|新しいページ|検索|ページ一覧|RSS|@ウィキご利用ガイド | 管理者にお問合せ
|ログイン|

ソレイユ~私の太陽~【オープニング】

〔オープニング/前半〕









    ――独白だ、当然のことながら










  人生というこの難物は とかく何が起こるのか 予測がつかないものだ

  無力で不完全な我ら 人に与えられし矮小で卑しき生は

  嵐の大海に飲み込まれた一艘の舟のように なす術もなく

  己の身を任せるその気まぐれな波風に ひたすら怯えながら

  待ち受ける運命を前にし ただ呆然と立ち竦むのみだ


  人の運命

  天より定められしもの

  人は生まれながらに自身の意思と関係なく 泣きながら不浄の地に堕ち 命を得る

  誰しもが皆

  その時点では 例外なく分け隔てなく等しい

  だが いつしか気付くことになる

  一見無限のように広がるその蒼い空と緑の大地の果てに

  やがて翳りの闇が迫り来るということを

  己の前に広がっている道が 予め定められていることに



  そのことに意味などない

  いや そのことには何らかの意味が

  人々は誰もがその意味について考える

  そしてそのことに何らかの理由をつける

  抗うものなのか 受け入れるものなのか

  ぐるぐると回り続ける

  その尻尾を掴まんと いつまでも回り続ける魯鈍な犬のように

  時に「神」という発明を自らの手で拵え あつらえて その理由としながらも



  恐らく意味などないのだ

  分かっている

  始終私を昼も夜も悩まし苦しませるそれ

  そのことに意味などない

  でも人はそんなことは分かっていても 何らかの意味をつけようとする

  まるでその意味を求めることが目的かのように いつまでもそうしながら



  なぜか?

  生きているからだ

  こうなると初めから分かっていれば

  一体誰があの子宮の家より望んで出ようとする者がいようか

  だが それに気付いた時にはもう遅すぎるのだ

  ハズレのクジを引いたからと

  いまさらあの心地の良い 母なる温もりの中に戻る訳にもいかないではないか



  私の身にあの時何が起ころうとしていたのか あの時は知る由もなかった

  私はこの地上に生まれ堕ちた際 その過酷な運命になんぞ気付くはずもなく

  だが我が肉体が齢を重ね 物心をつけるにあたって

  やがてその宿業という

  自らの身に起きた悲劇

  否が応にも気付かされることになる

  私は生まれながらにして 磔柱を背負わされた罪人であった



  私はただ翻弄する波の中でなるようにしかならないのを

  さりとて神というヤツに祈る訳でもなく

  己の卑小な運命が 自身の手には負えない波風になす術なく翻弄されるのを

  そんな事態の行く末を呆然と佇みながら

  ただなすがままに身を預けるより他に術がなかった……

  そう あの時もまた







 ――あれはくだんの聖人の暦において、△□○×年の事であったか。
 私は旅路の途にあった。

 ある種の意味での罪人である私にとって、旅とはおおよそ気楽なものであった。
 道行での飯の種の不安さえついて回る事がなければ、の話ではあるが。

 しかしこの時はいつもと勝手が違っていた。
 いつもは町から町へと渡り歩き、さながら根無し草のように、その集団の煩わしさというのに嫌気がさしたら気ままに移り歩くのを旨としていた所業の身であったが。

 無論、根無し草の渡り歩きなど、真っ当な人間のする事ではない。
 というよりか真っ当な定職も就く事も適わないこの状況、行商か旅芸人のような特殊な異能者でもない限り、もしくはそれこそ托鉢の巡礼僧でもない限り、それをやろうと思ってもそうそう適うものではない。
 もしくは人の道を外れたそれを生業とする者。

 ここに懺悔するならば。
 私は後者であった。
 つまりは喰ってゆくためにありとあらゆる事をして……それを可能にしていたのだった。
 私とは、そういう卑しき部類の人種であった。

 ともあれ、新しい町にやってきては何らかの手管を用いて(方法は状況にてまちまちであったが)、自らの身に危険を察したら尻尾を切り離したトカゲのように、振り返る事もなく、一目散におさらばする。
 そしてまだ顔を覚えられていない場所へ、町から町へと。その道先もただあてもなく。
 そういう稼業であったのだが。
 この時は、珍しく目的地を定まった上での旅であった。

 私が目指してる目的地。
 私が苦手としている煩わしい世俗から遠く離れた場所であることは間違いないが。
 一般に、神の家、その道を修めんとする者達の永久居住区、そう言われる場所である。
 地上にいながらして天上の王国の再現を図ろうとせんとしたそれ。
 僻地の修道院。「神聖」の住まう所。

