アリス×ゆっくり系1

 夕闇が迫っていた。
 傾いた日差しがアリスの影を伸ばす。
 影の先には、「ゆっくり魔理沙」が一匹。震えながらアリスに向かい合っている。
「日暮れ前に帰ると言っていたのに、こんな時間まで何をしていたのかしら?」
 穏やかに問いかけるアリス。
 逆光となり、その表情はうかがい知ることはできない。
 ゆっくり魔理沙の頬に流れる動揺の汗。
「ゆっ、ゆっくりしていたよ!!!」
 取り繕うようにピョンピョンと飛び跳ねて、精一杯の笑顔を浮かべてみせるも。
「へぇ」
 ごく短い応答にその動きも凍りつく。
「私とあなたとの約束は、そんなことで破られたの」
 呟きながら、歩み寄ってくるアリス。
「魔理沙って名前のつくものは皆そうね。今日だって一緒に過ごす約束だったのに、欲しい本を思い出したなんて
勝手な理由でパチュリーの所へ……!」
 不満を吐き出しながら、うつむき加減に近づいてくる。
 ぷるぷると魔理沙の丸い体が震える。
 本当は逃げ出したい。
 だが、逃げだした際の末路は、この少女に拾われてからの数ヶ月間で嫌というほど思い知らされていた。
 ゆっくり魔理沙は口をゆがめ、いやいやと全身を震わせる。
「ゆっくりした魔理沙がわるかったです!!! ごめんなさいいいいいい!!!」
 おいおいと嗚咽をこぼしながらの哀願に、アリスは屈みこんでゆっくり魔理沙と視線を合わせる。
「みっともなく泣かないで。別に怒ってないわよ」
 涙でぼやかえた魔理沙の視界には、子供をなだめるようなアリスの笑顔。
 頭を優しく撫でるアリスの手に、ゆっくり魔理沙の表情もとろんと落ち着く。
「ほんとう?」
「ええ、怒ってないわ、あなたに何かあったのかと心配しただけ。さあ、早く帰りましょう」
 アリスの細い腕に抱き上げられるゆっくり魔理沙。
 柔らかな膨らみと穏やかな心音。
 少しだけ残っていた魔理沙の緊張も心地よさに解けていくのだった。


 翌日、ゆっくり魔理沙は機嫌よく野へ遊びに行く。
 昨日の埋め合わせでやってくる魔理沙を迎えるため、今日も外に放りだされたゆっくり魔理沙。
「ゆっくりー!!!」
 いつもは家に押し込められているだけに、開放感に勢いよく体も弾む。
 このまま、ずっとゆっくりできたらどんなに幸せなことだろう。
 だが、どんなに逃げてもなぜか必ず捕まった。
 そして、「おしおき」を受けることになる。
 前回の脱走では、深い森の奥、枯れた木のウロに逃げ込んで眠っていた。だけど、目が覚めると窮屈で透明な箱の中。
「ゆー?」
 境遇を理解できないまま、とりあえず抜け出そうとする。
 だが、上下左右、みっちりと詰め込まれてどうすることもできない。
 その強制的な「ゆっくり」が、アリスによるものだと気づくのに時間はかからなかった。
 横を向くことも許されない固定された視界の端っこに、背を向けて紅茶を口にするアリスの姿。
「おねえさん!!!」
 呼びかけてみるも、反応はない。
「おねえさん、ここからだして!!!」
 重ねた呼びかけも無視される。
「苦しいよ!!! だして、お願い!!!」
 口調に懇願がこもりはじめても、アリスは振り向きもしない。
 空しい呼びかけも、応える声がないまま過ぎていく時間。
 三時間、何の変化もなく過ぎた頃、席から立ち上がって食事の支度を始めるアリス。
 いつも美味しい食べ物を用意してくれた記憶に、ゆっくり魔理沙は「もうそろそろ出してくれるかな」と淡い希望が
芽生え始める。
「おねえさん、おなかすいたよー!!!」
 表情の変化すら困難な箱の中、かろうじて愛らしい笑顔を形作るゆっくり魔理沙。
 しかし、アリスが作った料理は一人分。淡々と食事を済ませると、魔理沙の視界から消えて、そのまま戻ってくる
ことはなかった。
 ようやく、ゆっくり魔理沙はアリスの怒りの深さを思い知る。
「ごめんなさい!!! もう逃げたりじまぜんがらっ、だじでぐだざい!!!」
