KOWLOON'S GATE -九龍風水傳-

【くーろんずげーと くーろんふうすいでん】

ジャンル アドベンチャー
対応機種 プレイステーション
メディア CD-ROM 4枚組
開発・発売元 ソニー・ミュージックエンタテインメント
発売日 1997年2月28日
定価 7,800円(税抜)
廉価版 ARTDINK BEST CHOICE
2000年10月5日/3,800円(税込)
配信 ゲームアーカイブス
2015年9月16日/823円(税込)
判定 賛否両論
怪作
ポイント 数え切れない欠点と唯一つの強烈な魅力
CD-ROM4枚組の大ボリューム



ガイドブックに載せられない香港が、ある。



概要

今は無き香港の九龍城砦をモチーフとした探索型のアドベンチャーゲーム。
プレイステーション初期タイトルとしてPS本体発売以前からプロモーションムービー等が公開されていたものの、延期に次ぐ延期によって発売までに実に4年以上の月日を費やした、と言う経緯を持つ。
延期によって多くの人からは忘れ去られ、手に取った人々も大半がその「ゲームとしての」不出来さに難色を示したが、この作品の強烈な魅力に取り憑かれた人々も決して少なくはなかった。いわゆるカルト的な人気を博したといえるゲームである。

企画・監督・脚本は『キリーク・ザ・ブラッド』を手掛け、後に『真・女神転生III NOCTURNE』にも携わる木村央志。音楽は『世にも奇妙な物語』などで知られる蓜島邦明を起用している。


ストーリー

1997年、中国返還前の香港に、取り壊されたはずの九龍城が突如として出現した。否、陰界の九龍城がこの陽界に現れたのだ。
陽界と陰界は本来互いに交わることのあってはならない存在。このまま陰と陽が交わり続ければ世界は意味を失い破滅することとなる。
二つの世界の風水を監視していた香港最高風水会議は、陰界にて風水の源となる四神獣の見立てが行われていない事にその原因があると断定、一人の若き超級風水師を召還し見立ての任にあたらせる。プレイヤーであるこの風水師は世界の均衡を保つ為、単身、陰界の九龍城に潜入する。


用語解説

この作品は様々な専門用語が存在する。ここを読むにあたり必要と思われる最低限の用語を本項で解説したい。

  • 陽界・陰界
    • この作品では俗に言う「陰陽魚太極図」に世界観の基盤を求めており、我々が住む世界と表裏一体のパラレルワールドが存在するという設定を取り入れている。それがこちら側の世界「陽界」と向こう側の世界「陰界」の関係であり、太極図の如く二つが離れもせず、交わりもしない状態を保つのが香港最高風水会議の、ひいてはプレイヤーの使命となる。
  • 邪気
    • 風水によって整えられるべき大地の気脈。これがバランスを失うことによって発生するエネルギーが邪気である。
      人がこれに「当てられる」と妄人(ワンニン)に、物に宿ると鬼律(グイリー)となる。
      ゲーム内ではもっぱら敵味方共通の攻撃手段として扱われ、中国の五行思想に倣った属性付けがなされている。
  • 妄人
    • 人が物に執着し、そのことばかり考えてしまったあまりに半分物になってしまった異形の者たち。
      彼らはまだ人としての意識を保っているが、それを維持するためには常に「妄想し続ける」必要がある。いわゆる「我思う、故に我在り」の考え方そのものであり、妄想の途切れた妄人はただの物(=死)となってしまう。
      先に述べたとおり、極度の邪気に当てられることでも人は妄人になってしまう。プレイヤーのゲームオーバーにあたるものがそれである。
  • 鬼律
    • 邪気が人ではなく、物に宿った場合はこちらになる。正真正銘、人ならざるものだが意思を持っており、邪気を撒き散らして人を襲う。RPGで言うところの敵モンスターにあたる存在。
      これ自体が邪気を発する為、存在しているだけで人々に悪影響を及ぼす。

システム

本作は終始主人公の視点で描かれる一人称視点形式の探索アドベンチャーである。陰界より現れた巨大スラム街「九龍城」を舞台に、「四神獣の見立てによる風水を起こす」という目的を果たすべく奔走する。
主人公の「超級風水師」はプレイヤーの分身的存在であり、作中で言葉を発したり姿が画面に映ることも無く、設定画も存在しない。三人称視点のムービーでも主人公の姿は決して描写されない。素性も説明されず、「若く優秀な風水師の男性」ということが辛うじて分かる程度。外見や人物像については各プレイヤーのイメージに委ねられる。

探索パート
  • JPEGダンジョン
    • 敵の存在しない市街地などの探索はこちらで行う。空間内の予め決められたポイント間を移動する方式。他のゲームで例えると『MYST』や『七つの秘館』に近いが、本作はそれらに加えて移動を表すムービーが逐一再生される。
      ここでイベントをこなし、フラグを立て、後述するリアルタイムダンジョンに繋ぐ、というのがこのゲームの基本的な流れである。
    • 進行自体は一本道であり、必要なフラグを全て経て、必須アイテムを全て手に入れないと次の地域には進めない。逆に、ストーリーの流れ以外で別の地域に移動する事は不可能である。
    • 尚、各地域は「龍津路」「西城路」など、実際の九龍城砦にあった地区(街道)の名前が用いられている*1
  • リアルタイムダンジョン
    • 敵の蔓延るダンジョン「胡同(フートン)」の探索はこちら。空間内を自由に移動できる方式で 『KING'S FIELD』のそれに近い。
      ダンジョン内は鬼律が徘徊しており これを駆逐しながら目的を達成する形となる。そのためこのダンジョン内では自分の気力と所持している邪気を表すアイコンが表示される。
      また鬼律は周辺に邪気を放っており、それが目印となるのだが、触れると気力が減少する、所持していない属性の邪気が付与されるといった悪影響がある。
      気力が0になるか、五属性全ての邪気を所持した時点でゲームオーバー。
      各ダンジョン毎に、案内役のナビを雇うことになり、随所で現れては次に行けばいい場所などを教えてくれる。
戦闘パート
  • 風水バトル
    • ダンジョン内で鬼律のいる座標と重なると発生する。
      敵である鬼律は必ず火 水 土 木 金のいずれかの属性の邪気を持っており*2、これと相剋*3となる属性をぶつけて相殺するか、その属性自体を吸収することで邪気を奪い、全ての属性を失わせることで倒せる。
      詳細なルールは以下の通り
      • 各属性の邪気は一種につき一つしか所持できず、所持していない属性のみ吸収することができる。
      • ぶつけられる邪気は相剋の関係にある物に限る。つまり無駄撃ちで邪気を消費することはできない*4。ぶつけた属性は消失する。
      • プレイヤーが行動する度、鬼律から邪気によるダメージを受ける。
      • プレイヤーのあらゆる行動は失敗する可能性がある。
  • アイテムバトル
    • いわゆるイベント戦闘にあたるもの。こちらは至ってシンプルで所持しているアイテムの中から正しいものを選択すれば勝利、その前に気力が尽きれば負けである。
      風水バトルと違い、全く行動しなくても時間経過でダメージを受ける。ボタンを押してアイテム欄を開かなければ一方的にやられてしまう。