 生まれついての罪人であり、今や自他共に認める実質的な罪人である私が、かような一見して無縁とも思える場所、罪深い私にとってはその存在自体が牢獄であるかのような神の家にこうして自ら足を運ぶことになる日が来るとは。
 私自身、驚いている。
 どういう経緯でそういう事になったのか、それを説明するためにはこれよりさらに時間を数ヶ月遡る事となる。



 あの日は折から来る季節風に乗じて、激しい風雨に夜っぴて晒されていた。
 その時もまた私は同じように旅の途上の身にあった。
 ある理由から私は長い事同じ町に滞在するような事はない。ちょうどその時も『一仕事』終えたために、早いところその場を後にせんがためにそれまでいた町を離れ、夜中にも関わらず陰に紛れて次の町へと足を向かわしてた最中であった。
 特に今回と状況が違うのは、その行く先が特に決まっていなかった事だ。
 『ある目的の町へと向かう』のが目的というよりかは、『今までいた町から離れ去る』事自体が、その行為の本来の意義であったからして。

 だから普通の旅人ならば一日出発を延ばすだろうこんな悪天の日であっても、私にとっては好都合。
 むしろ、そんな日の闇夜の方が人目につく可能性も少なくて済む。

 そんな豪雨の降り荒ぶ道の途中。
 私はある馬車が土砂崩れに巻き込まれ、土砂の中で埋もれているのを発見したのだった。

 こういった場合、思う事は二つに一つだ。
 この面倒事が、自分にとって幸いなものか、または面倒事以上の何物でもないか。
 この場合……後の結果からすれば、その両方であったと言えなくもない。

 しかし私のような卑賤な身の者がこの辛辣な世で生き伸びて行くためには、何事をもいつこのように訪れるチャンスを逃してしまってはとても叶うものではない。仮にそれが悪運を招く事態へ繋がる可能性があったとしても、好転へ変えねばとてもこの先やってけるものではない。
 さっそく覆い被さった土砂から覗く馬車の一部分を観察すると。
 そこには貴族のエンブレムらしき姿が見受けられた。
 ………これはひょっとすると、ひょっとするぞ。

 私の嗅覚がそれと嗅ぎ付けたら、もぅ逃さない手は無い。
 金持ちの貴族ならば、幾ら他愛ない物見遊山とは言え、当然身につける金目の物をある程度は備えてるに違いなく。
 私としてもだ、それだけでも回収出来れば、わざわざ危険を犯してまで『あのような仕事』をする必要もなければ、数年は遊んで食っていけるやもしれんのだ。
 真っ当な人間なら、「何を人の不幸に……」と私の卑しい行いをなじり、恥を強要させるところだろうが。
 バカ言っちゃいけない。飛んだお笑い草だ。
 私のような文字通り身も心も貧しい卑賤の者にとっては、そんな事はおよそ関係がない。
 そんな事を言っていられるのは明日喰う物にも寝る所にも困る事のない、恵まれた連中達の贅沢な良心ごっこというものさ。
 それが良いか悪いかなんて判断なんぞ、余生が確立された身の上になって初めて、ベッドの上でくつろぎながら悠長に考えればよろしい。
 それまでは、生き残るためには何がなんでもして生き残らねばっていうのが、何よりも神に与えられた使命ってものさ。

 して、人の不幸を悼むどころか、これぞ僥倖とむしろ口笛を吹きながら、横倒しになった馬車の上によじ登り、土砂を払いのけて側面の扉を多少の覚悟を持って開け放った私だが。
「ひあっ」
 扉を開けたると同時に、何者かの呻き声を耳にしたのは同時だった。
 そして、まるで墓所より蘇った地獄の亡者のように、開いた扉から手を上に伸ばして来ており。
 私は思わず仰け反った。

「………っ」
 苦悶の表情をしながら、男が私の方を睨み付けた。
 その身形からして、恐らくこの御者を含めこの馬車に乗っている人間の中で一番身分の高い人物だという事は推察できた。
 年齢からしてみれば、三十代後半辺り。そろそろ中年にさしかかろうとしている年頃だろうか。

「大丈夫ですかぃ、旦那」
「……御者は?」
「見ての通りの有様で……」
「そうか………。どうやら、何とか無事だったのは私だけのようだ」
 見ると、他の従者らしき二人は、一人は首の骨が奇妙に折れ曲がり、もぅ一人は頭を酷くぶつけて片目の玉が孔(あな)よりひん出ていて垂れ下がっており、見るからして望みがない事は一目瞭然だった。

 さて。ここでまた一つの選択が迫られる。
 この男を助けるか、助けないか。
 見てのところ、男は重体まではいかないが、流石に突然の予期せぬ馬車の横転により、ところどころを酷く打っていて一人で歩くのもままならない有り体に見える。
 つまり、私の言う選択とは。
 もし膂力に自信のある者ならば、の話であるが。
 奪うか、救うか。そういった選択、という事だ。

