よだ・つよし
木更津中央高校- 亜細亜大学- NTT東京- 中日ドラゴンズ(1990 - 1996)- 千葉ロッテマリーンズ(1996 - 1997)- 日本ハムファイターズ(1998 - 1999)- 阪神タイガース(2000)
大学時代は故障が多く、登板機会は少なかった。しかし、社会人時代に150キロを超える剛速球が注目され、全日本メンバーに。
中日にドラフト一位指名され、一年目から抑えに。一年目の1990年8月15日には当時の日本人プロ最速記録の157キロを計測。新人では史上最多となる31セーブを挙げ、新人王と最優秀救援投手を獲得。
中日にドラフト一位指名され、一年目から抑えに。一年目の1990年8月15日には当時の日本人プロ最速記録の157キロを計測。新人では史上最多となる31セーブを挙げ、新人王と最優秀救援投手を獲得。
リリーバーを続けるうちに肩・肘への負担が選手寿命を縮めるパターンに与田も陥り、全盛期末期は蓄積疲労を自身で感じながらも、痛み止めの注射を打ちつつ投球していたという。4年目以降は右肘痛のため思うような成績を残せず1996年シーズン途中でトレードで千葉ロッテマリーンズに移籍。
翌1997年オフにロッテを自由契約となり、1998年、日本ハムファイターズにテスト入団。その後日本ハムを自由契約となり、2000年、阪神タイガースにトライアウト入団。登録名を「与田 剛士」(読み同じ)として再起を誓うも、同年限りで現役を引退した。1年目で燃え尽きた男と表現されることもある。
引退後は解説者、社会人チームのコーチを務める。2009年にワールド・ベースボール・クラシック日本代表投手コーチ(ブルペン担当)として、大会2連覇に貢献した。
投手成績
| 年度 | ポジション | 登録名 | 所属 | 背番号 | 登板 | 勝 | 敗 | S | 奪三振 | 投球回 | 防御率 | 同順 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1990 | 投手 | 与田剛 | 中日 | 29 | 50 | 4 | 5 | 31 | 70 | 88.1 | 3.26 | -- |
| 1991 | 投手 | 与田剛 | 中日 | 29 | 29 | 0 | 3 | 2 | 38 | 45.1 | 3.18 | -- |
| 1992 | 投手 | 与田剛 | 中日 | 29 | 41 | 2 | 5 | 23 | 69 | 72.1 | 3.48 | -- |
| 1993 | 投手 | 与田剛 | 中日 | 29 | 15 | 1 | 3 | 3 | 18 | 19.1 | 9.78 | -- |
| 1994 | 投手 | 与田剛 | 中日 | 29 | 7 | 0 | 3 | 0 | 12 | 15.0 | 12.00 | -- |
| 1995 | 投手 | 与田剛 | 中日 | 29 | 5 | 1 | 0 | 0 | 5 | 6.0 | 12.00 | -- |
| 1996 | 投手 | 与田剛 | 中日 | 29 | 一軍登板なし | |||||||
| 投手 | 与田剛 | ロッテ | 29 | 一軍登板なし | ||||||||
| 1997 | 投手 | 与田剛 | ロッテ | 30 | 一軍登板なし | |||||||
| 1998 | 投手 | 与田剛 | 日本ハム | 34 | 一軍登板なし | |||||||
| 1999 | 投手 | 与田剛 | 日本ハム | 34 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1.0 | 9.00 | -- |
| 2000 | 投手 | 与田剛士 | 阪神 | 38 | 一軍登板なし | |||||||
| 中日通算成績:在籍7年:実働6年 | 147 | 8 | 19 | 59 | 212 | 246.1 | ||||||
| 生涯通算成績:在籍11年:実働7年 | 148 | 8 | 19 | 59 | 212 | |||||||
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