り立てたようだった。死に物狂いで走り、逃げていく。
 駅長の報告は正しかった。ゆっくりの大群は、およそ五百メートルにわたって続いていた。ゆっくりによる、史上最長の列車妨害だった。
 俺は、前方に妙な物を見つけた。同時に、同僚も気付いたようだった。
「なんだ、ありゃあ……」
「壁」ができていた。
 横に広い壁が立って、行く手を阻んでいる。
 近づくにつれ、壁の正体がわかった。
 向こう半分のゆっくりたちだ。
 うずたかく積みあがった堤防のようなゆっくりの上に、向こうから登ってきたゆっくりが現れる。その一瞬、連中の顔に期待が見える。
 なにが見えるんだろうね!
 なにがおこっているんだろうね!
 ゆっくり見られるといいね!!!
 その顔が、次の瞬間、驚愕と恐怖に染まる。連中は見る。
 涙とよだれをまき散らして、一心不乱に逃げてくる、怒涛のような仲間の群れを。
 その向こうから轟音を上げて迫る、巨大な殺戮機械を。
 次の瞬間、連中は逃げてきた仲間に突き落とされ、踏み潰され、わけもわからず息絶える。
「ああ、つまり……」
 同僚が言った。
「向こうのほうのゆっくりは、こっちで何が始まったのか、わからなかったわけだ。連中、背が低いから」
「ああ」
「それで、わざわざ野次馬に来たんだ!」
「だろうな」
 そして中間の250メートル地点辺りで、双方の流れが正面衝突した。
 二×数千体の饅頭によるインパクトだ。おそらく、中央部のゆっくりは一瞬で原形を失ったことだろう。一ミリの隙間もない、餡子堤防が生じたはず。
 そこへさらに前後から饅頭が詰め掛けた。
 その惨状が、悲鳴が、見えるよう、聞こえるようだった。

 ゆっくり押さないでね!!!
 ゆぐぐっ、つぶれちゃうよ、もどってね!!!
 ゆっ、ゆぐぐっ、ゆぐっだめだからね!!
 もっ、もどれないよ、くるじいよ!!!
 だめだめっ、だめだよ、しぬ、しにそうだからね!!!
 つぶれでっしんじゃう、じんじゃうよぉぉぉぉ!!!
 ぐぶばらがばぶるぶがばがばら

 その結果できた、餡子と皮のぎっちりと詰まった奇怪な堤防に、俺たちは迫りつつある。
「ああ、ここで終わりだな」
 同僚が一人ごちた。
 堤防はもはや、ゆっくりの登れる高さの限界に達していた。こちらから殺到したゆっくりが、登りきれずにぼろぼろと転がり落ちてくる。
 ふもとの辺りには、追い詰められたゆっくりたちが溜まっている。仲間に踏み潰されて型崩れしたものや、まだしぶとく原型を保っているものもいる。
 共通するのは、こちらに向けた張り裂けんばかりの両目と、耳をつんざくほどの悲鳴だ。
「ゆ゛ぅぅぅぅ!!! ゆ゛ぅぅぅぅぅ!!!」
「ゆっぐりじでいっでぇぇぇぇぇぇ!!!」
「ああうるさい」
 同僚が、パタンとガラス戸を閉じた。
 直後、列車は堤防に衝突した。
「ゆ゛ぐ  ゆぐ   ゆっ
 ぐゆ     ゆっ
 ゆっぐ  ゆっ ゆっ
  ゆぐ  ぐ  ゆっ
 く  ゆぐぐっ ゆゆっ
   ぐぐり  ゆっ 
  ぐ ぐ ゆっ 
   ゆっ ゆ
    ぐ
    ぅ
    ぅ
    ぅ
    ぅ
    ぅ
    ぅ
    ぅ
    !
    !
    !
     」
 もの凄まじい悲鳴、奇声、叫喚のすべてを、強力の羽根車がひとまとめに吸い込み、力ずくで削り取り、飲み込み、ハッチから排出していく。列車の横に、餡子の濁流が綺麗なアーチを描いて飛ぶ。
 高さ三メートル、厚さ数十メートルに達する餡子の壁は、抵抗も凄まじかった。タービンが金属的な悲鳴をあげ、焦げ付きの匂いが運転台に充満した。
 不意に、ガウッ! と不安な響きを残して羽根車が停止した。同僚があわてる。
「いかん、焼きついたか?」
「違う、俺が止めた」
 負荷が高すぎる気がしたのだ。俺は覗き窓を見て、驚いた。
「羽根車が餡子に埋まっちまった!」
 電話をとって、機関車に指示する。
「いったんバックしてくれ。少しずつ削る」
「なんだって? そんなにぎっちり詰まってるのか」
 機関車のほうでもそんなことは初めてらしく、驚いていた。
「これじゃあ、雪かき車じゃなくて、トンネル掘りのシールドマシンだなあ」
 バックして距離を取ると、ゆっくりたちがほんの少し、ほっとした顔を見せた。だが、フルパワーの轟音を上げて再び近づいていくと、今度こそ声も出なくなったらしく、ただ驚き果てた顔になって、いっせいにガタガタ震えだした。
 無理もない。連中のほとんどは、半ば餡にうずもれ、融合し、身動きもできなくなっているのだ。
 迫り来る壮絶な死を、なすすべもなく受け入れるしかない。
「慎重に行こう」
 同僚にうなずきながら、俺はロータリーの刃をゆっくりたちに突き立てた。
 阿鼻叫喚の地獄絵図が、その後四十メートルにわたって続いた。