 もし私がそれに自信があるのだったら、やはり前者を生業のレパートリーに加えていたやもしれない。
 しかし、私の体型その他、生来の諸々の問題から鑑みるに、それは得策ではない。
 それよりも、ここで恩を売っておき、謝礼の一つでも………と考えた方が、例えここで持てる全てを奪ったとしても、より多くの実入りを生む可能性も無きにしもあらず、だ。そこは賭けになるが。
 それにこの死に損いを黙らせて馬車内をこの暗さの中物色するよりか、この男を引きずり出すなりなんなりして早くにでも去らないと、この状態では再び発生した崩落に巻き込まれる危険もなくはない。
 迷っている余裕はない。
 こうなっては、一生懸命引き摺り上げたこの男を何とかして自分の家へと送り届け、それなりのものを戴かない事には間尺に合わないというものだ。

 ということで、結論は出た。
 私はこの貴族の男を非力ながらも、何とかして引き摺り上げた。
 そして、再び崩落が起きない内に、連れ立って大急ぎで馬車から離れ去る。
「……おおっ!?」
 と、同時に。
 再び土砂の崩落が始まり、馬車は流されたまま、谷底へと転落していった。
 実際、危なかったのだ。

 その様を見、思わず安堵の息を漏らしながら、私は一人では足を挫いて歩く事の出来ない、この御仁に肩を貸しながら歩いて行った。
 隣町までどの位あるかは分からないが、何せ深夜で、この嵐である。
 このまま豪雨の中で無駄な助けを求めているよりかは幾分かマシというものだろう。

「そういえば………まだ礼を言ってなかったな………ありがとう」
「…………」
「……危うく君にまで危険が及ぶところであったな。申し訳ない。何と言ったらいいものか」
 確かに危ないところだった。だがしかし………
 私はその時、一体どうしてそんな事を言う気になったのか分からない。
 ふと、気がつけば私はこんな事を口走っていた。

「へへ………旦那は。やつがれがそんな親切心から、旦那を助けたとお思いで?」
「……?」
 貴族の男は、予測しなかった言葉に怪訝な顔をして問い返す。
「というと?」
「もしかしたら、どんな気の迷いで私がいつ追い剥ぎに化けるか、分かったモンじゃないですぜ」
 そう聞いた途端、男はそこで初めて私の見てくれまじまじと観察したようだった。
 そして、笑った。
「………ふっ、確かに。
 でも、事実。君はこうして私を助けた」
「それも、何かの腹積もりがあっての事かも知れないですぜ」

 今度は私は笑みを漏らさず、真顔で言い放った。
 そうして、相手の顔色を伺った。
 普通こんな夜陰の中、出会い頭に私のような顔に出くわしたとしたら。恐らく十人中九人は驚いて逃げ出すやもしれない。
 自慢じゃないが………いや、それは皮肉にしかならないのだが、それだけの自信が私にはあった。
 顔だけではなく、見てくれも十分に怪しいだろうから、普通の人間ならこんな状況下ではない限り、まずは怪しんで然るべきだから。
 そんな中、敢えてこの状況でそんな事を言ってみたら。
 この世間を知らなそうな人のいい御仁は一体どんな顔をするのであろう?
 ふと、そんないたずら心が浮かんで来た途端。
 私は後先の事も考えず、ついこの言葉が口を吐いて出ていたのである。

「………はは。君は中々面白い事を言うな。
 というよりか、この状況だ。信じるより、他あるまい」
「そうですよねぇ………通りがかったのがどっかの柄の悪い連中でなくて、旦那はついてまさぁ」
「そうだな」
 この貴族の中年男は、そうして一人笑った。



 しかし、一体どうしてこうなったのか。
 私の心積もりは大きく外れた。
 当初、私の予定では、男の身の上がどうであれ、それ相応の礼の証さえ戴けたら、つまりは貰えるもの貰えたらそれまでの付き合いだと思い込んでいたし、そのつもりだった。無論、ふんだくれるだけふんだくる心算ではあったが。
 そのつもりでしたし、相手もそのつもりでいるのだと思い込んでいた。

 むしろ、このような人の良さそうな金持ちといえども、幾らああいった特殊な状況下で約束事めいた取引をしたところで。
 状況が変わればいとも簡単にそんな事はなかったかのように反故にしてしまう、そんな人間の浅ましさを知っていため、いざとなったら支払いを渋りやしないだろうか………と。この男を連れて行く途中も、実はその心配事が頭から離れないでいた。
 しかし、この男が謝礼の代わりに口にした事は。