 箱を震わしての必死の謝罪。
 だが、許されるどころか、もはや省みられることもなかった。
 しまい込んで忘れ去ったオモチャのように、ゆっくり魔理沙から完全に興味を失ったアリス。
 アリスの家において、ゆっくり魔理沙はもはやオブジェ以外の何物でもない。
 そのまま、一日、二日、三日……そして、一週間。
 放置されたゆっくりの体は、声を上げる力も失い、少しずつ干乾びていく。
 ゆっくり魔理沙は、全身がひび割れそうな、びりびりとした猛烈な痒みに悶えるものの、身動き一つできない。
 癒されることのない痒みと痛み。あと、どれだけ苛み続けられれば許されるのか、あるいは死ねるのか、ひたすらに
残された時間が狂おしい。
 それだけに、アリスが近づいてきたその時は、ゆっくり魔理沙の期待が燃え上がった。
「おねえさん、いい子になるから!!! だから、だしてください!!! おねがい!!!」
 媚を売るように笑顔で呼びかけるも、アリスの手はその箱の近くに置いていた人形を手にとり、そっけなく引き上げていく。
「い゛がな゛い゛でええええ!!! だじでよおおおおおお!!!!」
 追いすがる、絞り上げるような声がアリスに届くことはなかった。
 放置は続く。
 霞んでいく、ゆっくり魔理沙の表情。
 一ヶ月後、ようやく箱から出されたゆっくり魔理沙。しかし、しばらくの間、虚ろに壁をながめるだけの生物と化す
こととなる。
 そういうわけで、「箱」以来、ゆっくり魔理沙は脱走を試みることすらしなくなっていた。
 それに、最近はアリスも優しく接してくれるようになってもいるのだし。
 昨日のアリスの抱擁を思い浮かべて、魔理沙は嬉しげに森の奥へと飛び跳ねていくのだった。


 森の奥、うっそうとした木々の向こうに、陽光の差し込む野原が開けていた。
 陽だまりを受けて鮮やかに輝く草むらに、ゆっくり魔理沙は身をおどらせた。
「ゆっくりしていってね!!!」
 跳ねながらいつもの言葉を口にする。
 すると、にわかに木立が揺れる騒々しい音。
「今日もゆっくりしようね!!!」
 言葉とともに姿をあらわしたのは、二匹のゆっくりたち。
 一匹はよく見かける「ゆっくり霊夢」で、丸い顔に気色を浮かべて勢いよく近づく。もう一匹は「ゆっくりパチュリー」で、
あまり外にでないことと、病弱ですぐ死ぬために希少種とされていた。
 ゆっくりパチュリーは他の二匹に比べ、どこか青白い顔。それでも、ゆっくり魔理沙に向けて懸命ににじり寄っていく。
 待ち受ける、ゆっくり魔理沙の表情に浮かぶ心配げな眼差し。
「ゆっくりきてね!!!」
「むきゅーん!!!」
 魔理沙に応じるその鳴き声も、この種特有のものとされている。
 ゆっくりパチュリーは飛び跳ねることができないのか、じりじりと這いよって、ゆっくり魔理沙の元へぴったりと寄り添った。
「みんなで、ゆっくりしようね!!!」
 魔理沙の真上に飛び乗るゆっくり霊夢。
 三匹、押し合いへし合い、頬をすりよせている。
 アリスに捕まる前からの友達との邂逅に、ゆっくり魔理沙も満ち足りた笑顔だった。
 そんな三匹の前を、白い蝶がふわふわと通り過ぎる。
「待って、ちょうちょさん! ゆっくりしていってね!!!」
 風に吹かれるがまま漂う蝶々を、思い思いに追いかけていく三匹。
 やがて、白い蝶々は蜜を求めて野の花に止まった。
 戦闘を駆けるゆっくり霊夢が、勢いよく飛び込んでいく。
「ゆっくりいただきます!!!」
 ぱっくり開いた口で、蝶々をまるごと飲み込んで、花ごともぐもぐと咀嚼する。
「霊夢だけ、ずるい!!!」
 ゆっくり二名が飛び上がって抗議すると、ゆっくり霊夢は魔理沙の元へ。
 いきなり、ぺったりと唇を合わせる。
 そのまま、口の中のものを、ぺっ、と渡した。
 獲物を受け取った魔理沙は、頷いて最後尾を息を切らしてついてきたゆっくりパチュリーに向き合う。