賛否両論点

人を選ぶ世界観

  • キャッチコピーの1つに「常識は、今のうちに捨てておいてください」とある通り、一般的なゲームの世界観を覆すような設定の数々に塗れている。陰界の、しかも最も邪気に歪んだとされる九龍城では我々の住む陽界の常識など全く意味を成さない事を嫌というほど思い知るだろう。
  • 九龍城の住人達は、独自の価値観と流儀を持って生活している。陽界から来た主人公は、いわば「余所者」であり、敵は言うまでもなく協力者もどことなく距離を置いた態度で接して来る。
    それは登場人物達の「キャラクター性」にも表れており、最初は独特の設定と思わせぶりな助言に戸惑うことも多いが、よく聞くと意外と明快なヒントを話していたりする。彼等の流儀を理解し、そのまま受け入れることが先へ進むための早道となる。だが、本当にただ電波に塗れて意味不明な事を言ってるだけという場合も少なくなく、その情報は有用なのか否か、プレイヤーは常に頭を悩ませることになる*5。そして敵も味方も一筋縄では行かない人物ばかりである。
    • メインキャラは流石に「まともな」キャラが多いが、基本的に風水や九龍城の世界観を前提に話してくるので前提知識がないとついていけない。取説やクーロネットからある程度予備知識を得ておく必要がある。また本作ではメインキャラであっても、あっさり死亡したり、異形化したり、行方不明になったりということが普通に起こるので油断がならない。総じてメインキャラの扱いが酷いように思える。
    • 主人公に協力してくれる人々*6には、まともな性格の人も多い。しかし、そのような人物に限って「腹黒そうなメガネデブ」や「鏡台を頭にかぶった人」や「顔の怖い蝦剥き屋の子供」など、どことなく違和感を覚える外見だったりする。人を外見で判断するなということだろうか?後述の水銀屋のように異様な外見について説明のある者もいるが、そういう説明が全くない人物もいる。
      • 極端な例になると「女の耳フェチで女物のピアスを瓶に落としてその音で興奮する本物の変態」「ドーピングで肉体改造してマッチョになったその名もミスター・ドープマン」「現在では恐らく非合法であろう怪しいキノコを売りつける茸屋」等、倫理的に物議を醸しそうなキャラも豊富にいる。良識ある人は眉を顰めるだろうが、このようなキャラに妖しい魅力を感じる人もいる…かもしれない。
        また、こういうおかしな人物に限って、実は主人公に協力的な善玉である事も多い。
    • ダンジョンの案内人のナビも一癖も二癖も三癖もある人物ばかり。しかしダンジョン内では偵察や情報収集、脱出に関して親身に面倒を見てくれる頼り甲斐のある相方となり、孤独感、心細さを緩和してくれる。出来ればもうちょっと分かりやすく案内してくれませんかね。
    • 公式サイトには序盤の展開が主人公視点の小説形式で書かれていた。アーカイブはこちら。ここでは主人公は「この街の輩は、一事が万事こんな調子なのだろうか。気が重くなる」「街の人間の全てに、試されているような気持ちになってくる。」「もうこうなっては、占いのじいさんを責める気力も失われてしまった」などと語っており、相当げんなりしている様子が描かれている。しかもこの著者は脚本の木村氏。つまりプレイヤーがそういう気持ちになるようにシナリオが作られているという事である。
    • 協力者からしてこの有様なので敵も普通ではない。特に外見的にコワい・グロい敵が多く、不気味な上にいきなりアップで登場する双子屋店員、おぞましい戦闘形態を持つ婆童(バードン)や霊師(リンシ)などはそのインパクトからトラウマになってもおかしくない。
  • 謎解きも独特で、理由や辻褄を考えても理解に苦しむものばかり。というよりもはや考えたら負けなレベル。
    + 例。ネタバレ注意
    • あるダンジョンの扉を開く鍵は、歯医者で使う「うがい薬」である。なぜ?とか考えてはいけない(ゲーム内でも「そういうものなんだよ」と言われる)。

人を選ぶ演出

  • 勘違いされがちだが、本作はいわゆるスプラッターの様な残酷な描写というものは意外に少ない。しかしグロい描写や生理的・精神的に不快感を覚える映像と演出がこれでもかと言うほど登場する。これを独特の世界観とセンスによるものと考えるか、それとも製作者の嫌がらせと考えるかは本作の世界観とシステムを受け入れることができるかどうかにかかっている。
    • 主人公の目的は一応世界を救うことであり、最終的には悪は滅び、陰陽の世界は救われる。しかし、実際の行動がどのように本来の目的と結びついているのかが分からないため、達成感に乏しい。
      • それどころか協力者を助けることができず死なせてしまったり、街が崩壊してしまったりと、努力が報われないように見える展開が非常に多いため無力感に苛まれること請け合い。主人公も喋らない&画面に映らない関係もあってか全体的に行動が受動的なので、こうした展開になりがちである。単純な勧善懲悪を期待している人にはお勧めできない。
      • 作中でも主人公は悪役に「ここでお前に救えるものなどなにもない」と言われるシーンがあるのだが、ほぼその通りである。陰陽の世界は救えても出会った人々は殆ど救えない。
        しかもかなり後になって別のキャラからも「お前には誰ひとりとして救えはしない」と言われ、それを思い知らせるように直後から「救えない」展開が顕著になっていく。
    • 小動物が惨たらしく殺されるシーンがいくつかあるので動物好きは要注意*7。前述の「お前に救えるものなど」の台詞が出るのもその一つである。
    • 突然、不条理なイベントが発生する。その内容は、振り向いたら知らないうちに背後に人が立っていたという悪戯レベルのものから、何の説明もなく人が死ぬというものまで実に多彩。後で説明がある場合もあるが、全く説明がない場合もある。これを意表を突く気の利いた演出と考えるか、プレイヤーに喧嘩を売ってると考えるかは、本作の世界観とシステムを(ry
      + 例。ネタバレ注意
      • メルヘンチックな格好をした、「妖精さん」を名乗るガタイのいいおっさんの踊りを強制的に見せられる。シナリオとの繋がりはない
      • あるイベントの終了後、道を塞ぐキャラに話しかけると同じセリフを何十回も聞かされる。最早喧嘩売ってるとしか思えないだろう。