『我が屋敷にて働かないか』
 ………と、いう提案だった。

 私は戸惑った。
 そんな事思いもよらなかった。
 正直言えば。貰う物をさっさと貰って、面倒事には巻き込まれず、さっさとおさらばしたかった。
 しかし。

『ここにいれば毎日寝床に困らないどころか、恐らく流れの君にとっては大層なものが食えるぞ。何、仕事も大したものじゃない』
 貴族の旦那は、そう言った。
 やはり、この言葉が私の後ろ髪を引かせた。
 幾ら気ままといえども、それは飯と寝床に困らなければ、こそだ。
 実際はそんな気楽なものではなく、腹が減って悶える日々が続けば、生業上、つい人気が気になって睡眠も十分ままならない。
 『仕事』が失敗に終われば、私の命がそこで尽きる危険が常に付き纏うのは説明するまでもなく。
 そんな私に、飯と寝床にずっと困らない環境が。しかも、そこは金持ちの貴族の屋敷と来ている。
 こんなチャンスなんぞ、恐らく今後訪れる事はあるまい。
 というか、普通に貧困に喘ぐ者からしてみれば垂涎を滴れさせながら飛びつく話に違いない。

 しかし、そうなると、ここで働くという事は。
 慣れない人の輪の中の生活を強いられる。
 それはずっと人を避け、流れて生きて来た自分にとっては不得手としているものだった。
 元来、私が抱えている宿業の意味からしても。

 ところが、この人でなしは。
『一つ言い忘れていた。
 別に、ムリというならいいのだ。ただ、君の目にはどう映るか分からんが、ウチも君が思っている程余裕があるではないのでな。
 助けてくれたお礼に何か、とも思ってはみたが、さりとて代わりに差し上げられるものもないのだー。
 で、あるからして、せめてこんな形でしか、という訳でな』
 と、開き直ったように言い放ったのであった。
 つまり、直訳すれば。
 出て行くならそちらの自由で勝手にすればいいが、その際、ビタ1ペセタ(=金単位)とて渡せんと。

 こうなると、もぅ私に選択の余地はないと思われた。
 あの苦労をして、全てが無駄だったとは思いたくはないし、認めたくはない。
 しかし、実際はそうしてしぶしぶその屋敷で働いてみると。
 この男の言ってた事が、まるで大嘘であった事が分かった。
 このいけすかない貴族の旦那は、実際はくだんの暗黒大陸との貿易船に手を出しており、結構なやり手だったのだ。
 にもかからず………この仕打ちとは。
 納得がいかない。クソ、あの忌々しい業突く張りめ。

 そして、やはりというか。
 私はその屋敷にて、どうしても周囲と上手くやっていく事が出来ずにいた。
 天はここに来ても私を見放していた。
 執事の言う話には、この旦那自体は何とか私を上手く使おうと思ってくれていたらしいが………私の見てくれからしておよそ金持ちの屋敷とは似つかわしいそれだ。まるでその事を気にしようともしない主人とは異なり、周囲の使用人達にはことごとく奇異の目で見られ、さらに主からの特別扱いが気に入らない者達から、直接的にも間接的にもそれ相応の手厚い礼を受ける事となった。
 さりとて私とても望んでなった身の上ではない。
 周囲の合わそうとする気もさしてなく………細かい諍いは後を絶たなかった。

 仕方がないので、本来の自分のあるべき姿を思い出し。
 折角のこの状況。ある程度金目のものを拝借して、夜中こっそりお邪魔しようかと思ってたその頃。
 再び、あの御仁から声がかかった。
 それは、また一つの提案とでも言うべきもので。
 それこそが、今回、私が今向かっている行き先に他ならなかった。という訳だ。



「…………」
 私は思わず、後ろを振り返った。
 今、行き先の簡単な地図と、その目的地の名前が記された紙が手にある。
 その目的の場所には、『ルモンド修道院』という言葉が書いて○がしてあった。基本的に私は言葉というヤツを読めないが、この位の名前なら、辛うじて理解できる。

 修道院……?
 一体どういうつもりだ。
 私があの御仁を救った時に語った言葉。
 その時の笑み。
 その意味が、一体どういうものであったのか。

 修道院だと……?
 あのいけすかない坊主共の寄り合いか??
 神父というもの。卑賤の業にて口に糊している私にとってすれば、火と油の仲に等しい。自ら監獄に飛び込んで行くようなものではないか。
 どういうつもりかは知らないが、誰が好き好んでこんな………
 街の教会ならばまだ分かるが、人里離れた修道院など、その話にしか私は聞き及んだ事がない。
 私のこの歪んだ卑しい精神を正そうとでも思ったか? 一体全体何様のつもりなのだ。

 幸い、あの貴族からは旅の費用には、十分過ぎる程の手当てを貰っている。
 実際、何度引き返す………というか、このままとんずら決め込もうかと思ったか知れない。
 しかし、だ。
 まだそれがどんな所かは行って見なければ分からないのは確かだ。
 前述した通り、いかなるチャンスをも逃さない心構えでいない限り、とても生きてゆけたもんじゃない。からして。
 行ってみて、やはり下らない所であれば。そのままあるもの戴いて退散するつもりでいいではないのかな。
 ともかく、そういった心積もりで、私はその場所へととりあえず歩を進めていた。