 パチュリーは、荒い息のまま、そっと目を閉じた。
「魔理沙、ゆっくりシてね……」
 そんな仕草に、なぜか戸惑った様子でゆっくり魔理沙が口付け。
「む、むきゅうー!!!」
「……!!!」
 途端に吸い上げられ、身動きのとれなくなるゆっくり魔理沙。
 やがて、ぴくぴくと震えて、色合いが若干紫がかってくる。
「ゆっくり離してね!!!」 
 ゆっくり霊夢が魔理沙の帽子を噛んで、懸命に引っ張る。
 ちゅーっぽんっと、小気味いい音がしてばらばらに弾む二匹。 
「……ぷはあ」
 満足げなゆっくりパチュリーと、白目をむくゆっくり魔理沙。
 ゆっくりたちの繰り広げる楽しげな一幕。
 しかし騒動の最中のため、三匹とも聞き逃していた声がある。
 無機質な響きを持つ、不思議な声。
「シャンハーイ」
 それは、上空から見下ろす、一体の人形の呟きだった。


 まだ、日暮れまでは時間があったが、アリスを怒らせないため、名残り惜しそうな友達に別れを告げるゆっくり魔理沙。
 懸命に転がってかけていき、一息にアリスの家へ。
 アリスは家の外、ゆっくり魔理沙に背を向けて立ち尽くしていた。
「ゆっくりしないできたよ!!!」
 慌てて、する必要のない言い訳を口にするゆっくり魔理沙。
「おかえり」
 簡潔なアリスの答えだが、返ってくるまで時間を要した。
 やがて、アリスの肩がかすかに震え始める。
 どうやら、声もなく笑っているらしい。
「ゆー?」
 アリスの様子に小首……いや、全身を傾げて疑問を呈するゆっくり魔理沙。
「あのね……魔理沙がうちにきたんだけど、予定を取りやめて霊夢のところの宴会に参加しようぜって、言い出して」
 うふふうふふふと、笑いはかすれた声になって、ひそやかにゆっくり魔理沙のもとへ届く。
「なんで、私と二人っきりでいる時に霊夢が出てくるのよ?」
 そんなことを聞かれても、ゆっくりは答えられない。
 ただ、異様な主の様子を見守るだけだった。
「なんで、私と話すよりもパチュリーの、あの喘息女の図書を漁る方を選ぶのかしら」
 アリスの言葉は誰の返事を期待しない罵りと化す。
「そして! 何で、あなたはあの憎たらしい奴と同じ顔をしているのよ!」
「ゆ、ゆっくり、ゆっくりしていってね!!!」
 ようやく振り向いたアリスの怒気こみ上げる表情に、ゆっくりはすくみあがっていた。
 つかつかと歩み寄り、その顔面そのものを両手で掴まれても逃げる素振りもできない。
「ゆっ、ゆっ、ゆっ! ゆっくりしてえええ!!!」
 ぎゅうううううっと、細腕とは思えないアリスの力で締め上げられるゆっくり魔理沙。
 変形して、もはや人の顔の面影もない。
「ねえ、魔理沙。こんな思い、私だけがするのは不公平だと思わない?」
 頷かなければ、ぶちまけられる。
 ゆっくり魔理沙は同意を涙目で訴えて、ようやくその万力から開放された。
「そう。なら、あなたにもしなければならないことがあるわ」
 面白いことを考え付いちゃった。そんな素振りで手を組み合わせて、はにかんだようなアリスの微笑。
 そっと、ゆっくり魔理沙の耳元に口をよせて、何事かささやく。
 魔理沙の表情は、囁かれる度に火箸を押し当てられたかのように、苦痛の色合いの濃くなる表情。
 反対に、囁き続けるアリスの表情は恍惚にとろけそう。
「ねえ、魔理沙。やらなければどうなるか、わかっているわね? あなたと、あなたのお友達が、ね」
 いつにも増して可憐な笑顔で念を押す主を、ゆっくり魔理沙は心の奥底から恐怖した。


 翌日、いつもの遊び場となる野原にゆっくり魔理沙がやってくると、茂みから顔を覗かせるゆっくり霊夢と
パチュリーの二匹。
 だが、二匹は魔理沙の後をついてきた人間に、不審げな視線を向ける。
「あの人も、ゆっくりできる人?」
 ゆっくり霊夢の視線の先にいる人物とは、アリスだった。
 上海人形を肩にのせ、無表情でゆっくりたちを眺めている。