問題点

ゲームとしていろいろと不完全

  • JPEGダンジョン(街中)のCGは非常に緻密で臨場感があるのだが、自由に移動できるわけではない。移動できるポイントが決まっており、方角を指定すると移動するムービーが流れる。要はコマンド入力形式の移動を3DCGで繋いだに過ぎない。
    • ムービーは視点が激しく動き、更に演出で眩暈でも起こしたように画面が揺れることもあり、3D酔いを起こしやすい。
    • 移動指定できる方角が細かくて分かり辛く、見落としやすい箇所がある。
    • 探索中は情報収集やフラグ立てのために何度も広大で複雑な街を行き来することになり(後述)、次第にムービーが鬱陶しく感じるようになる。ムービーをスキップすることは可能だが、その場合、現在の位置関係を把握し辛くなってしまう。
  • リアルタイムダンジョン(一般的なダンジョン)では3Dの空間を自由に移動できる。その分、街と比べてCGの作りは粗い。
    • ダンジョンの複雑さは本物の九龍城砦さながら。しかも案内役のナビは一度に2つも3つも流れを説明する為、メモは必須である。
      • また、ダンジョンの内容(どの地点が何と呼ばれていて、其処に何があるのか)をプレイヤーが完璧に把握していることを前提に話すため、中断してプレイに間が空いてしまうと彼らの言っている事はまず理解できない。
    • オートマッピング機能はあるし、マップはいつでも参照できるので最初はそこまで大変でもないように見えるかもしれない。
      • しかし本作のダンジョンは多くの扉に鍵が掛かっており、殆どの場合は対応した鬼律を探し出して倒さなければ解錠できない。つまり鍵となる鬼律の居場所に赴いて倒す⇒鍵の開いた扉の先に進む、を繰り返す事になるため、ダンジョン内をとにかく右往左往する羽目に。
      • しかも鍵の鬼律の居場所などちょっと探して見つかるものではなく、結局ナビの指示が頼りになる。また、対応する鬼律を倒したところで「カチャ」という音がするだけでどこの扉が開いたのかも分からない。
      • この一連の流れがダンジョンの複雑さを跳ね上げている要因であり、それにアイテムの使用やイベントも加わるとなると最早「迷宮」と呼ぶ他無く、後半のダンジョンで目的を見失うと、誇張抜きに数時間~十数時間は彷徨う事になる。
    • 挙句、イベント発生箇所にオブジェクトやマーカーの類は基本的に無く、実際にその地点に接触しなければ分からない。
      • 重要な部屋のはずなのに入ってみたら空き部屋で、奥に進んでイベントが発生してやっと正解と分かるパターンも少なくない。
    • セーブはセーブポイントで行わなければならない上、ダンジョン一つ辺りに2つ程度しかない為、順路から大きく外れる事も多々ある。人にもよるが、後半は順路に戻るのも一苦労なほど複雑なダンジョンとなる為、難易度云々よりも煩わしさが前面に出てくる。
    • 移動自体はスムーズなのだが、これが過敏な人は3D酔いしやすい。さらに敵(鬼律)が近くにいると邪気で画面が点滅しながら激しく波打つという演出のため3D酔いが悪化する。
    • 鬼律の位置は、邪気による画面の点滅と揺れの度合いで見当を付けるのだが、判定が結構シビアなことに加え、邪気が壁を貫通して発生している場合もあり、判別し辛い。必死に探し回ったら実は隣の部屋に居たなんて事も日常茶飯事。そして邪気の中を延々と彷徨おうものなら気力は減るわ属性が増えるわ…(後述)。
    • 時々、何の脈絡もなく画面が暗くなったり、手持ちの属性が増えたりする現象が起こる。甚だ唐突なため、バグと形容される事が多いが、これらは特に邪気が濃い場所(鬼律が近い場所)や後半のダンジョンで確率がグッと上がる為、バグよりも仕様と思われる。取説にも記載はあり、「アクシデント」と説明されている。
    • ゲームオーバーになるとリトライが可能だが、ダンジョンに入った時点からのやり直しなのでセーブを怠ると泣きを見る。セーブデータをロードすると気力が全回復するのは最後の良心か。
    • そしてリアルタイムダンジョンは一度入って終了という訳ではなく、ある程度目的を果たしたら脱出→町でフラグ立て→ダンジョン探索再開と、一つのダンジョンを複数回に分けて探索させられる。良く言えば一呼吸置いて進められるが、悪く言えば煩わしい。
  • 必要性の薄い戦闘
    • 風水バトルは、一言で言うとじゃんけんである。保持している属性を「相剋」する(射)と、相手の属性を保持していなければ、「吸収」してしまう(吸)という手もある。どちらも原則として一撃で倒せる。
      その為、慣れれば雑魚戦闘はあっという間に終わってしまう。敵の種類ごとに属性は決まっている為、戦闘に慣れない頃は「敵の属性を調べる(査)→(射)or(吸)→終了」、ある程度慣れると「(射)or(吸)→終了」という単調作業と化す。
      • 前述のダンジョンの複雑さに加え、鬼律の探索も行わなければならず、その上での戦闘があまりにシンプルでカタルシスに欠けるため、「戦闘は必要ない」と槍玉に挙げられる。
      • 5属性が全て揃ってしまうとゲームオーバー、属性が3つ4つと溜まってくると気力が一定値までジリジリと下がり始めて戦闘がリスキーになる*8、既に持っている属性は吸収できない為、適当が過ぎると射も吸もできなくなるなど、
        戦略性が全く皆無という訳ではないが、乗り越えたからと言って爽快感や達成感のあるものではないのが辛い所。ダンジョンの煩雑さもあり、非常にダレやすい。
    • 説明書には鬼律の外見で大凡の属性が分かると書かれているが、まずその基準が判り辛いので、慣れないうちは素直に(査)で調べた方が良い。
      • そして慣れて大体見た目で判別できるようになったと思いきや、似た(或いはほぼ同じ)外見なのに違う種類の鬼律(勿論、属性も違う)もかなり登場する。
    • 戦闘や探索中は前述した「アクシデント」が発生するが、これが単調なゲーム性にスリルを与える…という訳でもなく単なるストレス要因にしかなっていない。
      • 戦闘中の行動はミスする場合がある。これも後半になるほど確率が上がる上、(射)だけでなく、(吸)も(査)も逃走の(避)も失敗する時は平等に失敗する。
        属性に関係なく鬼律を倒す「鬼律玉」、鬼律の属性を変える「貝粉」、気力を回復する「男油」と言ったアイテムもあるので有効に活用したいところだが、その使用すら失敗することがある為、直接敗因につながることもあるなど、かなり理不尽。あんまり運が悪いとそれだけでゲームオーバーという事も。
      • 邪気の濃い場所で勝手に手持ちの属性が増える事があるが、これで5属性が揃っても勿論ゲームオーバー。とんだ「アクシデント」である。
      • しかも確率で鬼律の姿が定まらない状態になる事もある。こうなるともう敵の種類も属性も分からなくなる*9ので、属性で倒すのはほぼ無理且つ、何の属性を吸収するかも分からない。
    • 但し、リアルタイムダンジョンでの戦闘自体は「探して、駆除する」ニュアンスが強く、あくまで敵の探索がメインであるともいえる。もっとも、それはそれで戦闘する必要はないという意見もあるが……。
    • アイテムバトルに至っては、戦闘という名のイベントに過ぎない。決まったアイテムを使うと敵があっさり倒れて終了となる。どんなに強そうな敵も指定されたアイテムを使えば一撃。緊張感もへったくれもないが、
      ノーヒントで突入してしまうとアイテム総当たりになってしまい、高い攻撃力の前になすすべなく敗れる場合もある*10
      + 以下ネタバレ注意
      • ある場面では、敵があるアイテムを渡すように要求してきて、直後に戦闘になる。戦闘中そのアイテムを使えば勝利したことになるのだが、それは脅しに屈しただけであって戦闘とは言わない。
      • ラスボス戦だけは、少しだけ手順がややこしい。とはいえ、事前にヒントはもらえるため、それ自体は問題にならない。むしろ、一体一体のボスにこうした手順とヒントを組んでいれば、また評価は変わっていたかもしれない。
  • ちなみに開発当初は戦闘要素は無かったらしいが、木村氏は「どうしても五行思想の属性の相克関係を使いたかった」から入れたと語っている。アイテムバトルも、「アイテムを手に入れたら嬉しいので、それを使って何かがしたい」という理由だったらしい。
  • 苦行のような謎解き・フラグ立て
    • 本作は世界観そのものが難解で不条理な設定のため、プレイヤーが自分で考えて先に進むのは困難。人々から情報収集して言われたとおりに機械的に動くしかなく、お使い的なイベントを連続でこなすことになる。また、そのイベントも本来の目的との結びつきが見えにくいものが多く、ストーリーを把握し辛いため、作業感が強い。
      • フラグ立てが分かり辛く、結局、街の人と総当たりで会話してフラグを確かめることの繰り返しになる。そのために広い街を何度も行ったり来たりすることになり、非常に苦痛。
    • 本作はまさかのディスク4枚組。当時の『FFVII』でさえ3枚組である。スタッフの力の入れようが窺える。
      • ただ、CD-ROMしか無かった当時では、後の『クーデルカ』など狭い舞台や短いストーリーながら映像に拘った事でディスクの枚数が多くなった作品は少なくなかった*11
      • それは良いのだが、ディスクはシナリオ順ではなくマップ別となっており、新たな街へ移動するたびに入れ替えを要求される。ストーリー上、謎解きや一つの事件の解決のために街同士を行ったり来たりする必要はないが、スマートさに欠けると言えばそれまでである。
      • しかもこれでも相当削った結果で、もし作成されたムービーをフルで収録したら7枚組にもなっていたらしい。それを計1時間ほど削ってなんとか4枚に収めたとか。ちなみにスタッフロールがやたら早いのはそうしないと収まらなかったからである。
    • 説明書後半には香港最高風水会議からの資料という形で世界観の解説やヒントも掲載されているので、序盤はある程度は指針に沿って進められるのだが、親切なのはそこまで。その先はもう自分の意思で、足で九龍を彷徨い歩かなければならない。
  • 通常の台詞は画面上部にキャラの顔、下部にテキストが表示されるのだが、ムービーには字幕が無いので何を言っているのか分かり辛い部分があり、また声だけが聞こえるシーンも多い。
    • 声だけの台詞は攻略のヒントや次の目標を示しているケースも幾つかあるので、聞き逃した所為で目的を見失う事も有り得る。
    • ゲーム冒頭で主人公が指令を受けるムービーだけは何故か字幕付き。
  • なお、2022年に行われた本作の25周年記念イベントに関連して、木村氏自身が序盤の鏡屋登場シーンまでプレイしたところ「なんて不親切なゲームだろう。これを作ったのは誰だ」と憤慨したと言う。