 ………しかし、本当にそうだろうか?
 自問自答が、ふと私の足を止めた。
 私は、どこか気まずさを感じていたのかもしれない。
 私はただ相手の命を救ったのは善意からではなく、あの言葉の通り、金の成る樹だと思ったから、そうしたまでだ。
 にも関わらず、あの御仁は私を疑おうともせず、幾ら命の恩人とはいえ、どこぞの怪しい身の上か分からない自分を招き入れ、使用人にまで取り立ててくれた。どこぞの怪しい泥棒紛いを自ら好んで招き入れてどうする、そんな声もあったに違いない。
 私がなぜだかどこかしら負い目を感じてしまうのは、その折角のチャンスを与えてくれた御仁の想いに応えられなかった上に、また機会を与えてくれたからだろうか?

 …………。
 まさか。そんなバカな。
 そんな負い目を感じる必要がどこにある。

 私は、正当な取引をしたのだ。
 いかにも金持ちの考えそうな事ではないか。
 それで天国行きの免罪符が買えるというのなら。安いものなのであろう。

 恐らくあの御仁は。もぅこの地上では手に入れるべきものは手に入れ、先行き何の不安もないのだろうが。
 そんな金持ちでも唯一、この地上での役割を終えたその先での事は。
 保険を置いておかない事には………不安を消す事が叶わぬらしい。
 それより実際は。
 その地位と財を手に入れ、保持してゆくために。一体何人もの貧しい者を泣かし、弱みに付け込み、ついには罪人へと走らせたのか。
 つまりは今となって、懺悔の気持ちの表れが、一見して納得のいかない不可解な行為である、これだ。
 天国への片道切符を買うためのダシとして、使われたのだ。私は。
 でなければ私のような者をわざわざ。

 善の羊の皮をその身に纏う。例えそれは自己満足に過ぎなくとも、それはさぞや本人にとっては気持ちのいいものなのだろうか。
 あまつさえこやつは。本当に自分のことを善人だと思って疑わないのであろう。
 私の見てくれを見て哀れにでも思ったか?
 ふん、精々そのつもりでいるがいい。
 私は礼なんぞ言わんぞ。
 勿論、表向きはいかにも従順で幸の薄い、哀れな迷子の子羊を演じようではないか。

 利用できるものならば何でも利用しない手はない。
 未だ脈打つ我が卑しい心の波動が、それを良しと言っている。
 負い目を感じる必要など、何一つない。



 一時の迷いは一応の結論を得て、私は再び歩みを開始した。
 道の途中で行商人に聞いて、修道院に到る目印となる村が近くにある事を知った。
 こうしてみると、この修道院は随分と辺鄙な佳境にある事が分かる。
 あの御仁の屋敷のデカさからして、巡礼の対象になりそうな、結構な規模のモノを一瞬想像してしまったが………やはりただ面倒臭くなったから体の良いお払い箱、という事なのかもしれん。
 そう思うと不思議と逆に気分が楽になってきた。
 そうして歩いてると一人の老いた農夫が、道端で休んでいるのを見た。
 恐らく地元の人間に違いない。私は道を尋ねて見る事にした。

「おぃ、爺さん。カディルニーソという村(勿論仮名だ)を知らないかい?
 ここら辺にあるのを聞いたんだが――」
「……おぅ、それなら次に見えて来るのがそれじゃよ。ワシは隣村のモンでな」
「そうか。ありがとよ、爺さん」
「…………」
「………なんだ、爺さん。じろじろと」
 気がつけば、この老いぼれは。
 まるで妙なモノでも見たかのような目付きで人の顔を遠慮もなく眺めている。
 そうして出て来た言葉が。
「お主、面白い顔してるのぉ」

「………よけーなお世話だ」
 なんだ、このジジイは?
 私は長旅の疲れで少し苛立っていたのかもしれない。
 急にこの通りすがりのジジイが、人一倍疎ましく思えて来た。

「………んんっ?」
「な………なんだ」
「う~む………見れば見る程……。
 ………面白い顔しておるのぉ(笑)」
「………っ」
 ジジイ………っ。
「ふぉっふぉっふぉっ。………おや、その顔は」
 ………なんだっ。
「もぅ何べんも同じような事言われてウンザリといった顔じゃな………ふぉっふぉっふぉっ」
「………っ!」