 だが、ゆっくり魔理沙は仲間たちの疑問に取り合わない。
「霊夢とパチュリー、よく聞いてね!!!」
 強張った顔で告げるゆっくり魔理沙の言葉に、きょとんとして魔理沙を注視する二匹。
 そのため、アリスが口の端をゆがめるように笑ったのを、二匹を見逃す。
「パチュリーは病弱で足手まといの癖に、べったりしてきて気持ち悪いよ!!!」
 思いがけない魔理沙の言葉に、目を見開いて衝撃をありままに体現するパチュリー。
「目障りなので、家で永遠に寝こんでいればいいと思うよ!!!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ!!!」
「パチュリーはゆっくりしね!!!」
 魔理沙の追撃に、ガクガク揺れながら、一歩、二歩、ゆっくりパチュリーが遠ざかっていく。
 その様子を微笑みで見つめているのはアリス。
 学芸会で主役となった子供を見守るように、ゆっくり魔理沙を見つめていた。
「そんなひどい魔理沙とはゆっくりできないよ!!! 謝って!!!」
 一方、ゆっくり霊夢は体を激しく弾ませて魔理沙に詰め寄る。
 ゆっくり魔理沙はしばらく詰め寄られるがままに後ろに転がっていく。
 が、アリスが視界に入って踏みとどまり、叫んだ。
「霊夢なんかと、ゆっくりしたくない!!! 霊夢は餡子が腐ったみたいな匂いがするもん!!!」
「!!!」
 今度は霊夢が白目をむく番だった。
「臭いのは大嫌いだよ!!! 大嫌いな霊夢とゆっくりしたくない!!! 目の前から消えてなくなってね!!!」
 あれだけ躍動的に弾んでいたゆっくり霊夢の体が、もはや微動だにしない。
 しかし、時間の経過と共に震えだす。凍りついた表情の双眸からは、ぽろぽろと零れ落ちる涙。
「ま゙り゙ざびどい゙! びどい゙! びどい゙いいいい!」
 ぷるるると、全身を震わせる霊夢。
 受け止める魔理沙は身じろぎ一つできな。
「魔理沙なんが、も゛う゛、じら゛な゛い゛!!!」
 一際高く弾んで、枝をへし折りながら茂みの奥へと消えていくゆっくり霊夢。
 よろよろと、その後に続くパチュリー。何度か振り向きつつ、森の奥へ。
 後には無言のゆっくり魔理沙と、アリスだけが残された。
「よく、できました」
 アリスが音を立てない拍手をゆっくり魔理沙にささげる。
 その言葉に振り向く魔理沙。
「ゆっ、ゆっ、ひっく……!!!」
 堪えていた涙が、友達が消えた後はとめどなく流れている。
「よしよし」
 アリスは、アリスの教えたとおりの言葉を友達に伝えて一人ぼっちになった、ゆっくり魔理沙の頭を撫でてあげた。
 至福の笑み。
「うふふふ、魔理沙も同じ目にあわせてられれば、私が慰めてあげられるのにね」
 先ほどの光景に、どんな想いを重ねているのだろう。
 アリスが一人ごちた、その時だった。

「おー、アリスじゃないかー!」
 頭上から降り注ぐ、気楽な声。
 アリスは弾かれたように虚空を見あげる。
「ま、魔理沙! なんでこんなところに!」
 アリスの狼狽の向かう先は、箒に跨った本物の魔理沙の姿。
「いやな、茸狩りにいそしんでいたわけだが、ゆっくりどもが勢いよく走っているのを見かけて、興味本位でよってみた」
 縁を感じる遭遇だが、アリスは喜びよりも背を伝う冷や汗を感じる。
 もう少し遅れていれば、自分の醜い部分を魔理沙にさらけ出すはめになっていた。
 胸を撫で下ろしながら、アリスは取り繕いをはじめる。
「ええ、この子がお友達と喧嘩したみたいで、慰めていたのよ」
 言いながら、ゆっくり魔理沙の頭をごしごしと撫でつけ、押さえつけるアリス。
 地に下りた魔理沙は、アリスの手の下で縮こまり、涙をこぼすゆっくり魔理沙に向けてかがみこんだ。
「この、ゆっくり私バージョンが、か? それは私としても気になるな。早く仲直りしろよ」