シナリオ面の問題点

  • 全体的にメインキャラの扱いが酷い。特に、ヒロインの小黒(シャオヘイ)は本作のパッケージや広告、雑誌などの各種媒体でビジュアルが多く使われ、知らない人が見たらこのゲームの主人公かと思ってもおかしくない程にプッシュされていた。
    • 名実ともに本作の看板娘と言える存在で、実際にゲーム中でも終盤までは物語の中心人物となるのだが…。
+ 以下ネタバレ注意
  • 風水の「見立て」を地形で行う陽界とは異なり、陰界では生きた人間を神獣へと変えなければならない事が明らかになる。見立てられるということは人間としての死を意味するため、謂わば人柱・生贄のような存在である。そして小黒は、神獣朱雀の力を受け継ぐ者であり、最終的に主人公によって神獣として見立てられる。
    • 生贄にされそうなヒロインを救う作品は数あれど、主人公自身で生贄に捧げる作品は珍しい。しかしそもそもそれが主人公の目的であり、彼女に限らず見立てなければならない人間は数人居るので彼女ばかり特別扱いは出来ないのは理解できる。
    • ところが、主人公が小黒を見立てる場面では、彼女は見立てられる関係上、状況を理解していないまま見立てを受け、主人公の方も特に躊躇ったり、何かセリフを言ったりといった描写もない。その後も彼女について特別な演出や描写は何もない。精々、小黒が消えていく中、彼女との思い出が軽くフラッシュバックする演出が入る程度。仮にも本作のヒロインであり、主人公との付き合いも比較的長かった*12のだから、もう少し描写があってもよかったのではないか。
      • 一応、見立ての際に人としての「情や悔い」が残っていると見立てに悪影響が出る事は明言されており、この状態での見立て自体も、同じく見立てを受ける双子の姉が差し向けた事である。しかし他の見立てを受けるキャラはいずれも心情の変化を経て見立てを受け入れたり、最初から覚悟を以って見立てに臨むといった描写がある。対して小黒については本人の意志や感情を一切無視して問答無用で見立てるという、なかなかに残酷な展開になっており、ヒロインとしての扱いの酷さに変わりはない。
    • 尚、製品版ではラストダンジョン前に退場してしまう小黒だが、初期案では神獣に見立てられる結末こそ変わらないものの、ラスボス戦~エンディングまで深く関わってくる予定だったらしい。
  • 主人公を助けたり、小黒の面倒を見ていたバーのマスターのリッチは、終盤に邪気に飲まれてカクテルのシェーカーに本人の顔が付いた妄人に姿を変えられてしまう。それまでの渋いキャラも消え去り、そのまま人間の姿に戻ることもなく行方不明になる。
    • 彼の人の姿での最後の台詞は「今、ここで信用できるのは、ウェイとあんただけだ!」という熱いもので、その期待に応えるべく出発し、なんとか戻って来た時の再会がこれである。陰界、そして九龍城の諸々に慣れていたプレイヤーすら唖然とさせたイベントとして知られる。
    • 初期案ではこの状態で主人公に情報を与えたり鍵を渡す役目もあったらしいが、実際は顔見せだけで去ってしまう。
  • 主人公の目的を知り、手助けをしてくれるウェイやゲームキッズに至っては、「ラスボスを倒す手掛かりを探すためタイムスリップした」という説明があるだけで、その後の消息や顛末は何一つ語られない。
    • 彼らの過去での行動が現在の主人公の助けになる、と言ったような描写は特に無く、その過去に飛んでまで倒そうとしたラスボスは結局主人公が自力で倒してしまう。
    • また、ウェイの部下の紅頭(ホントウ)と呼ばれる少年達は随所で主人公の手助けをしてくれるのだが、最後は小黒と共に龍穴に吸い込まれたと語られるだけ。小黒に関しては上記の結末に向かうとはいえその後もストーリーに絡むのだが、紅頭達が触れられる事は無く安否は最後まで不明である。
  • 胡同で主人公をサポートしてくれたナビ達も、自分の役目が終わると以降は姿を見せない。最初の2人は途中で助力してくれるが、やはりその後は出番が無い。
    • 小黒同様、初期案ではラストまで関わってくる予定であり、しかもラスボス戦に勢揃いして主人公に加勢するという熱い展開もあったらしい。
  • 上述の通り本作の主人公はプレイヤーの分身的役割なので、台詞を発したり反応を示すことは無い。その為、次々退場していくメインキャラ達に対して感慨を示すのは画面前のプレイヤーだけで、作中にはそう言った演出は無い。
  • メインキャラの扱いが酷いからと言ってサブキャラは良いのかと言うとそんな事は無い。ストーリーが終盤に向かうにつれて九龍中が邪気に蝕まれたり崩壊していくため、路人達の多くは正気を失ったり消息不明になったり妄人化したりと、ろくな末路を辿らない。最終章近辺になるともう周囲は殆ど無人と化す。
    • 最初はそっけなかった住人には徐々に主人公に心を開いていく者も多いが、そんな彼らにもやはり残酷な運命が待ち受ける。
    • 挙句、最後は九龍城そのものが崩壊する。顛末が描かれない路人や妄人達がどうなったかなど知る由もない。
  • シナリオ自体のバランスも悪い。
    • 前半から中盤にかけて、本来の目的との繋がりが分かりにくいイベントが続くせいでストーリーの進捗がよく分からなかったのに対し、終盤になると、突然ご都合主義的な展開や急展開が連続して起こり、しかもそれに関して十分な説明がないまま最終決戦に突入する。どうも前半部分に容量を使い過ぎて後半の余裕が無くなったように見える。
    • 前述のメインキャラの扱いが酷いのも、こうした容量に余裕が無くなったことによる説明不足が原因と思われる。初期案にあった彼らの活躍が削られている所を見ると説得力が増す。
    • 本作のシナリオは「序」「破」「急」*13で描かれるとされており、緩やかな探索の序盤、事態が深刻化していく中盤、一気に終局に向かう終盤と、確かにその構成にはなってはいるのだが、それも少々極端と言わざるを得ない。
  • エンディングも消化不良。
    • 主人公の活躍で世界は救われた。…と思った矢先に思わぬ人物が現れ、そのまま衝撃的な事態が起こり、後味の悪い不気味な結末を迎える。いかにも続きがありそうな展開ではあるが、物語はそこで終わってしまう。
    • これに関しては、2014年に開催された本作の完全版サントラ発売記念イベントの場にて語られている。木村氏によると、「本作の世界観上、陰と陽は存在しなければならない。主人公によって大きな陰は退けられたが、陰そのものが無くなった訳ではない。」と言う事を伝える意図があったと同時に、純粋に続編を作りたい願望もあったと言う。
    • 後の設定資料集にてこのシーンの意味が説明されているが、意味深な演出に反して実際は大した事ではなかったと明かされている。
      + ネタバレ
    • 主人公の前にある人物が現れ、話しかけて来た途端に謎の怪物によってその人物が連れ去られてしまうというシーンなのだが、これはその人物がもう一方の世界から何故かこちら側に来てしまい、あちら側の世界の人に連れ戻されただけとのこと。
    • 謎の怪物も実はただの人間であり、あちら側の世界から突き出した腕がこちら側からでは怪物に見えてしまったという事であった。
    • ただ、その人物が何故こちら側の世界に現れたのかと言った謎に関しては明かされず終いである。設定資料集掲載の続編構想によれば、その人物は次回作にて再登場する模様だが。

