ゆっくりれいむと妹紅は、並んでれいむのおうちへと向かっている。
先ほどのゆっくりの言葉を確かめるため、今すぐにもかけだした妹紅だが、案内役のゆっくりれいむは下が焼かれてはねるたびに痛むらしい。
ずりずりと草むらを這いずりながら、妹紅にせっつかれて前に進んでいく。
「ニンゲンの赤ちゃんって、食うために今度はさらってきたのか?」
妹紅の問いかけに、ひいひいあえいでいたゆっくりれいむは目を見開く。
「赤ちゃんを食べるなんて、どうじでニンゲンはそんなひどいことかんがえるのおおおおお!」
なぜか、妹紅が逆にしかられた。
「いや、だってお前くっただろう!」
もう一度、あぶってやろうかと気色ばむ妹紅。
けれど、次のゆっくりの言葉は妹紅の殺気を削ぐものだった。
「ちがうよおおお、赤ちゃんはあんなにゆっくりできるのに、たべたりしないよお」
「ゆっくりできる?」
「うん! 笑ったら、だあだあ笑い返してくれるし、ゆっくりしてねとお願いしたらきゃきゃっと笑ってくれるの。すっごく、かわいいんだよ~♪」
体を揺らしながら、とろけそうな笑顔を真っ赤にするゆっくりれいむ。
「……じゃあ、どうして赤ちゃんを飲み込んだんだ? 知っているんだぞ、お前が四日前、人里で赤ん坊を飲み込んでいたことを」
「ゆっ! その赤ちゃんのことだよ! 口の中に入ってきた赤ちゃんのことだね。赤ちゃん、怪我したらいけないもん! お口にいれて危険から守ってあげないと!」
妹紅は沈黙した。
ゆっくりれいむが言うがまま、推理を組み立てる。
はいはいを覚え、あちこち興味が赴くまま這い回る赤ちゃん。そこに通りかかったゆっくりの口に、何かの偶然で入り込んだ赤ちゃん。赤子の様子に、ゆっくりの母性が刺激されたのだろう。所有権という概念があまりないゆっくりは、その場に「落ちていた」赤ん坊を拾ったものとしてもちかえる。なぜ、母親に口に入れたことを「食べた」と言ったのかはよくわからないが、ゆっくりの語彙の少なさは誰しもが知るところ。
まあ、どちらにしろ、迷惑極まりない話ではあるのだが。
しかし、子供が生存して取り返せる可能性がでてきた。
食われてる結末に比べて、はるかにマシな状況だ。
助けることができれば、あの母親はどれほど喜ぶだろう。
「しかし、お前のでかさだと赤ん坊は食いごろサイズなのによく我慢できたな」
言いながら頭をなでてやると、ゆっくりれいむは初めて妹紅に笑顔を向ける。
「当然だよ! にんげんさんも一緒にお話できたり、ゆっくりできる相手を食べたり、殺したりしないよね!」
ああ、そうだと言えればどれほど幸せな千年間だったのだろうと、妹紅は人の世で過ごしてきた時間を回想する。
が、興味深そうなゆっくりれいむの視線を感じて、慌ててごまかすように次の疑問を口にした。
「ところで、何を食べさせていた?」
「れいむたちと同じものだよ、おいしそうな草とか、虫さんとか! でも、食べてくれないの……」
「なっ!」
ようやく離乳食が終わったばかりの子供に、そんなものが食えるわけがない。
そうなれば、赤ちゃんは空腹のままもう四日目。衰弱の予感に、さらにゆっくりれいむを急がせる妹紅だった。
「そこだよ!」
ゆっくりれいむの声が示す方向を見ると、巧妙に藪に隠された巣穴が広がっていた。
「わかった!」
妹紅は一足先に巣穴に乗り込む。
くさむらを蹴散らし、くらがりの中へ。
炎の一塊で洞窟内を照らすと、目的の赤ちゃんは目の前にいた。
「だああ」
はいはいをしてこっちによってくるその姿を見て、妹紅は全身が安堵に包まれる。
それに、予想に反して衰弱した様子はない。
しっかりとした所作で外からきた妹紅に向けて手をのばす。
その手を引き上げようとして、妹紅は気づいた。
赤ん坊の手のひらを真っ黒に染めたもの。べちゃべちゃの甘い匂いのする、餡子。
ぽとりと、その餡子から何かが床に落ちる。
肌色の何かが、ねじられていた。炎の光をうけて、金色の何かが光っている。そばに落ちている親指ぐらいの黒い帽子で、それがちびまりさの残骸だと妹紅は気づいた。
「あまあま……」
赤ちゃんは、その餡子を押しそうになめている。
そういえば、普通ゆっくりの住処に来たときにかけられる「ゆっくりしていってね」の声がなかった。
妹紅は炎の勢いを強め、巣穴の全体を照らす。