 自分と同じような格好の生き物が相手なのだから気味悪がればいいのだが、魔理沙は気のいい笑顔でゆっくり魔理沙を
慰めに入る。
 魔理沙の視界の外で、苛立ちを浮かべるアリス。
 今だけは早く帰ってほしい。まずはそれが第一だが、同時になぜ魔理沙は自分以外にこんな優しさをほのめかす
のだろうという不満にもつながる。
「ええと、魔理沙。この子のことは任せて、茸狩りを続けて……」
 離れ欲しいと促すアリスの言葉だが、生憎、不意に目の前に現れた乱入者によって阻まれる。
「ゆっくり考えてきたよ!!!」
 茂みから飛び出してきた、ゆっくり霊夢とゆっくりパチュリーだった。
 よく見れば、二匹とも涙の跡が乾いていない。
 それなのに、ゆっくり霊夢たちがゆっくり魔理沙を見つめる視線は、この上なく優しげだった。
「魔理沙の気持ちを知らなくて、ごめんなさい」
 ぺこりと、沈み込むように霊夢のお辞儀。
「もう嫌な思いをさせないよう、遠くに引っ越すから、安心してね!!!」
 その言葉に、ゆっくり魔理沙の眉が悲しみにゆがむ。
 だが、頭の上にのせられたアリスの手の冷たさを思い出して、何とか堪えていた。
 一方、霊夢とパチュリーの目は潤みだし、唇は嗚咽がこぼれないよう、真一文字に結ばれていた。
「……っ!!!」
 けれど、想いを伝えるために霊夢は口を開かなくてはならない。
「……まりさ!!! もう……会えなくなるけどっ……!!!」
 一度あふれた滂沱の涙を、霊夢もパチュリーも止めることができない。
 涙声を絞り出す。
「これからも……わ、わだじだぢのぶんま゛で、ゆ゛っぐり゛じでい゛っでね゛!!!」
 後には、二匹の押し殺した嗚咽が低く響き渡っていた。

 ……アリスの手のひらを、ゆっくり魔理沙の深いあえぎが伝わってくる。
 心を押さえつけるその限界に、もはや余裕はない。
「おい、このままでいいのか、ゆっくり私! 違うだろ、このままでいいわけがないぜ!」
 なのに、人間魔理沙が一人、熱く語りだす。
 いつもはそこが大好きな部分なのに、たまらなくウザく感じるアリス。
 魔理沙の言葉と、アリスの刺すような視線。
 そのベクトルの異なる力に押し出されて、ゆっくり魔理沙は前に踏み出す。
「霊夢、パチュリー、もう一度よく聞いてね!!!」
 こいつ、ばらす気か!?
 言葉の強さに、思わず息を呑むアリス。
 一際、その手の圧力を強めて睨みつける。
 ゆっくり魔理沙は、体を震わせて叫んだ。
「これで、新しい友達とゆっくりできるよ!!! さようなら、大嫌いな霊夢とパチュリー!!!」
 勝った!
 緩みそうになる口元を必死に抑えるアリス。
「お前!」
「魔理沙、仕方ないわよ。この子の意思ですもの」
 声を荒げる魔理沙を、アリスは完璧に沈痛な面持ちで制止した。
 寂しげな笑顔だけを残して、後ろを向く二匹のゆっくり。
 静かに遠ざかるその背中に、アリスが気を緩めたそのときだった。
「でも゛!!!」
 隙をついて、アリスの手から逃れたゆっくり魔理沙が二匹の下へ転がって走っていく。
 その声に振り向きかけた霊夢とパチュリーに、呼びかけるゆっくり魔理沙の顔は、堪えに堪えた涙でくしゃくしゃだった。
「だいぎらいな二人でも、い゛っじょに、ゆっぐり゛じだいです! だがら、い゛がな゛い゛でええええ!!!」
「……ま゛り゛ざああああああ」
 暖かい涙をこぼして、ゆっくり魔理沙を迎え入れる霊夢とパチュリー。
 再び三匹となった一群は、そのまま森の奥へ走り出す。
「ま、待ちなさい!」
「行かせてやれ、アリス」
 追いかけようとしたアリスの前を塞ぐ、魔理沙の腕。
「アリスは、あいつの仲直りの口上が気に食わないかもしれないが、あいつも私に似て素直になれない奴なんだぜ」
 いや、そんなことじゃねーよと、張っ倒したいアリス。
 だが、魔理沙の次の言葉に追う気が粉砕された。
「ところで、アリス。私たちは親友だよな」
「え、えええ!? なに、なんなの、突然!」