評価点

  • 全体としてCGの完成度は非常に高い。
    • 特にJPEGダンジョンのCGは、モチーフである九龍城砦の複雑さ、小汚さ、怪しさ等が巧みに表現され、プレイヤーがあたかもそこにいるかのように錯覚させる。一部からは、九龍城のGoogleマップとも評され、ゲームとしてはともかく、今は亡き九龍城砦の雰囲気を体感するシミュレーターとしては高い評価を受けている。
      • これでも実は取材旅行の頃には既に九龍城砦は解体済みで、スタッフは実物を見た訳ではない。しかし当時の香港には九龍城砦の名残が至る所にあり、これらを参考に架空の、しかし実物に通じる陰界の九龍城が生み出されたのである*14
    • 街の至る所で目にする怪しい看板、広告、ネオン、装飾も一つ一つが抜かりなく作り込まれている。それこそ、気にも留めないような場所、殆ど見えない箇所まで妥協が無い。
      • 陰界の映画のポスターがあちこちに貼られているが、これもスタッフが直々に撮影したもので、本物の香港映画宛らの完成度である。悲しいかな、PS1の解像度では潰れて殆ど見えないのだが。
    • 九龍城以外にも、清朝時代や上海のCGは一見の価値あり。
  • ムービーや主要なキャラはフルボイスでこれまた非常に完成度が高い。
    • 起用されている声優も、青野武氏や千葉繁氏といった大ベテランから笑点の座布団運びで有名な山田隆夫氏など、その世界をよく知らない人でも声を聞いたことがあるほどの豪華な顔ぶれで、濃い世界観とキャラクターが故、各人の魅力や技量が遺憾なく発揮されている。
    • 単純に演技が良い事も然る事ながら、速水奨氏の美声で話す町一番のべっぴんと評判の踊り子アニタ・ドール、千葉氏の高音と低音が不規則に変調する*15玄機(シャンジー)と、起用の仕方や演技の方向性もまたぶっ飛んでいる。
  • 独特で妖しい魅力のある世界観。上記のような苦行の数々を乗り越えて、本作を溺愛するプレイヤーも存在する。以下は、そんな魅力に憑りつかれてしまった人の声の一例である。
    ではこれの魅力は一体どこにあるのか。それは九龍城という舞台そのものと其処に住む人々に他ならない。
    • 陰鬱・醜悪・面妖・奇天烈・前衛的・退廃的・サイケデリック・エキセントリック・ルナティック…そんな言葉のどれもが当てはまり、その全てを以ってしても足りないような、どこまでも濃密で、混沌としていて、美しさすら感じられる世界が多くの人々を捕らえて離さない。
    • 最初にプレイヤーを叩きのめすのは宗(ソン)爺さんの占い屋の脇にある露店人形だろう。
      けたたましい鐘の音と不愉快なライト。現れる不気味な笑みの首だけ人形。そして壊れたおもちゃのような掠れた声でただ一言「宗じいさん、占い、占い、占い」
      この光景で人間が抱く感情は不快感。それは間違いない。しかしそんな中でもプレイヤーは「毒されてしまう」といった表現がぴったりくるような引力じみた何かを感じ取ってしまうだろう。
      そしてそれはいつまでも頭の奥底にこびりついて離れない。
      ある時ふと我にかえると、宗じいさんに会うたびに「占い占い占い」とつぶやいてしまったり、ゲームに詰まるたびに此処に訪れたりしている自分がいることに気がつく。そもそも進行上何度も訪れることになる人間の宗じいさんの方に声はなく、ストーリーに直接絡まないただの人形のほうには声をあてているというセンス自体(いろんな意味で)どうかしている*16
    • 街のギミックひとつでこうなのだから人々も当然まともなわけが無い。しかも彼らは凡百なホラーにありそうな一見しただけで色褪せてしまう存在ではない。
      実は上記の面倒極まる「お使い」が彼らの人間像を更に掘り下げる仕掛けを担っている。多くの住人と触れ合うなかで彼らが決して徒に狂っているわけではない事や、もともとヤバそうな奴が実は想像以上にヤバかった事などを知ることになる。
+ 以下ネタバレ注意
  • 自らをホース状のもので雁字搦めにし、自分が扱う商品に対して「今時こんな物何に使うんだ?」と吐き捨てる水銀屋の男。一見するとただの捻くれ者だが、後に別の住人の口から彼には病気の妹がいたこと、そして病気を治すため彼女の体に水銀を塗りたくり、結果死なせてしまったことが語られる。*17
    話を聞いた次の瞬間から、目に映る彼の姿は以前とは全く違う物に見えるはずだ。
  • 拾った物を占いにかこつけて法外な値段で売る宗じいさん。あるときプレイヤーは彼から「婆さんのために」美顔薬*18を持ってきてくれと頼まれる(ここで初めて婆さんがいることがわかる)。この時点ではもしかして婆さんのために金を稼いでいたのか、と勘ぐる事もできるのだが…。
    実際持っていくと「もっと強い物を」と要求され続け、仕舞いにはある麻薬を欲しがるようになる。