そして、何があったか理解した。
床には、上下に真っ二つにねじ切られて投げ捨てられてぴくりともしないゆっくりれいむの赤ちゃんと、後頭部を噛み切られて片目が飛び出した同じゆっくりれいむの赤ちゃんが震えていた。
後者の赤ちゃんはまだかろうじて生きていたのか、光に反応して「お゛お゛お゛お゛」とうめきだす。
残された片方の目から涙をひっきりなしにこぼして、ニンゲンの赤ちゃんを見つめていた。
「おねえちゃんに……どうじで……ごんなごどずるのおおおおお……」
「まんまー♪」
赤ちゃんの返事は届いたのだろうか。
白目からぼろぼろと涙をこぼしたまま、物言わぬ饅頭と化すゆっくり赤ちゃん。
おそらくは、空腹のあまり手近なゆっくり赤ちゃんをかじったところ、その甘さに手当たり次第に食いついたのだろう。ゆっくり赤ちゃんは1歳児の膂力にすら抗えないし、ニンゲンの赤ちゃんを妹のように感じて予想だにしていなかったのか、説得しようと踏みとどまったのか、一匹も逃げきれたものはいなかった。
「あ゛っ、あ゛っ、あ゛っ! なんなのおおおおお、ごれえええええええええ!!!」
背後からの悲鳴。
振り向くと、ゆっくりれいむがぶるぶると震えて、地面に散らばるわが子を見つめていた。
その視線が不意に、妹紅の前にいる赤ちゃんの手のひらをみて、凍りついた。
「なんでえええええ、おねーちゃんだちを、たべだのよおおおおおおおおお!!!」
まずいと、妹紅は前に進み出る。
同時に、すさまじい衝撃が妹紅の体にたたきつけられていた。めきめきと背骨が鳴る。
激昂したれいむが、怒りのままに体当たりをしかけていた。
「あやまってえええええ! れいむのあかぢゃん、もどにもどじでええええええええ!!!」
妹紅にはどうにもできないことをいいんがら、無言の妹紅へと、二度、三度。さらにとどまる様子もなくぶちあたるその巨体。
「かはっ……」
妹紅は唇を伝う血の一筋に、体のどこかがやられたことを悟っていた。
だが、れいむを焼きはらおうとは思わない。
なぜなら、れいむの慟哭はこの子の親と同じものだったから。
この子は無事帰ることができるが、れいむの赤ちゃんはもういないのだ。
自分の安い命でよければ、気がすむまでれいむに付き合ってやろうと、心に決めていた。
もう、何度目か数えてもいない衝撃に目を見開く妹紅。その見下ろす先には、かばわれている赤子の不思議そうな瞳。
お前さんには罪はないんだと、にっこり微笑んでやる妹紅。
すると、笑顔に合わせてにっこりと笑い返す赤子。
そうして、おぼつかない口元で言った。
「ゆっくり……ちていってね!」
妹紅は驚愕した。まだ、この子は言葉が話せなかったはず。初めて話す言葉は、この洞窟でゆっくりれいむやその子供たちに話しかけられた言葉。
気がつけば、ゆっくりれいむの襲撃が止んでいた。
振り返ると、ゆっくりれいむはただ涙を滝のように流して、赤ちゃんを見つめていた。
そのまま、ずりずりと床にちらばるわが子の前にすすむと、体を弛緩させてぶるぶると震えだした。
「もう、かえって……あかちゃん、ゆっくりねむらせてあげてね」
嗚咽交じりの声に、妹紅は返す言葉を失っていた。
言われるがまま、赤子を抱えあげて洞窟をでていこうとする。
洞窟の出口付近で、ゆっくりれいむが声をあげて泣き始めた。
ふりむくと、あの巨体がまるでしぼんだように小さく見える。
妹紅は赤ちゃんと胸をしめつける罪悪感を連れて、静かにその場を後にした。
子供の帰還は、まるで収穫祭のような大騒ぎとなった。
「あっあっあっ!」
弱りきり、自分が奉公している富農に付き添われていた母親が、泣きながらわが子をかき抱く姿を見届けて、妹紅は心から安堵する。
が、あのゆっくりれいむの様子を思い出すと達成感はまるでなかった。
「妹紅、ちょっと来てくれないか」
慧音の声に呼ばれて振り返ると、友人の前に居並ぶのは笑顔の村の重鎮たち。
妹紅は求めれるまま、ことの次第を報告する。
まずは見つけた場所を報告する。とはいえ、お母さんゆっくりの激昂などははしょる。村の重鎮の一人に、子供が食われたという一報があったときに周辺すべてのゆっくりの駆除を提案した人物を見つけたからだ。あの傷心の、二度と人に関わろうとはしないだろうゆっくりれいむはそっとしてやりたい。