 一瞬で、ゆっくりのことが吹き飛ぶアリス。
 湯気が噴出しそうな顔を手のひら抑えながら、魔理沙を見つめた。
「そ、そうね、親友かもしれないわね。見る人によっては!」
 一緒にお風呂に入る、同じ布団で寝る、後ろからそっと抱きしめる。親友としてできそうなこと、あれこれ
妄想するアリスだった。
 一方、魔理沙はぽりぽりと頭をかきだす。
「それじゃあ、許してくれるよな」
「へ?」
 アリスが間抜けに呟く。
 なにやら雲行きが怪しくなってきた。
「いや、明日あたりアリスに丸一日付き合うつもりだったけど、フランの奴がどうしても弾幕遊びがしたいって、
紅魔館から呼ばれていてさ。ほら、あいつ手加減できないから、私も丸一日付き合わないといけなくなる。悪いが、
丸一日付き合うという話自体、なかったという方向で」
「え、えええ!?」
「そういうことで、じゃあなー」
 驚愕に硬直するアリスを置いて、自分勝手に青空へと飛び出していく魔理沙。
 一人佇むアリスの頬を、冷たい風が草むらを震わせて流れていく。
「……一人に、なっちゃった」
 寂しげな呟きも、風の音にまぎれて消えていった。


 三匹のゆっくりは、ゆっくり霊夢の寝床に身を寄せ合っていた。
 うっそうとした藪の奥の、風の穏やかな洞。
 すでに日は没し、暗がりに包まれてはいたが、アリスの家のように閉じ込められる寒々とした暗闇ではない。
 傍にいる仲間の温もりが嬉しい、心地よい闇。
 一息ついた三匹は目線を交わし、深く身を屈め、揃って一気に飛び上がる。
「ゆっくりしていってね!!!」
 ゆっくり魔理沙の暴言も、仲睦まじい合唱に、しこりを残した気配もない。
 これで完全に仲直り。
 そして、あの魔女にさらわれる前の楽しかった日々に戻ったのだ。
 こみ上げる幸福感に、ゆっくり魔理沙の頬を伝う幸せの涙。
「みんなと……ゆっぐりでぎで嬉じいい」
 その涙は、ゆっくり霊夢とゆっくりパチュリーが舐めとった。

 三匹は、かつてのように身を寄せ合い、そのまま眠りにつく。
 夢に見たのは、野原を転げまわり、バッタを追っかけ、日向ぼっこでゆっくりと時を過ごす、幸せな明日の光景だろうか。
 眠りこける三匹の元へ届くのは、月の光と梟の鳴き声。
 だからだろうか、梟の鳴き声に似たその声を、聞きつけるものはいなかった。
 それはどこかで聞いた、無機質な声。
「ホーラーイ」
 夜陰に潜む、人形の呟き。


 翌朝。
 藁をしきつめた寝床で眠ったはずなのに、横たわるゆっくり魔理沙の体は、冷たさと固さを感じていた。
「ゆー?」
 寝ぼけ眼が、次第に鮮明になっていく。
 品の良い調度品、暖かな暖炉、そして棚を埋め尽くす人形の軍団。
「ゆっくり!?」
 なぜ、アリスの家に。
 飛び上がろうとする魔理沙。だが、天井を押さえつける透明なガラスの板に、飛び上がることもできない。
「ゆっ!」
 悪夢がよみがえるゆっくり魔理沙。
 ただ、依然と若干違うのは箱の構成。
 横幅と高さはぴっちりとしているが、前後に細長くスペースがあって、少しだが動き回ることができた。
「あら、起きたの」
 頭上からの声に見上げると、そこには穏やかな微笑を向けるアリスの姿。
 ゆっくり魔理沙の体の色が、血の気を失って土気色。食欲をあまりそそらない色になる。
「ご、ごごごごごめんさい!!! もうしないから、ここから出してね!!!」 
 許されないことがわかっていながらも、必死に弁明を口にした。
 だが、次のアリスの行動は予想外のものだった。
「出たいのね?」
 アリスが蓋の留め金をいじると、苦もなく開くガラス箱。
 箱の中に手が差し込まれて、ゆっくり魔理沙はアリスの手で引き上げられる。
「これは昨日、人間用につくったものなの。だからそれなりに余裕はあったでしょう」
 こくんと頷くゆっくり魔理沙。誰のためにつくったのかは、怖くて聞けない。
