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+フソウ戦記(仮) +真正暦1029年 イーシア大陸極東 + + 貧民階級の救済と解放を教義に唱えた一大宗教組織、紅旗教が正光輪教から邪教と認定されて +11年、大陸全土で行われた邪教鎮圧の戦争は大陸と蓬莱海で隔てられた複数の列島からなる国、 +フソウ国でも行われていた。 + 大陸における邪教討伐の戦いが収束に向かうのと入れ替わるように、島国に浸透してきた紅旗教 +残党は勢力を拡大するとともに民衆を扇動し一揆を多発させたが、徐々に鎮圧の一途をたどり +ついにはフソウ国内の活動拠点である寺院一つを残すのみとなった。 + 信徒たちの布施によって建立された”救世院”の大伽藍に立てこもる信徒たちは頑強に抵抗していたが、 +既にフソウ軍武士団2万余名によって完全に包囲され、残る未来は降伏か全員自決しかない。 + 篭城を続け3ヶ月、糧食も尽きる頃だ。 しかし信徒たちに士気の衰える様子は無い。 + 降伏しても邪教徒は全員火あぶりと決まっているからだ。 + +元々の背景には貴族階級からの圧制と搾取への長期にわたる不満と反発があるとはいえ、 +最初に弱者の救済を目的とした宗教、信仰というものがいつしか組織を維持するための集金システム +と化し、指導者層が営利追求と拝金主義に変貌してゆくのは歴史の常だった。 + 大陸の多くの国家で国教に定められていた正光輪教は多神教から単一神教へと変遷した経緯から +他宗教や新興の精霊信仰などに対して慣用的ではあったが、紅旗教の勢力拡大による既得利権の +侵食に危機感を増し、ついに政治影響力を駆使して紅旗教への弾圧を開始する。 + これに対して紅旗教は激しく抵抗し、教義である「平等な理想世界の実現」を掲げてさらなる信者獲得と +勢力の拡大活動に力を入れた。 + + しかし、この時代の大陸諸国の多くは封建主義的社会、貴族が平民を支配する構造の社会体制を +とっており、階級社会の支配者層にとって紅旗教の信徒はこの制度を破壊しようとする、自分たちに +対するあきらかな反逆者でしかなかったし、すでにその活動が認知されるほどに勢力の大きくなった +紅旗教は弾圧によって一時的に勢力を衰退させる。 + それでも純朴で、愚かで、ただ日々の生活に救いを求めただけの信徒たちは指導者層の唱える +紅旗教の「救済」を信じてかたくなに抵抗を続け、ついに政権に対し武力蜂起するに至った。 + この乱に乗じ大陸中に浸透していた紅旗教信徒も次々と蜂起、さらに火種があちこちへと飛び火し +大陸全土が麻のように乱れた。 + そして3年後の真正暦1018年、正光輪教は紅旗教を正式に邪教と認定し、光輪教圏諸国に +討伐の聖勅を出す。 + 直後に各国は連合した邪教討伐軍を編成、10年余りの年月を経てようやく紅旗教勢力の大部分を +鎮圧するに至る。 + しかし、この戦いで犠牲となった人命は邪教徒として処刑された信徒を含み数百万人と言われた。 + + そして、なおも少数の紅旗教は辺境に逃れるなどして活動を続けていた。 + フソウ国もそのひとつだった。 + + + 現在フソウ軍武士団のなかで侍大将の位を授けられている伊庭正良(いば まさよし)は腰に太刀を +佩き、この島国では僧侶以外では珍しい部類に入る短く刈り込んだ髪を寒風にさらして信徒たちの篭る +伽藍を見上げていた。 + 荘厳なつくりの大伽藍は、この寺院でもっとも大きい建物で、その威容はまさしく小型の要塞と +いうにふさわしい。 + 寺院の大部分が制圧され多くの信徒が掃討されてもなお、数十人の信徒を抱え込んで頑強に +抵抗を続けていた。 + 今日の午前中も小銃隊が何十発となく銃弾を撃ち込んだのだが逆に反撃で12人の損害を出した。 + 信徒の中には下層階級の武士(半農民)や食えなくて傭兵に転向した貧民が混じっているのだろう、 +その狙撃は恐ろしく的確だった。 + これまでの篭城で彼らも疲弊しきっているはずなのにこれでは、まだまだ生半可な事では落ちそうにない。 + もしかしたら信徒たちが持ち込んだ武器弾薬や糧食はこちらの予想より多いのかもしれない。 + だが、そうだとしても春まで持ちこたえる事は無いだろう。 + 来週にはシン国製の大砲がようやく陸路で到着するはずだ。 + 本当は海路経由で先月末までに到着していなければならなかったのだが、冬の海の悪天候で舟が +使えず陸路に切り替えた所為で予定が大幅に狂う事になったのだ。 + 山地の多いこの島国では大砲の運搬は困難を極める。 + 伊庭は馬で牽引しやすい騎兵砲あるいは山砲の調達を幕僚部に相当する年寄衆に上申していたのだが、 +『そのような軽くて小さな大砲なぞ役に立つものか』と一蹴されてしまった。 + その結果としてフソウ武士団は砲の配備も運用も不合理かつ支障をきたしているのだが… + + 彼らに近代火力戦の効果と重要性を力説しても、理解できないだろうから仕方の無いことと既に諦めた。 + 新しい概念は得てして古い世代の人間にはしっくりこないことが多いのだ。 + 伊庭はしばしばこの島国の兵法の基準からすれば奇抜に見える発想を持ち込み、それによって得た +戦功で現在の地位を手に入れたが、まだ彼の全てが認められたわけでもない。 + 多くの人間からすれば彼は非凡な知恵者だが、出自の怪しい傭兵あがり、後ろ盾も血筋もない。 + ただ彼を拾い、家臣に取り立てて何かと目をかけてくれる主君、黒田憲長(くろだ のりなが)だけが +かれの庇護者にして理解者だ。 + それ以外では彼自身が立案して編成した手持ちの部隊、”鉄騎隊”200名余と、妻という事になって +いる女が一人いるだけで、あとは心を許せるものを数えても片手に足りなかった。 + + 伊庭はフソウの生まれではない。 故郷はこの島国に似た、遠い異郷だった。 + たどり着いたときには、故郷を同じくする仲間が大勢いたが、伊庭自身を除いて生きている者は +一人もいない。 + そして今は故郷に帰る手段すら見つからない。 この国に根を下ろす事になるかもしれないと、 +伊庭は考えていた。 + + 「殿」 + + 伊庭を呼ぶ声がした。 振り返らなくても、部下である光吉(みつよし)だと気がついた。 + 光吉の声は声変わりをして無い少年のようだから、その特徴で暗闇で声をかけられても光吉とわかる。 + 若年とはいえ変声期をとうに過ぎているはずの光吉の声は、いつになっても低くなる様子がなかった。 + 本人も少し気にしているようで、それをからかわれると真っ赤になって怒る。 + その姿が猿に似ている、と口の悪いものは言う。 伊庭も似ているとは思ったが口にする事はなかった。 + + 「日が暮れて寒うなってきました。 冷えるとお体にさわりまする。 わしゃ寒いの苦手じゃ」 + + 「うん」 + + 肩をすくめ足踏みしながら伊庭の隣に立った光吉に短く返事をした。 + この季節の風は夜ともなれば肌を凍らかすかのように冷たい。 雪が降らないだけまだましだった。 + 伊庭は何度か『懐炉』に類するものを作ろうと思ったことがあった。 + 袋に入れた砂鉄と塩を混ぜて急速酸化するときの熱で暖まろうと再現を試みたが、温度調節が上手く +いかず、失敗が多かったので早々に諦めてしまった。 + 光吉がいかにも寒そうな顔をしてガチガチ歯を鳴らしているのを見て、もう一度試してみようか、 +そんな事を思った。 + + 「殿は寒うござらんのか」 + + 光吉の問いに、伊庭は自分は北国生まれだからな、このくらいじゃ暖かいくらいさ、と答えた。 + + 「殿はさすがに豪傑じゃのう…鎧もその胴当てしか付けんでこんな前まで出てくるし、敵の弾でも +当たったらどうしようかと、わしゃ気が気じゃないわい」 + + はは、と笑う。 光吉のその台詞はもう何回も言われた。 + 伊庭は他の武士たちのように甲冑を身につけず、傭兵時代から使い続けている奇抜なまだら色に染めた +衣の上に、衣と同じ柄で金属の板を仕込んでいる胴鎧、やはり同じ柄で統一した鉄の兜しかつけない。 +確かに流れ弾にでも当たったら防ぎきれるとは思わない。 + だが怖いのはそれが腕や脚に当たった時ぐらいのもので、それは篭手なり脛当てなり付けていたとしても +大して変わらないものだし、付けている胴鎧は見た目よりも遥かに頑丈で刃物も弾丸も容易には通さない。 + ただその奇妙で異様な風体で戦に出て、侍大将だというのに兜にはいっさい飾りの類をつけない伊庭を +諸将は距離を置きつつ『傾奇者』として扱っていた。 + + 「ところで殿」 + + 光吉が珍しく真面目くさった顔で伊庭を見つめたので、伊庭も光吉のほうを向いた。 + + 「三日前に制圧した五宝塔じゃが。 ありゃあ悲惨じゃった。 もう助からんとみて、最上階に +立てこもっとった信徒が次々身投げしてなあ。 子供もおった」 + + ああ、と答えつつ、伊庭もその時の光景を思い出していた。 + 救世院の建物の中には信徒がバラバラに立てこもって抵抗を続けた場所もいくつかあったのだ。 + 大伽藍よりは陥落させるのに困難で無いものが殆どで、大部分はすぐに制圧したが五宝塔は大伽藍と +並んで最後まで残った場所だった。 + だが最後には矢も弾丸も尽きて、それ以上抵抗する事が出来なくなった。 + 彼らのとった道は、自決であった。 + + 伊庭も、自分たちがそうさせた事とはいえ胸の締め付けられる思いがした。 + 彼らをここまで追い詰めたものは何だったのだろう。 + 邪教にすらすがらねば、救いを求めなければならなかった苦しみとは何なのだろう。 + 伊庭自身、黒田憲長を主君として仕えるまでの傭兵時代は何度も辛酸を舐めた。 + 一つの統一された国としての体裁を整えているとはいえ、フソウは必ずしも政情の安定した国とはいえない。 + 20年ほど前までは国中が分裂して内乱状態にあったし、いまだ中央の政権に従わない地方勢力や +政権から地方統治を任された守護領主同士の衝突はよくある。 + 夜盗や人攫いも横行し、蝦夷地と呼ばれる北方では異民族との外交問題を抱えている。 + だからこそ、この国には紅旗教の入り込む隙があったのだ。 + 伊庭はこの国がそんな時代だったから、傭兵として自分の力を活かし、糧を得るすべを見つけることが出来た。 + + だが、自分のあずかり知らぬところでは自分の見てきたことよりももっともっと悲惨な事があったに +違いないし、自分のように幸運なり神仏の加護なり運命なりが味方しなかった人間も多数いるはずなのだ。 + 伊庭は時々、”運良く”生き残れた自分に罪悪感のようなものを憶えるときがある。 + 自分は苦労して今の地位と身分と生活を手に入れたつもりだった。 + ささやかな幸福を手に入れたつもりだった。 だが、そうで無い人間のほうがこの国には多いのだ。 + 自分は搾取される側から搾取する立場の階級に変わっただけだ。 + 伊庭が日々口にする糧食も、身に着ける衣服も、佩いている太刀も、部下たちの装備も、糧秣も、 +それら全て農民たちから奪ったもので賄い…そして、結果の一つとして彼らをこうやって追い詰めている。 + + 故郷にいたときは、頭では解っていたつもりだった。 + 社会や支配体制の違いはあれど、この国では事実がダイレクトに伊庭の目に入ってくる。 + 武士団は国を、領地を守る軍隊だ。 しかし、民衆を守る軍隊じゃない。 + 彼ら紅旗教信徒はある意味被害者だ。 だが、彼らを助ける事は出来ない。 + そんな力は自分に無い。 主君に助命を嘆願しても受け入れられないだろうし、受け入れられたとして +彼らの生活の糧を誰が面倒を見るというのだろう。 + 第一、貧しさから信仰に救済を求めた彼らは、信仰以外に頼るものが無い。 + 殺されると解っているから、最後まで戦って死ぬのだ。 + 方向性は違えど自爆テロと同じようなものだ。 彼らには現世に何も無いから、来世での救世を求める。 + + 光吉は再び大伽藍の方向を見上げながら硬い表情で何事か思索にふけっている主君を黙って見つめていた。 + 伊庭は先日塔から飛び降りた信徒たちの亡骸に、両の掌を合わせて眼を瞑っている仕草をしていたのを見た。 + 伊庭がこの国の生まれで無いと聞かされていた光吉は、光輪教式のものとは違うそれを伊庭の故郷 +での死者への祈り方なのだろう、と推察した。 + やがて、この大伽藍も陥落するときが来る。 その時はまた、大勢の信徒を殺し、大勢が自決する様を +この眼に焼き付ける事になるのだ。 + 伊庭も光吉も、殺す事を楽しむ人間ではない。 戦う必要があるから戦うだけだ。 + + 「…やりきれんのう」 + + 光吉の呟きは、冷たい夜風に流れて誰の耳に入る事もなかった。
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