今回の事件は偶然が重なったこと、再犯の可能性がないことを付け加えて、報告を終える妹紅。
間髪いれず、妹紅の意を汲んだ慧音の提案が続く。
「子供をさらい、危険に追い込んだことは許しがたく、その間、どれだけ母親が苦痛に苛まれたことか想像に尽くしがたい。よって生かしておくには後顧の憂いがあると、何事もなければ言えるだろう。だが、子を失うことで人の子をさらうとどうなるかわかっただろうし、何よりも哀れな話だ。それに、あのあたりは妖怪も出没する。村人をそんな危険にさらしてまで処理する案件ではないと思う」
人里の守護者、慧音は滅多の村の方針に口を出さない。
それだけにこの提案は重く、異議を唱える者はついにあわられることがなかった。
こうして、すべては丸く収まることになる。
少なくとも、この時の妹紅と慧音の二人はそう考えていた。
さらに雨脚の強まったその日の夜。
ぼんやりと雨音を聞いている、巨大ゆっくりれいむ。
その前には、きれいな石ころを積み上げた子供たちのお墓。取り囲むように、子供の遺品が並べられている。
ゆっくりれいむは遺品を眺めて子供の思い出にひたっていた。思い出す、しあわせだった日々。
しかし、幸せの追憶はさえぎられる。
気がつけば、光の一閃がれいむの巣穴に差し込んでいた。
ランタンの明かりが入り口から忍び寄り、ゆっくりれいむの注意を引いている。
「今はひとりでゆっくりしたいよ……」
れいむの力ない声は、そのランタンの持ち主を止めることができなかった。
あらわれたのほっそりした体の女性。
ランタンを地面に置き、近づいてくるその姿に、れいむは見覚えがあった。
赤ん坊の母親だった。
見覚えのある人間の登場に、れいむの目に生気が宿る。
「ゆ……れいむの……ううん、おねーさんの子供さん戻ったの」
頷く母親に、れいむは表情をやわらかくする。
「よかったね……」
心から、その言葉が言えた。
そのことに、微笑むゆっくりれいむ。
「何もよくないわよ」
だが、返ってきたのは母親の険のある声。
そのまま、つかつかと歩み寄り、子供たちをうめた石の小山を蹴り飛ばす。
「ゆ! なにするのおおおおお!」
子供たちはもう帰らない。なら、せめて自分のそばでゆっくりさせてあげたいゆっくりれいむ。
それだけに、母親の突然の行為が許せない。
第一、こんなことになった原因は……
「そうだ! おねーさんが、赤ちゃんをれいむの口に押し込んだのが悪いんだよ!!!」
母親の顔が歪む。
急所だった。
れいむが妹紅か誰かに話していれば、すべての害意の源が明らかになる事実。母親の頼みにも関わらず、妹紅とかいう女がゆっくりをさっさと始末しなかったせいで、危うくぶちまけられそうになった真相。
それだけに、れいむの言葉は死への通行手形となった。
「ひどいよ、おねーさん! 飲み込まないともっと刺すって、れいむのほっぺたに意地悪したよね!」
母親はゆっくりれいむの前に立って含み笑いをこぼす。
「へえ、そんなゆっくり脳でも覚えていられるのね」
言うなり、背中に隠していた槌でぶん殴っていた。
叩きつけた瞬間、ぶべっと餡子が巣穴にはじけて散る。
「中身、やっぱり餡子なのね。本当に、ふざけた化け物」
かはっと、衝撃に目を白黒させるゆっくりれいむを、冷ややかな目で見下ろしていた。
おかげで、こいつと一緒にすべてを闇を葬らなければいけない。
槌を振り上げる母親。
振り下ろしながら、掛け声代わりに叫んでいた。
「そもそもは!」
「ぶぎっ!」
れいむの体が衝撃でたわむ。
「あんたが!」
「ぴゃぶっ!」
殴った形にへこんだ脳天に、何度も振り下ろす。
「きっちりガキを食っていれば……!」
「や、やめで……び、びぎゃあああ!」
殴りつけるたび、ぶぴぶぴと吐き出される餡子
もはや、見開いた目は飛び出しそうにまん丸で、目から耳から、穴という穴から餡子がぼとぼとと噴出している。
髪飾りは割れた頭頂部からもれる餡子にまみれ、殴り損ねた一撃で、ごっそりと髪がちぎり落とされていた。
母親はその姿に、少し気がまぎれたかのように笑い、すぐに般若の形相。
「ガキつれているとね! 富農のバカ息子と! 再婚できないのさ! あいつら、財産分与だ何だと難癖つけやがる!」
言葉を区切るたび、ゆっくりれいむの頭に槌が振り下ろされていた。
加減など欠片も無い、ただただ潰したいとばかりに振り切る。