 そのまま、椅子に腰掛けるアリスの膝にのせられて、髪を櫛でとかされるゆっくり魔理沙。
 昨日のことは夢だったのだろうかと思い始めた頃だった。
「あんな野原で寝るから、髪がぼさぼさになるのよ」
 アリスの呟きに現実のことと知る。
 そして、沸きあがる不安は、隣で眠っていた仲間たちのこと。
「ゆっくりしてたみんなは!!!」
「大丈夫よ」
 アリスは親切に、ゆっくり魔理沙を抱えて窓辺へ。
 そこには野外を元気に走り回るゆっくりパチュリーの姿が。
 アリスの人形を一体頭にのせて、かつてない元気のよさで飛び跳ねていた。
 それにしてもこのパチュリー、ノリノリである。
「霊夢はまだ眠っているみたいね」
 アリスの言葉が示す通り、室内に向けられたゆっくり魔理沙の視界の端に、ソファーの影に隠れ気味にゆっくり霊夢の
頬が見える。
 全員の姿を確認して一息つくゆっくり魔理沙を、アリスはくるりと向きを変えて真正面から見つめていた。
「それでお願いがあるのだけど、みんな、揃ってうちにきてもらえないかしら? その、私一人じゃ寂しいからね。
全員一緒にいたいなら、皆、面倒を見てあげるわ」
 その提案に、魔理沙に広がる驚きの表情。
「もちろん、自由に遊びに行ったりしてもいいのよ」
 それは、すごく嬉しいことかもしれない。
 住人を除けば、暖かな寝床と美味しいご飯。素晴らしい環境なのだから。
 それに、今のアリスはまるで憑き物が落ちたのかのよう。
 微笑に陰りがなかった。
「うん!!! アリスも、みんなとゆっくりしようね!!!」
「まあ、嬉しい。ところで、昨日から何も食べてないからお腹が減ったでしょう。今、用意するわ」
 言われて、ようやく空腹に気づくゆっくり魔理沙。
 恐らく、緊張感が解けて感覚が戻ってきたのだろう。
「ゆっくり支度してね!!!」
「大丈夫よ、準備していたから」
 魔理沙の気遣いに笑顔を返したアリスは、布をかけてあった皿を掴みあげる。
「私の知り合いに中国という方がいて、この前、料理を教えてもらったの」
 魔理沙の前に差し出されるお皿。
「餃子っていう食べ物よ」
 布が払いのけられて、アリスの言う餃子が姿をあらわした。
 ふわりと漂う香ばしさと、こんがりと狐色の焦げ目が、ゆっくり魔理沙の食欲をそそる。
「わぁ、美味しそう!!! おねえさん、これ本当に食べていいの!!!」
「あなたに食べさせるためにつくったのよ」
 アリスの笑顔に後押しされ、その餃子にむしゃぶりつく。
 ほっくほくの皮。そして中の具から染み出す旨みにと甘さが、ゆっくり魔理沙の口に広がっていく。
「うっめ!!! メッチャうっめこれ!!!」
「ふふふ」
 素直な反応が嬉しいのか、満足げに魔理沙の髪を撫でるアリス。
 だが、皿をも嘗め尽くす勢いで餃子を貪っていた魔理沙が、ふと動きを止める。
「おねえさん……」
 その声は震えていた。
「この餃子……なんかおかしいよ……シュっご……く……」
 ぷるぷると身を震わして、半開きの口からだらしなく流れるよだれ。目じりにたまる涙。
「どうして? 慣れている味だと思うのだけど」
 アリスは、その魔理沙をテーブルにのせて、静かに立ちあがる。
 向かう先には、ソファー。そして、その影には未だ眠り続けていると聞くゆっくり霊夢の姿があった。
「だって、ほら」
 ソファーの影から、けりだされるゆっくり霊夢。
 いや、霊夢だろうか。
 そのゆっくりは、額から上を切り取られていたため、アリスには見分けがつかない。
 それでも、魔理沙にはわかったようだ。
「れ゛い゛む゛ううううう!!!」
 ゆっくり魔理沙の声が聞こえたのか、ぶるんと震えるゆっくり霊夢の体。
「ゆっゆっゆっゆ」
 しかし、目をひんむいた霊夢が壊れたうめきをあげるだけ。
 アリスはその霊夢を、真上から覗き込んだ。
「大分減ったわね」
 まるで、米びつを覗き込んで嘆息する主婦のよう。