 今からでも遅くはない。やはり私はこのまま追い剥ぎに転向した方がいいのだろうか?
 ………待て待て。こんな耄碌ジジイを相手にしてもしょうがない。
 そんな事をしたら、折角の長旅が終わろうとしているのに台無しだ。
 しかし………私は市井の人間というヤツには悉く忌み嫌われる宿業の身であるが、妙にこういった爺さんなどに時折懐かれてしまう所があるのだ。困ったモンだ。
 だが、私は逆にこういったしたり顔の爺さんが嫌いだった。
 毎度、毎度。うっとおしい。
 なんで、こう後は余生を過ごすだけのこういったジジイは、毎度毎度上からの目線で何でも達観しているかのように聞いてもいないのに自ら語り出すのだ。

『ワシは人生の酸いも甘いも総て何でもお見通しだぞ。
 お主、そんな若さで世の中を分かってるつもりというなら大間違いじゃ』

 そう、もっともらしくのたまう事自体が、まるで目的であるかの如く。
 さぞ自分が先に歩んだ道を後からやって来た後進達に対して、偉そうに自己満足の説教を垂れるのが、先達の者としての使命と勘違いして思い込んでいるかのように。
 そのクセ、若さに嫉妬しているのか。妙に張り合う時もあり。
 想い出ばかりすがって、亡霊のように生きてるところも大嫌いだ。

 お前さんの想い出話に興味がある者なんぞ、本当は誰もいやしない。
 皆、ただの哀れな老いぼれの耄碌事と思って、お情けで聞いてやってるだけだ。
 さっさとそれらをお土産に墓場に向かってくれやしないか。もぅ十分あんた等生きたんだから、思い残す事もなかろう。

「………ふん」
 相手にしないで立ち去ろうと思っていたその時。
「あんな村にわざわざ何の用なんじゃ?」
 また面倒にも後ろから声を掛けられた。
「その村に用っていうかな………近くに修道院があるって話じゃないか。用があるのはそこでな」
「修道院……? お主、あの修道院を知ってるのか?」
 爺さんは意外そうな顔付きでそう言った。

「知ってるというか………私も良く分からんのだがな、そこ」
 私は正直なところを語る。
「へぇ………お前さんのようなモンがねぇ」
「……? そりゃ、どういう意味だ爺さん」
 私は爺さんの意味不明な発言が少し気になった。
 この顔の事を言ってるのか……?
 その時私は、まだその言葉の真意が分からなかった。


 その爺さんの言う通り、その村は爺さんと別れてから、暫くすると見えて来た。
 しかし。
 村は見えども、問題の修道院は一向に姿を現さない。
 あるのは、森とその裏一面にだだっ広く広がる大きな山脈だけである。
 おかしい。ここではないのか……? あの爺さん、やはりいい加減な事を。
 私は近くで畑仕事をしている婆さんに聞いてみた。

「おぃ、婆さん。カディルニーソという村はここかい?」
「…………。そういうお前さんは?」
「ここ………なんだよな?」
「……そういえばそうなる。が、こんな辺鄙な所に一体何のようだい」
 なんだ、そうならそうと素直に言いやがれ。
 妙な物言いをしやがるな、と。私は怪訝に感じた。

「やはりそうなんじゃないか。この近くに修道院があると聞いたんだが……」
「ハテ………修道院?とな」
「確か名前が………そう、ルモンドとか言うヤツだ」
「………そんなものあったっけねぇ」
 一体ボケているのか、それともそのフリをしているのか……?
「…………。おぃおぃ、とぼけるのはやめてくれよ。こちとら長旅で疲れてるんだ」
 私はウンザリしながらそう言うと、開き直りというか、はたまた逆ギレとでもいうのか。
 この婆さんは逆に眼光鋭い目付きで、眉をしかめながらハッキリと言い放った。

「ではハッキリ言おう。そんなものはここにはありゃせん。
 なんか、アンタ聞き違いでもしたんじゃないのかい?」
「………あ? だってここがそのカディルニーソなのだろう?」
「さてね」
 ………くっ。
 いかん。ラチがあかない。
 誰でもいいから道を尋ねようとは思ったが、変なのに当たってしまったようだ。 
 どうするか……? とりあえず、他の人間を探すしかないか。
 そう考えていると。
 ……?
 私はふと、ある事を思い出した。

「おぃ、婆さん。一ついいか」
「…………」
「ジェフボーベン………という名前は知らないか?」
「………。お前が?」
「あ?」
「まさか。何かの冗談だろう」
「……知ってるのか? そのジェフボーベン卿から教わって来た者なんだが」
「…………」
 今度は婆さんの方が神妙な顔付きをする番だった。
 私はあの御仁に言われていた事を思い出していた。
 カディルニーソという村に行き、修道院の名を出す時。こう言うのだ、と。
 『ジェフボーベン卿から教わり、招かれた』と。
「………アンタがねぇ。あの旦那の物好きにも呆れたモンだ」
 そうすると。
 ブツブツ言いながら婆さんは一人歩き出したのだった。
「おい……」
「着いて来な。その修道院とやらに続く道へ案内してやるよ」



(………おぃ、どこが登って直ぐなんだ!)