    「婆さんの顔を弄り回すのが爺さんの趣味」と別の住人から聞かされる

    ある敵の幹部が実は生ける屍であり、そいつが常用していたのが件のある麻薬であったとわかる。つまり…
    • 余談だがこの幹部も「ただの悪役」では終わらない。
      屍という境遇も単なる敵としての箔付けかと思いきや、奴が囲っていた"女"を目の当たりにした後は深く考えさせられる物となる。
  • 自らの感情を一方的にメールに乗せてぶつけてくる謎の人物ガタリ。その脅迫とも、警告とも、恋文とも取れる独特の文章はいちいち含みを持たせており、読む人間を度々悩ませる。特にオーブリー・ビアズリーのサロメの話は(サロメを知っていれば)鳥肌モノ。
    • その正体は(ストーリー的に)とんでもない人物である事が示唆されており、後にその通りだったと明かされている*19
  • 何気ない会話の切れ端や、ちょっとしたテキストにも仕掛けが施されており、ある時突然ドキリとさせられることがあって気が抜けない。
    • ゲームが進むと見知った仲の人物が妄人になってしまう事がある。
      すると画面下に表記される名前がその人物の名前ではなく「○○男」と言った抽象的なものに替わり、彼らがもう人ではない何かになってしまったことが殊更に強調される*20
    • 上記の宗じいさんの一件の最中、例の露店人形の台詞に「婆さん若返る…」という物があるが、テキストは若返るなのに実際の音声は"生き返る"と言っている。
      これだけでは気にも留めないであろうが、事の顛末を知るとこの違いがプレイヤーの中で意味を持つようになる。
  • どうやらこの世界は造形と知性が反比例する法則が成り立っているらしく、道中出会う妄人はみな理性的で話のわかる奴ばかり。
    ナビがいるもののダンジョン内では基本的に孤独な事も相まって、気持ち悪いだけのはずの彼らに愛着が湧いてしまう事も少なくない。

総評

ただでさえ独特で万人が受け入れられるとは言いがたい内容に加えて、プレイヤーに苦行を強いるような不完全なゲームシステムのせいで、「人を選ぶ」という言葉すら生ぬるい怪作になってしまった。その一方で、映像や世界観の評価は高く、唯一無二の世界の虜…宛ら『クーロンズゲート』というゲームの妄人となる者も確かに存在する。
このような陰陽魚太極図の如き強烈な二面性を持っている本作はある意味賛否両論ゲーの極致といえる存在である。
YouTube等で動画もアップロードされているので、興味のある人はまず視聴をお勧めする。映像作品として見る分には価値のある作品であることは確かだ。見る分には。
その上で、世界観に魅力を感じた人は、ある程度の覚悟をして本作をプレイしてみるといいかもしれない。 ただ一つ忠告させてもらうならば、本作はクリアをしようと思ってプレイしない方がいい。そのような考えでは長続きしない可能性が高い。いろんな所をまわり、いろんな人と触れ合って、何処までもこの世界にはまり込んでいく。それが我ら陽界の人間の、陰界の九龍城との付き合い方というものなのだろう。


余談

  • 本作の発売後、主要開発スタッフは独立して「有限会社是空」を立ち上げているが、1999年にエニックスから発売されたPS用ソフト『プラネットライカ』*21の開発を手掛けたのみで解散。
    • その後、本作の企画・監督・脚本の木村氏によって新会社「キムラナカジオフィス」が設立された。こちらも2009年には休眠状態となった*22が、約10年後に「クーロン」の続編のために再始動することになる(後述)。
  • 木村氏は過去にMac用ソフト『東脳』*23に関わったことがあり、そちらから(或いは開発者の佐藤理氏の作風)の影響を受けていることが窺える。
  • キャラクターデザインはスタッフの井上幸喜氏が手掛けているが、元々はサイバーパンク要素を含む世界観という事で漫画『AKIRA』で有名な大友克洋氏に依頼する予定だった。
    • しかし井上氏が下絵を描いたところ、プロデューサーに気に入られてそのまま担当する事になったと言う。
  • ヒロインの小黒はジャパニメーション的なデザインの美少女となっているが、当初はリアルな中国人女性風の顔だった。しかしキャラとしての記号が弱くなる事から、試行錯誤の末に現在の形に落ち着いた。一時はデフォルメ化も検討されたとか。また、「かわいさ」という表現を追求し、フィギュアをCG化するコンセプトでデザインされていると言う。
    • しかしそのデザインを『Dの食卓』や『エネミー・ゼロ』のクリエイターの飯野賢治氏に「リアルじゃない」という理由で雑誌上でボロクソに酷評されてしまった。尚、隣に載っていたのは『Dの食卓』の主人公の写真*24だった。
    • リアルさを追求した訳ではないのにそのように叩かれた事は井上氏としても相当遺憾だったらしく、設定資料集のインタビューでも「もっと取材して話を聞いてくれたら良かったのに」と不満を述べているほどであった。別のインタビューで好きなキャラを聞かれた際にも、上記の件を持ち出しながら小黒を挙げるなど、相当根が深い事を窺わせる。
  • 漫画『GTO』は実在のゲームのタイトルやパッケージをそのまま作中に登場させる特徴があるが、主人公が熱中しているゲームとして本作がゲーム画面もそのままに登場している。他は当時の話題作、有名作が取り上げられている中でなかなかコアなチョイスである。作者も九龍に取り憑かれた1人だったのだろうか。
    • ちなみにアニメ版では『ワイルドアームズ』や『サルゲッチュ』が登場していた*25一方、原作漫画のように本作が出ることは無かった。権利関係なのか、コア過ぎたのか。
  • 発売から20年後の2017年に木村氏、井上氏、蓜島氏を交えたインタビューによると、本作は木村氏が世界観を作り上げて総括した、と言うよりはスタッフ全員が「クーロンズ・ゲートさん」なる概念の指示に従ってバラバラ作ったものを積み重ねて作られた、というようなイメージらしい。しかも恐ろしい事にこれは御三方の感覚ではなく、開発スタッフはみんな同じことを言っていたとか。…だからこんな唯一無二の怪作を生み出せたのか…。
    • 当の木村氏自身でさえクーロンズ・ゲートさんの言う通りにシナリオを書いたつもりとの事。会議で集まっても、クーロンズ・ゲートさんの言うことを聞いているだけだから話す事なんか無かったという。よもや開発室は九龍城のように邪気に覆われていたのではなかろうか…?スタッフが妄人化しなかったのか心配である。