 少なくとも、生き物に向ける口調ではなかった。
「おねえさん、霊夢を、霊夢の中身をどうしたのおおお!!!」
「あらあら、知っているくせに」
 わき上がる、ケラケラと抑えの利かないアリスの笑い。
「今は、あなたの口の中よ」
 一瞬の沈黙。
「ぱぴぷぺぽっ!!! ぱぴぷぺぽおおおお!!!」
 絶叫と共に、やみくもに壁にぶち当たろうとするゆっくり魔理沙。
「ゆっ!?」
 だが、アリスが目配せすると、それまで棚を飾っていた人形たちが一斉に魔理沙に襲い掛かる。そのうち一匹の手には、
細く鋭い釘。
「ひぎい!」
 ゆっくり魔理沙は床に縫いとめられていた。
「あらあら、お友達とお揃いになったわね」
 アリスは視線を魔理沙から外し、窓の外で。
 そこでは、相変わらずゆっくりパチュリーが走り回っていた。
 青白い顔で、息も絶え絶え、涙とよだれを垂れ流しながら。激しく咳き込んでは、びくりと跳ね起きてなおも走り続ける。
 そのゆっくりパチュリーの頭の上には、無表情の上海人形。手には五寸釘の根元を握る。その先は、ほとんどの部分が
ゆっくりパチュリーに埋め込まれていた。
 かろうじて走り続けていたパチュリー。だが、息を切らせてとうとうへたりこんだ。
「あああああ!!!」
 途端に、ぐりぐりとひねりこまれる五寸釘。
 のけぞって、いやいやと首をふるゆっくりパチュリー。
「や゛め゛で、や゛め゛で! 走りますう!!!」
 のたうちながら、よたよたと動き出す。
 べしょべしょの顔を濡らしながら感動のフル24時間マラソンはいつまでも続いて行くようだ。
 けれども、パチュリーの体力と持病はそれを許さない。
「げほっ、がはっ……!!! ゆっぐり、じだいいいい!!!」
 咳き込んで、のたうつパチュリー。
 上海人形はアリスの指示通り、無表情のまま五寸釘でえぐる。
「む゛ぎゅーーーん!!! ゆっぐりでぎないよおお!!!」
 パチュリーが泣き叫ぶ先には、窓辺に腰掛けるアリスの姿。
 だが、アリスは背をむけていて、もはやその姿を見てもいない。
「……本を餌に魔理沙を釣る女と、同じ格好をしているのが悪いのよ」
 死刑宣告に等しい言葉を吐き捨てながら、アリスは床に這うゆっくり魔理沙へと、かがみこむ。
「ところで魔理沙。あなたの一番好きな子を教えて。誰にも言ったりしないから」
 なぜか、年頃の女の子のようなことを聞く。
 だが、ゆっくり魔理沙にはわかっていた。
 ここでアリスの名前以外を挙げれば、その相手は死ぬ。
「アリスが、アリスが一番大好きだよ……ぶぎゃっ!!!」
 魔理沙の懸命な言葉は、口にねじ込まれたアリスの靴先に遮られた。
 ゆっくりと靴を引き抜くアリス。
「だぜ、よ」
 修正点を手短に伝えた。
「うん! 魔理沙は、アリスのことが誰よりも大好きだぜ!!!」
「……もう一度」
「アリスが大好きだぜ!!!」
 その言葉にぷるぷると震えるアリス。
「ああもう、嬉しいわ!」
 言うなり、渾身の力でゆっくり魔理沙を抱き上げるアリス。
 締め上げられながら、魔理沙は一言も声をあげない。
 ゆっくり魔理沙は、諦めていた。
 ここにいることしか、もう自分は許されないのだと。
 誰かに助けを求めると、その誰かが不幸になってしまう。
「アリス、ずっと一緒にいるぜ」
 呟きながら、ゆっくり魔理沙は思う。
 零れ落ちる涙も枯れてしまえばいいのに。
 涙で滲んでぼやける視界。
 その中で、幸福そうに微笑むアリスだった。


 こうして、アリスとゆっくり魔理沙の幸せな毎日はまだまだ続いていく。
 めでたし、めでたし。

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最終更新:2008年09月14日 04:44
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