「やめでええええ、ゆっぐりざぜでえええええ!」
「うるさいっ! 人の書いた絵図を台無しにしやがって……!」
不審を抱かれにくい「事故」により消える赤ちゃん。ゆっくりに赤ちゃんを処理させ、後は同情を引く母親を演じれば勝手に証拠のゆっくりが始末される。村中から同情を受ければ、金持ちとの結婚も傷ついた女性の面倒をみる美談ともなるだろう。
が、無事に子供が戻ってきて、すべてはご破算だ。
どれだけの手間をかけてやったのだと、殴りつけながら憤りが高ぶっていく。
当初の予定では子供を妖怪に食わせるつもりだった。だが、妖怪相手では自分をも食われる可能性があるし、妖怪退治に出張る巫女に勘付かれたり、妖怪が知性的ならば魂胆を見破られかねない。
そうして、得体の知れなさから「やりかねない」として選んだゆっくりだったのだが。
「せっかく、選んでやったのに……こんのおおお、役立たずがああ!」
「ぐぴゃあああああ」
もっとも痛烈な一撃だった。
噴水のように全方位に餡子を噴出す母ゆっくり。
母親はひいひいと荒い息をつきながら、目や耳から餡子を噴出し、もう痙攣して死を待つばかりのゆっくりに笑いかける。
「あのガキ、次は崖から落ちたことにしてやろうかねえ」
まるで、楽しい遊びを思いついたように母親が計画を口走った瞬間、死んだかのようなゆっくりが動いた。
餡子を吐きちらしながら、猛然と体当たり。
「ひゃ!」
見事に不意をついていた。
「げへえええええええ!」
すさまじい重量に倒れこむ母親。飛び上がったゆっくりれいむの体重に、震える地面。いや、洞窟全体がひどく揺れていた。衝撃で、ぽとりと入り口に落ちる土くれ。
その上に石がごろごろところがってくる。天井からはさらさらと砂の音。
長い間の雨に脆くなった岩盤。
そこへ止めを刺す母ゆくくりの振動が、今、巣を潰そうとしていた。
このままでは、双方生き埋めとなる。
起き上がろうと身を起こす母親。
が、起き上がれない。
「……あんた、離しさいよ!」
ゆっくりれいむが腰にのりあげ、張って進むこともできない母親。
「ねえ、あんた! ちょっとどいてくれるだけで、後でおいしいの上げるわよ! ゆっくりなんかじゃ絶対食べられないほどのね!」
その誘いは、無駄だった。
れいむは乗り上げたその体勢のまま、事切れていた。
最後まで、「子」のために死力を尽くしたゆっくりれいむの命だった。
「なっ! あんた、何で、死んでんのおおおおおっ!!!」
何度も殴りつけるが、もうぴくりとも動かない。
ただ、重みを与え続けるだけ。
「いやあああああああああああああ、たすけてえええええええええ!!!」
張り上げた声も天井から崩落する土砂の音に消えていく。
「なんで、あだじがああああああああああああ……」
後には、土砂に覆われた斜面が残された。
まるで、最初から何も無かったように。
「世の中はままならんものだ」
上白沢慧音の言葉に、妹紅のため息が誘われる。
「せっかく子供が帰ってきたのに、母親のほうが行方不明とはな」
二人、暗い顔で台風一過の晴れ渡った空を眺める。
ようやく、親子二人で幸せな暮らしができただろうに、哀れでならない。
だが、暗い話題ばかりではなかった。
「それにしても、子供を引き取ってくれる人が名乗り出てくれて、本当によかった」
「長年、子供に恵まれなかった夫婦だったな。きっと、誰よりも大切にしてくれるはずだ」
慧音の言葉に、妹紅は同意の頷きを返す。
「きっと母親の愛情が、次の家庭に受け継がれていったのだろう」
慧音の独白。
そのとき、妹紅の脳裏に浮かんだのは母親の顔ではなかった。
あの、ふくよかな母ゆっくりの姿を思い浮かべていた。
「あいつなら、もう一度暖かい家族を築けるはずさ、きっと」
慧音にも聞こえないよう小声でささやいて、妹紅は抜けるような夏の空を見上げる。
透き通るような青空を背景に、大きな一塊の雲が流れていた。
眺めていると、夏の涼風に吹かれて小さな雲が三つ、大きな雲に引き寄せられていく。
やがて、よりそって仲睦まじく一つとなる雲の姿。
ふんわりと雲が浮かぶ紺碧の空を、妹紅はいつまでも眺めていた。
おわり
あらすじ
どうも、小山田です。
今回はちょっとした変化球でやってみました。
最終更新:2011年07月30日 02:02