その後の展開

  • 2000年に発売元がSMEからアートディンクへ移り、同年10月5日に同社から廉価版が発売された。ゲームアーカイブス版もアートディンクにより2010年4月14日から配信されていたが、2013年4月10日に配信終了となった。しばらくはプレイしたければ現物を手に入れる必要があったが、発売元をシティコネクションに移した後、2015年9月16日から配信が再開された。
    • 現在配信されているシティコネクション版は、ソフトの初回限定版に付属していたブックレットが電子説明書に同梱された形で収録されている。
  • 2007年7月23日、本作の発売10周年を記念し、Second Life上でゲーム内の九龍城を再現したkowloonというエリアが公開された。
    • その専用サイトには、画像付きのレポートが公開されているので、お手軽にこの世界観に触れたい方はそちらも読んでみるといいだろう。
  • 2014年にはシティコネクションから本作の完全版サウンドトラックCD「九龍風水傳原聲音樂專輯~クーロンズ・ゲート オリジナルサウンドコレクション」が発売された。
    • 発売記念イベントでは木村氏を始めとする開発スタッフが集まり、当時の興味深い話を幾つか語っている(参照)。
      • なお、この時点では木村氏は続編制作には消極的な態度*26を見せており、プロデューサーの須藤朗氏は「続編は皆さんに作って欲しい」と語っていた。
  • 2015年には同じくシティコネクションから設定資料集「Kowloon's Gate Archives~クーロンズ・ゲート アーカイブス~」が発売。
    • ゲームの設定資料は勿論の事、容量の都合で収録できなかったムービー、没要素もしっかり紹介されている。より九龍にのめり込みたいほど憑かれてしまった人なら必読と言えるかもしれない。
    • 更には木村氏書き下ろしの短編小説『クーロンズ・ゲートif』も収録*27。プロローグを除くと大まかなプロットのみを紹介したダイジェスト形式であり、あくまでプレイヤーの「妄想」を膨らませる材料としての掲載となっていた。
      • しかし、後に木村氏自身によってこれをこれをベースとして後に本当に続編が制作される事になる(後述)。
  • 2016年9月13日に、元スタッフが本作をPlaystation VRで再現しようというプロジェクトが発足。募集を開始したクラウドファンディングはわずか15時間で目標金額を達成し、最終的に当初の設定額の3倍の資金が集まる形となった。本作のカルト的な人気が健在である事が窺える。
    • タイトルも『クーロンズゲートVR Suzaku』に決定し、2017年夏の発売予定であったが一旦延期。10月に体験版をリリースし、2017年10月26日にめでたく発売となった。開発は井上氏が率いるジェットグラフィックスが担当している。
    • ストーリー性は薄くゲーム内容自体も単調ながら、VRヘッドセットを忙しなく着脱しなければならなかったりと、原作を踏襲したような激しく人を選ぶ部分は目立つものの、「九龍城の雰囲気をVRで体感する」という点に関しては評価されている。
      • 何故着脱するのかと言うと、「陽界の人間であるプレイヤーが機器を使った生体通信で陰界の九龍城にダイブしている」という設定だから。機器を装着して生体通信を行い、終了する度に機器を外して陰界での成果物(写真)を検証する、そしてまた生体通信で陰界へ…という表現の為にこのようなやや面倒な仕様になっている。
    • 後のアップデートで、ヘッドセット無しの非VRモードもプレイ可能になった。
  • 2016年には木村氏が手掛けたスマホSRPG『デモンズゲート 帝都審神大戦 ~東京黙示録編~』がリリースされた(現在はサービス終了)。
    • 昭和初期を舞台とした伝奇もので、一見『クーロン』とは関係無さそうだが、やはり世界観や作風に本作の片鱗が感じられる。
    • 「ゲート」繋がりということで2017年には本作とのコラボが行われ、本作のキャラが『デモンズゲート』に登場している。
  • 2019年には3度目のサントラが発売されたが、なんと今度はアナログ盤。即ちレコードである。