 私は村の婆さんの言う事を真に受けてしまった自分を呪った。
 目的のルモンド修道院とやらは、どうやら村の裏の森に続く山道を登った所にあるらしく。
 相変わらずここからは姿は見えなかったが、
『なぁに、この道登って直ぐさ』
 確か、そう。婆さんは言ってたハズだったのに。

 『真に受けてしまった』というからには、つまりは当然行けども行けども着く気配が感じられないから、であり。
 あの婆さんにしてやられたのか………とも、ふと思った。
 それともこんな片田舎に住んでいると、あののんびりした時の流れからして、こんな山道でも『直ぐ』の感覚が身に着いていて、街に住んでいる連中のそれとは異なるのだろうか?
 幸いな事は、道がひたすら一本道で迷う事はなかった点だ。もっとも、それもあの婆さんに唆された訳でなければ、の話だが。

 事実、かれこれ一時間は、こうして登り坂をひたすら登っている。
 長旅もようやくこれで終わりと思っていたのに、これだ。
 ここに来てのこの登り坂は流石に神経に堪える………一体どの位まだ先があるのか分からない不安が気力を萎えさせる事もあり。
 いい加減喉も渇いて来た………こんな事ならあの村で水の一杯でも貰っておけば良かった。
 どこかに山の湧き水など流れてはいないだろうか………そう思ったその時。

「………?」
 涼気とでもいうのだろうか。
 私はひんやりとした水の気配を感じ取った。
 ふと周りを見渡すと、それまで鬱蒼とした密林層が広がる中、右手の方だけ層の薄い空間が広がっており。
 目をやると、水辺が広がっているのがその理由だった。
(沼だ……)
 見ると、そこで行き先は二手に分かれており。
 道の作りからして、恐らく左手が修道院へ続く道であろう。
 しかし、その前にこの沼で水の一杯でも飲まない事にはやっていけない。
 迷う余地などなかった。
 私は九死に一生を得た生還者のように、活力を取り戻し、水辺へと歩みを急がせた。

「………っ」
 そうして、沼の淵までやって来ると。
 有無を言わさず、両手で掬い上げ、それの喉の奥へと流し込んだ。
 こ………これはっ。
(ンマーイ!)
 普通なら川の水ならばいざ知らず、沼の水は腹を壊す危険性があるから旅の途中で見かけても、口にするのは気をつけている私だが。
 流石にこんな山奥の沼の水だけあって、見事に澄んで清らかな質の真水であった。
 恐らくこの沼自体から湧き出ているものがあるに違いない。

「ふぅ………」
 喉の渇きが癒され、正気に戻ったその時。
 ふと、人の気配を感じ取った。
「…………」
(………なっ)
 私は驚嘆した。

 先客がいた。
 いや、別に水を飲みに来ていた意味において、先客ではない。
 女だ。
 しかし、ただの女なら別にここまで驚かない。
 女はものの見事に衣一枚纏わず、生まれたままの姿でそこにあったのだ。
 そう、女はこの沼で、人知れず水浴びに興じていたようだった。
 しかも、若い娘だった。

 しかし。
 幸いな事に、その娘は水浴びに夢中なのか、まだこちらの存在に気付いていないようであり。
 自分の視界に入らないからには、まさかこんな所に誰かやって来るとは夢にも思ってなかったのであろう。
 その事を理解した私は、何とか相手に気付かれぬ前に、この場を立ち去ろうと思った。
 遠くから覗き見るだけならいざ知らず、この状況はよもや誤解されてもいか仕方ない状況である。面倒事はゴメンだ。
 そう思って、抜き足差し足、何とか音を立てず気取られないように、後ずさりしながら場を去ろうと試みた私であったが。

「…………」
 それにしても。
 なんて美しい娘なのだ。
 緊張の一方で。否応なしに私の眼前で視界に入って来る光景に目を奪われなかった、といったら嘘になる。
 均整の取れた身体に程よい豊かな膨らみ。流線に揺れる凹凸。
 金色の長髪が、水と木漏れ日の光を受けて、キラキラと水面と共に輝きを放っていた。
 天から人知れず舞い降りてきた神の御使いが、ここで疲れた羽根をしまい込み、一時の休息を取っているかのようだった。
 はたまたこんな天気の良い時にだけ、ひっそりと人気のない所へ現れる、神話に描かれているような森の妖精の化身か。
 物音一つ立ててしまえば、または風が吹けば飛んで消えてなくなってしまうかのように、まるで夢でも見てるかの光景だった。

 や、何を私は見惚れているのだ。
 早々にここを立ち去らないと、このままでは厄介事になる。
 しばし呆然としていた自分を戒めたその時、
「あ」
 なんの前置きもなく、突如若い娘は振り返った。