 列車が血吸川駅に入っていくと、目を丸くした駅長が迎えた。
「こりゃあ、すごい……一体どれぐらい、いたんですか」
「二万以上だと思います」
 ロータリー車から降りた俺は、いささかげっそりして答えた。
 列車の前半分は、ライトやアンテナの周りから、外板の隙間という隙間にいたるまで、びっしりと餡子に覆われていた。
 さながら、雪山で見られる樹氷の、餡子版だ。
「今日の夜にでも、保線の人に出てもらって、崖の餡を洗い落とさなければいけないでしょう。多すぎて、崩れてきそうだった」
「客車は出していいんですか?」
「それは、まあ。窓の外は見ないでもらったほうがいいでしょうね」
 慣れている俺でも、二度と見たくない光景だった。
 俺は餡子まみれの列車に向き直って、舌打ちした。
「ほんと、洗車が大変だわ、これは……」
 それから、運転台の箱を持ってきて、地面に置いた。
「さ、出ていいぞ」
 蓋を開けても、そのゆっくりは動こうとしなかった。
 白目を剥き、口の端からよだれを垂らし、白いはずの皮を真っ青にあおざめさせ、完璧な放心状態になっている。
 だが、外傷はないから、無事なはずだ。俺はその柔らかな頬をつついた。
「ゆっくり? 大丈夫か?」
「……ゆ゛……」
 細いうめき声を漏らし、やがてそのゆっくりはぶるぶると震えて、黒目を戻した。
 こちらを見る眼差しには、底知れない恐怖がある。
 無理もない。
 仲間の一族郎党、村落丸ごと、ひょっとしたら一民族すべてを根絶やしにされたのだから。
 もしこれが人間だったら、ちょっとしたジェノサイドだ。
 恨みごとを言い出す前に、俺はそいつにビンタをくれた。
「おら、しっかりしろ、ゆっくり」
 パァン!
 もちっとして冷たいゆっくりに、手形がついた。「ゆっ!?」とゆっくりは目を覚ます。そいつを線路端に運んでいって、草っぱらに放した。
「さっさと行きな」
 軽く蹴って三メートルほど飛ばしてやると、ゆっくりは一目散に逃げていった。
 これは俺たちの新しい作戦だった。惨劇の目撃者を放してやれば、ゆっくりたちは二度とあの森に近づかなくなるだろう。労せずして再発防止ができるという寸法だった。
「ちょっと、いいことしちまったかな……」
 作戦のためとはいえ、殺さずに一匹、逃がしてやった。
 俺は口笛を吹きながら、心も軽く、列車へと戻っていったのだった。


 わずか半年後、同じ谷をゆっくりが埋め尽くした。
 調べたところ、半年前の出来事を、どのゆっくりも知らなかった。
 あの逃がしたやつ、あれほどトラウマを作ってやったのに、コロッと忘れたらしい。
「畜生が」
 今度は一匹残さず潰した。

                                   終わり 

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YTです。
ぬるいのは不評なようなので、筒井康隆風の大殺戮を目指してみました。
これ以上の大虐殺となると、ゆっくりが進化を遂げたゆっくり惑星での核戦争など、幻想郷と関係ない事件になってしまうので、この辺りが限度なんじゃないでしょうか。
視界を埋め尽くす餡子の乱舞を想像して、ゆっくりとお楽しみください。

あと、私はあまり鉄道の知識がないので、描写は不正確です。
雪かき車はウィキペから引っ張ってきたものを使いました。
080617
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最終更新:2008年09月14日 04:50
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