続編について

  • 2019年には木村氏によって次世代版続編『KOWLOON'S RHIZOME -A Day of the Fire-』が発表された*28
    • 『ゲート』の28年後が舞台であり、リアルでも20数年もの時を経たまさかの正統続編である。シナリオは前述の『クーロンズゲートif』をベースに木村氏が大幅に加筆修正する。キャラクターデザインには井上氏(異形担当)に加えて『Caligula -カリギュラ-』のおぐち氏(人間担当)を招き、音楽も蓜島氏が続投する事が発表されている。目指すジャンルは路地裏オープンワールドとされていた。
      • 『ゲート』のように大人数の大規模プロジェクトという訳ではなく、素材の下地はUnityのアセットを使い、モブ路人はオンラインの顔作成サービスを利用するなど、少人数で開発を進めているとのこと。
    • 原案の『if』とは登場人物や世界観の多くを共通しているが、ストーリーそのものは一から作り直したと言ってもいいほどに手が入っている。
      • 『if』では主人公は何故か陰界に来てしまった一般人だったが、『リゾーム』では『ゲート』の超級風水師と同じような立場で陰界に送り込まれたエージェントで、この時点から異なっている。ただ、超級風水師のように直接赴くのではなく、思念のみを陰界に飛ばして路人に憑依する形で行動する。そのため路人の態度など、『ゲート』とは雰囲気が些か異なる。
  • 2020年にシナリオ第一稿が完成したことで本格的にプロジェクトを開始。こちらもクラウドファンディングの開始後、目標金額を早々に突破し、ストレッチゴールも達成した。
    • 2021年秋発売とされていたが、11月時点でもまだプリプロ(試作)版の段階であり、発売の目途は立っていなかった。一方、同月5日に有名実況プレイヤーによる公式実況動画がアップされ、ようやく本格的なゲーム画面のお披露目となった。
    • 2022年、『ゲート』発売25周年を記念したスタジオライブが公開されたが、この際のインタビューで木村氏自身により「プラットフォームはSteamを考えている」「発売は2023年3月予定*29」という重大な発表がしれっとなされた。
      • 当初はプラットフォームはSteam、PS4、Nintendo Switchとされていたのだが、PS5の販売状況やSwitchのスペックだと動かないという事情から、まずSteam版にしたと言う。PS5版の話なんて無かったんですが…
    • そして2022年5月、全編RTダンジョンで自由に九龍を彷徨える「路地裏オープンワールド」は変更され、移動をムービー、会話を静止画の画面で行う「ムービーノベル」になると発表された。
      • だがその中で、3Dダンジョン形式を検討していた段階でCS機に対応していないUnityアセットを使って作っていた事。そしてCS対応させるにはゼロからシステム構築をやり直さねばならず、インディーズ系としてカバーできる事業範囲を超えてしまうとされ、SteamとBOOTHのみでのリリースとなると発表されるという二転三転ぶりであった。つまり最初からCS機で出す気は無かったのではなかろうか。
      • ムービーノベル化したことで、Switchすら及ばなかった要スペックは「動画再生が出来る機械なら動く」程度になったと発表されている。CS版を取り下げはしたが、ゲーミングPCを持っているユーザーばかりではない事や、そう言った高性能PCが無いからこそCS版を楽しみにしていたファンのことも一応は気に掛けているのかもしれない。
    • 後に語られた所によると、アセットがCS機に対応していないのは「後から気付いた」「アセット使用による効率化が裏目に出てしまった」とのことで、やむなくCS移植を断念したという。ならばせめて3D空間を自由に歩ける「クーロン」は実現しようと努力したものの、絶対面白いと自信があったのにいざ出来上がった評価版がつまらなかったので変更に至ったとのこと。
      • 木村氏曰く、3D空間を歩けるならアクション性を付加するのは不可避だが、そうなると「ゲート」らしさが失われ、「クーロン」ではなくなる。かと言って何のアクション性も無い3D空間を「ゲート」同様にフラグを求めてただ歩き回ってもつまらないだけ。そのようなジレンマに陥り、氏自身も相当悩んだらしく、つまらないと判定を下すまで半年も掛かったとか。
    • その後、全8巻を目標とした分冊方式での販売を目指すとされ、第1巻がパイロット版という形で2023年2月にBOOTHでのみリリースされた。世界中のプレイヤーが遊べるようにSteamとか言ってなかったか。
      • キャラクターデザイナーもいつの間にかおぐち氏ではなく『デモンズゲート』を担当した人物に交代しており、当初発表されていた絵柄とは全然違うものになっていたりなど、正に二転三転四転するプロジェクトとなっている。
      • 参考までに、こちらがヒロインのBeforeAfter
  • ゲームとしては、公表されていた通りムービーが都度流れるテキストアドベンチャーと言ったところ。
    • 『ゲート』と違ってストーリーは基本的に一本道。各イベントの合間に全体図から行先を選ぶ画面になり、「ストーリーを進める」か「任意イベントの所に行く」かを選ぶ形になる。後者が『ゲート』における、必須ではないNPCとの会話に相当する。これらを選んで移動するシーンが『ゲート』のJPEGダンジョンに近いが、この通り探索要素は薄く自分では九龍を歩き回れない。自由度を諦めてストーリーに集中する形にしたと言える。また、元々存在意義が怪しかったこともあり、戦闘パートは存在しない。
      • 前述の通り、動画が公開されていた評価版では移動パートもプレイヤーが操作する形だった。
    • ムービーも移動シーンぐらいで、基本はビジュアルノベル的なアドベンチャーである。開発規模の関係でボイスも無く、演出もあっさりなのでハイテンポでサクサク進んでいく。『ゲート』とはゲームの性質が大きく異なっている。
      • しかし四半世紀を経ても相変わらず陽界の我々には理解に苦しむ陰界の雰囲気や摂理、強烈な路人達のキャラクター性、現代らしくユーザビリティに配慮したと思わせてプレイヤーの腕を捻り上げる仕様*30など、一般向けなど端から眼中に無い作風はやはり『クーロン』である。

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最終更新:2024年01月21日 20:18

*1 実際にあった「光明街」は本作には登場しないが、次回作では「光明路」の名で舞台となる事が発表されている。

*2 雑魚は基本1属性、中ボスは複数属性を持っている事が多い。

*3 相手を打ち滅ぼす陰の関係の事。大雑把に説明すると火は金属を溶かし、金属は木を切り倒す。 木は土の養分を吸い上げ、土は水を濁し堰き止める。そして水は火を鎮める、といった循環の中で強弱関係が成り立っている。

*4 撃ってもターンを無駄にするだけ。

*5 特に終盤は「九龍城に妄想が溢れる」「妄想の島というそのものズバリな名前の場所を探索する」などと言った展開になり、他人の妄想を一方的にまくしたてられるようなイベントが多い。

*6 九龍では一般人を「路人」と呼ぶ。

*7 具体的には亀と文鳥。これらが好きな人は特に注意。

*8 所持している属性が多いほど気力の減りが激しい。4つも所持していると移動による自動回復も追いつかなくなってしまう(相殺で精一杯)。

*9 無限湧き以外は全て出現する鬼律の種類・属性は固定なのだが、この状態になると属性もランダムになってしまう。

*10 戦闘中に答えを教えてくれる事もあるが、本当に一部の戦闘だけである。

*11 4枚組ソフトならセガサターンの『AZEL パンツァードラグーンRPG』などのような前例もある。SS版『ファンタズム』に至ってはなんと8枚も使っている。

*12 もっとも、内容の色んな意味での濃さやプレイ時間の長さから忘れがちだが、本作は(時間遡行もしているが)たった一晩での出来事である。

*13 日本の雅楽の舞楽から生まれた概念で、現代では主に文章や脚本などにおける三段構成を指す。

*14 作中の九龍城は水銀屋、ねじ屋、さんご屋など、一軒一軒が商売として成り立つのか怪しいほどの細かい分業社会となっているが、これも現地を参考にしつつ、極端な例を取り込んだものである。

*15 『ドラゴンボール』シリーズで氏が演じたピラフとラディッツの声がごちゃ混ぜになっていると言えば分かる人は分かるだろうか。

*16 やはり反響が大きかったのか、『VR』でも台詞を一新してしっかり登場している。

*17 水銀は古代においては不死の薬として珍重されていた節があり(作中でもその事が触れられる)、彼の行動は全くの狂気の沙汰と言うわけではない。ただその考えも中世には廃れており、時代錯誤であることは変わらないのだが…。

*18 これがどういう物か、は後々知ることになる。名前からして基礎化粧品の様な物を想像してしまいがちだが実は…。

*19 続編制作のクラウドファンディングのリターンの一つがこの「ガタリ」からのメルマガというのもまた『クーロン』らしくぶっ飛んでいる。

*20 ただ、妄人化状態が初対面且つ、名前がある人物は元の名前のままの場合もある。

*21 本作ほど有名ではないが、こちらも本作の作風を色濃く受け継いだ怪作である。

*22 木村氏は2010年にアンバイ株式会社を設立している。

*23 輪廻転生をテーマとしたアドベンチャー。怪しくアジアンテイストの世界観、サイケデリックで難解なゲーム内容により一部で根強い人気がある。

*24 井上氏曰く、「それほどリアルじゃない」とのこと。

*25 前者はパッケージとタイトル、後者はゲーム画面までのそのまま。

*26 今の技術のリアルタイムレンダリングで当時と同じノリが出来るかどうか、という意味で。

*27 しかも蓜島氏書き下ろしのイメージBGM収録のCDが付属。

*28 「リゾーム」とは比喩的用語、哲学用語としても用いられる地下茎の一種。本作にもグループチャットの名前として登場しており、今度はこのリゾームがストーリー上で大きな役割を果たす。サブタイトルも本作をプレイした人ならすぐにピンと来るだろう。

*29 しかも、Steam版の早期アクセス版の話である。

*30 行先選択画面では隠しイベントが存在するのだが、画面上は隠されたイベント数が表示されるだけで、実際にマウスを操作してポインタが変わる場所を手探りで探さなければならない。判定も結構小さいので容易には見つからない。