「…………」

 思わず、目があった。
 私は、突然の事に、その場に凍りついた。
 何を語ればいいのか、何をすればいいのかまるで分からず。
 頭は真っ白になって。思考が全停止していた。
 娘の方といえば。
 引き込まれそうな大きな碧い目で、じーっとこちらの方を注視している。
 叫び声一つ上げる事もなく。
 私はただたじろぐより、他ならず。
 この状況で、一体何をどうすればいいのか分からずにいた。

 ひゅぅぅぅぅぅ
 その時、一陣の風がこの山中の沼地を吹き抜けた。
 が、私はそんな瑣末な事を気にしている余裕など全くなく。
「……あ」
 娘の方こそが、これを合図に、この緊張の膠着状況を打破した。
 突如、何を思ったのか、水辺より上がって、私の方に向かって来たのだ。
 生まれたままの姿で。

 私は驚愕した。
 実はこの時。
 娘は自分が着てきた衣服を、その時水を汲んでいた私の傍らにあった樹の枝に、水浴びの間の置き場所として、仮初めに掛け置いてあったのだった。
 しかし。それが、この時の突風によって煽りを受けて引っ掛けてあった枝より落ち。
 そして、よりによって、不運にもその風に吹かれて落ちた先が、他ならぬ私の視界の死角に当たる背後であった事を。
 この時、頭が真っ白になっていた私は、てんで気付かなかったのだ。

 当然、娘としては、この衣服を拾いにかかる。
 しかし、この時、私はこの世のものではないものを見た心地で混乱を極めていた。
 それは、この娘に何か普通じゃないものを感じ取ったからに違いない。

 一体、この娘の何が普通と違うというのか。
 そう、普通の娘だったら、まずあそこで叫び声か何か発するのが自然であろう。
 そして、自分の裸を覗き見られていた事を意識し、自身の肌諸々を努めて隠そうと。恥じらいの表情を浮かべたりなんぞして。挙句、そのまま目も合わせようとせずに、一目散に遁走したりなどと。それが一般に正常な反応だろう。
 しかしこの娘は違った。
 自身の御肌をまるで隠そうとしないばかりか。
 この危険な状況で覗き見ている(断じて私はそのつもりはなかったが、私が相手の立場ならばそう誤解するであろう)相手、不審者に対し、逃げるどころか何を血迷ったのか、そのまま向かって来るのだ。
 生まれたままの姿で。

 ――っ!?

 私は腰を抜かし、その場にへたれ込んだ。
 やはり、私はこの世のものではない、見てはいけないものを見てしまったのだ。
 もぅ生きてはいられないのかもしれない。
 魂を抜かれるかのような心地とは、このようなものか。
 加え、何より。
 恥ずかしながら。ここに告白をすれば、こんなにうら若き美しい娘の裸体をまじまじと注視・観察する機会なんぞ、今までこの歳までなかったからであるからして。
 だからして。
 ともかく、そう、アレだ。アレなのだ。大混迷を極めたのだ、とだけ言っておこう。

 一方、私がこんな錯乱状態にあるというのに、娘の方は到って平然としていた。
 後ずさりしながらたじろく私をよそに、娘は淡々の歩みを進め、私の目の前までやって来ていた。
 生まれたままの姿で。
 そして。

「きゃあっ」

 よりによって。
 私の眼前で、倒れ込んだのだ。
 勿論、今さら説明するまでもなく、生まれたままの姿で、だ。
 向こうも向こうで平然としながらも気を取られていて、足元に生えていた草の絡まりに気付かなかったらしい。
 当然、娘の身体は体勢を崩して………倒れ込んだ場所は、ちょうど私の。
 勿論の事、その時の彼女といえば、生ま(略)。
 咄嗟に身体を起こした相手を、そのつもりはなくても直視してしまう。
 私の眼前には、女のみずみずしい夢の大陸が広がっていた。

 真っ当な心身を持ち主である若い男だったのなら。
 有無を言わさず、飛び掛って雪崩のように絡み合う格好のシチュエーション&チャンスであっただろうに。
 だが哀しいかな。私の経験の無さから、その動物的本能こそ押さえられないで、痛い程に素直な反応を余儀なくされているのにも関わらず、私の動物的本能は理性と顔を合わせてどうすればいいのか、怯えるようにただ戸惑うより他になかった。
 蛇に射すくめられた蛙のように、その場に凍りつくより他に。




  ついぞ今でも分からない

  生まれながらの罪を背負わされた私に

  意地の悪い気まぐれな神が おまけの一日を与えたとでもいうのか

  その思惑のことなんぞは

  最悪の私の前に 突如天使が舞い降りた

  羽衣一つ纏うことのない 天より授けられた無垢の魂が

  燦々と輝く太陽の化身が………












     〔ソレイユ ~私の太陽~〕(※オープニングタイトル)












 →オープニング後編へと続く